第十五話 【刻まれた影響】




 ソフィアとともに他愛ない会話をしながら王城へと戻り、葵は真っ先に自室へと戻った。

 その理由は勿論、出会ってから今日に至るまで酷使し続けてきたナディアの容態を確認するためだ。

 とはいえ、ここ数日で調子は良くなってきているので、前ほど心配はしていない。

 部屋の前でナディアの容態が急に悪化したときに備えてくれている侍女に挨拶をして部屋に入る。


「戻りました。体調はどうですか?」


 枕を背にし、ベッドの上で窓の方をぼんやりと眺めているナディアに問いかける。

 葵の帰宅に気が付き、ゆっくりと振り向いた。


「今は大丈夫。葵の方は?」

「大丈夫でした。授業日以外に学校に行った甲斐はありましたよ。これで心身ともに、ソフィアのことを心配することもなくなりそうです」

「そう。よかったね」


 穏やかに微笑んで、葵たちの行動が成功したことを喜んでくれた。

 ナディアは謎の頭痛に悩まされ始めてから、こうして感情を表に出すようになった。

 頭痛とどんな因果関係があるのかはわからないが、こうして話す分にはいい変化だと言えるし、ただ状況を考えれば悪い変化とも言える。

 結局は何かが起こってみなければわからない。


「――葵」

「なんでしょう?」

「……この頭痛の正体がわかった」

「本当ですか?」


 それはよかった、と安堵の溜息をつく。

 正体がわかれば原因がわかるだろうし、そうなれば対処もできる。

 今まで、頭痛が起きるたびにベッドに横になっていた生活から解放されることも夢じゃないのだ。


「ただ、今の葵に話すのはあまり良くないと思う」

「……どういう意味ですか?」


 疑問を顔に出す葵を前に、ナディアは葵を憂うような表情で窺う。

 最近、表情を表に出すようになったとはいえ、こんな表情は初めて見る。

 出会った当初からツンケンしていたが、こうして生活を共にしてきてナディアは意外と面倒見がいいと知っている。

 故に、配慮してくれていること自体は不思議ではないが、この会話の流れでどうしてそうなるのかはわからなかった。


「私の頭痛の原因を話せば、葵が困るかもしれないから……」

「……もしそうだとしても、大丈夫です。それが結愛に直接関与する何かでない限り、俺はどうにもなりません」


 だから話してください、とナディアの目を見据えて話す。

 葵の覚悟を聞いてようやく決心がついたのか、ナディアは一つ頷いた。


「私は魔人とエルフのハーフ。外見はエルフだけど、中身は違う。魔人とエルフの血が混ざってるから」

「はい」

「……魔眼が開いた」


 ナディアはそう言うと、瞬きをして見せた。

 その金色の虹彩の外――強膜と呼ばれる白目の部分に、瞳と同じ金色の円環を生じさせて葵を見据えた。

 それはまさしく、葵がこれまで見てきた魔眼と同じものであり、ナディアの言葉が正しいことの証明として正しく葵に理解させた。

 それを目を見開き、まるでその事実を咀嚼し受け止めるようにして一言も喋らずにいた葵は、ようやく開いていた口を閉じた。

 心を落ち着けるようにして深呼吸を挟み、再びナディアの魔眼を見据えて口を開いた。


「それは、よかったと、言って良いんですか?」

「……大丈夫?」


 ナディアはおそらく、葵がこれまで魔眼を持ってきた相手と戦い、そのたびに何かしらの影響を受けてきたから、魔眼を開眼させたナディアを見て嫌な気持ちにならないだろうか、ということが心配だったのだろう。

 魔眼を持つ人と出会うたびに悪い影響を受けてきたのなら、たとえ魔人でなくとも魔眼という物体だけで嫌悪しかねないと、パブロフの犬のような条件反射が起こらないかと心配してくれたのだ。


「大丈夫です。確かに、今まで二回、魔眼を持っている相手と戦って、どちらも影響を受けましたが、まだ二回です。たかが二回で刷り込まれるほど大きな影響にはなっていないですから」

「……そっか」

「はい。俺のことを心配してくれてありがとうございます」

「ううん。大丈夫ならよかった」


 安心したように、胸に手を当てホッと一息つく仕草をする。

 時々、これがナディアの素なんじゃないかと思うときがある。

 演技には見えず、本当に素でやっているとしか思えない。

 もし、ナディアの暮らしていた集落が無事だったなら、歪まずに成長していのだろうか、とあり得ない未来を想像する。


「そうだ。それで、魔眼が開眼したことを良かった、と言っても大丈夫なんですか?」

「……」


 魔眼というものは魔人が持っている恩寵のようなものであり、簡単に言えば魔石の代わりとして魔術発動の媒体となるし、魔眼自体が能力を持っているために強力な兵装としての意味合いも持つ。

 もし葵が開眼したのなら戦闘能力が増したと喜んで使うだろうが、ナディアはそうならない。

 ナディアにとって魔眼とは、自分たちの居場所を壊した嫌いな相手が持っているものだからだ。

 もちろん、幼少期を過ごしたと言う集落のみんながその嫌いな相手に入っているわけではないだろうが、少なくともそういう悪印象をナディアは持っているはずだ。

 だからこそ、葵は魔眼を開眼したことについて素直に喜べなかった。


「私にもわからない。父さんは好きだし、その力を受け継げたのならのなら嬉しい。……でも、アイツと同じなのは嫌」


 ナディアの中では、葵が懸念したとおりの感情がせめぎ合っていた。

 葵の体に穴をあけた魔人のことを思い出し、そいつがナディアに与えた影響の大きさを再認識する。

 ここで葵が何かをアドバイスするのは簡単だが、そこには少なからず葵の恣意が混ざる。

 アドバイスというものは、相手の為を思っていったことであっても恣意が介入するものだし、それが常であるからこういう場合は何も言わないのが相手の為だ。


 だけど、ここで誰かを頼れないと、いずれ必要な時に寄り掛かることができなくなる。

 結愛がいなくなり、ラディナに支えてもらっていた時のように。

 昔、葵が結愛にしてもらったように。


「――一つ、こういう時にありがちなアドバイスをしてもいいですか?」

「……うん、お願い」


 ナディアは葵の瞳を見据えて頷いた。

 ほんとに一瞬だけ、間があったから悩んだ末の結論だろう。

 これに応えられるかどうかはナディアが決めること。

 そう割り切って話す。


「ナディアさんの魔眼は、大きなくくりでは同じでも全く違うものです。ナディアさんの魔眼それは、お父さんから受け継いだ唯一無二のもの。だから、ナディアさんの言う“アイツ”と同じじゃない」


 例えば、人間という大きな括りがあったとして、そこには得意不得意があるし、善人も悪人もいる。

 同じ両親から生まれた子でさえ、それが分かれることもあるだろう。

 それらは纏めて人間と呼称されるが、個々人の能力や性質は違っている。

 ならば、魔眼もそれに当て嵌められるのではないかと考えた。


「言ってしまえば詭弁です。でも考え方として都合のいいように捉えられるから、俺は好きです」


 例えが本質をついているかどうかはともかく、言いたいことは伝わるはずだ。

 それに、葵がこういった言葉遊びを好むのは、短くない付き合いのナディアは知っているだろう。

 頭の片隅にでも置いてくれればそれでいい。


「……ありがとう、葵」

「このくらいならお安い御用ですよ」


 参考になったかはともかく、今のナディアの悩みは少しでも晴れてくれたようだ。

 それはナディアの笑みが証明してくれている。


 そんないい雰囲気が漂う部屋で、くぅと可愛らしい音が鳴った。

 それはベッドに座るナディアのお腹の虫が鳴いた音。


「そう言えば寝てる間あまり食べてませんでしたね。お腹に優しいもの貰ってきましょうか?」

「大丈夫。運動がてら自分で歩くから。葵はやれることをやってきな」

「わかりました。では先に行きますね」


 椅子から立ち上がり、部屋から退出する。

 部屋の前で待機してくれている侍女にナディアのサポートをお願いした。


 そのタイミングで、ソフィアがこちらへ駆けてくるのを、視界の端に捉えた。

 王城では登下校と鍛錬の時以外は基本ドレス姿のソフィアが、まだ制服姿なことに何かあったことを悟る。

 葵と目が合ったのを確認し、視線で葵へ用事があることを伝えてきたので、時短の為に駆け寄った。


「葵様っ。すみません。今大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。それで、何かあったんですか?」


 ここまで王城の中を走ってきたのか、少し息を切らしているソフィアを落ち着かせつつ、用事とやらを訊ねる。

 深呼吸を三回挟み、喋れる程度まで息を整えたソフィアは、胸を抑えつつ、真剣な表情になる。


「――エアハルト様が


 葵にとって、ここ最近の気がかりの一つが、連続して葵に伸し掛かってきた。






 王城の端の方にある一室。

 作戦会議でもないのに、その部屋には錚々たる面々が揃っていた。


 まずはこの国の最強の戦力として名高く、つい数日前まで共和国で召喚者の鍛錬に付き添っていた騎士団長ラティーフと、その相方として知られ、国王の補佐についていた魔術師団長のアヌベラ。

 次にこの国の国王であるアーディル王の愛娘であるソフィアと、そのソフィアに連れてこられた葵。

 そして、この場で起こったことをすぐに伝達できるように端で控えている、召喚時にソフィアの傍にいたあの素早い“デキる”執事だ。


 一人や二人くらいなら、いつどこで一緒になってもおかしくないメンツだが、それぞれが自分に与えられた役割を全うしている人間だからこそ、こうして全員が一堂に会することは滅多にない。

 ではなぜそんな四人がこの部屋に集められたのか。


 それはひとえに、虚ろな瞳でベッドに座り、女性に手を握られている男に理由がある。

 男の名前はエアハルト。

 三日前、葵と激戦を繰り広げた悪党の組織の頭目であり、最後の最後で魔人化の支配から逃れ、ディアという女性に自身の殺害を命じた男だ。


 そんなエアハルトがなぜ王城にいて、しかもこうして生きているのかという疑問は、簡単に言ってしまえば葵の所為だ。

 あの日、ディアがエアハルトから受け取った曲刀で心臓を貫こうとしたのを止めた。

 咄嗟に、反射的に、無意識的に。

 何も考えず、エアハルトが殺されるのを阻止してしまった。


  自分でもなぜ止めたのかは未だに理解できていないが、その時は自らの行動に困惑し、空回る頭でエアハルトを助けられるかもしれない、なんて戯言を言い放った。

 根拠がないわけではないが時間の余裕もなく、殺す方が確実だったと言うのに、そんなことをのたまって、実践という形でその方法を示した。

 結果、エアハルトはこうして命を取り留め、三日の時を経てようやく目を覚ましたのだ。


 一度は魔人となり、召喚者と一時的にとはいえ対等に戦った相手が、不確かな治療法で命を取り留めたのだから、こうして万全の戦力ラティーフとアヌベラでエアハルトを囲んでいる。

 葵とソフィア、そして旧知の仲であるらしいディアがこの場にいるのは、あの戦いを見届けた証人であるからだ。

 葵は他に、行った処置の結果を確かめるためにいる医者のような立場もある。

 執事にはこの場で起こった出来事を即座に王へ伝える役割を担っている。


 この人数が最低限であり、エアハルトがまだ敵対状態にあった場合に備えられる最大だ。


「葵。確認を頼む」

「はい」


 ラティーフに促され、葵はエアハルトへと近寄る。

 それを虚ろな瞳で捉えられるが、それ以上の反応を示さない。

 念のため声だけかけて、瞳を確認し、“魔力感知”で頭の中を流れる魔力に意識を向ける。

 ついでに手首へと手を回して脈を測り、異常がないことを確認する。


「一応、魔人ではなくなっていると思います。ただ、見て貰えばわかる通り、意識がないのかあるいはおぼろげなのか、反応はないです」

「それは葵の処置の問題か?」

「わかりません。可能性はありますが、魔人化の影響と捉えることもできます」


 ラティーフは葵の言葉を聞いて悩ましげに唸る。

 魔人化なんて現象は、この世界のどこを探してもない。

 昔の世ならあったかもしれないが、少なくとも現代においては、そんなことが記されたり、あるいは知識として継承されてきたなんてことはない。

 ナディアにその知識を伝えてくれたエルフの里にならあるかもしれないが、人間と積極的に交友を持とうとしないエルフにそんなことを求めるのは難しいだろう。


「改めて聞いておくが、葵がこの男に施した処置ってのは、頭の中にあった異常な魔力を取り除いただけなんだよな?」

「それと、乱れていた血流を魔力で少し調整したくらいです」

「そうか。……なら十中八九、魔人化の影響でこうなったんだろうな」


 あの時、エアハルトが頭を抱えてのたうち回る前、ほんの一瞬だけ流れた極僅かな魔力がエアハルトに作用しているのなら、それを取り除けば自体が解決するのではないかと考えたのだ。

 感知できたのがそもそも偶然の産物だし、根拠なんて微塵もない。

 直感と願いとでも言うべき奇跡に頼って、葵は自分の考えを肯定するために実践した。

 結果としてエアハルトの暴走は止まり、こうして言葉の通じなくなる化け物にならずに済んでいる。


 そもそもの話だが、あのまま時間が経過して、エアハルトが化け物になったのかと言われればそれも確証はない。

 つまるところ、何が正しかったのかなんてものは三日たった今でもわからない。


 今ある結果は、エアハルトが魔人として暴走をしなくなった。

 だけど、物言わぬ置物と化した、ということだ。


「ディアさんが話しかけても駄目だったんですよね?」

「……はい。瞳を動かして私の方を見てくれる以上の反応はありませんでした」


 この場でエアハルトと一番親しいであろうディアの言葉さえ届かないのなら、葵たちでどうこうなる問題ではない。

 それこそ、エアハルトの頭の中を直接覗くくらいしか、交流の取りようがなくなった。


「――私の恩寵なら通じるのではないですか?」

「……それだ!」


 ふと、何気ないことのように言ったソフィアの言葉に、盲点だったと激しく同意する。

 興奮してしまったと一つ咳払いをして、ソフィアの方を向く。


「お願いできますか?」

「勿論です。元は私が蒔いた種。私の手で回収できるならこれ以上のことはありません」


 そう言ってベッドの脇で屈み、エアハルトの手を握る。

 目を瞑り、ディアに握られていない手を真剣な表情でギュッと握りしめている。

 ものの十秒ほどで閉じていた瞼を開き、綺麗な所作で立ち上がる。

 振り向いたその表情は、申し訳なさそうにしおれていた。


「申し訳ありません。何も読み取れませんでした」

「恩寵が使えなかったんですか?」

「いえ、おそらく使えていたとは思います。ですが、私が読み取れる範囲では何もなく……」


 ソフィアの恩寵は、自身の思考を相手に流したり、あるいはその逆を行うものだ。

 信頼関係の有無により人に触れるなどの行為が必要になるし、人の思考を読み解く場合は、信頼の度合いによって時間の増減があるらしい。

 ただエアハルトに信頼がなくとも、今の状態で十秒程度の時間をかけてソフィアが辞めたと言うのなら、きっと普通ならその程度で読み解けると言うことだろう。

 だけど、エアハルトの頭の中身はわからなかった。


「もし魔人化の影響で脳が破壊されているのだとすれば、こうして未だに喋らないことにも納得がいきます」

「声帯はおかしくなっていないんだから、赤ちゃんみたいにあーとかうーとは言えるんじゃ?」

「……なるほど。葵くんの言うことも一理ありますね」


 アヌベラは他に何かあるだろうか、と腕を組んでうーんと唸っている。

 瞳は動くし、ディアに握られた手も、今はしっかりと掴み返している。

 神経が通っていないわけではなく、ゆっくりだが反応はあるが頭の中は空っぽ。


「……反射はどうなるんだ?」


 先ほど、葵がナディアに心配されたパブロフの犬を例えにした条件反射は、先天的なものに言い換えると無条件反射となる。

 これは所謂いわゆる日常的な反射であり、例えば茶碗を落とした時に慌てて足を引いたり、あるいは割れないように足をクッションにしたりなどがそれにあたる。

 これは神経が必須な要素であり、反射と言われるくらいなのだから無意識――つまり思考あたまを介さずにも発揮されるものだ。

 ならもし、その反射を介さないが、エアハルトにとって良くないことが起きた場合はどうなるのかが気になった。


「ディアさん。ちょっと実験してみてもいいですか?」

「何をされるんですか?」


 エアハルトの耳が機能しているのなら聞こえる声で話しては意味がないな、とディアの耳元で実験内容を小声で囁く。

 それを聞き、ディアは少しだけ悩むような素振りを見せたが、最後には頷いた。


「ありがとうございます。では――」


 そう言って、葵は右の拳を振り上げる。

 その矛先をディアの頬へと定め、無感情に殴りつける。


「葵様!?」


 ソフィアの警告を無視して放たれた拳は、パシンッと乾いた音を鳴らした。

 葵の拳はディアの頬の寸前、拳一個分もないくらいの位置で、エアハルトの手のひらに受け止められていた。

 身を乗り出し、ベッドの脇で体を強張らせるディアを守るようにして、エアハルトは葵を見ていた。

 睨みつけるでも、威圧するでもなく、ただ静かに。


「なるほど。反射はある、と」

「葵。説明を頼む」

「あ、すみません。えーっとですね――」


 先走りすぎたと反省しつつ、葵は今やったことの説明をした。

 反射の有無を確かめるためにディアの同意の上でやったことだと説明した。


「あと、ちゃんと寸止めはする予定でしたよ」

「本当にか? あのまま止められてなきゃ確実に殴ってたろ?」

「そんなわけないじゃないですか。俺には……人は殺せませんよ」


 トラウマを思い出した時のように、声のトーンがどんどんと下がっていく。

 エアハルトに気づかされた自身の弱さをここで再認識させられた。

 自分の言葉で招いたことだが、やはり心を抉られる。


「葵様……」


 ソフィアが不安そうな表情で葵を見てくる。

 それに大丈夫です、と笑みを浮かべて答える。


「それで結果ですが、まず前提として、ディアさんとエアハルトさんは昔からの顔馴染みで、今の組織の最初のメンバーでもあったそうです。互いに道を踏み外した場合のことも相談できるくらいには信頼を寄せていたと」

「あ、はい。その通りです」


 葵が確認としてディアの方を見ると、虚を突かれ驚きつつも、葵の言葉の正しさを首肯する。


「もしエアハルトさんに意識がないのなら、ディアさんを守るなんてことはできないはずなんですよ。考えられないから、自分を守ることしかできない」

「けど、この男は守った。つまり、考える頭はあるってことか?」

「確実ではないですけどね。ソフィアさんの恩寵で思考が読み取れないのは、他に何か原因があるんじゃないかと」

「他の原因か……」


 ラティーフは先ほどのアヌベラと同じように、腕を組んでうーむと唸る。


「ただ一つ、可能性として、もしかしたらエアハルトさんの魔人化が解けていないんじゃないかと思います」

「魔人化が解けていない?」


 葵の言葉に、ラティーフが反芻して疑問を投げる。

 それに頷き、そう思った理由を言葉にする。


「ディアさんを受け止めたエアハルトさんの力は、少なくともあの体勢で出せていい力じゃありませんでした。それこそ、魔人化したエアハルトさんの力と変わらないくらいに」

「だけど、葵は最初に魔人ではなくなってるって言ってなかったか?」

「言いました。最初に出会った四人の魔人と魔人化したエアハルトさんは、“魔力感知”で捉えた感覚がほとんど同じでしたから。今のエアハルトさんからはその気配がしないので、もう大丈夫だと思い、そう言いました」


 魔人というのは、“魔力感知”で捉えた際の気配とでも言うべき感覚が、人間のそれとは違う。

 “魔力感知”で相手が人間か魔人かの判別ができるくらいには違う。

 だから、エアハルトの魔人化は終わっているものだと思っていた。


「でも違うと?」

「はい。まだエアハルトさんの魔人化で、その魔人の部分を表に出して周りに被害を出さないために、自分の中で食い止めているのではないかと思いました」

「だがこいつは人を攫ったような連中の頭だろ? そんな人間がそこまで殊勝な考えを――」

「――確かに、エアハルトさんは悪事に手を染めました。自分の意志ではなかったとしても、そこは変わらない。だけど、この人の根底は悪じゃない」


 ラティーフの意見は尤もだ。

 どんな理由があれ、悪事を働いた人間がいいことをしようとしていると言ったところで疑いの目を向けられるのは仕方がない。

 だけど、エアハルトはそんな人間ではない。

 それは、よくわかっている。


「……今のは俺が悪かった。無責任なことを言った。ディアさんもすみません」

「いえ、私たちが悪いことをしたのは事実ですから。……そうして理解してくださるだけでもありがたいことです」


 その和解を眺め、その部屋が少しだけ温かい雰囲気に包まれる。


「しかし、葵さんの考えが正しいとして、どうするか考えなければなりませんね」

「確かにな。魔人化が解けていないなら、暴走したときに止められる人材は限られるだろ。かと言って、暴走を止められるレベルの人間をここに常駐させるわけにもいかないしな」


 魔人を単独で止められる人材は限られる。

 騎士団員で三から五人のグループを組んでようやく対等レベルの相手なので、一応、交代で受け持てば何とかならないこともない。

 エアハルトの魔人化を食い止めるのがいつまで持つかわからないし、そもそも元に戻るとも限らない。

 そうなった場合、五年以内に起こる人魔大戦のときも、ここに少し戦力を置いて戦うことになる。

 少しでも懸念点を減らしておきたいことから、そうなるのは何とかして避けたい。

 何か名案はないものか、と意見を口に出しながら議論していく。


「しっ、失礼しますッ!!」


 部屋の扉が勢いよく開かれ、外から騎士団員の一人が慌てた様子でお辞儀をする。


「どうした?」

「はいッ! 国王より至急ラティーフ騎士団長、ならびにアヌベラ魔術師団長へ伝えるようにと伝言を受けてきましたッ!」

「聞こう」


 慌てつつも真剣に話す青年に、その言葉の内容と青年の態度から、ラティーフもいつもの飄々とした態度をどこかへと追いやり、真剣な態度で応対する。

 そんなラティーフへ、青年は一呼吸を置く間もなく伝言を口にした。


「共和国より伝令。魔王軍が動き出した、と」


 その伝言はその場にいた誰もを震撼させ、驚愕の海へと叩き落した。



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