第五話 【天の塔】




 天の塔。

 五千年前、初代勇者が挑み、攻略し、魔王と戦うための力を得たとされる伝説の塔。

 なぜ伝説なのか、と言う疑問への答えは単純で、五千年前から現在に至るまで天の塔が発見すらされていないという点に尽きる。

 実在する塔なのであれば、五千年もの長い時の中で誰にも一度も目撃されないなんてことはあるはずがない。

 けれど実際は、攻略は愚か一度たりとも発見すらされなかった。

 人間が暮らす大陸は広い。

 けれど、五千年もの時をかけて大陸中を探しきれないほど広大と言うわけでもない。

 ましてや、塔は動かない。

 ならどうして見つけられなかったのか。


 そのことについて、何個か仮説を考えた。

 一つ目は、人間が簡単に到達できない場所にあるという説。

 徒歩ではいけない場所、あるいは特殊な移動方でなければ行けない場所。

 例えば、海底であったり、逆に天空だったりだ。

 どちらも初代勇者と繋がりのあった海精種セイレーン龍種ドラゴンと言った種族が住まう場所だ。


 二つ目は、長い年月の中で少しずつ事実が曲がっていった説。

 歴史と言うものは、往々にして変わる。

 もちろん、過去が変わるというわけではない。

 現代人の認識や文献の勘違いなどから、少しずつ変化が生じていく。

 結果、本当は“こう”だったけど、今は“こう”いう認識になっている、と言った事態が生じる。

 今回のことに当て嵌めて言えば、実際は天の塔と呼称されるものは別のもの――例えば、共和国にあるダンジョンが、時を経て初代勇者の攻略した伝説の塔、として変わっていった、のようなものだ。


 そして三つ目。

 一つ目と似ているが異なる仮説で、一番確率の高いものだと考えている説。

 それは、何らかの理由があって天の塔を発見できないというものだ。

 それが物理的なものなのか、あるいはそれ以外の理由なのか。

 この世界には魔術があり、そこには認識阻害なども存在する。

 もしそれが適応されていたとして、それを神が作ったとするならば、この五千年間もの間、誰一人として見つけられなかったというもの頷ける。

 さらに都合よく考えるのなら、何かの条件を満たすことでのみその塔が出現し挑戦権を得られる、などの条件があれば、初代勇者のみが立ち入りできたのも納得だ。

 尤も、根拠のない仮説だし、それを説明するには些か説得力に欠けるのがわかっているからこそ、誰かに言って聞かせることもない。

 だがはっきりと、自信を持って言える。

 この三つ目の説こそが正解であると。


「流石に全力疾走は辛いな」


 その説を証明するために、今こうしてに向かっているが、ここまで全力を出して走ったのはかなり久しい。

 銀狼の加護の影響が薄まり、全力を出しやすくなったとはいえ、移動時は基本ソウファに跨ったりして楽をしていたからこその弊害だ。

 息が切れて苦しいという感覚すらもが懐かしい。

 けれど、急がないわけにはいかない。

 ここが運命の分かれ道。

 人生の岐路になりうる場所だからだ。

 そう己に言い聞かせて、森の中を駆け抜ける。

 この四日間、走り、休憩しまた走りを繰り返している。

 この世界に来てから睡眠を少なくしてもいつもと変わらないパフォーマンスが出せる体質になったからこその強行だが、それ故に常人では考えられないほどの距離を稼げている。

 そのおかげで、神聖国に至るまでに通ってきた道の四分の一程度を引き返してこれた。

 あとどのくらいの距離を走らなければならないのかわからないのが中々に苦痛だが。

 連合国に近づくにつれて人も少なくなっていき、気が付けば目的地と思しき場所に辿り着いた。


「ふぅ……意外と時間かからなかったな」


 そう軽口を叩きつつ、全身から噴き出る汗を風で冷やす。

 あまり褒められた行動ではないが、まだ走る予定があるのでいいだろうと自分を甘やかす。

 確認の為に中心点を決め、そこから放射状になるようにそこらへんを歩いてみる。

 一つ、また一つと方角ごとに確認を取っていき、全ての確認を終えたところで納得する。


「やっぱり、間違いなんかじゃなかったな」


 今行った確認。

 それは、己の意識への無意識的な改竄の有無。

 この場所はかつてーーと言ってもほんのひと月たらず前に、葵たちが神聖国へ向かう途中で通過した場所。

 そして、全員が全員方角を見失うというおかしな出来事があった場所でもある。

 それが疲労からくる間違いなどではなく、物理的ーー否、魔術的にそう仕組まれた場所であったからこそ、そんなことが起こり得た。

 ならばどうして、こんな街道から少し外れた道なき道にそのような仕組みが施されているのか。

 この答えこそが、『天の塔』の存在を証明している。


 したり顔で頷いて、確認を取った方角――大森林へと繋がる森へと視線を向ける。

 念のため方位磁石を取り出し、森へと足を踏み入れる。

 整備もされていない森はかなり歩きづらかった。

 足裏へ来る負担は減るが歩きづらさから足への負担は大して変わらない。

 けれど個人的には、足裏で感じる土の感触の方が好きだ。

 好きを選べることに喜びを覚えつつ、手元の方位磁石へ目線を落とす。


「まだちゃんと機能してるな」


 それだけ確認して、先が見えない森へと歩みを始める。

 これから先、大森林に近づくにつれて方位磁石は意味を成さなくなる。

 そうなれば、如何に方向感覚に自信があろうとたかが人間では迷子待ったなしだ。

 が、機能している間は別。

 どちら側から来て、どちら側に向かっているかさえわかればいい。

 ついでに魔物に襲われても即座に対処できるよう“魔力探査”を発動しておく。


 森に入ったとはいえ、結局やることは変わらない。

 目的地に辿り着くまで進んで休んでを繰り返す。

 魔力を撃ち込みつつ半日ほど歩くと、方位磁石が微かに変な挙動を見せる。

 方位磁石を注視していなければ気が付かないほどの微かな変化を確認し、早々に方位磁石をアルトメナへしまう。

 機能しないものをそのまま使い続けても意味はない。

 と言うよりも、大森林が近づけばこうなることはわかりきっていた。

 わかりきっていたからこそ、今後は別の方法で道を理解できる術を要しなければならない。

 尤も、ここに立ち入る前にその術は用意している。


「んー……うん。よし、大丈夫そうだ」


 “理論上なら可能”を実際に試してみて、その効果を確かめる。

 確かに機能していることを確認して、迷うことなくどんどんと森の奥へと進んでいく。

 “魔力探査”を使い続けているが、ここに至るまで魔物は愚か、動物の影すら捉えられない。

 歩みを止められないことは何よりだが、この深い森だと不気味さが前に出てくる。

 だが、その不気味さの可能性を説明できる葵は、まぁ当然だろうなと言う感情しか湧かない。

 それよりも今考えるべきは、意外と目的地までが遠いと言うこと。

 正確な位置がわかっていないから何とも言えないが、おそらくは大森林と連合国領にある森の境目。

 このペースで歩き続けたなら、あと一週間はかかる。

 そもそも、目的地に辿り着いて終わりじゃない以上、移動に時間をかけたくない。


「急いだほうがいいか」


 どうせ“魔力探査”があれば見逃すことはないだろうと踏んで、整備されていない森の中を走る。

 足場は悪いし身長よりも高く体格よりも太い木々が邪魔で思うように走れないが、歩くよりは断然早い。

 予想した地点にあるのなら、走り続けて一日――実際的には二日あれば辿り着ける。

 けれどその目論見は、いい意味で裏切られた。

 遠くも遠く。

 今の葵の限界である“魔力探査”の索敵距離の百キロ先。

 そこに、明らかに自然のものではない魔力反応を捉えた。

 その輪郭がはっきりと捉えられるように近づいて、再度“魔力探査”を行う。

 流石にこの距離ともなるとタイムラグが酷いが、それでも今度は意識の中ではっきりと捉えられた。


「――見つけた」


 ニヤリと笑みを浮かべて呟いて、その方向へと突き進む。

 目の前に立ち塞がる木々を全て薙ぎ倒しながら進めたらと思うが、それはかなり面倒だ。

 それに百キロ先ならまだ半日もかからずに辿り着けるだろうから、そこまで労力を割く必要はない。

 目的地に着いた後が本番なのだから、そこの為に余力は残しておかなければならない。

 不必要な行動は避けて、着々と森の中を駆け抜けていく。

 魔物もいないのでその道行を邪魔するものは何もない。

 時折、“魔力探査”で位置の確認をしつつ、一直線でそこまで向かう。

 間に一度だけ昼休憩を挟んでから、また走る。

 走り続け、駆け抜けて、空が赤くなり始めた頃。


「……流石に塔ってだけあって高いな。上が見えないや」


 ようやく目的地に辿り着いた。

 目的地――言わずもがな、結愛への覚悟を勇者とその仲間へ見せつけるために選んだ『天の塔』。

 外見は黒い石材のようなもので作られており、継ぎ目一つない。

 直径一キロはあるだろう丸い塔で、高さは不明。

 でも雲より高いのは目に見えるので、一キロだとかそんなレベルじゃないことは確かだ。

 地球にあったらギネスに登録されるであろう高さを誇る。


 これほどの高さがあるのなら近づけば見つかりそうなものだが、そもそも周辺が森だ。

 見上げるとそこにあるのは木々の葉で、まず雲は愚か空を見るのが難しい。

 例え空が見えたとしても一部だけ。

 とても遠くにある塔を見つけられるような視界は確保できない。

 例えそれができたとしても、おそらくは共和国のような結界の外からは見えないような魔術がかかっていると思うので意味はないと思うが。


 塔の近辺十メートルほどだけ不自然に木々が生えておらず、違和感が凄い。

 おそらく、この境目こそが結界のある場所の境界なのだろう。

 尤も、内外の差は全くわからない。

 人類最高峰の“魔力感知”で以ってもしても、そこには差など存在しないのだ。

 それほどの技術力が塔の外に使われているのなら、果たして中で待ち受ける試練とはどんなものなのか。

 僅かな不安と高まるゲーマー魂を感じつつ、いざ踏み込もうと入り口を探す。

 ぐるっと一周してみたが、入り口らしい入り口は見当たらない。


「……もしかして、塔の発見はイコール塔への挑戦権じゃないのか……?」


 だとしたら、とんだミスを犯したことになる。

 ここで塔の攻略は愚か入ることさえできなかったら、覚悟を示す以前の話になる。

 そうなれば、思い描いていたこれからの行動が全て無に帰す。


「不味い。不味いぞ」


 塔に手をついて、絶望を体現する。

 しかし、このまま立ち止まり絶望していても希望が見えてくるわけではない。

 塔についた手とは反対の手を顎に当て、早急に対策を考えなければ、と頭を全力で回転させる。

 対策と言っても、できることは挑戦権を得るための“条件”を見つけ出し、それを得ること。

 考えに考えていると、ふと目の前が明るくなるのを感じた。

 何かを思いついて光明が差した、というわけではなく、物理的に目の前が明るくなったのだ。


「……なんだこれ」


 塔についていた手を放し、今まさに光を放っている塔から離れる。

 ゆっくりと、じわじわと。

 何か導線のようなものに沿うようにして広がっていく青白い光の線を眺める。

 光の線は手を置いていた場所を中心に高さ三メートル、横に一メートルほどの大きさまで広がって、四辺に同じ色の輪郭が形成されて浸食を止めた。

 かと思えば、今度は四角形になった青白い光が中を染めていき、まるでゲームなどでよく見る転移系のゲートのような青白い壁に変わった。

 まるでここから入れとでも言いたげなそれに、乾き気味の笑みを浮かべる。


「もしかして、触れるだけで入り口が生成される系のあれか?」


 だったら一瞬でも失敗が頭に過ったあの瞬間を返して欲しい。

 ともあれ、入れるのであればもう迷う必要はない。

 挑む覚悟はできている。

 不敵な笑みを浮かべて、青白く光る壁に触れる。

 予想通り、そこから先に物質的な壁はなく、水に触れているような感覚があるだけだった。

 ここから入るのが正規ルートだと確信する。


「じゃあ、行きますか!」


 己を奮い立たせるようにして、その青白い壁を通り抜けた。

 通り過ぎる瞬間、物凄い光が瞼の上から網膜を焼きに来たがそれも一瞬。

 瞬く間に塔の中への侵入を果たしたのか、視界が一転して暗くなる。

 目を開け、まず飛び込んできたのは、薄暗い円形の広間だった。

 光源などないのになぜか視界は利き、反対側の壁までしっかりと視認できる。

 塔を構成する材質と変わらず、小物などもほとんどない空間。

 外周を回った時と比較して、だいぶ小さいように思う。


「七つの扉と――あれは……?」


 パッと見渡して確認できた情報を口に出して整理する。

 壁に沿う形で設置されていた扉は入り口にあったものと同じだ。

 しかし、入り口のそれよりも大きく、違いが一目見てわかるようになっている。

 なので、一先ずは理解できなかった広間の中央にある何かの確認へと向かう。

 高々十メートルほどの距離を歩き、その何かの元へ辿り着いた。


「看板か、これ。でもなんでこんなとこに――」


 何かの正体を理解して、落胆のような溜息を吐く。

 しかし、そこに書いてある文字を見て、ハッと目を見開いた。


「『初代勇者の後継者に向けて』……?」


 看板にはそう綴られていた。

 その一言に、全神経が注がれる。


「『まず初めに言っておくと、この看板は存在する限り、全生命はこの塔への挑戦権を失う。これは私の我が儘であり、しかし未来へ託した希望なのだと言うことを理解して欲しい。そしてこれを呼んでいる君は、私の――初代勇者の後継者である何よりの証明だ。そんな君に、身勝手だが頼みがある。この塔を攻略して欲しい。そうすれば、この看板は自然に消滅し、昔のように誰でも挑戦できる『試練の塔』になるはずだ』」


 書いてあることの意味は分からない。

 初代勇者がなぜこんな制限を付けたのかもさっぱりわからない。

 けれど、これを読むのは綾乃葵に課せられた義務なのだと、なぜか理解していた。


「『その為に、まずはこの看板から見て一番右後方にある扉に入り、そこで問われることに素直に答えて欲しい。相手の望む答えを言おうだとか、柄にもないことを言おうだとか、そんなことは考えないでいい。ただ純粋に、己の中にふと湧いた答えを言って欲しい。そうすれば、この看板の真意がわかるはずだ』」


 視線を右手後方へと向ける。

 看板の言葉通り、そこには一枚の扉が存在していた。

 他六枚の扉と同じように、挑戦者を待つように口を開けて待っている。


「『何から何まで身勝手に押し付けて済まないと思っている。しかし元の――昔のように、全種族が仲良く喧嘩したあの時代を取り戻したい。それだけが、私の願い――』」


 昔のように――と言う言葉が、違和感を刺激する。

 何せ、この世界に来てから読んだ書物の中には、一言もそんなことは書いていなかったからだ。

 一部他種族は人間と仲が良かったり、あるいは他種族同士での親交はあるだろうが、『仲良く喧嘩』だなんてワードが使えるほど仲の良い種族は存在しない。

 人間も魔人も獣人も鬼人も吸血鬼も海精種も森精種も。

 仲が良いなんてことはない。

 しかし、この看板を書いた初代勇者はあると言う。

 この言い知れぬ違和感は何だ。

 何を見落としている。


「いや……それも、あそこに行ったらわかるんだよな」


 これまで、初代勇者の残滓とでも言うべきものと触れ合ってきた存在だからこそわかる。

 右手後方にある扉の先に、答えがあるのだと。

 初代勇者自身が、この看板で言っていたではないか。

 それを理解したからこそ、その看板を最後まで読む。


「『――どうか……どうか私に力を貸して。私の為に』――ハッ。嘘でも世界の為にって言わないのな」


 世界の為にという本音を隠すための言葉か、あるいは言葉のままか。

 どちらが真意かわからない。

 でも結局、言葉の真意がどうであれ、やるべきことは変わらない。

 看板に背を向けて、右手後方にある扉へと躊躇なく踏み込む。

 入り口と同じ感覚を網膜に覚えつつ、すぐに新たな場所へと来たことを理解する。

 壁、床、天井の材質は変わらない。

 けれど、広間ではなく一本の短い通路になっており、その先から光が漏れている。

 迷わずに歩みを進め、漏れ出る光源へと向かう。

 火に導かれる虫の如く、最短で一直線に。


「失礼しますよっと」


 そうして開いた原始的な扉の先。

 そこには無数の本が収められていた。

 今まで見てきた王城の図書館や王立図書館などとは比較にならないほどの蔵書が収められた空間。

 縦横高さ、全てが広く。

 宙には本棚が浮いている。

 まるで、某ゲーマー兄妹が異世界に行くラノベに出てきた、天使っぽい姿の元殺戮兵器がいた図書館だ。

 と言うより、それをそのまま持ってきました、と言われても納得するレベルで似通っている。

 著作権大丈夫かこれ、と心配しなくていいところを心配しつつ、部屋の主を探して――


「――おいおい。そこまで一緒にしたらいよいよ大丈夫じゃなくなるぞ」


 それは彫刻と見紛うような美しさで。

 それは血に飢えた獣に睨まれたような威圧感で。

 それはまさしく、神の使いのような身目姿で。

 宙から重力に逆らうようにして降りてきた存在を前に、引き攣りそうな笑みを浮かべて訊ねる。


「……お前が、初代勇者の真意を教えてくれるのか?」


 天使の姿をした目の前の存在は、射殺すような強烈な視線で、部屋に立ち入ったあおいをただただ無言で見下ろした。



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