第29話 【月ヶ瀬穂高】『眠り姫』
僕と真珠は、貴志叔父さんに連れられて、美沙子さんの恩師というバイオリンの先生のお宅にお邪魔した。
コンクールのビデオを見ながら、真珠は震えていた。
泣いていた。
心が悲鳴をあげていた。
助けて――そんな声が真珠から聞こえたような気がして、僕は咄嗟に真珠の手を握りしめた。
貴志叔父さんも、そんな真珠の様子に気づいたようで、僕が真珠の手を包むのと同時に、彼女の頭を抱きしめていた。
真珠は泣き止まない。
だから僕たち男二人は、真珠をずっと包み込んでいた。
…
涙に濡れた長い睫毛をパチパチさせながら、真珠はホットミルクを飲んでいる。
腕を少し痛めているようで、心配にもなった。
真珠が早乙女教授と話をしている間に、どんどん大人の――あの、コンクールの舞台での――女の人の目が現れはじめた。
とても驚いた。
いつもの幼い真珠ではない。
大人びた彼女の姿に、言葉に、仕草に――僕の心は飲み込まれていった。
「空蝉みたいだ」
教授は、そう言った。
うつせみ? たしか蝉の抜け殻のことだ。
真珠が子供の皮を脱いで、急に大人びたことを言っているのかな。
妹は教授と話すたびに、突然花開くように、驚くほど綺麗になっていく。
窮屈だった抜け殻を脱いで、真珠の魂の美しさが現れたんだと思った。
僕は、美しい蝶のように変身した真珠を、どうやって守っていこうかと真剣に考えた。
きっと、みんなが彼女に夢中になってしまう。
僕が守ってあげないと――
「羽衣をなくした天女だ」
叔父さんは、真珠のことをそう言った。
今はその羽衣を手に入れたから、こんなに綺麗になってしまったのだろうか。
『羽衣伝説』のように、彼女はいつかどこかへ帰って行ってしまうのだろうか。
――いや、真珠はずっと僕の『眠り姫』だったんだ。
本当は僕が起こしてあげたかったけれど、彼女の眠りを覚ましたのは、僕でも、叔父さんでもなく――早乙女教授だった。
少し悔しい。
でも、真珠の心を救ってくれた早乙女教授にだったら、王子さまの役を譲ってもいいと思った。
でも、それは今回だけだ。
真珠とずっと一緒にいたい。
それは僕の心の真ん中にある、本当の願い。
でもね。僕はもう知っているんだ。
何があっても真珠を守っていこうと決めた時、それなら真珠が僕のお嫁さんになってくれたらいいんだと思ったんだ。
だから僕はまた、一人で色々と調べたんだよ。
二人で生きていく未来のために。
でもね、兄妹は結婚できないんだ。
僕は真珠――君をお嫁さんにすることはできないんだ。
その事実は、とても悲しかった。
でも、兄妹だから切れない絆で結ばれているんだと思ったら、それは心強い――僕の力になったんだ。
だから僕は、兄として、君のことをこれからも守っていくって決めたんだ。
僕はね。君に何か秘密があることにも気づいたよ。
叔父さんは、そのことについて何かを知っているみたいだね。
叔父さん……いや、貴志さん――僕は彼のことを認めるよ。
だって、僕と同じように真珠のことを大切に思っていることが分かったから。
貴志さんはやっぱり僕が最初に会った時に密かにあこがれた「男の中の男」なんだ。
今日一日、ずっと一緒にいて、改めてそう思ったんだ。
いつか、君は僕に、その秘密を打ち明けてくれるだろうか。
貴志さんのような大人の「男」になれたら、話してくれるだろうか。
僕は『眠り姫』の本物の王子さまにはなれないけれど、君が大切な人を見つけるまでは――それまでは、君のことを一番近くで守らせて。
いつか真珠が見つけた、君の大切な人にその場所を譲る時まで――
君の幸せが、僕の幸せだから――
…
家路にむかう電車はガタガタと揺れる。
真珠は貴志さんの腕の中で再び『眠り姫』になっている。
僕は窓の外を真っ直ぐ見る。
車窓の景色が変わるように、きっと僕と真珠の瞳からに映る景色も変わっていく。
今はまだ、僕は頼りない子供だ。
でも、いつか、兄として、君を守り笑顔にする――そんな力を手に入れるんだ。
急がなくていい。
ゆっくり、けれど着実に歩んでいこう。
いろいろなことを一緒に乗り越えていこう。
愛しているよ――たとえ結ばれなくても、君は僕の、大切な大切な『妹』だから。
【後書き】
次章、幼馴染(星川リゾート編)に入りますと、恋愛展開が山盛りになり、本編前の閑話から禁断系恋愛要素が多く含まれます。
苦手な方はご注意ください。
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