第十三話 【vs序列五位と】




「久しぶりだってのに、随分と攻撃的じゃねぇか」


 迫りくる刀の猛攻を凌ぎながら嬉しそうな笑みを浮かべた軽装に身を包む大柄な男――ナイルが、眉を不思議そうにひそめながら言った。

 鍛えられた肉体美はボディビルのそれと似ているが、しかし魅せるためだけの筋肉ではないことは、この攻防からも見て取れる。


 そんな言葉を無視し、ナイルに対して猛攻を繰り広げるのは、街中で見かければ思わず振り返ってしまうくらいの美しい顔と程よく鍛えられたスレンダーな体を持つ女――ナディアだ。

 淡い緑色の髪を激しく揺らしつつ、金色の瞳を憎しみに染めながら無言で斬りつける。

 傍目に見れば、対話をしようとするナイルに対し、それを拒み、身勝手に攻撃を仕掛けるナディアという図になる。

 それは間違いではないが、しかしナディアが耳を傾ける気がない原因はナイルにある。


「全く。こうだと決めたら突き進む癖は、昔っから変わってないな」

「黙れと言った」


 殺意とともに、ナディアがこの二人の戦いの開幕に発した言葉を再度口にした。

 同時、短いモーションから一刀が振るわれる。

 腕ほどの太さと硬さのものなら容易く斬り飛ばすような一刀だ。

 空気すら斬り裂く音が鳴り、しかしナイルは身をよじることでしっかりと躱した。


 今までならここでもナディアの追撃がナイルを襲っているのだが、今回は追わずに無言でナイルを睨みつけている。

 連撃に次ぐ連撃に、恨みと憎しみを原動力に動いていたナディアも、生物である以上限界はある。

 流石に一呼吸を置かなければ、生物としての寿命が失われていってしまう。

 故に、ナイルの挙動を見逃さないために注視しつつ、大きく深呼吸をした。


 釣れない態度を崩さないナディアに対し、ナイルはやれやれとでも言いたげに肩を竦めた。


「少しは話を聞いてくれる気になったのか?」

「お前の話なんて聞く気はない」

「そうか。ま、それも昔から変わらんからな。今更何とも思わんさ」


 まるでナディアのことはわかっているよとでも言いたげなその発言に、ナディアはピクリと反応する。

 しかし、それがナイルの挑発だと言うことはわかっているので、それ以上の反応はしない。


「……やっぱり、二十年前とは違ってお前も大人になったってことか。昔はすーぐに突っかかってきたのによ」

「……」


 懐古の感情を表に出して、ナイルは自信を睨みつけるナディアを見つめた。

 その視線はナディアの神経を逆撫でするものであり、同時に心底気に入らない目でもあった。


「お前が保護者面をするな」

「おいおい。そんな言い方をするなよ。もうお前の両親はいないんだ。だったら少しの間でもお前を指導してた俺が保護者になるのは当たり前――」

「お前が言うなッッッ!!!」


 怒号が、白い神殿の廊下にとどいた。

 あまり感情を表に出さず、言葉を発する時ですら短いことが多いナディアが、物凄い形相と剣幕で殺意を迸らせて怒鳴っている。

 その金色の瞳に見据えられただけで失禁してしまいそうなくらいの剣幕を放っているナディアに対し、それを一身に受けているナイルは涼しそうな顔をしている。


「そう怒るなよ。あれはまぁ仕方ないことだ。悪いとは思っているさ」

「――仕方ない……? 集落を裏切って私の母と父を――集落のみんなを軍に殺し尽くさせたお前が、言って良い言葉だと思ってんのか……?」


 静かに、されど怒りはたぎらせて、ナディアは淡々と告げる。

 それは怒髪冠を衝いた後のそれは、嵐の前の静けさとも言えるもののように高まっていく。


「だから、悪かったと言っているだろう? それに今お前がどれだけ怒りを見せようと、もうあの集落は戻らない」

「……知っている。そんなこと」


 悲しみと悔しさと、沢山の懐かしさをその言葉に込めて、ナディアは刀を構える。

 大気から湧き出るように淡い光が発生し、構えた刀へと集約していく。

 赤も青も緑も黄色も。

 小指の爪ほどの大きさもないような、本来は視認することなどできない極小の光の粒子が、刀へ――『精霊刀』へと集まっていく。


「……精霊か? 初めて見るな」

「お前は私が殺す。たとえ相打ちになっても、必ず」

「……うん、まあそうなるとは思ってた。だから、コイツらを連れてきた」


 精霊と同時に殺意を刀へ宿し、視線だけで人を射殺さんとするナディアに向けて、ナイルは右を向いてちょいちょいと手を招く。

 そちらは先ほどナディアたちがナイルたちと接敵した方向であり、今も破裂音や剣戟の音が聞こえることから、葵が戦っている最中だと言うことが推測できる。

 そんな場所から誰を呼ぶのか、なんて言わなくてもわかっていた。


「さて、お前、コイツらと一緒に旅してたんだってな?」


 ナイルの手招きに応じたのは、ラディナ、ソウファ、アフィの三人だ。

 葵と出会ってから一か月ほど、行動を共にした仲間であり、二か月前に魔人たちによって連れ去れた被害者だ。

 魔王軍の正装なのか、葵のコートに似た黒ベースに白と赤のラインが入ったコートに身を包んでいる。

 狼であるアフィにそれは着せられてはいないが、代わりなのか爪の部分に武装が施されている。


 誘拐された被害者であったラディナたちが魔王軍と同じ服装に身を包んでいるという事実から、いよいよ裏切り魔王軍に着いたのかと勘違いするような恰好をしている。

 しかしそうではないと言うことが、ラディナたちの瞳を見ればすぐにわかった。

 その瞳に光はなく、ラディナたち自身の意思がそこにない。

 傀儡とでも言うべきラディナたちをこの場に呼んだと言うことは、つまりナディアに対しての牽制――分かりやすく言うのなら、人質のつもりだろう。


「心根は純粋で優しいお前が、コイツらを相手にしてどう出るか。楽しませてもらうぞ」


 いやらしい笑みを浮かべて、ナイルは告げた。

 まるでナディアがどう出るかなんてわかりきっているかのような態度だ。

 だがナイルが過去のナディアを今のナディアに見ているのなら、それは付け入る隙となる。

 そう考えて、敢えて何も言わず、人間として正しくない行為を平然と行うナイルを睨みつける。


 思った通りの反応を示さないナディアに対しナイルは冷めた目を向けると、ラディナの方へ一瞥もせずに顎をしゃくって指示を出す。


「――やれ」


 ナイルの一言で、ラディナが真っ直ぐ飛び出した。

 葵たちと一緒に旅をしていた頃を遥かに上回る速度でナディアへと迫り、掌底をナディアの顔面へと放った。

 風圧すら発生されるほどの威力を以て放たれたそれは、避けたナディアの髪を揺らすだけに終わる。

 しかし、ラディナはこんなところで攻撃を止めるような甘い女の子ではないと、短い付き合いでだがナディアは知っている。


 故に、追撃は許すまいと突き出された右腕を掴み、真上へと持ち上げてラディナの体を宙に浮かす。

 腕で全体重を支えることになり、いきなり持ち上げられたことでバランスを保てないラディナは、苦しげな表情を浮かべる。

 その苦悶の表情に目を瞑り、心の中で謝りながら、ラディナの攻撃を受けた瞬間に鞘に『精霊刀』を収め空いた左手で、ラディナの顎を目掛けて掌底を叩き込む。

 気を失わせ、戦闘不能にさせると同時に、元に戻ったらいいなという淡い期待を抱いた一撃だが、放つ攻撃に容赦はしない。


「一人じゃないの、忘れてないか?」


 ナイルのいやらしい声が鼓膜を揺さぶる。

 同時、ナディアの両側面から攻撃が迫った。

 左は狼の爪、右は女の子の爪だ。

 後ろに引けばラディナにその攻撃が当たり、前に出ればナイルの援護の餌食となるだろう。

 かといって、躱さなければ決して安くはないダメージを負う。


「――チッ」


 短く舌打ちをして、ラディナを拘束していた右手を離し、“転移”で大きく跳び退いた。

 ナディアが数瞬前まで居た位置に、容赦のない双爪の攻撃が交差する。

 その爪の持ち主は、アフィとソウファの二人のものだ。

 あの頃にも見たことのない、戦闘面での連携を前に、ナディアは引くことしかできない。

 ラディナを連れての“転移”もできただろうが、ラディナを無力化しつつソウファとアフィの相手をするというのは難しい。


 否。

 ラディナもソウファもアフィも、昔のままだったなら苦戦することはなかっただろう。

 やはりラディナたちは、どういうわけか身体能力や反応速度が上がっている。

 少なくとも、今後のことを考えて、“転移”を多用できないナディアでは簡単に捌けないほどに。


「どうだ? コイツら、宰相様の計らいで色々と強化されてんだ」


 聞いてもいないことをペラペラと喋るナイルの言葉は、まるでナディアの心を見透かしているかのような発言だ。

 それがとても癪に障る。

 だが、そんなことに構っている暇はない。

 ナイルが本格的に参戦していない今が、ラディナたちを抑え込む最初で最後のチャンスなのだ。


 葵があの魔人を倒した後、万全の状態で援護に来てくれる保証はない。

 ナイルの態度を見る限り、葵が相手取っている魔人の方が格上である可能性が高く、感じ取った魔力から考えても十中八九その通りだろう。

 ならば、援護に来るにしても時間はかかるだろうし、時間がかかればかかるほど疲労も怪我も増えるだろう。

 ナディア一人でどうにかするのなら、やはりチャンスは今しかない。


「ふぅ……」


 短く息を吐いて、グッと『精霊刀』に力を溜める。

 先ほど溜めた精霊ひかりを少しずつ失っていた『精霊刀』は、再び光を取り戻していく。

 幸い、現実世界と遮断されたこの白い神殿は、現実と大差ない――むしろそれ以上の精霊を内包している。

 故に、攻撃に困ることがないのは、今のナディアにとっては救いだ。

 神秘的な光を纏う『精霊刀』を見て感動するものは、この場には一人もいない。

 光を失った瞳でナディアへと視線を向ける三人――二人と一匹と、面白そうに目を細める一人がいるだけ。


 だがそんなことはどうでもいい。

 纏った光を置いていくほどの高速で動き、ラディナたちの真正面へと移動する。

 反応が追いついていない三人に対し、『精霊刀』の光で斬り裂いた。

 空気の刃が跳ぶほどの威力を以て振るわれたそれは、しっかりと目標であったラディナたちのことを斬り裂いた。


 しかし、目に見える変化はなかった。

 しっかりと腹の辺りを斬り裂いたはずなのに、ラディナやソウファの体が分断されてずり落ちることも、アフィの首がボトリと落ちることもなかった。

 代わりに、その光に両断された三名は、気を失うようにして倒れ込む。

 受け身も取らず、バタバタと音を立てて崩れ落ちていく。


「……ん? どうしたお前ら?」


 ナイルの呼びかけに、ラディナもソウファもアフィも答えない。

 空しいだけの沈黙が返ってくるだけだ。

 その沈黙を、ナディアが刀が鳴らす鋭い風切り音が現実に引き戻す。


「……何をした?」

「教えるとでも?」


 初めて見せる恨めしげな表情に対し、煽るような表情で言葉を投げ返す。

 今までの意趣返しというわけではないが、反射で出た言葉がそれだった。

 そんなナディアの内心を知ってか知らずか、ナイルは一つ舌打ちをする。


「やっぱり、他種族は使えないのが多いな」


 ボソッと、誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟いた。

 それはナディアに為す術もなく気絶させられたラディナたちに向けたものであり、その言葉には文字通りの嘲笑と軽蔑が込められている。

 自身の役に立たない駒を蔑ろにしているその言葉は、エルフの血を引くナディアの耳にはしっかりと届いた。

 自身の成長の為と宣い、自身を育ててくれた集落を売り払ったあの時と同じだ。

 傲慢で、身勝手で、自身の利益の為なら例え友でも平気で売るような、そんな屑の言葉だ。


「ラディナはお前のものじゃない。ソウファもアフィも、葵の仲間だ」

「……ハッ。仲間ねぇ。それよりも深い関係――家族とも言える集落から一人だけ逃げ出して、今ものうのうと生きている奴の言葉とは思えねぇな?」

「……」


 無神経に、ナイルの言葉はナディアの心へ土足で踏み入る。

 それは信頼からくるような美しいものでもなければ、ナディアを怒らせるための煽り文句でもない。

 心の底から、本心で言っている、屑の発言。

 ナイルという人間の、本性そのものだ。


「……」


 左半身を前にして腰を落とし、刀身を地面と水平にして後方へと構える。

 ナディアが扱う刀術の中で、離れた敵に対して速度を乗せた一刀を放つ、居合を除く最速の一刀。

 名を――


「――『紫電一閃しでんいっせん』」


 白い神殿を、紫に似た光が奔る。

 一筋の線が一瞬のうちに一つの廊下を駆け抜けて、ついでと言わんばかりに轟音が鳴り響く。

 雷でも落ちたのかと錯覚するような轟音はその場にいた全員の耳をつんざいた。


「――まぁでも、物は使いようってな」

「……」


 紫電が向かった終着地。

 そこに立っていたナイルが、飄々とした声で呟いた。


 それを、ナディアは苦々しい表情で睨みつける。

 歯を食いしばり、今にも襲い掛からんとするような恨みの籠った瞳でナイルのことを睨みつけている。

 そんなナディアの口の端から赤い液体が漏れ、そのまま顎へと伝わり白い神殿の地面に赤い染みを零す。


「やっぱ、お前は甘ちゃんだ。憎くて憎くて堪らない俺を、たった一人の、付き合いも短い人間の為に諦めるなんてな」


 ナイルが前へと突き出していた腕をおもむろに引き戻した。

 その腕の先――ゴツゴツとした手にいつの間にか握られていた刀が一緒に引き抜かれ、刀身に纏わりついていた赤い液体が音を立てて零れ落ちる。

 同時、ブシュッと液体が飛び出る音が聞こえたと思えば、ナディアの口とナイルが引き抜いた刀身から零れたものと同じものが、大量に地面へと垂れ流された。


「これでもな、生まれながらにして“魔王因子”を受け継いだ魔人たちとタメを張れるくらい強くはなってんだ。序列も今は五位になった」


 引き抜いた刀を器用に回し、刀身に付着している液体を遠心力で振り払う。

 赤く染まっていた刀身が元の状態に戻り、黒と緑の魅惑的な刀身が晒される。


「いい武器だな。見知った感覚と繋がる」


 人を魅了する刀身を眺め、ナイルはしみじみと呟いた。

 ほんの数瞬前までナディアが握り、そしてともに戦っていたはずの『精霊刀』。

 それが今、ナイルの手にある。

 その事実に愉悦の笑みを浮かべ、刀身を引き抜いた際に俯いたままのナディアへと視線を転じる。


「そう落ち込むな。空間に干渉する魔術がお前の専売特許だなんて思い込むなよ。俺以外にも使える奴はいる」


 そう言って、ナディアとの間に挟みこみ、今の一撃を回避するための盾としたラディナものを、左手で押し退ける。

 意識のないラディナは受け身も取れずに白い地面へと倒れ込み、そのまま動かない。

 だがそんなことを気にも留めず、ナイルは未だに俯いたまま、血を垂れ流し続けるナディアを見下す。


「ま、これがお前と俺の差だ。結局、復讐に囚われていたお前じゃ、俺には届かなかったってだけの話だ」

「……ぁ」


 『恨みや憎しみを感じて、それに復讐するために努力している時は、一時的に自分を強くなったと思わせるけど、それは勘違いで、錯覚し、周りが見えなくなった結果そう感じてしまっただけ。だからもしそうなってしまったら、まずは落ち着いて、今のナディアにあるものを見るんだよ』

 母はそう言ってくれていた。

 自身の立場を理解し、こうなる未来も見据えて言ってくれていたであろう言葉を、憎む相手ナイルの言葉で思い出した。

 自分は何て愚かなのだろうと、後悔交じりに心に抱く。


 思えば、葵もこうなることを予測していたのかもしれない。

 開戦前の言葉は、きっとこうなる前にどうにかしてくれるだろうという、期待の表れだったのだろう。

 葵は私のことを、“師匠”と呼んでくれていたのだから。

 それを私は受け入れてこなかったけど、今になって思う。

 私の最初の師だったナイルが裏切って、父や母や、私の大切な人たちを殺した。

 だから、師というカテゴリーに入れられることで、ナイルと同じだと言われているような気がして、嫌だったんだ。


 本当に、どうしようもない。

 期待に応えることも、忠告を受け入れることもできず、もう手遅れな状態になってようやく思い返すような、どうにもならない愚かな女。

 もう、葵の期待には応えられない。

 だから、ごめん。


 だけど、まだ、敵討ちの手段が潰えたわけじゃない。

 この短い人生でできた、たった一人の弟子の期待に応えられないなら。

 エルフに残された、魔人との平和のためのナディアかぎが消えてしまうのなら。

 最期の最期まで、我が儘を突き通そう。

 それがナディア・ミラー・ローズわたしの決めた道なのだから。


「――ッ! 何を……ッ!」


 体が前へと傾倒し、ゆっくりと倒れる寸前、ナイルの両腕をがっちりと掴む。

 そのままグッと手前へ引き寄せ、抱きしめるようにして体を拘束した。

 死に体なはずのナディアの行動に驚き、そして容易く抜け出せない拘束を前に、ナイルは初めて見せる焦りの表情を浮かべた。


「確かに、お前は空間魔術を使える。でもね。年季は、私の足元にも及ばないよね?」


 ナイルの言葉を待たず、ナディアは空間の魔術で二人を包み込む円球を作り出す。

 それは空間を遮断した際の歪みであり、ナディアとナイルは白の神殿の中にある、別空間へと幽閉された状況にある。

 自らを人質にする形でそれを作り出したナディアは、その遮断した空間をどんどんと縮めていく。


「――! まさかお前ッ!」


 ナディアの意図に気が付いたナイルは、ナディアの拘束とその遮断された空間から逃れようと必死にもがく。

 体格的なものでは圧倒的に優位だし、実力的なものでも遥かに上を行くと自負しているナイルだが、ナディアの拘束からは一ミリたりとも抜け出せない。


「あの葵を弟子にしてるんだよ? 空間魔術の並列操作このくらい、やってのけて当然じゃない?」


 葵は“身体強化”と“魔力感知”を使って日常生活を送っていた。

 それは少なくとも人間が容易く行える技ではなく、たとえ魔人や吸血鬼と言った“魔力操作”に長けた種族であっても容易ではない。

 そんなものを、人より才能があるから、という理由だけで使い続けていたような狂人アホを弟子に迎えたナディアが、それに追いつかんと努力をしないわけがない。


「道連れ。惨めにもがきながら、あの世で後悔しな」


 見上げ、至近距離にあるナイルの顔を見る。

 その顔は驚愕と焦燥と恐怖に歪んでおり、積年の恨みが少しは晴れていくようだった。


「――うがぁあああああああッッッ!!!」


 到底そんな事実を受け入れられないナイルは、大声を上げ、一縷の望みをかけて自身の力を暴走させる。

 それは“触れたものを消し去る”恩寵であり、葵が死ぬ原因となったそれだ。

 ナディアは葵が再生する様を眺めており、それが対峙した魔人――ひいてはナイルの力である可能性も考えていた。

 こんな場所で使われれば、ラディナたちを巻き込みかねないことも、十分に理解していた。


 だが幸い、ナディアたちのいるこの空間はラディナたちのいる空間とは遮断されている。

 それに、ナディアの意識がなくなるのと、この遮断した空間が縮み切るの。

 どちから先かなんて言わなくてもわかる。

 私の勝ちだ、と後悔と達成感を胸の内に秘めながら微笑んだ。




 しかし、勝利の女神は微笑まなかった。




 ピシッと、遮断した空間に亀裂が走る。

 その綻びに気が付いたときにはナイルの力が高まり、その亀裂から溢れ出ようとしていた。

 そんなことになれば、ラディナたちに影響が出かねないと急いで修復しようとしたが、亀裂は塞がるどころかどんどんと広がっていく。

 まるで、ナイルの生存本能が自身の能力を拡張し、その窮地を脱そうとでも言うかのように、趨勢はナイルへと傾き始める。


 ナディアの出力が下がったわけでも、魔力がなくなったわけでもない。

 まだ余力はあるし、残った全てを今この時に注いでいる。

 それでもなお、ナディアの劣勢は揺るがない。

 まるでそうなるのが運命だとでも言うように。


 もう猶予はない。




 だから、ナディアは――







 全てを無に帰す暴威が、白い神殿の一角を根こそぎ消し去った。

 そこにあったはずの全ては、術者当人を除き、何も残らなかった。






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