第34話 【幕間・真珠】偽兄妹と女子大生
トイレ休憩も終わり、いざ、鬼押し出し園へ!
目指すは浅間山観音堂・寛永寺別院だ。
―――が、自由に動けない。
迷子紐を貴志によって括り付けられたのだ。背中に。
「何故こんなものを……。」
背中についたリュックと一体になっている紐を疎ましく思いながら、貴志に視線を移す。
彼から返ってきたのはもの凄く良い笑顔だ。
「美沙から渡された。お前、浅草では相当なことをしていたらしいな。俺に会うまでの数時間を。」
母か。母の仕業だったのか。
わたしもとても良い笑顔を彼に返す。
「はい、その節は……とても反省しております。」
浅草迷子事件を出されると反論の余地はなかった。
迷子紐を背中に、わたしは貴志の前をテクテクと歩く。
何故だろう、「真珠」と貴志に名前を呼ばれるたびに「おい、そこのポチ」と呼ばれた気分になるのは。
ぐぬぬ。貴志め。いや、気にしたら負けだ。今は目標に向かって歩くのだ。
混雑する前に御朱印帳を入手して、早々と長野に向かわねばならぬのだ。
そして長野で貴志の用事を済まし、再度の長距離ドライブで今夜遅くに奥日光に到着予定だ。
貴志も若いとはいえ体力的に大丈夫だろうか、と心配になる。
運転の仕方なら分かる。前世は16歳でドライバーライセンスを取り、時々高校やユースオケの練習に弟を乗せて車で通うこともあったのだ。
ただ右車線走行の左ハンドルだったので、日本で運転したら気をつけないと逆走してしまうかもしれない。
でも、ドライバーが大変な時に、怖いのなんのと言って尻込みしている場合ではない。
「貴志、もし運転するのが辛くなったら言ってね。わたし運転できるから。」
つい自分が五歳児だということを忘れて親切心で言ったのだが、怪訝な顔をされた後、何故かピシッと軽くデコピンを返された。
そうだった、今のわたしは普通自動車運転免許も取れない、ただの無力な子供だったのだ。
…
「おい、真珠。大丈夫か? 抱き上げていってやろうか?」
火山灰除けの避難所兼休憩所で椅子に座りながら持参した水筒に口をつけていると、心配そうに貴志が声をかけてくれた。
結構頑張って歩いているのだが、子供の歩幅も脚力も大人のそれとは違う。それをこのトレッキングでまざまざと実感することとなった。
傾斜のきつい場所もあり、普段外出しなれていない真珠の足腰ではかなり堪える。日常的な運動をもっと取り入れなければ。
しかも浅草での靴擦れが、未だに疼くのだ。車に戻ったら絆創膏が必要かもしれない。リュックに入れてくるんだった。
ふと周りを見ると狭い休憩所の向かい側の椅子には、女子旅だろうか―――三人組の女子大生らしき年代のグループが座って、こちらの一挙手一投足を息を殺して見守っている。
貴志に視線を奪われているのは、ほぼ間違いない。本当に罪作りな男である。
きっと声をかけたくてウズウズしているのだろう。分かる。彼は見た目は極上品だ。
ああ、そうだった。人前では妹演技をせねば―――そう思い出して、これでもかという笑顔を貴志に向ける。
言葉も穂高兄さまに向けるのと同じように礼儀正しく―――だ。
「ありがとうございます。貴志兄さま。でも、わたしは大丈夫です。お兄さまのお時間が許すのならば、できれば観音堂までは自分の足で歩きたいんです。駄目でしょうか?」
なんなら、瞳に懇願のウルウルまでつけてみる。見たか、この妹演技を。アカデミー賞ものではないかと思う。
貴志の動きがピタリと止まった。彼は一瞬の逡巡を見せた後、わたしの右手を取り、極上の笑顔を返してくる。他の人には分からないだろう
これは何かを仕掛けてくる、そう思って身構えていたら案の定だ―――
「お姫さまのお望みのままに。」
そう言って、わたしの右手の中指と薬指の付け根に口づけをしてくるのだ。そこは―――人間の弱い部分ではないだろうか。
身体の芯に変な疼きが走ったじゃないか。
なぜそんなことまで熟知しているのだ、この男は。末恐ろしい。
負けてはならぬ。負けては―――もうこれは己の羞恥心とプライドの狭間を巡る勝負だ。絶対に負けられん。
「ありがとう。貴志兄さま。大好きです!」
わたしはなけなしの羞恥心を無理やり押し込めて、貴志に抱きつき、その首筋―――鎖骨の近くにキスしてやった。どうだ、そこも人間の弱い部分だ!
貴志が息を呑み、呆気に取られた表情で首元を抑えている。
ふふふ、どうだ参ったか! 貴志に勝ったぞ!
女子大生一行は、手にしたペットボトルを落としたり、フラリとよろけたりしている。ちょっと悲鳴らしきものも聞こえた。
貴志の似非ではあったが極上の笑みにやられてしまったらしい。ご愁傷様としか言いようがない。
―――そして、わたしは自分がやらかしたことに対して、我に返った時点で「なんという破廉恥なことをしてしまったのかっ」と後々大変悶えることになるのだが、今のわたしは妙な闘争心が芽生えてしまい、そこに気づいていない。
負けず嫌い、ここに極まれり―――といったところか。
なんだか浮足立ってフワフワするのだ。園内を歩いて体温の上昇した身体もポカポカして変な気分なのだ。いつもより、何故か元気が溢れてくるのだ。
妖精姉妹との再会を楽しみにしているわたしの心が、かなり舞い上がっているからなのかもしれない。
貴志がすこし考えるような顔をして、わたしのことを見ているのにも全く気付いていなかった。
「……わかった。じゃあ、様子をみながら歩くか。そろそろ行っても?」
貴志から言われたので立ち上がろうとしたが、一旦止まる。
「真珠?」
「お兄さま、絆創膏を持っていらっしゃいますか?」
わたしは足に視線を移す。
靴擦れだ。踵と踝下の皮膚が削れ始めている。歩き慣れていない子供の足が、ここまで弱いとは思いもよらなかった。
浅草ではサンダルで歩き回ったから靴擦れができたのだと思っていたのだが、今日はきちんとトレッキング用のウォーキングシューズを履いていた。だから、靴擦れの心配はしていなかったのだ。
まだ出血はしていないと思う。
酷くなって迷惑をかける前に、早めにガードをした方が良さそうだ。
「以前からあった靴擦れが、悪化したのかもしれません。」
貴志が椅子に座るわたしの前に跪き、靴と靴下をそっと脱がして確認してくれた。
まだ出血はしていないが、少し体液が出始めている。
「絆創膏はあるが、ちょっと傷に対する幅が足りないな。痛むか?」
心配そうに傷口近くに触れ、顔を見上げてくる。
「……っい……、た……。」
傷口の周りもビリビリとした痛みがあり、ちょっとビックリして、声を上げてしまった。
そこで、前に座るお姉さま方が、おずおずと声をかけてくれた。
「あの……、大丈夫ですか?」
「良かったらコレ使ってください。」
「あと、良かったらこの消毒用のスプレーも。」
そう言って、大きめ幅の絆創膏と、消毒用スプレー、さらにガーゼを手渡してくれたのだ。
「ありがとうございます。申し訳ありませんが、いただいてもよろしいですか?」
貴志が穏やかな微笑みで対応し、女性方は三人揃ってコクコクと真っ赤な顔で何度も頷く。
「お姉さま方、ありがとうございます。本当に感謝いたします。」
見ず知らずの子供の為に、本当に有難かった。
わたしも出来るだけの感謝の思いを笑顔に乗せる。
「「「うわ……っ かわ……っ」」」
三人組が言葉をつまらせて、私を見て赤くなった。
そうか、顔が赤くなるほど、皮が剥けている足を見てビックリさせてしまったのか。大変お見苦しいところをお見せしてしまったなと、眉がヘニョッとなってしまった。
ああ、でも、この三人組は良い人達のようで良かった。
早乙女教授宅に行くときに、何人かのお姉さまに貴志の側にいるのを睨まれたことがあるのだ。主にお兄さまではなく、わたしを見て、だ。
子供がそばにいなければ、こちらの誘いにのったはずなのに、という表情が見てとれて驚いたものだ。確かに見た目は綺麗だったが、そんな中身では靡くものもなびくまい―――と非常に残念に感じたものである。
貴志に傷口を消毒をしてもらい、大判の絆創膏で傷をカバーしてもらった。
よし、靴下を履くぞと動き出したら、「そのまま座ってろ」とのことで靴下も靴も履かせてもらった。赤ちゃんになった気分だ。
女性三人組は、やはり女子大生とのことだった。今年、大学に進学したばかりで、仲良し三人組でバイトの休みに合わせてブラリ旅に出ているとのこと。
では、数カ月までは現役の女子高生ではないか! と、わたしはちょっと興奮してしまった。いや〜、可愛いな〜。若いっていいな〜、と微笑ましくなった。
お姉さん方は「真珠ちゃん、気をつけてね。お大事に」と言って、先に休憩所から出ていった。
貴志は、わたしがお姉さん方と会話中にかかってきた電話で誰かと通話中だったため、彼女達に軽く会釈をし、手を上げて別れの挨拶を交わしていた。
お姉さん達もそんな貴志に笑顔で手を振って、先に進んで行った。
「電話終わったんだ? お姉さんたち、みんな良い人で良かったね。」
「ああ、そうだな。それじゃ、俺達も行くか。」
貴志が迷子紐を片手に立ち上がる。
わたしも足の痛みが取れただけで、かなり歩きやすくなり、その後かなり頑張って歩けた。
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