第十一話 【vs序列七位】




 白い神殿を、三人の男女が歩いている。

 一人は三人の中でもひと際大きな体格を持ち、年齢も一回りほど違っている。


「龍先生。あっち側から気配がします」

「わかった。俺の後ろからでないようにな」


 そんな巨躯を持つ龍先生こと加藤龍之介かとうりゅうのすけは、警告を発してくれた生徒――木村誠也きむらせいやとその隣を行く米地彩よねちあやへと注意を促す。

 良也と同じ道着姿の龍之介は、誠也が指で示した先に注意しつつ先頭を歩く。

 龍之介の言葉通り、その後ろを二人が追従する。

 二人の装備は珍しさのない、一般的な魔術師の装備だ。

 尤も、装備の品質は一般的なものとは一線を画すものなので、比べるのは難しい。

 前衛一後衛二という、スリーマンセルにしては珍しい陣形を組む三人だが、防御、攻撃、援護のバランスの良さはかなり高い。


「様子は?」

「……多分、こっちには気づいてます。ただ、アクションを起こす素振りは見えないです」

「気づいてるのに……?」


 誠也の言葉に龍之介は疑問を浮かべる。

 こちらに気づいているのなら先制攻撃を仕掛けるなりなんなりできるはずだ。

 なのにそれをしていない。

 強者の余裕かあるいはこちらを舐めているのか。

 理由はともあれ、接敵した以上、戦わないという選択肢はない。

 戦うためのここへ来たのだから。


「俺が先に行く。彩は俺に強化の魔術を。誠也は俺の状況次第で攻守を判断してくれ」

「わかりました」

「気を付けてね、龍先生」


 彩の気遣いに頷いて、龍之介は大きく深呼吸をする。

 そして“身体強化”を施し、いつでも敵の攻撃を躱せるようにして、一気に前へ躍り出る。

 T字路の交点へと飛び出し、誠也が警戒を示した左手側、T字の書き始めの方を向く。


「おぉう」


 龍之介の警戒を解かすような、そんな軽い感じの声が、龍之介の視線の先にいる人物から発せられた。

 大人にしては成長期前の中学生ほどの大きさで、平均よりもだいぶ細い。

 髪は明るい青色で、後ろで一つに結っている。

 目元が垂れ気味で、前髪も若干被っているため、葵が彼を見れば「陰キャっぽい」と見た目で評価しそうな人物だ。


「いきなり飛び出してこないでよ。びっくりしちゃうじゃんか」


 ホッと安心したかのような素振りを見せながら、苦笑いしつつ青年は言った。

 龍之介たちは戦いに来ているはずなのに、青年が持つおかしな雰囲気の所為で調子が崩されてばかりだ。

 ともあれ、いきなり攻撃を仕掛けてくるつもりがないのなら、こちらは戦う準備を進めるまでだ。

 誠也と彩にハンドサインで来ても大丈夫と指示を出しながら、目の前の魔人への警戒は怠らない。


「さて、初めまして。僕はエルヴィス・クレイグ。十魔神が一席、序列七位の“水神”だよ」

「……十魔神?」


 二人が移動している最中、目の前のエルヴィスと名乗った魔人はそんなこと言った。

 いきなり名乗りを上げた理由は不明だが、その中に聞いたことのない言葉があったので、思わず復唱してしまった。


「そう。僕たち魔人の中で、現状十名しかない最高位の魔人さ。と言っても、僕はその中でも弱い部類に入るからね。君たちを満足させられるかどうか……」

「……俺たちより強いのに、そんなこと言うんだな」


 ご丁寧に説明をしてくれたエルヴィスに対し、誠也は恨めしげな視線を向けつつそんなことを言った。

 魔石の嵌められた籠手をエルヴィスに向け、警戒を態度と言葉で示している。

 龍之介と彩も、その言葉の真意はわからないが、誠也が警戒を示してくれているので同じようにして構える。


「うーん。僕は確かに君たちより強いかもだけど、でも上位六名の方たちよりは明らかに弱いんだ。不快な気持ちにさせたなら謝るよ」


 絶妙に会話が噛み合っていないが、しかしエルヴィスの言葉に嘘がないことは今の会話で理解できた。

 見た目や言葉遣いからも感じ取れる自身の無さゆえの発言ではなく、本当に弱いと思っているらしい。


「それで、そちらは自己紹介をしてくれないのかな?」

「……する義務があるのか?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」


 押しに弱いのか、エルヴィスの言葉尻はどんどんとしぼんでいく。

 本当に強いのかが疑わしくなってくるが、二つ名のようなものを授かっている以上、強いことに違いはないだろう。

 だから、警戒は一瞬たりとも解けない。


「うん、じゃあ始めようか。元々、そのつもりでここに来たわけだし」


 心の整理がついたのか、エルヴィスは自ら開戦の合図を出した。

 つい今しがた、しょぼんとしていたとは思えないほどの急展開だが、三人はそれぞれ得物を構える。

 龍之介は拳を、誠也と彩は杖を。

 それぞれが構えるのを確認してから、エルヴィスは大きく息を吐いた。


「――水廊すいろう


 エルヴィスが突き出した手から生成された水が、蜷局とぐろを巻くようにして白い神殿の廊下を浮遊する。

 重力に逆らうようにして宙を漂うそれは、どういう目的のものなのかはわからない。

 ただエルヴィスが名乗り、始めようと言ったのだから、十中八九、それはこの後に利用されるものだろう。


「いつも通りで行こう」

「わかりました」

「はい」


 的確に指示を出し、龍之介たちは構える。

 この世界に来てから数か月で身に着けた三人での連携は、高度ではなくとも洗練されていた。

 何度も何度も数を重ね、経験によって積み重ねられた動きだ。

 それを確認したエルヴィスはニヤリと笑い、両手を人の字に大きく広げた。


 すると、水の回廊とは別に、エルヴィスの背後に数多の水弾が展開された。

 瞬間的に、百以上の数が展開され、それが一斉に射出された。

 龍之介目掛けて発射された水弾を、龍之介は真正面から拳で打ち払う。

 水の弾ける音が心地よく響くが、それを発生させている龍之介の疲労は半端ではない。

 いくら“鬼闘法”を発動した状態の“身体強化”をかけているとはいえ、人力で迫りくる魔術を壊し続けるのは、そう簡単なことではない。

 だが、それを為している龍之介は疲労感も焦燥感もなく、自信目掛けて放たれる水弾を冷静に殴って弾いている。


「付与魔術をかけている……? これは中々……」


 エルヴィスは思いのほか龍之介を崩せないことに疑問を抱き、攻撃の手を緩めることなくその理由を看破した。

 彩の魔術による強化は、硬化と感覚の強化だ。

 硬化は言わずもがな、注いだ魔力量に比例して物質を硬くする魔術。

 感覚の強化も文字通り、魔力を注いだ部位の五感を強化できる。

 目なら視力、鼻なら嗅覚、といった具合だ。

 人体などの生物に対して魔力を通すのは、魔力が混ざることによる暴走のことも考えてかなり難しい部類に入るのだが、彩の魔術適正は龍之介と誠也の適性と被っているので、この点でも相性がいい。


 その付与魔術を数瞬で看破したエルヴィスに驚きつつ、しかしそれを看破したところで龍之介は彩に手を出させるつもりはない。

 それに、龍之介は彩と二人で戦っているわけではない。


 誠也が炎弾を十ほど展開し、水廊の間を縫うようにしてエルヴィスへと放つ。

 物理法則を完全に無視した軌道を描く炎弾を、エルヴィスは展開していた水廊を操作することで守る。

 水廊の一部が炎弾の熱を受けて蒸発するが、大量の水によって構成される水廊にダメージはあまりない。


「うーん、難しい。面倒だよぉ」


 しかし、対処できるのと、それをすることの間には、かなりの差がある。

 それはエルヴィスの面倒だという言葉からも推測できるだろう。


 その言葉を額面通り受け取り、誠也は龍之介が守ってくれるという安心感から攻撃にのみ意識を向ける。

 先ほど展開した炎弾を、火力と個数を上げて展開し、それをエルヴィスへと向けた。

 だがやはり、エルヴィスは水廊でその炎弾を完璧に防ぐ。


 尤も、対処されるのは織り込み済みで、誠也の作戦は未だ宙を漂う水廊の水を全て蒸発させることだ。

 相手が水を使う以上、水廊という全方位に展開された使えるものを放置し続ける理由はない。

 誠也の炎弾を対処するために龍之介への攻撃が止めば御の字だと思ったが、攻勢は一度も止むことはなかったため、やはり一筋縄ではいかないらしい。

 しかし、意味がないことはない。


「……出し惜しみしてたら死んじゃうかな」


 エルヴィスはそう呟いて、自身の周囲に水の膜を展開した。

 さなぎを彷彿とさせるそれは、誠也の炎弾を完全に無力化している。

 こちらからは何もできず、ただ見守るしかない状況の中、膜によって守られているエルヴィスはTの字になるように両手を広げた。


水に守られし空間ぼくのせかい


 その言葉とともに、水の膜が盛大な音を立てて蒸発した。

 水蒸気が煙幕の役割を果たし、視界が奪われる。

 元々白かった空間が、水蒸気の影響でより白さを増し、エルヴィスの姿を隠す。


「晴らします!」


 水蒸気で視界が奪われた瞬間、即座に誠也が風の魔術を使ってその水蒸気を晴らす。

 しかし、その水蒸気は風を受けているにも拘らず、一切晴れる気配を見せない。


「どうして!」

「水蒸気の元は水なんだ」


 水蒸気が晴れないことに焦りを見せる誠也に、説明口調の声が発せられた。

 その発生源は、この霧によって姿を隠しているエルヴィスだ。

 そう説明され、同時にそれが意味することを理解した龍之介は、即座に判断を下す。


「彩! 結界を!」

「はい!」


 龍之介の言葉で、彩が結界を展開する。

 範囲を最小にしたおかげで、高速で展開された結界は、想定通り三人を包み込む。

 直径五メートルほどの結界は、人が三人はいるには少し手狭だが、エルヴィスの操る水蒸気から隔離する目的は果たしている。


「結界で物理的に遮断したのか……上手だけど、動けなくなるならこっちの優位は変わらないね」


 その声が聞こえたと思えば、深い霧となっていた水蒸気が集約し、水へと戻った。

 水廊として展開されていた水も含め、かなりの量の水が、結界の真上に浮いている。


「目には目を。歯には歯を。物理には物理を」


 浮かせていた水を結界へと落とし、その端を魔力で制御することで、結界を飲み込む水の箱が出来上がる。

 それは白い神殿の天井まで達し、縦の長い直方体を形作る。

 一見、ただ水で閉じ込めただけのもので、結界に対しての攻撃にしては弱い。

 だがしかし、結界を解けば頭上の水が落ちてきて、水圧で潰されはしないまでも、一時的に動けなくなるのは確実だろう。

 水中を早く移動する手段がないので、そうなれば動きが鈍いだけのいい的だ。

 もしそれを回避できたとしても、水という最強の手札を自由に操れる位置に置いているエルヴィスはそこから逃げることを許さないだろう。

 つまり、籠った時点で龍之介たちの敗北は確定したようなものだ。


「さて。もう手はないと思うけど、どうする?」

「……」


 龍之介たちが八方塞がりだと言うことをよく理解しているエルヴィスは、水中の結界内に閉じ籠る龍之介たちへと問いかける。

 それに対し、龍之介は少しだけ思案するような表情を見せた。

 かと思えば、懐に手を入れて、道着の中から一つの手のひら大のコインを取り出した。


「いや、まだ手はあった」


 そう言って手のひらにコインを乗せ、それに魔力を通す。

 龍之介が何をするのかわからず、しかしエルヴィスから攻撃を仕掛けるわけにもいかないので、それを黙ってみている。

 しばらくの間、何も起こらずに沈黙が場を支配した。


「……ん? この揺れは……?」

「これが手だ」


 ゴゴゴゴゴと地震のような地響きが白い神殿を揺らす。

 それに驚き、戸惑うエルヴィスへ、龍之介は悔しそうな表情を合わせた複雑な表情を見せる。

 そんな龍之介を他所に、エルヴィスは何が起こるのかと周囲へ意識を配る。

 揺れが増していくにつれて白い神殿が光を増していき、視界が白く埋まっていく。


 ものの十数秒で揺れと光が収まり、視界と平衡感覚を取り戻す。

 目を開き、そして背後に気配を感じたエルヴィスは振り向き、驚きを露にする。


「先生!? 大丈夫ですか!?」

「よかった。ちゃんと届いたみたいだ」


 エルヴィスの意識が逸れた瞬間に、結界を半球から傘のように変形させて、上からの水圧を防ぎながら風の魔術で水を拡散させる。

 足元が水溜りになったが、いつの間にかできていた傾斜によって水は流れていく。

 ともあれ、龍之介たちは水の牢獄から抜け出し、そしてエルヴィスの意識を逸らした原因――良也と佳奈美へ言葉を投げかける。


「ソイツは水を使う! 水に関するものは気を付けてくれ!」

「わかりました!」


 ボロボロの道着に身を纏う良也と、その後ろで警戒を解かない佳奈美は、エルヴィスへ向けて各々の武器を構えた。

 それを確認し、龍之介たちの方も見て、ふぅとため息をついた。


「三人なら完封できたけど……増えると面倒だね。うん、今は引くとしよう」

「逃げるのか?」

「うん。僕だって、死ぬのは怖いからね。勝ち目がないなら逃げるよ」

「逃がすと?」

「逃げるよ。その手段は持たされてるから」


 そう言うと、エルヴィスの体から黒い靄が溢れ出す。

 それは次第に全身へと広がり、空気へと溶け込むようにして消えていった。


「魔力反応は?」

「ないです。消えました」

「……そうか」


 その原理は不明だが、ともあれ窮地は脱したらしい。

 それもこれも、援軍に来てくれた良也と佳奈美、そしてその援軍をここまで運んでくれた、マルセラへと心の中で感謝を述べる。

 そして同時に、教師という召喚者の最年長の立場にいるのに、何もできなかったことを悔やんだ。


「……後悔はあと。今はやれることをやろう」

「どうしますか?」

「合流できたなら、俺たちで他の人たちの援護に行こう。移動中、何があったか話してくれ」

「わかりました!」


 今度こそ今のような不甲斐ない結果にならないようにと心に決めて、龍之介は四人を先導していった。



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