第十四話 【ソフィアの戦い】




 あの洞穴での戦闘から三日が経過したとある放課後。

 葵はソフィアに連れられて、夕暮れの暖かな光が差し込む廊下を歩いている。


「どうでした? 三日ぶりの学校は」

「特にこれと言って変ったことはありませんでした。強いて言えば、休んだことを先生から心配されたことくらいです」

「ソフィアさんの立場を知っている先生なら“心ここに有らず”になってませんでした?」

「ええ。報告に行った際、とても安堵した顔をしていらっしゃいました」


 ソフィアはあの戦いの後、捕縛されていた時はあまり眠れていなかったのか、援軍が来たところで安心したのか三日も眠りこけていた。

 その間、葵がソフィアの授業を担当する先生にソフィアの休む理由をかなりぼかして伝え、ソフィアの立場を知る先生にも話せないことを暈して伝えていた。

 前者はかなり暈されているため、葵が言った嘘を少し疑いつつも大半の部分は信じ、やはりソフィアという優等生が無断で休んだことを疑問に思っていたらしい。

 後者は殆ど暈さずに伝えたが、それはそれで心労を重ねてしまったようで、もう少しうまく伝えられなかったものかと少しだけ反省している。


 ちなみに、今日は魔術陣クラスでの授業はなかったので、ライラとカナ先生にはソフィアが無事であったことを葵が伝えてある。

 もちろん、詳細を暈してだが。

 結局、あまり力になれなかったとなげいていたが、ライラたちと共同で作っていた新しい魔術形態も成功したし、何よりライラたちの言葉のおかげで葵は少しだけ変われたような気がする。

 だから、ライラたちはとても力になったよ、と伝えたところ、まだ不満は残るようだったが納得はしてくれた。


「元を辿れば、今回の件は私が招いたことですから。こうして色々な方々に迷惑をかけたのに、私の安全を喜んでくれるのは、申し訳ない気持ちとそれ以上の嬉しい気持ちがありますね」

「……まぁソフィアさんが首輪で容姿と一緒に名前も変えていたら、この事件は元より、レジーナさんたちからのやっかみも今より大幅に少なくなっていたでしょうね」

「……そうですね」


 身も蓋もない事実を突きつけられ、ソフィアは少しだけ悲しそうに俯いた。

 言葉選びを間違えたかもしれない、と少し不安になる。


「ですが、私はそのことに関して後悔はしていません」


 だがすぐに顔を上げ、晴れた表情で前を向きながらそう断言した。


「確かに。私が名を変えていれば、ブルーさんの言うようになったでしょう。そうなれば捕まることも、怖い思いをすることもなかったはずです」


 レジーナが“ソフィア”という名に対してどんな感情を持っているかはわからない。

 だがその名前を持っていたことでレジーナたちからいじめのようなことを受け、挙句あそこまでの大騒動に発展した。

 それはレジーナが何もしなければ起こらなかったことだが、本当に大元を辿ればソフィアが名を騙らなかったことに由来する。

 何せ、レジーナが最初にソフィアに突っかかってきたことの内容が名前のことだったのだから。


「ですがソフィアという名前は、母が私に残してくれた唯一のものなのです。だからどうしても、変えたくなかった」


 他人には何があっても譲れないもの。

 どうあっても突き通したいもの。

 ソフィアにとってそれが、今は亡き王妃はは王女ソフィアに遺した形見。


「――わかります」


 それが理解できるから、静かに、けれど確かに頷いた。


「ソフィアさんと俺は、逆の考えだったみたいですね」

「逆、ですか?」

「そうです。ソフィアさんは名前が大切で、それは騙りたくなかった。俺は結愛と同じ色の外見を残しておきたくて、名前だけ騙った」

「ブルーさんが外見を変えない理由はそこにあったんですね」

「ソフィア様の持つ首輪がもう一対なかった、というのも理由の一つですけどね」


 そんな他愛ない会話をしながらしばらく歩き、ある教室の前でソフィアが立ち止まる。

 ソフィアはドアを前にして、一つ深呼吸を挟む。


「ではこれから少し、お話をしてきます。もし何かあったら、仲裁をお願いします」

「傍にいなくて大丈夫ですか?」

「……大丈夫ですよ。ブルーさん――」


 言葉を区切り振り向いて、はにかむような可愛らしい笑みを浮かべて宣言した。


「――が近くにいてくれるだけで、少し怖いくらいなんてことありませんから」

「……めちゃくちゃ恥ずかしいことを言いますね」

「それは言わないでください……。歯の浮くようなことを言ってしまった自覚はありますから」


 少しだけ恥ずかしそうにして、葵の指摘に不満を漏らす。

 だが、ソフィアの言葉そのものは心の中に抱いている本心だ。

 だから、その部分は否定せずに、葵の維持の悪さをつつく。


「では、ここで待ってます」

「……ええ」


 嬉しいような恥ずかしいような気持ちを内に秘めつつ、ソフィアの背中を見送った。






 ガラガラと音を立てて、スライド式のドアが開く。

 中は電灯がついておらず、廊下側からの夕焼けの光も届きづらいため、若干の暗さがあった。

 そんな教室の後方でよく見知った三人の少女がたむろし、ソフィアの方を見ている。


「お待たせしました。レジーナさん」

「……ソフィアさん」


 ソフィアが挨拶をして少女たちに近寄ると、少し怯えるような形で挙動不振になっている。

 その原因はもう葵から聞いているから、今更レジーナたちから直接聞こうとは思わない。


「お呼び出しした理由はわかりますか?」

「……私たちをどうするつもり?」


 質問に質問で返すレジーナだが、その内容が答えになっているようなものだ。

 それを直接言わないのはせめてもの抵抗なのか、あるいはプライドを履き違えたが故の発言なのか。

 ともあれ、理由がわかっているのならここでつまづく必要はない。


「どうにもするつもりはありません。今日お呼び出ししたのは、あの件を誰にも口外しない。だから仲直りをしましょう、とお伝えするためです」

「……仲直り、ですって?」


 レジーナはソフィアの発言に、正気かこいつ、とでも言いたげな驚きの表情を浮かべている。

 その気持ちも理解できるし、レジーナたちの立場ならそんなことを言い出すソフィアを信用できないのも道理だろう。

 命の危険を感じさせる場所へと放り込んだ相手が生還し、その相手から融和を申し込まれたら誰だってそうなる。


「私はあなたのこともし、あなたが何をしようとしたか、その結果どうなったかも、身を以て知っています。だけど――いえ、だからこそ。私はここで全てを終わらせたい」


 レジーナが共和国を纏める長の一人の娘であることは知っていた。

 だからこそ、これまでのことも大事にせず耐えてきた、というわけではないが、それでもその要因が一割もないと言えば嘘になる。

 もちろん、今までされてきたことの全てが許せるわけではない。

 腹も立つし、恨みもする。


 今回の件なんて、葵が居なければ本当に危なかったのだ。

 だけど、今回は何もなかった。

 多くの人が動いてくれたから、特に大きな被害が自他共に出ることなく終わりを迎えられた。

 故に、もうこれ以上、事を大きくする必要はない。


「私はきっと、あなたたちを許せません。これまでされてきたことがありますから。だけど、私がここで突っ込んだとしても色々と面倒になるだけ。なら形の上だけでいいから、私とあなたたちの関係を終わらせましょう」


 そう言って、ソフィアは手を差し出す。


「もうこれで、同じクラスにいるだけの学生。それ以上でも以下でもない関係にしましょう」


 言外に、互いに不干渉で居続けようと確固たる意志を以て告げる。

 レジーナたちはソフィアの手を見て、不可解な表情を浮かべ、少しだけ思案するように目を見合わせた。

 そして互いに頷き、まずはレジーナがソフィアの手を取った。


「……その、今までごめんなさい」

「はい」


 軽く手をぎゅっと握り、短い握手を終わらせる。

 次にオレンジ色の髪を持つポリーナに手を差し出す。

 レジーナの方を見て少しだけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに一歩前へ出てポリーナはソフィアの手を取る。

 また軽く握り、すぐに栗色の髪を持つアレーナへと手を差し出す。

 やはり不思議そうな顔をするアレーナだが、今度はソフィアが一歩前へ出て握手をする。


 全員と握手をし、ソフィアの思惑は達成できた。

 だから最後に、と一歩引いて、お辞儀をする。


「ではレジーナさん、ポリーナさん、アレーナさん。また明日」


 そう言って、レジーナたちに背を向けて教室を出る。






 教室を背凭せもたれにし、腕を組んで教室内の状況を監視し続けていた葵は、話し合いが終わったのを確認してドアの前で待つ。

 スライド式のドアを開けてソフィアが現れ、その表情を見て目的は達成したのだと確信する。


「お待たせしました」

「大丈夫ですよ。では行きましょうか」


 ソフィアを連れ、来た道を引き返す。

 今日はナディアの“転移”による送迎ではなく、馬車による送迎だ。

 ナディアが例の頭痛で動くのが大変という理由と、その状況下で共和国にいるラティーフを呼んできてくれたということを鑑みて今日の送迎は見送りとなった。

 時短の為の“転移”だが、ナディアの体調は最優先なので一刻を争う状況でもない限り無茶をさせるつもりはない。


「外で視てましたけど、握手だけで本当に終わりますかね?」

「そこまで把握されているなんて、流石ですね」

「止まってた時に同じことやってたじゃないですか」


 自分のことを忘れてるんじゃないか、という指摘を笑みで躱される。

 だがそれは謙遜や自身の無さからくる消極的なものではなく、純粋に葵に技量を褒めるものだと言葉の端から伝わってきたのでそれ以上の追及はしない。


「気づいていらっしゃるかもしれませんが、あの戦いでどうやら“恩寵”が開花したみたいで、それを使ったので問題ないと思います」

「“恩寵”……。あの意識を繋げるやつですか?」

「そうです」


 ソフィアはそう言って、葵の手へおもむろに自らの手を触れさせる。

 細く整った綺麗な手が葵に触れた瞬間、あの戦いのときと同じ、ソフィアの思考や瞳に映るものなど、ソフィアが感じているものの全てが共有される感覚が葵の中に現れる。

 ソフィアが手を離すと次第にそれは薄れていき、十秒もしないうちにその感覚はなくなった。


「なるほど。それを使ってソフィアさんの意思を彼女たちに伝えた、と」

「はい。なので、私の気持ちは伝わったものと考えてよいでしょう」


 ソフィアはそう言って微笑んだ。

 確かに、ソフィアの心が直接伝えられるならそれだけで十分とは言える。

 ソフィアの目的はレジーナたちと仲直りをすることではなく、ソフィアの交戦の意思はない旨を伝えることなのだから。


「それでも、レジーナさんたちがどうするのかは別の話ですけれど」

「……きっと、大丈夫だと思いますよ」


 根拠はないですけどね、と少し申し訳なさそうに笑って言う。

 だけど、レジーナたちも人間だ。

 ソフィアの心が伝わったのなら、もうこれ以上、悪化することはないだろう。

 それにもし悪化しようものなら、葵が止めればいいだけの話だ。


「……そうですね」

「そうです。あ、それはそうと、今ソフィアさんは“恩寵”を使うときに手に触れましたが、あの時は触れてなかったですよね? 何か条件とかあるんですか?」

「まだ詳しくはわかっていませんが、おそらくは信頼関係が関わっているのではないかと」

「信頼関係ですか?」

「そうです」


 ソフィアは両手を肩の高さまで上げて、それぞれ人差し指を立てる。

 その内、右手の人差し指を少し上げ、視線を誘導する。


「まず葵様や父上、両師団長や私を育ててくれたメイドや執事の皆さんは、手に触れずとも私の感覚を共有できました。私と仲が良く、よくお話ししたりする方たちです」

「なるほど」


 葵が頷くのを見て、右の人差し指を下げ、反対に左の人差し指を上げる。


「ですが、私とあまり関わりのない侍女の皆さんや、数回しか話したことのない召喚者の方々とは、感覚の共有はできませんでした」

「だから、信頼関係が重要だと」

「はい」


 その説明に納得する。

 感覚の共有という能力があって、それに制限があるとするのなら、信頼関係という線引きはとてもよく納得できる。


「では先ほど俺の手に触れたのはどうしてか、聞いてもいいですか?」

「……」


 葵の質問に、ソフィアは無言になる。

 かと思えば、急に立ち止まった。


「……あの、ソフィアさん?」


 何か不味いことを言ったかもしれない、と必死に頭を回転させて該当する言葉を探す。

 しかし考えても答えは出ない。

 そもそも質問の文自体が短めなので、表層ばかりを見ていては答えは得られない。


「……は鈍感ですね?」

「えっ? あいや、そんなことはないと思いますけど……」

「いいえ、鈍感です。私の気持ちは言葉にしていますから」


 なんだ気持ちって! と困惑しながら、必死に頭を回す。

 流石に、アニメやゲームの知識でも女性の機嫌を損ねることの怖さは知っている。

 というか、結愛を通してそれは随分と昔から体験という形で知っている。

 懸命に頭を回し、ようやく一つの答えに辿り着く。


「あっ。もしかしてレジーナさんたちと話すのに不安で緊張して、それで人肌の温かさが恋しくなった、とか」


 どうだ、とでも言わんばかりの笑みで導き出した解を述べた。

 それを受け、ソフィアは少し悩む素振りを見せる。


「……いいでしょう。正解です」

「百点満点ではなさそうですね……?」

「違いますね。ですけど、ご自身の気持ちにすら気が付かないと言うことを鑑みれば、満点で良いかもしれませんね」


 棘のある言い方を聞き、まだ間違っている! と新たな解を探すための頭を悩ませる。

 ソフィアは必死になっている葵を見て、クスリと笑う。

 馬鹿にしたような笑いではなく、仕方がないなぁと言うような笑いだ。


「葵様」


 気が付けば、もう馬車が見える昇降口まで来ていた。

 視線の先にはオレンジ色の夕焼けを作り出している太陽があり、それを背にしてソフィアが葵の方を向いている。

 若干の眩しさを感じるが、目を閉じるほどではない。


「この度は、本当にありがとうございました。葵様のおかげで、私は無事に帰って来られました」


 首輪を外し、深海を彷彿とさせる青色の髪は金髪へ、髪色と同じ瞳は翡翠へと戻る。

 いくら放課後で人気がないからと言って、これまで隠し続けてきた正体をばらすことになりかねない行動を見て驚く葵を他所に、葵の瞳を強い意志を込めた翡翠色の瞳で見据える。


「きっと『当たり前のことをした』や、『ラディナの為』と言って謙遜されるでしょうけれど、葵様のおかげで助けられたのは事実です。なので、しっかりとお礼を言わせてください」


 深々とお辞儀をし、最大の礼を言葉と体で体現する。

 牽制されているからいつもの謙遜ができずに少し困る。

 だけど、礼に対しての選択肢など限られている。


「こちらこそ――」


 葵の言葉を聞いて、ソフィアが顔を上げる。

 その翠眼を見据えて、心から思っていることを口にする。


「――ソフィアさんが無事でよかった」


 葵の言葉を聞いて、ソフィアは驚きを表情に灯す。

 だけど、すぐに俯き瞼を閉じて、胸の前で両手を合わせる。

 葵の言葉を噛み締めるようにして、合わせた手をギュッと抱き寄せる。

 ほんの数秒だけそうして、顔を上げ、葵の顔を見て、嬉しそうに微笑んだ。



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