第19話 【真珠】夏の夜の夢 3


 心の中の何処とはいえないが、とても柔らかな場所に、彼の奏でる穏やかな調べが染み込んでいく。


 ああ、この人は、こんなにも愛に溢れた音色を、その手で、その腕で、生み出すことができるのか。




 わたしは、聴きたかったのだ――薄暗い森の中を彷徨いながらも、最後の一瞬に光を宿す――希望を予兆させるこの曲を。



 過去の私への鎮魂歌レクイエムではなく、これからを生きるわたしの為に。



 懐かしい人達の「在る」場所から、新たな「この世界」で未来を生きるために――




「ありがとう。」


 この曲を贈ってくれて。

 わたしの話を聞いてくれて。


 いつの間にかライトアップのされた浅草寺境内。それでも人影は疎らだ。



 けれど、貴志の周りだけは、かなりの人だかりができている。


 ライトアップを見に来た観光客や、近所の人だろうか――散歩中の老夫婦や子供連れの家族もいる。

 帰宅途中のサラリーマンやOLたちも足を止める。


 よく見ると、若い女性が圧倒的に多い。


 あの容姿だ。そのまま立っているだけでも目を引くのだ。


 しかも、こんなに素晴らしい情感のこもった音色を演奏している彼は、本当に素敵で、不思議な色気を醸し出している。



 老若男女をかかわらず、人を惹きつけずにはいられない、この存在感はさすがだ――



 本人は演奏に没頭しているため、周りの音も聞こえないのだろう。

 自分の周囲にこんなに沢山の人が集まっていることにも、まるで気づいていない。



 演奏が終わったとしても、しばらくは周りを陣取る――特に、若い女性達からは離してもらえないだろう。



 そんなことを思っていると、わたしは巡回中の二人組の警察官に声をかけられた。



 名前を確認され、一人の警察官が無線で「捜索中の迷子を保護した」と連絡している声が聞こえた。


 どうやら両親はきちんと捜索をしてくれたようで安堵する。


 わたしが足の痛みで動けない旨を伝えると、もう一人の警察官がわたしを背負ってくれた。


 まずは雷門脇の交番に連れて行ってもらうこととなり、貴志の演奏を背中に、わたしは浅草寺を後にした。


 彼のチェロの優しい音色が風に乗って届く。


 希望を内包する最後の長音も、無事わたしの元まで届けられた。


「ありがとう。貴志」



 わたしの心を救ってくれた彼にお礼を――もう一度小さな声で呟いた。



 最後にきちんとお礼を言えなかったのは心残りだったが、わたしが幽霊アレだと最初に伝えておいたので、そういうものだと納得してくれるといいなと思った。



          …


「真珠っ 真珠!」


 交番に到着すると両親とお兄さまが、勢いよく抱きついてきた。


 両親は交番の中で警察の人たちに頭を下げ、お礼を伝えると書類の手続きをしている。


 穂高は抱きついたまま離れず、眉間に皺を寄せ、唇をぎゅっと噛みしめている。


 相当心配をかけたようだ。

 

 夜八時をまわっても見つからないようであれば、本格的な事件として捜査に移る段階だったらしい。

 ギリギリで回避できたようだ。


 日中はわたしの目撃情報が、仲見世商店街の色々なところであったようで、家族と警察官が探し回っていたらしい。


 だが、わたしが子供にしてはチョロチョロと縦横無尽に動き回っていたせいで、いたちごっこの様相を呈していたようだ。

 自分の隠密スキルの完璧さがおそろしかった。



 そうこうするうちに夕方になり、目撃情報が減り、これはいよいよ誘拐か、何か事件にでも巻き込まれたのかと緊張が走ったところ――恐竜のぬいぐるみを持った子供が境内にいるとの目撃情報が入り、警察官二人が保護しに来てくれたようだ。



 わたしは本当に何をしていたのだろう。


 家族にもこんなに心配をかけて……感傷に浸るあまり周りが全く見えなくなっていたようだ。


 みんなに迷惑をかけたことを、本当に消え入りたいほど反省した。


「ごめんなさい。心配かけて……本当にごめんなさい」


 両親と兄、そして尽力をつくして探してくれた警察官の皆さんに、頭を下げて謝った。


「もう一人で動いたら駄目だよ」


 そう言って、警察官のおじさんが頭を撫でてくれた。


「お世話になりました」


 交番の皆さんに、家族でもう一度お礼を言い、わたしたちはそこを後にした。


 なんだかとても疲れた一日だった。

 でも、心はとても静かだ。



 あの心の嵐は、貴志が吹き飛ばしてくれたのだ。



 もうこの姿で会うことは無いだろうが、もし高校生になって『主人公』との仲で悩んでいたら、ちょっとだけ手助けしてやらないこともない、と思った。



 絶対に近寄らないつもりだったが、今日のお礼にキューピット役をかってやろう。


 勿論、『主人公』が望むのならば、だけれど。


 自分が幽霊か超常的な何かになったつもりで、未来の予言めいたことをしてしまったが、あの言葉を胸に『主人公』――彼の『宝物』に出会うまで、頑張って生き抜いてほしい。



 そういえば、過去に家族間でトラブルがあり一人で生きてきたと、ゲーム内でも語られていたが、詳細までは知らなかった。


 ちょっと、月ヶ瀬家の様子に似ているか? と思いもしたが、彼の母親がよく寝込んで泣いていたと言っていたので、タカシ叔父さんと貴志は別物だと分かったのは大収穫だ。


 お祖母さまは、超がつくほどの健康体だし、涙とは一番ほど遠い対極の位置にいる。多分、我が家一番の猛者もさだ。



 それに、貴志は月ヶ瀬家の誰にも似ていなかった。

 親子や親族ならば、何処か似通う造りがある筈だが、彼と母は似ていないし、祖父母にもまったく似ていない。

 

 わたしは心の中でガッツポーズをつくった。


 ――ああ、これで枕を高くして眠れる。


 自分は幽霊だという前提で心の内を話していたから、まさかタカシ叔父さんイコール貴志だったら、相当気不味いなと焦ったが、これでもう大丈夫だ。



 どんと来い! タカシ叔父さん!


 いまは勝ち誇った気分である。



 わたしは両親に連れられて、兄と共にホテルへ戻った。


 足が痛くて歩けなかったので、父親に背負ってもらい、兄がピー助を抱え、母はそんな兄の手をひいていた。



 そう。これが月ヶ瀬真珠の――今のわたしの家族だ。



 そうだ。認めよう。


 交番で再会した時の安堵した気持ちを。


 帰ってこれた。

 また会えて良かった――と思ったことを。



 やっと今日、『この』の世界にいると気づいてから、ずっと今までくすぶっていた気持ちに決別することができた気がする。



 家族を――今の家族を大切にしよう。


 伊佐子のように後悔しないように。


 一日一日をこの家族と共に、一歩一歩前を向いて歩いていこう。



          …




 ――そんな殊勝なことを思っていたこともありました。


 今夜、最大の修羅場が訪れるまでは――



「かぞくぶろ? え? 家族風呂⁉」



 ホテルに戻ると、父が予約していた家族だけで入れるお風呂の時間がもうすぐということで、両親が準備を始めている。



 喜ぶのかと思った穂高少年は、何故か固まり。

 わたしも勿論フリーズした。



 そうだろう。汗もたくさんかいた。


 遅い夕飯の前に、ひと汗流したいことだろう。


 それは、分かる。

 が、何故に家族風呂なのだ?


 仲直り記念旅行とはいえ、別に家族四人で入らなくても良いのではないか⁉



 いくら家族を大事にとは思っても、まだそこまで心の準備ができていない。


「はい! しぃちゃん、手をバンザーイってしようね」


 父が嬉しそうに、わたしの服を脱がしにかかる。


 わたしは、あまりのことに全く対応できず、ウッカリ万歳してしまった。


「ぅわああっ お父さん、ちょっと待ってください」


 そこを兄がフォローに入って、すかさずワンピースの裾を抑えてくれた。


「し……真珠、足を靴擦れしてるみたいだから、今日は……家族風呂じゃなくて、あの、その……そうだ! そう、お部屋のお風呂が良いんじゃない……でしょうか?」


 ナイスフォローだ。お兄さま! さすが紳士!


 まあ、相手はまな板な幼女だけどな。

 いや、本当に助かった。


 わたしも迂闊にバンザイしてしまった自分の愚かさに恥じ入るばかり。


「そうかー。じゃあ、今日はしぃちゃんとパパでお部屋の……」


「イヤっ」


 皆までは言わせず、一刀両断。これ大事。


「お母さまに洗ってもらいます」


 寂しそうに肩をおとす父だが、これだけは譲れんのだ。

 お母さまに、ピトッと貼り付くのも忘れない。


 お母さまが、わたしの頭を撫でてくれた。気持ちが良い。


「誠一さん、せっかくだけど真珠も疲れているだろうし、わたしも部屋のお風呂でいいわ。穂高と二人で家族風呂に行ってもらえるかしら?」


 誠一パパは、非常に残念がったが、その日最大のピンチは兄と母のお陰で切り抜けられた。


 家族旅行にはお風呂という落とし穴があることを知った、月ヶ瀬真珠 五歳の夏である。



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