第十六話 【vs序列三位part2】




「……いいな、お前。あの時の魂を出さない以上そこまで楽しめないと思っていたが、とんだ勘違いだったらしい」


 体の治療を終え、焼けて使い物にならなくなった鎧を端へと蹴り飛ばしたカスバードは、嬉しそうな笑みを浮かべる。

 新しいおもちゃを貰った子供のような無邪気さと、あくどいことを考えている大人のような打算的な様子が垣間見える。

 自分の想像を超えてくる相手を見て喜ぶカスバードの気持ちは、葵には分からない。

 相手は弱ければ弱いほど苦労も困難もないから良い、という考えの葵とは、まさしく対極に位置する考え方だから当然だ。

 そもそも人の考え方など千差万別で、わからないなんて当たり前とも言える。

 わからないことに思考を費やす必要は、少なくとも今はない。


 だから、葵はカスバードへと向けた『無銘』の切っ先をそのままに、突き出していた腕を引き、右肩辺りまで持ってくる。

 腰を落とし、右足を後ろへとスライドさせ、左肩を通してカスバードを見据える。


 葵の構えを見て、カスバードはやはり笑みを浮かべる。

 両手を扇のように大きく広げると、カスバードの周囲に魔術が展開される。

 先ほどのような葵を攻撃するための魔術ではなく、自信を守るための魔術だ。

 カスバードの周囲を水が羽衣のように漂い、所々に焼け跡のある服がなびいている。

 紫電一閃は抜刀時の最速の技だから、迎撃よりも防御の方が確実だと判断したのだろう。

 その判断力の高さに面倒だなと思いつつ、そんなことを愚痴っていても仕方がないのでその先を考える。


 人より才能もなく、反応速度も反射神経すらも劣っていた葵が、この世界で身に着けた、人を真似ること以外のもう一つの才能。

 それを使ってここで失ったものの代替としようと、右の瞼を下ろし、大きく息を吸う。


 魔紋を解放し“鬼闘法”を起動させ、膨れ上がった体内の魔力で“身体強化”を施す。

 そのまま“魔力感知”を“臨戦”へと切り替えて、自身の意識を戦闘用へと完全移行する。

 今までなら、ここで終わり。

 だけど、今まで通りで勝てるのならこんなに苦労はしていない。

 だから、さらに一段階だけ意識を切り替える。

 と言っても、やることは単純だ。

 今まで視界に振っていたリソースを、“魔力操作”に割り振るだけ。


 これまでの人生、両目で過ごしてきた葵にとって、その慣れをいきなり捨てて右目だけで戦うのは難しい。

 葵でなくとも、誰だって十数年もの慣れがいきなり機能しなくなったらそうなるだろう。

 まして、視覚は五感の中で七割ほどの占有率を誇ると聞いたことがある。

 そんな大切な部分が半分欠けて、今まで通りでいられる方がおかしい。

 ならばいっそ、視界そのものをなくしてしまえばいいと開き直った。

 “魔力感知”ならこの世界に来てからずっと使ってきた。

 幸い、この神殿は魔力で編まれたもの。

 “魔力感知”でどこに壁があり床があり天井があるのかはわかるし、カスバードの体も頭から足先まで魔力が通っているから輪郭を損なうことはない。


 それに、“魔力操作”は“身体強化”にも通ずる。

 “魔力感知”を視界の代わりにし、余った部分を“身体強化”に振る。

 そうすることで無駄をなくす。

 正真正銘、綾乃葵の全力を発揮させるのだ。


 やるべきことは単純で、しかし今までに頼り切ったことがないからこそ難しい。

 でもやらねばならない。

 それが勝利に繋がるのだから。


 肺に限界まで取り込んだ空気を、今度は大きく吐く。

 血液を通して頭に運ばれた酸素は、行動の動力源となって力を発揮する。

 意識が一段も二段も三段も、深く深く潜っていく。

 ただでさえ静かだった白い神殿がより静寂に満ちていく。

 音という概念が消えていくような感覚と、それ以外の感覚が鋭くなっていくような感覚に陥る。


 葵の変化に気が付いたのか、カスバードは浮かべていた笑みをさらに深める。

 展開していた水と風とは別に、新たに背後に火の魔術が展開される。

 光源である火が背後に展開されたことで、さながらカスバードが神の後ろで輝く後光のようになっている。


「術神。カスバード」

「……ハッ」


 葵の思考とカスバードの言葉がタイムリーを起こす。

 尤も、それは葵の頭の中でだけのことなので、カスバードには伝わらない。

 名乗りを上げた途端、相手が笑ったという不思議をカスバードは感じているだろう。

 だが、それを丁寧に教えてやる義理もない。


 そっと、静かに集中する。

 戦いに必要のないものは除外する。

 思考も機能も何もかも、要らないものは排除する。

 ただ目の前の相手に勝つためだけに。

 それだけを目指して、ただひたすらにのめりこむ。


 何度目かの静寂が訪れる。

 互いに固まったまま動かない。

 相手の出方を窺うようにして、構えを解かずに静止する。

 時が止まったと錯覚するような場面だ。


「“紫電一閃”ッ!」


 時を動かしたのは葵だ。

 物理法則を無視するような初速から抜刀時最速の突きを繰り出す。

 それはカスバードの周りに展開された風を突き破り、水の膜までもを貫通せんと突き進む。

 しかし集まった水によって物理的な壁を作られてしまい、カスバードへは届かせることができなかった。


 動きが止まった葵に対して、迎撃用に展開していた背後の炎弾が葵へと迫る。

 射出と同時に新たな炎弾が展開され、その弾幕は止まるところを知らない。

 だが防御に力を入れなければ葵の攻撃を喰らうかもしれない状況で、攻め手に回せる手数は減っている。

 読みの範疇にあるその行動は、カスバードの心理的な要素も相まって『無銘』を使うまでもなく避けることができる。


 新体操の選手のようなアクロバティックな動きはなく、しかし炎弾を確実に避けながらカスバードを『無銘』の間合いに入れる。

 間合いに入るごとにその体勢、角度から出せる最速最高の威力を叩き込む。

 あの自爆技は可能性が低いだけで使ってくるかもしれないので警戒しつつ、しかし臆病にならないように大胆に攻め立てる。

 一撃一撃に全力を込め、生半可な防御があればそれごと斬り裂けるように立ち回る。


 葵が攻めてカスバードが守り、カスバードが攻撃に出て葵が避ける。

 葵が一歩前に出るたびに、カスバードは距離を取るようにして一歩引く。

 近距離主体の人間と遠距離主体の魔人が戦えば、種族関係なくそうなるだろうという展開が繰り広げられる。

 戦場は一手ごとに移り変わるが、白い神殿であるために景色の移り変わりはない。

 たとえあったとしても、そんなことに向ける意識はない。


 流れの決まった戦闘が繰り返される。

 何度も何度も、同じ流れで戦いが流れていく。

 何一つ変わらない戦いが、何一つ変わらない流れで繰り広げられる。


 その原因は、葵が決め手に欠けているから。

 圧倒と言えるほどではないが、それでも葵が押している事実は変わらない。

 だけど、喉に刺さった小骨のように、心の奥に突っかかったものがある。

 十七年の人生において、ずっと要らないものだと切り捨ててきた気持ちものが、ここに来て葵の邪魔をする。

 気がかりとなって葵の心を締め付ける。


 だけど、それを切り捨てることはできない。

 一度、その大切さを知ってしまったから。

 その気持ちに救われたことがあるから。

 だから、それをもう要らないと言うことはできない。

 今まで信じてこなかったことを、今更になって信じようとすることの難しさを知った。

 葵の人生で、信じるということをしてこなかったわけではない。

 信じるという行為自体は今までしてきた。

 だがその全ては、結愛や家族に対してもの。

 だから、余計に難しさを感じる。


 気がかりがあるから攻めきれない、なんて言い訳をするつもりはない。

 ないが、それでも気がかりは確実に葵の心に残る。

 そして今、その気がかりは葵が一歩踏み出そうとしている気持ちを拒んでいる。

 葵が胸に抱く気がかりは、葵だけでどうにかなる問題ではない。

 他人という、葵が今まで信じてこなかった要素が絡んでくる。

 でもだからこそ、葵自身で折り合いを付けなければならないのに、今まで他人を信じてこなかったツケが今になって襲い来る。

 葵は天才ではないから、今までできなかったことを急にやれと言われてもできるわけがない。

 それが、折り合いを付けられないという結果となって葵を押さえつける。


 そんな均衡を破る一手は、葵がないと思っていた想定内の想定外から差し出された。


『葵様ッ!!』


 聞き覚えのある声が、葵の脳内に響く。

 つい一日前にも聞いたばかりの声が、一か月前に聞いたような、久しさを覚える声。


『こちらは終了いたしました! 我々、人類軍の勝利ですっ!』


 葵が望んで止まなかった言葉が届く。

 気がかりだったこと。

 葵の胸に、棘のように刺さっていた唯一の気がかりが、その言葉によって解けるようにして消えていく。


「よかった……これで――」


 ――葵を縛るものはなくなった。

 物理的に何かを縛られていたわけではない。

 能力に制限がかかっていたわけでも、思考に縛りがあったわけでもない。

 純粋に気持ちの問題。

 心の弱い葵が、前に進むために必要な原動力。

 それを、遠く遠くにいるソフィアから受け取った。

 なら、やるべきことはもう一つしかない。


「それは……ッ!」


 突如、葵と相対するカスバードが驚きの声を上げる。

 魔眼を開いている瞳孔が収縮され、その動きが閉じた瞼の裏からでも見えているかのように理解できる。

 カスバードが何に驚いているのかはわからないが、晴れた心を持つ今の葵には些事でしかない。

 ナディアから習った刀術を葵が培ってきた“心為流”の体術に組み込んだ葵独自の“心結流”として機能させる。

 刀術による攻撃をメインとした体術はカスバードの攻撃に掠りもしない。

 そもそも射線がわかる魔術は、知覚を“魔力感知・臨戦”に振り切った葵の前では意味を為さない。

 知覚外からの、狙撃銃並みの速さの攻撃でもない限り、葵に当てることはできないだろう。


 そんな原因不明の自信が、カスバードの防御を崩していく。

 攻撃の手数が減っていき、防御に回す魔術の量が増えていく。

 それなのに葵の攻撃を防ぐことができず、更に攻撃の手を減らして防御に回す。

 そんな悪循環を繰り返し、次第にカスバードの体に傷が増えていく。


「ッ――! このッ――!」


 その変化を毎秒単位で認識しつつ、葵は今が勝機だと自身の体に喝を入れる。

 『無銘』を振るえば風が巻き起こるレベルの一振りをカスバードへと見舞い、その魔術師らしからぬ屈強な体に傷を入れていく。

 次第に浅い傷だけでなく、手当てをしなければ数時間も放置すれば死に至るであろう深い傷も増えていく。

 そのことに焦り、その焦りが目を使っていない葵にも伝わってくる。

 それを感知し、葵はさらにブーストをかける。


 これが罠であることも考慮し、その上でここで畳みかける選択をした。

 全身が燃えるように熱くなっていくのを感じている。

 末端冷え性な葵の手足の先が、熱湯に浸かっているかのような熱さを持っている。

 血液が沸騰しているかのような熱さだ。


 だが嫌悪感はない。

 むしろ気持ちいいくらいの高揚感が、不思議と葵の思考を高みへと導いてくれる。

 振るう一刀が、放つ一撃が。

 必殺の威力を込めていると言わんばかりの暴威となってカスバードを襲う。

 息遣いと体勢から、カスバードに余力がなくなっていくのを感じる。

 目で捉えていなくとも、それをしっかりと認識できている。

 迷いのなくなった葵に、カスバードは手も足も出ない。


「くッ――なァアアア!!」


 カスバードの魔力が高まっていく。

 ここら一帯を消し去ろうと言わんばかりの魔力が、両手に集まっていく。

 ついさっき、瀕死の重傷を負った時の攻撃によく似た魔力の集まり方。

 再使用を警戒し続けていた、あの大爆発。


「――っ」


 それを感知した瞬間、葵は一瞬の隙をついて『無銘』を振るう。

 防御から攻めに転じた瞬間のほんの一瞬のタイムラグを利用して、カスバードの腕を吹き飛ばす。

 しかしカスバードの攻めは止まらない。

 高まる魔力はその一撃に全てを賭けているのがわかる。

 葵の


 刹那、爆音が白い神殿に鳴り響く。

 大地に立つことすら許さない揺れが神殿を包み、鼓膜と神殿を大きく揺らす。

 煙幕のような白い爆煙が白い神殿をより白くし、視界を白く染め上げる。

 尤も、視界を閉じている葵にはそれを見る術はない。

 だが“魔力感知”のおかげで白い煙幕の内はよく視える。


 やがて白い煙幕が晴れ、爆発の前と後で何も変わらない白い神殿が姿を見せる。

 何もかもが数秒前と変わらない白い神殿が、無傷の葵を出迎える。


「……柄になく焦って判断をミスるなんてな」


 神殿ともう一つ。

 葵を出迎えたのは、つい数分前の葵と変わらない熱によって大打撃を受けたカスバ―ドだ。

 皮膚の見えるところは焼け爛れ、見るも無残な格好になっている。

 ダンディなイケメンに近かったその顔は見る影もなく、皮膚や肉は焼けて骨が姿を現している。


「まさか、お前が二位様と同じレベルの存在だとは思わなかった……最初から、俺の判断ミスだったみたいだな」


 ハハッと小さく笑う。

 その笑みは弱々しく、死に体であることをより顕著にしている。


「今回はお前の勝ちだ。次は負けん」

「次なんてない。俺の勝ち逃げだ」

「……ハッ」


 最後に、カスバードは笑った。

 笑って、黒い靄となってその場から消えていった。


「消えた……? いや今は……よし」


 カスバードの肉体が消えたことに驚いたが、ともあれ存在が消えたのを確認し、葵はナディアたちが向かった方へと意識を向ける。

 既に戦いの気配はなくなっているが、念のために“臨戦”と“身体強化”は継続しておく。

 まだ痛む体に鞭打って、葵はナディアの元へと足を運ぶ。

 代り映えのしない神殿を小走りし、ナディアたちの消えた角を曲がってその先に視えた光景に思わず目を開く。


「ナディアさんっ!」


 遠くで倒れているナディアの元へ駆け寄る。

 その近くにはラディナたちも倒れている。

 葵の声を聞いて、ナディアはゆっくりと顔を上げようとして、力なく項垂れた。

 それがナディアの余力のなさを明確にしている。


「どこですか! 魔力がないなら俺の魔紋から――」

「――葵」

「……え?」


 ナディアの状態から危険な状態であることを察する。

 パッと“魔力感知”で確認したところ外傷はなかったため、一瞬どういう状況か悩んだが、とりあえず治癒魔術を行使すればどうにかなる、という脳死とも言える思考で右手を差し出した。

 葵は治癒魔術を使えないが、ナディアなら使える。

 それを行使しないということは行使できない何らかの理由があると考え、魔力不足という結論にたどり着いた。

 だから、それを補うための魔力を魔紋を通して供給すれば問題ないと考えての行動だ。

 尤も、差し出した葵の右手を上から抑え込むようにして遮った。

 まるでそんなものは要らないとでもいうように。


「もうね、私は助からない。だから、それは無駄だよ」

「無駄って……なんで? 魔術が使えなくなったわけじゃ、ないよね?」

「うん。魔術は使える。でも、治癒は意味がないの」

「意味がないって……」


 ナディアの言葉の意味が分からず、葵は中途半端に疑問を口にする。

 困惑を表情で露にしている葵に、ナディアは珍しく微笑んだ。


「前の葵と同じ。いや、それよりももっと質が悪いやつ」

「前……もしかして王城の時の?」


 葵の言葉にナディアは頷く。

 王城で初めて魔人と戦ったあの日。

 葵は体に穴が開くという人生で初の体験をした。

 腕や足などの部位を欠損した程度なら、治癒魔術でも意外とどうにかなる場合が多い。

 たとえ内臓の一部が抉れていてもそうだ。


 だけど、内臓が全損していた場合は治癒魔術での治癒もできなくなる。

 最上級の治癒魔術ならたとえ内臓が全損していても、頭が潰れていても治癒できる。

 しかし最上級の治癒魔術はもはや時間魔術と遜色ないレベルだ。

 そんなものを使える人間なんてほとんどいないし、いたとしても賢者レベルだ。

 故に、一般的なこの世界の治癒魔術の限界は部位欠損を治す程度に留まる。

 元の世界基準で考えれば随分と贅沢な“程度”だが、それがこの世界の基準だ。


 そして王城での葵の体に穴が開いた時は、内臓が完全に欠損していた。

 あの時にはもう死んだものだと思っていたし、実際に死んでいたと思う。

 だけど葵は今を無事に生きている。

 その原因は一枚のコインで、それは先代賢者が残した最上級の結界を張り、その中の時間を巻き戻すという国宝級のもののおかげで生き残っている説が出ている。

 未だ説でしかないが、一番可能性の高い説だ。


 そして、今のナディアの状態がその時の葵と同じものであるならば、治癒魔術で治るはずもない。

 それがわかっているから、ナディアは葵の手を取らなかったのだ。


「葵。最後に、伝えておきたいことがある」

「……」


 ナディアの言葉に、葵は何も返せない。

 その言葉は、今の葵にとってあまりにも大きすぎた。

 葵にとって、ナディアの死は大きい。

 ここ数か月の付き合いだったとはいえ、それでも葵に大切なことを教えてくれた人であることに変わりはない。

 だから、そんなナディアが死ぬなんてことを受け入れられない。


「私の、魂をあげる」


 だから、急にそんなことを言いだしたナディアに、葵は何も言えず、目を丸くするしかなかった。



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