第十五話 【vs序列三位part1】




 ナディアと魔人が葵の視界から消えてから数秒後、目の前に残った魔人――カスバードは、盾のようにしてラディナたちを棒立ちの状態で置いていた。

 葵の攻撃を困難にするための手段か、あるいは自身が安全に魔術を放つための壁か。

 その意図はわからないが、それでもはっきり言えるのは戦いというものをちゃんと理解していると言うことだ。


 外道だの卑劣だの、正義の戦いであるならばそれは当て嵌められるだろうが、これは大戦――戦争だ。

 戦争に外道も卑劣もなく、結局は勝利をもぎ取ったほうが正義であり善なのだ。

 地球における戦争にはルールがあるし、それに則るならばこの陣形は外道で卑劣だ。

 しかしここは異世界。

 そんなものは存在せず、勝てばよかろうなのだ、がまかりり通る。


 葵がどんなに不利であるこの条件であっても、相手を責めるのは道理として間違っているし、そんなことに構っていれば足元を掬われかねない。

 余計なことを考えていれば確実に勝つことはできなくなる。

 そんな甘い相手ではない。

 故に、葵はその行いを無言で見つめ、腰を落とし、左半身を前にして肩辺りまで持ってきた『無銘』の切っ先をカスバードへと向ける。

 ナディアが教えてくれた刀術の中で抜刀時最速の、名のついた技の一つ。

 ラディナたちに掴まることなく、初撃を与えるために葵が選んだ構えわざ


「“紫電一閃”」


 白い地面を強く踏み込み、“身体強化”によって強化された身体能力で飛び出した。

 瞳に光のないラディナたちに見向きもせず、その間を抜けてカスバードへと迫る。

 瞬く間に距離を詰めた葵は構えている『無銘』を勢いそのままに突き出した。

 分厚い装甲の全身鎧を貫通して心臓に到達できるほどの威力を込めて全力で。


 音もなく突き出されたそれに反応できず、心臓を穿うがつ『無銘』を受け入れる。


「なッ――」


 しかしそれは許されない。

 先ほどまで棒立ちで葵の直進を見逃していたラディナが、驚異的な反応速度と膂力を発揮し、『無銘』の切っ先を腕に装着していた籠手で受け止める。

 金属が衝突すると同時に、一拍遅れて風を切る音が鳴る。


 速度の乗せられた一刀を後ろから追いかける形で、しかも一切の後退をすることなく受け止めたという事実に、葵は一瞬の思考停止に陥る。

 カスバードとの間に割り来み、葵の真正面で葵を見据えるラディナは無表情で、そこの心意は汲むことができない。


 思考停止をしていた葵の背後から、ソウファとアフィが飛び出した。

 ソウファは鉤爪かぎつめの装着してある籠手を、アフィは持ち前の強靭な爪を、それぞれ葵に向けて振るう。


「――ッぶね」


 ヒュンッと短い切り裂き音を鳴らし振るわれたそれは、“魔力感知”でその動向を把握できていたおかげで危ないものの無傷で避けられた。

 もう少し思考停止の時間が長ければ、背中に痛々しい傷跡が刻まれていただろう。

 大きく跳び退き、葵は一度呼吸を整えながら状況を整理する。


 まず第一に、ラディナは葵と同等か、あるいはそれ以上の速度を持っている。

 力もそうだが、それ以上に速度が厄介だ。

 “魔力感知”の情報から察するに、今のラディナの魔力総量や“魔力操作”の練度は誘拐された日から格段に上昇しており、それに伴う“身体強化”のレベルが上がっている。

 “鬼闘法”を使い、魔力総量の少なさを強引に無視できるようになった葵の“身体強化”に追いつくのだから、当然と言えば当然だ。


 ソウファもラディナに負けず劣らずの成長具合を見せているし、人間の体での戦いにも随分と慣れているように感じる。

 アフィとの連携はさらに磨きがかかっているし、おかげで今の攻撃は迎撃ではなく避けるしか選択肢がなかったくらいだ。

 アフィもアフィで動きが洗練されている。

 出会った時から嫌に人間的だった動きに狼という獣の野性味が加わり、元々の身体能力も相まって脅威度が増している。

 このまま成長すれば、頼もしい仲間になってくれるだろう。


 そして葵が戦うべき一番の相手――カスバードは、ラディナが『無銘』を止め、ソウファとアフィの迎撃が来た時も、今葵が引いた瞬間も一切関与してこなかった。

 葵とラディナたちの攻防についてこれなかったのか、何か策があって動かなかったのか。

 おそらくは後者のような気がする。

 観察されているような気味悪さがあった。


「ふむ、予想以上だ。あの時の魂を見せなかった以上、相手になるとは思っていなかったが……」


 色々と考えを巡らせる葵に対し、飄々とした態度で語り掛けてくる。

 聞いてもいない内容をつらつらと述べているが、その内容は葵が予想していたことと被らないでもなかったので、警戒は怠らずにそのまま聞いておくことにする。


「確かに、あの時よりも魂が良い色になっているな。少しだけ霧が晴れて、深みが増しているように見える。いい出会いでもあったか?」


 茶化すようにカスバードは言う。

 あの時もそうだったが、カスバードはよくわからないことを言う。

 瞳に円環が輝いているので、魔眼を発動しているのだろう。

 あの時と今の言葉から推測するに、おそらくは魂というものを見ているのだろう。

 本来、概念でしかなかった魂を視るという馬鹿げた事実を前に、葵はもう一度深呼吸を行う。


「ん? ああ、そうか」


 警戒している葵を他所に、カスバードは別の方向を向き何かを察したかのような声を上げる。

 近くにいるラディナたちへ小さく指示を出すと、ラディナたちはスタスタと視線を向けた方向――ナディアたちのいる場所へ向かって歩き出した。


 何が起こったのかはわからないが、少なくとも一番の警戒要因であったラディナたちが葵たちの戦場からいなくなる。

 今度こそ意図が分からず、警戒すべき部分が一つ減ったことへの安堵と、連れ戻したい対象がいなくなったことへの不安が同時に押し寄せる。

 ただでさえ油断できない相手を前にして考えることが多いのに、それがより増えたことで頭の中がごちゃごちゃになっていく。


「――やるべきことの順序立て。困ったときはそれから」


 口に出して頭の中を整理する。

 小さい頃、両親が教えてくれた言葉だ。

 言葉を口に出すことで、より頭の中を整理できるというのは結愛の教えだ。

 その両方を駆使してこの状況の改善を試みた結果、想像以上に冷静になれた。

 冷静になった結果、やるべきことも見えてきた。


 ラディナたちのことは頭の片隅に置いておく。

 ナディアの元に行ったのなら、ナディアが何とかしてくれるだろう。

 カスバードとの戦いが終わってから向かうでいいはずだ。

 とはいえ、長々と時間をかけるわけにはいかないのも当然だ。

 だから、短期決戦の為の全力全開で飛ばす。


「“魔力感知・臨戦”」


 常時展開していた“魔力感知”の範囲を狭め、より精密な情報を得られるように変化させる。

 “身体強化”でいくら反応速度を上げようとも、元々の値は変わらない。

 その足りない反応速度や反射神経を補うために、事前に得られる情報を増やすための技術だ。

 “鬼闘法”と“身体強化”を使っているが、それでもまだ余裕のある“魔力操作”を存分に使うための技術でもある。

 とにかく、今の葵にできることを追求しまくった結果がこれだ。


「いい面構えだ。……俺も最初から全力で行こう」


 顔のほとんどを覆う全身鎧の隙間から葵を見つめる瞳には、興味と同じくらい強い警戒が見て取れる。

 前の時のような油断はない。

 油断してくれていたなら楽だったのだが、そうでないのならそれはそれでいい。

 相手の油断してくれているという気持ちが自身の油断に繋がっては意味がないのだから。


 互いに見合ったまま、静寂が訪れる。

 近くもなく遠くもない程度の距離で光が漏れ出し、緩やかな風がこちらまで運ばれてくる。


「炎天」


 先に動いたのはカスバードだ。

 右腕を前に出し、その背後から数多の炎弾が降り注ぐ。

 その炎は赤や橙ではなく、ガスバーナーなどで作り出す蒼い炎だ。

 それがあの時以上の数と速度で降り注ぐ。

 一発一発が弾丸のように早く、一回につき五百近い炎弾が投射される。

 まさしく炎天だ。


「――」


 雨のように降り注ぐ炎弾を、『無銘』で斬り伏せる。

 自信を狙っている炎弾を一つ残らず『無銘』で叩き斬り、周囲へ着弾する炎弾は無視する。

 床に衝突した炎弾はそのまま燃え広がらず、打ち消されるようにして消えていく。

 それが白い神殿の効果なのかはわからないが、今の葵にとっては好都合だ。

 尤も、見た目は消えているが生成されてから消えるまでの間に放った熱はなくならない。

 じわじわと上がっていく気温に気力と体力を奪われていくのも時間の問題だろう。


 カスバードの魔力総量が多いことはわかっている。

 あの時の戦いでも似たような魔術を使っていたし、今は制限がない状態だと言うこともわかっている。

 だから、この攻撃があとどのくらい続くのかなんて予想はあまり意味がない。

 ならばどうするか。


「“心結流・風刃一閃”」


 受けるだけで動きがないのなら、自分が動けばいい。


 炎弾を斬る流れで、『無銘』を横一文字に振るう。

 流れるような動作と“魔力操作”で風を纏った『無銘』は、振るわれた通りに一筋の風の刃を放つ。

 全身鎧に守られているため、威力減衰の激しい風刃では傷一つつかないだろう。

 ただし、傷を負うこととと衝撃を受けることは別物だ。


「――くッ!」


 降り注ぐ炎弾をすり抜けた風の刃はカスバードに直撃した。

 “身体強化”による剣圧と魔術による威力の上乗せの入った一刀を諸に受け、カスバードはよろめく。

 その隙を逃さない。

 多少の魔術なら来ているコートが防いでくれることをいいことに、頭に直撃する炎弾だけを『無銘』で弾いて直進する。

 ガチャガチャと音を立てながら体勢を立て直そうとするカスバードの懐へと潜り込み、鞘に納められた『無銘』を左手で抑え柄を右手で握る。


「“心結流抜刀術・桂斬り”」


 ズパンッと鈍い音が鳴り響く。

 一拍遅れて『無銘』が風を斬り裂く音が鳴る。

 鎧ごと胴を切断こそできなかったが、鎧の胴部に大きな裂け目を作り出した。

 鎧の裂け目の奥にはインナーと思しき一色の布が裂け、浅黒い肌が赤い鮮血とともに見えている。


 葵に傾き始めた流れを手放すまいと、右上に払った刀の刃の向きを変え、先の一撃で開いた距離を踏み込むことで埋める。

 威力の高い魔術を封じ込める意味合いも込めて、再度『無銘』の間合いに持ち込む。

 取れる選択肢を減らし、次の行動を予測しやすくする“心為流”の戦闘術かけひきだ。


「素晴らしいな!」


 感心を声に出し、カスバードは葵が減らした選択肢の自爆覚悟の魔術を行使した。

 耳を破壊するほどの爆発音とともに、全身の骨が砕けるような衝撃が葵を襲う。

 反射的に顔を手で覆い体を丸めることでその衝撃を抑えようとしたが、台風に飛ばされる瓦礫のように葵の体は簡単に吹き飛ばされ、白い壁に激突した。

 衝撃で口から血が溢れ、白い神殿の床に赤い染みを作る。

 壁を背凭せもたれに座り込むようにして倒れ、全身から発せられる痛みに顔を上げることすらできず、俯いたまま自身の体を注視する。


 魔術に耐性のあるコートは焼けて至る所が燃えて縮れ、コートの下に隠れていたはずの肌は軽い火傷を負っている。

 何にも守られていなかった部分はもっと酷く、特に指先は原型がわからなくなりそうなくらいに焼けただれている。

 壁にぶつかった時の衝撃でおそらく骨か内臓か、あるいはどちらもやられているはずだ。

 現に、立ち上がろうとしても体の至る所が悲鳴を上げ、真面まともに動くことすらままならない。


 幸いなことに、葵は一枚だけ治癒のスクロールを持っている。

 カナがくれたもので、召喚者やムラトたちに渡したものと同じものだ。

 ほぼ全身を重軽傷問わず負っているが、体が動く程度にならば治してくれるだろう。

 だが問題は、今の爆発で負った傷を治すには、一枚じゃ足りないと言うことだ。


 アルトメナからスクロールを取り出し、顔を上げて爆発の地点――カスバードの方を見る。

 未だ白い水蒸気で覆われている中、使視界でもはっきりと捉えられる黒い輪郭が映し出されていた。


「一か八かの賭けだったが……」


 先ほどまでの覇気はなく、しかし弱々しくはない強気な声が葵の耳に届く。

 立ちめる水蒸気の中から、葵に比べれば軽症の火傷を負ったカスバードが現れる。

 先ほどまで着用していた全身鎧は頭から足まで全て着ていないが、その内にあったものはそれなりに守れている。

 顔にはしてやったりと言わんばかりの笑みが張り付いており、平時ならば葵の神経を逆撫でしているところだ。

 尤も、今はそんなことに構っている余裕はない。


「――どうやら、勝ったのは俺の方らしいな」


 耳も使い物にならなくなっているのか声が僅かに聞き取りづらいが、その表情も相まって完全に言っていることは補完できる。

 立ち上がることもできない葵を眺めている間も、自身の治療は欠かさない。

 ポワポワと優しく光る魔力光が、今の爆発で負ったであろうカスバードの体を癒していく。


 葵にはできないことを容易くやってのける光景を眺めながら、歯を食いしばり、傷で痛む体に鞭打ってかすむ頭で考える。

 手のひらに置かれた一枚のスクロールで治せる限界を。

 それをどう使うかを考える。

 時間的な余裕はない。

 だから、一秒足らずで答えを出す。


「……スクロールか。まだそんな昔の技術を使う人間がいるとは……いや、違うか。魔術の適性が低い人間ならば、その技術はまだ有用なのか」


 スクロールに魔力を流し、自身の体を治療する。

 それを悠長に眺めつつ、カスバードはブツブツと呟く。

 その間に体を治療し終えた葵は、即座に立ち上がる。

 まだ全身は鈍い痛みに襲われているし、体の各部は動かすたびに悲鳴を上げる。

 動けるだけの治療をスクロール一枚で補うことは、即ちすべてが応急処置程度まで落ちると言うことだ。


「目は治さなくていいのか?」

「――治さないんじゃなくて、治せないんだよ」


 純粋な疑問を挙げたかのように、カスバードは自身の左目を差して言う。

 それは葵を煽るものでないことは、その表情からわかった。

 それゆえに、葵は思わず口を出してしまった。

 反応が貰えて嬉しかったのか、カスバードは笑みを浮かべて頷いた。


「そうか。じゃあどうする? もうやめとくか?」

「ほざけ。まだ勝負は終わってねぇだろうが」


 突拍子もないカスバードの提案に対し、吐き捨てるようにして葵は言った。

 まだ手も足も動く。

 心も精神もまだ折れてなんかないし、右手の魔紋も問題ない。

 頭もまだ働くし残った右目だって正常だ。

 ラディナを諦める要素など、何一つだってありはしない。


 だから、『無銘』を強く握りしめ、脚を踏ん張って吠える。


「俺は諦めない。こんな程度で躓いてるようじゃ結愛を助けることなんてできやしない……。だから! 俺は――ッ!」


 『無銘』の切っ先をカスバードへと向けて、顔を上げて不敵な笑みを浮かべる。

 諦めてたまるかという負けず嫌いの葵と。

 諦めているようじゃ先はないと自身を冷静に見下す葵と。

 諦めたくないという我が儘で子供な葵と。


 綾乃葵という一個人を形成する全ての要素が出した結論を現実にするべく、その足掛かりとして残った右目で未来を見据えて声を張り上げる。




「――俺はお前ここを、超えていく!」






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