第十話 【vs序列八位】
視覚が曖昧になるような、魔力で編まれた白い神殿の廊下に、鈍い打撃音が鳴り響く。
その音は、かれこれ十分ほど、一度も止むことなく鳴り続けている。
「……ッ」
その音の源は、一人の人間。
正確には、動くことを諦めたかのようにどっしりと構え、両腕を顔の前で交差させた、空手の道着に身を包んだ召喚者、
道着は見た目こそ布だが、その性能は打撃や斬撃の威力を激減する効果を持っているため、受けている岩弾の量から考えた場合、そこまでダメージを負っていないと言えるだろう。
しかし、あくまでそれは受けた岩弾の量と比較した場合だ。
プロ野球選手の投球と同等かそれ以上の速度で毎秒五個は射出される岩弾を十分近く受け続けている良也の道着は汚れ、腕部と胴部は特にボロボロになっている。
いくら打撃や斬撃の威力を軽減できる素材で作られた道着とはいえ、食らった衝撃を無効化できるわけではなく、ましてやボロボロになり素肌や肌着が見えているところは既にその効力を正しく発揮できていない。
元は白かったはずの道着も、今や岩弾とその打撃を受け続けた肌から流れる血によって汚れている。
それほどのダメージを受けてなお、良也はそこを一歩たりとも動かない。
それどころか、ダメージを受けるたびに瞳に宿る力が増し、さながら難攻不落の要塞のような威圧感さえ
「……恐ろしい奴だな。あんた」
「――」
どれだけ攻撃を加えても、一向に動く気配を見せず、ただ岩弾を受けるだけのサンドバックと化していた良太に対し、十分も容赦なく岩弾を撃ち続けていた魔人は、岩弾の射出を止めて呟いた。
浅黒い肌に明るいオレンジの髪を持つ、とても小柄な魔人だ。
全身を覆い包むほどの黒いローブを身に纏っているが、それでも子供と勘違いされそうな見た目をしており、気配も大して強そうなものではない。
そんな魔人が攻撃の手が緩められたにも拘らず、良也は防御の構えを一切解こうとしない。
そんな良也を呆れたように見つめ、しかし魔人は問いかける。
「なぜそこまでして庇う? 確かにそこの女は俺の一撃を食らい気絶していて、動くこともできず、そこに居れば俺の攻撃の餌食になるだろうが……それならそこの角へと運び、一対一の戦いに持ち込めばいいだろう?」
良也が動かなかった理由はただ一つ。
構えた良也の後ろに、ここまで一緒に来ていた
魔人の言ったように、接敵した瞬間に佳奈美は岩弾による打撃を頭に受けて気絶した。
今も、額に赤く染まった打撃跡がある。
せっかくの動きやすさと防御力の両立を図った良也と同じ高性能な装備も、生身に当たってしまっては意味がない。
そんな佳奈美を庇うために、良也は一度もその場を動かず、ただひたすらに防御に徹していた。
「それとも何か? 貴様は自分の命よりその女の命が大切とかいう口か?」
「……それはわからないな」
魔人の問いかけに、良也はようやく答えた。
構えこそ解いてはいないが、それでも視線を真っ直ぐに魔人へと向け、どんな動きを見せようと対処して見せるという確固たる意志を瞳に宿している。
「確かに、俺にとって佳奈美は大切だよ。でもそれが恋愛か親愛か、あるいは別の感情なのかはわからない」
「……お前、面倒なやつだな」
「よく言われる」
気が付けば、魔人に言われるがまま、自分の心を吐露していた。
それが魔人の策略なのかどうかは区別がつかないが、ともあれ今の魔人は行動を起こすつもりがないらしく、煮え切らない良也の答えに苛立ちを
待ち合わせに来ない友人を待ちくたびれて、片足重心で時計と周囲を交互に睨めっこしている姿が幻視できる。
「ただ……」
「ただ?」
「それがどんな感情であれ、守りたいから守る。だから俺は、ここを
「――そうか」
良也の答えに、魔人はフッと笑って言った。
その笑みは嘲笑うようなものではなく、むしろ感心し、褒めるようなものだった。
「お前が俺の攻撃を耐え凌ぎ、援軍でも来るか俺の魔力が切れるかすればお前の勝利。それ以外は俺の勝利。それで行こう」
「……あんたにメリットがないだろ」
「いや、そんなことはないさ。まぁ怪しいと思うなら受けなくてもいいが……どうする?」
挑発ともとれることを言われ、良也は構えを解かないまま思考する。
目の前の魔人が嘘を言っているようには見えない。
心なんて読めないから、本当はどうかわからないし、突然こんなことを言いだした理由もわからない。
さっきの答えが気に入ったのかもしれないが、真偽は定かでない。
ともあれ、良也の答えは定まった。
「受ける」
「よし」
良也の答えに満足そうに頷いて、魔人は目を閉じて深呼吸をする。
敵と対峙ている時に隙だらけの行動だが、今この場に魔人を攻撃する相手はいない。
故に、その深呼吸を最後まで完遂し、魔人は瞳を開く。
瞬間、先ほどまでの緩やかな気配が嘘かのような威圧感が魔人から発せられた。
その変化に震え、しかしここで引くわけにはいかないと気合でその震えを押し殺す。
「十魔神が一席。序列八位“地神”ウィリアム・ステノ」
「え、っと……萩原良也」
急に名乗られ、多少狼狽しながらも、良也はウィリアムと名乗った相手に応えた。
良也の好意を受け取り、ウィリアムは再び笑う。
しかしそれは、ほんの一瞬。
瞬き一つで意識を切り替え、その威圧感が収束していく。
威圧感は気配という曖昧なものと同時に、ウィリアムの背後に後光のように展開された百近い岩弾が視覚的な威圧感を放っている。
「行くぞ」
その一言で、今までとは比にならないほどの速度で、岩弾が射出された。
音を置き去りにして良也へと飛来する岩弾は、その速度も相まって良也の体に衝突するたびに鉄にでも当たっているかのような重厚な音が鳴る。
たとえ体に当たらずとも、耳の横を
しかし、良也はその場を一切動かない。
両足を
だがそれは、今までウィリアムが手加減をしていたからこそ通じる手だ。
音速を超え飛来する岩弾を前に、先ほどと同じ構えで耐えれる限界など、たかが知れている。
「……本当に同じなのか?」
手を一切緩めず、毎秒十発を超える岩弾を音速で射出し続けるウィリアムは、十数秒経っても変わらない良也の構えを前に、そう疑問を呈した。
先ほどならばいざ知らず、現在進行形で行っている攻撃はウィリアムの全力だ。
この戦闘条件での、という注釈こそつくものの、紛れもない全力。
速度も硬度も上がり、結果として威力が上がっているなんて言わずもがな。
そのはずなのに、良也は十秒以上も耐えている。
岩弾の威力を上げる前から既に満身創痍だったはずの良也が、だ。
「ということは、あの状況でまだ手札を隠して……? もしそうなら良也の胆力は、俺の想像を遥かに超えてくれてるな」
嬉しそうに、感心するように、ウィリアムは笑う。
笑いながら、手を緩めることなく、それがどれほどのものかを試すかのように、更に数を展開した。
序列二位のカスバードのように、展開した魔術の同時射出ができないが、それを補うだけの射出の合間の時間を短縮する技術は磨きがかかっている。
その技術を
しかし良也は動かない。
動けないのではなく、動かない。
ただひたすらに迫りくる岩弾に耐え、後ろで気絶している佳奈美を庇う。
体の全面から血を垂れ流し、特に集中的に岩弾を受けている腕はもうボロボロだが、それでもなお、動かない。
痛みで
良也はこの位置、足を固定したこの場所から動いてしまえば、射出され続ける岩弾の威力を
故に、どんな理由があろうとも、良也は一歩たりとも動かない。
体と同じく、鋼の意思で。
「――んっ」
良也が気合を入れなおした矢先、背後で気絶し眠っていた佳奈美が小さく声を上げた。
音で起きたのか、衝撃で起きたのかはわからないが、ともあれ良いことであることに変わりはない。
「佳奈美! 大丈夫か!?」
「う、うん。大丈夫。ここは……」
目を醒ました佳奈美へ、良也は少しだけ切羽詰まりながらも、なるべく丁寧な声掛けを行う。
佳奈美はそれに答えてゆっくりと起き上がり、寝ぼけた眼で辺りを見回す。
そして、目の前でこの会話の最中も岩弾を食らい続ける良也の姿を見て、驚きを露にする。
「りょ、良也君! 良也君こそ大丈夫なの!?」
「ああ。そのことについて話がしたい」
良也が攻撃を受けているのは前面。
それを背後で庇われる形でいた佳奈美が心配できたのは、ひとえに良也の足下に零れ落ち続けた血溜の所為だ。
見るからに重症だと言える量の大量の血が良也の足元に垂れ流されている。
雨上がりの道路にある、決して多くはない、しかし踏みつければ確実に靴が濡れる程度の量の血が、足元に広がっている。
「奴の攻撃は全て俺に向く。だから佳奈美は一回だけでいい。全力の一撃を、奴に叩き込んでくれ」
「……聞きたいことは沢山あるけど、それをすれば良也君は助かるんだね?」
「ああ」
「わかった」
良也の状態がこれ以上悪くなるのを避けるために余計な問答を控え、最低限だけを聞いた佳奈美は頷いた。
そして、良也の背後で腰に帯びた一本の刀の柄に手を添え、右足を前、左足を後ろにし、上体を大きく
瞼を閉じて全神経を集中させ、“身体強化”及び“鬼闘法”を発動させる。
体内を魔力が巡るのを感じ、その力を脚へと転じさせていく。
その様子を、ウィリアムは妨害することなく見ている。
ならば佳奈美も、そのご都合主義な展開に目を瞑り、己の最大を練っていく。
体内の魔力を、指先や足先の毛細血管にさえ届かせるように高速で循環させ、“身体強化”の精度を高めていく。
その上で、魔紋から魔素を吸い上げ体内の魔力量を強引に引き上げることで“鬼闘法”を使用する。
それによって“魔力操作”の制御を本来は存在しない体内の魔力へ使わなければいけない為、周囲の状況を把握するために“気”による周辺把握を行う。
しかし現状、この場にいるのは佳奈美と良也と目の前の魔人だけ。
ならば、周囲の状況把握に使うための意識すらをも“鬼闘法”及び“身体強化”に注ぎ込む。
意識がスーッと体内に溶けていき、周辺の情報が遮断されていく。
放たれる岩弾の風切り音も、良也に当たった岩弾が砕ける音も、良也の吐息も。
全てが消えてなくなり、自身の心音や体内を流れる血液や魔力などの感覚が洗練されていく。
腰に帯びた刀の柄を軽く握り、脚にグッと力を溜める。
「行くよ」
良也にだけ聞こえる程度の声で、佳奈美は呟く。
それを聞いて、良也はどっしりと構えた体勢からさらに腰を落とし、脚に力を溜める。
そのまま良也にだけ射出され続けていた岩弾の射線上から逃れるようにして、真上へと跳躍する。
壁の役割を担っていた良也が真上に跳んだことで、その後ろで構えていた佳奈美へと岩弾が飛来する。
それが佳奈美の届く寸前、佳奈美は脚に溜めていた力を解放し、前方へと全力で跳んだ。
一足で十数メートルの距離を詰めて魔人の懐まで潜り、すれ違いざまに居合いを行う。
“鬼闘法”によって、限界を超えた“身体強化”による一撃を、速度に乗せて放った。
抜き身の刀を腰に帯びた鞘へ納刀し、ふぅと小さく息を吐く。
それは今の佳奈美が出せる最大火力であり、文字通り必殺の一撃だ。
これで仕留められないのなら、少なくとも佳奈美には手の打ちようがない。
「――いやはや驚きだ。完全に防御しきったと思ったのだが」
ウィリアムはまるで仕方ないなぁとでも言いたげな声音で、そう呟いた。
その声音が弱っているなんてことはなく、聞くからにピンピンしている。
倒し切れなかったのだと理解し、佳奈美はゆっくりと振り向いてウィリアムへと視線を向ける。
「岩は斬り裂かれ、俺も傷を負った。致命傷ではないがな」
振り向いた佳奈美の視線の先には、前方へと岩の壁を展開している。
それは中段辺りで斬り裂かれ、その壁に守られるように立っているウィリアムの左腕の肘から下がボトリと地面に落ちている。
「君たち召喚者の潜在能力には、本当に驚かされるよ。まさかここまで我々の脅威となり得るとは……。これは、宰相様も想定していなかっただろうな」
そんなことを呟きながら、ウィリアムは佳奈美から視線を外す。
その流れのまま振り向いて、外した視線を良也へと向けた。
「私の負けだよ、良也。大人しく、俺は退散するとしよう」
その言葉を受けた良也は、傷だらけの体のまま、ウィリアムの言葉に頷いた。
もう言葉を発する気力すら残っていないのだろう。
それは、満身創痍の体を見れば一目瞭然だった。
「まだあなたは余力を残しているんじゃないの?」
「そうだな」
「なら、その余力で私たちを倒そうとは思わないの?」
「……ふむ。それはあれだ。互いの目的の違いだな」
「目的の違い?」
「ああ」
ウィリアムの言葉の意味が分からなかった佳奈美は、疑問に答えてくれるウィリアムに対してどんどんと疑問を投げかけていく。
「尤も、それを教えることはできない。機密情報だからな」
「……そう」
「良也、それと……名は何という?」
「私? 私は佳奈美。斎藤佳奈美」
「佳奈美か。では良也、佳奈美。また相まみえるときは、今度こそ決着をつけよう」
それだけ言って、ウィリアムは体から力を抜いた。
まるで操り人形が糸を切られたかのような、そんな脱力具合だ。
不可解とも言えるその動作に驚いている間に、ウィリアムの体が黒い
不可解に不可解が重なり、その情報処理が追いつかなかった佳奈美は、それは後回しでも考えられる、と傷ついた良也へと駆け寄った。
「大丈夫!?」
「ああ。でも血を流しすぎたから、早めに治療頼む」
「うん! えっと……これだ」
佳奈美は腰に着けた
そして目的のものを見つけ、それを引き抜き、良也の背にそれを押し当てて魔力を流した。
その紙に描かれた魔術陣が想定通りの効果を発揮して、良也の外傷を瞬く間に治していく。
斬り裂かれた服などは再生されないが、これは傷を治すだけのものなので仕方がない。
「ありがとう、佳奈美。助かった」
振り向いた良也は、佳奈美の顔を見据えて素直に感謝を述べた。
それに驚き、しかし佳奈美は優しく微笑んで首を横に振った。
「それは私のセリフだよ。ありがとう、ずっと守ってくれて」
佳奈美の感謝を真っ直ぐに受けて、良也は少し照れ恥ずかしそうに俯いた。
大きな図体を持っていて、しかし見た目とは裏腹に普段はいじられキャラなのに、大事な場面だとかっこいい良也の新たな一面を見られた。
学校にいた時も、この世界に来てからも、異性だと一番近くにいた良也の新しい一面を見れて、佳奈美は少しだけ嬉しさを抱いた。
「体力とか魔力とか、回復したらみんなを助けに行こう?」
「わかった。じゃあその間に、佳奈美が気絶している間に何があったか話すよ」
「うん。お願い」
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