第35話 【幕間・真珠】「やはりお前は面白い」

 道中、ヒカリゴケをみたり、植物の観賞もしながら歩いていくと観音堂が遠目にうつった。


 朱塗りの柱に五色の幕が張られた建物は、この火山岩に囲まれた灰色の風景の中、そこだけが原色の世界――別世界のようだった。



 言うなれば、地獄の中にある極楽浄土といった風情である。



 到着前、観音堂近くにあるお店で甘酒と厄除け団子を購入して、小腹を満たす。おやつ替わりだ。



 服にタレをこぼして汚すからという理由で、団子は貴志に食べさせてもらうことになった。



 先ほど、靴を履かせてもらった時も赤ん坊になった気分だったが、食べさせてもらうのは更に赤子扱いだ。



 貴志は鳥の雛に餌付けをしているようで、なんだかちょっと楽しそうに映った。



 団子を口元に寄せれば、わたしがパカーッと口を自動で開け、次いでモグモグと頬張るのだ。

 面白い玩具でも手に入れた気分になっているのかもしれない。



 腹ごしらえを終え、水盤舎まで着くと、二人で手口をそそぎ、参拝に備える。


 ――ああ、またここに来ることができたのか。


 そんな思いでお堂に向かいお辞儀をする。



         …



「何かお願い事でもしていたのか?」


 念願の御朱印帳に本日の参拝記念の御朱印をいただき、迷子紐付きのリュックの中に大切にしまっていると、貴志から声をかけられた。



「え? お願い事? どうして?」



 何故、お願い事なのだろうか?

 意味が分からなかった。



 貴志は不思議そうに首を傾げる。



「随分、熱心に拝んでいたから、何か願掛けでもしているのかと思っただけだ。違うのか?」




「え? 願掛けなんてしないよ。だって、叶えたいことは自分で努力しないと手に入らないんだよ。だから、わたしは『ここに参拝できて感謝しています。お参りする機会を与えてくれてありがとうございます』って、その気持ちを伝えているだけだよ。神仏にはお礼だけしているの――『昔』から。」




「意外とまともなことを考えているんだな。なるほど……」



 意外だろうか?



「やはりお前は面白い。他力本願じゃないのも、益々気に入った」



 貴志がわたしの目を間近で覗き込んだ。



 そうだろうか?

 みんなそんなものじゃないかな、と思いはしたが、わたしは自分の参拝についての考えを彼に伝える。



「『困った時の神頼み』が許されて、助けてもらえる人は、毎日やるべき努力をしている人だけだよ。努力しない人には、そんな奇跡はおきない。だからわたしは神社でも仏閣でも、願掛けはしないの。自分の力で切り拓きたいから。

 でもね、頑張っていると自ずと色々な人が手を差し伸べてくれるんだよ。

 だからわたしは願掛けじゃなくて、そういう人や機会に巡り合わせてくれたことを感謝する時間にしてるの。神社でもお寺でも」



 貴志は、今度はものすごく柔らかい笑顔を私に向けた。



 こちらが赤面してしまうくらいの、かなり破壊力のある微笑みだ。



「そうか。それはいいな。『感謝の参拝』か……」



 そう呟くように口にした貴志は、わたしの頭を撫でると再び笑った。



 先程、休憩所で見せた揶揄が隠された笑みではない。


 本物の、心からの笑顔だ。



「では、お姫さま。帰りは抱き上げて帰らせていただいてもよろしいでしょうか?」



 そう言って、わたしの返答を待たずにフワリと持ち上げられる。


 貴志の頭よりも一段高い位置で抱えられると、いつもの視界とは全く別の世界が目の前に広がった。



 おお! 

 景色が違う。風景がガラリと変わる。



「真珠、お前、少し熱があるみたいだ。さっき休憩所で抱きついてきた時、いつもより体温が高かった。食欲もあるし風邪をひいている感じはしないから多分知恵熱じゃないか? まあ、最近色々なことがあったから……ストレス起因かもしれないな。念のため、帰りは俺につかまっていろ」



 ああ、そうか。だから朝からフワフワしていたのか。


 身体の中心からホカホカする不思議な感覚は、発熱から起きたものだったのかもしれない。



「気づかなかった。 ありがとう……貴志、……兄さま」



 慌てて「兄さま」を付け足すと、貴志が可笑しそうにクッと笑った。


 周囲には、先ほどの女子大生三人組と、親子連れ、男女混成グループ、更には数人の男性グループと、だいぶ人が多くなってきている。


 なんとなく、周囲からわたしたちに向かって視線を感じる。

 おそらく、その原因は貴志だ。


 時と場所、性別、年齢に関係なく人を惹き付ける男だな、と感心して彼をまじまじと見てしまう。



「では、参りましょうか。お姫さま」



「ええ、よろしくお願いいたします。お兄さま」



 わたしは貴志を見下ろして、微笑んだ。



 気配りに気遣いに、本当によくできた「兄」だと思いながら、その場を後にしようとした時、先ほど助けていただいた三人娘―――カナちゃん、ルリちゃん、ミチルちゃんが遠慮がちに声をかけてきた。


 どうやらグループ写真を撮ってほしいらしい。



「お兄さま、わたしは大丈夫です。少し休んでいますので、どうぞ写真を撮って差し上げてください」



 そう言って、わたしは休憩用の椅子にちょこんと座って待つことにした。



 体力温存の為もあるが、お姉さん方はきっと貴志と話をしたいのだろう。


 途中の休憩所では貴志に急ぎの電話がかかってきてしまい、その間お姉さん方はわたしの話し相手になってくれたのだ。


 そのお礼も兼ねて、気兼ねなく貴志と会話する時間を作ってもらおうと思った。


 わたしが離れた方が会話をしやすいかと気を利かせ、彼らに背を向け、近くのベンチに向かう。


 けれど、わたしの後ろ姿を見送っているのか、彼女達の少し残念そうな声が耳に届く。


 その声は「真珠ちゃん、行っちゃうの? 疲れちゃったのかな?」と、わたしの事を気遣ってくれたようだ。


 貴志がわたしの体調を説明すると、お姉さんたちは引き止めてしまったことを申し訳なさそうに謝っている。


 わたしは「気にしないで、大丈夫だから」の意を込めて、座った椅子からお姉さんたちに軽く手を振った。


 彼女たちは少しホッとした様子を見せ、笑顔で手を振り返してくれた。


 あの三人組は大丈夫だ。

 貴志が嫌がるようなことはしない。


 彼女達の目にあるのは、純粋な憧憬の念だ。


 貴志と話がしてみたかったのだろう。

 しかもわたしのことまで考えてくれる、とても心根の良い女性達だ。


 そんな彼らを尻目に、眼下に広がる雄大な景色にしばし見入る。


 今日は残念ながら、時折煙を上げる浅間山も雲に覆われて見えなかった。


 でも、このお天気で良かった。

 もし快晴だったら、暑さで体力を奪われ、観音堂の展望台までもたなかっただろう。



 前世では、超健康優良児だったので、体調を滅多に壊すことがなかった。


 体調が悪いという感覚は風邪をひいた時に悪寒がして気づいたものだが、今回のような体調の崩し方があるとは思いもよらなかった。


 子供特有の体調不良の表れなのかもしれないが、ひとつ勉強になったのは確かだ。



 貴志もわたしの体調に気づきながらも様子を見て、わたしの希望に沿ってここまで歩かせてくれたのだ。



 彼のその気持ちが有難く、嬉しかった。



 彼への感謝の気持ちを胸に、のんびり一人で景色を楽しんでいると、女子大生三人組に別れの挨拶を済ませた貴志が足早にこちらへ戻ってくる姿をみとめた。



 彼は何故かわたしの周りに一瞬鋭い視線を送った後、こちらに向かって優しい笑みを送った。



 わたしはスッと立ち上がり、お姫さまのようにピンと背筋を伸ばして、優雅に右手を彼へと差し出す。



 貴志は恭しくその手を取り、エスコートしてくれた。


 そして、坂道に差し掛かったところで、フワリと抱き上げられ、今度こそわたしたちは観音堂を後にした。


        …


 

 念願叶って手に入れた御朱印帳。

 最初の2ページは空欄にしてもらい、今日の参拝記念は3ページ目に記入してもらった。


 浅草迷子中、浅草寺で頂いた二種類の御朱印を貼り付ける場所をしっかり確保することに成功したのだ。

 それを忘れず遂行できた本日の成果を、自分で褒めてあげようと思った。



 発熱して貴志に迷惑をかけてしまったが、それはまた別の形で償おうと思う。





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