第四章 【修行】編

第一話 【やるべきこと】




 アルペナム王国の首都アルメディナトにある組合の三階。

 執務に重きを置き、一応の接客もできる程度の装飾がなされた簡素な部屋で、葵は身長の高い、モヤシやゴボウと言ったひょろ長いと言われそうな濃い茶髪の男性と、ローテーブルを挟んで対面していた。


「――なるほどな。つまり綾乃くんは、魔人と邂逅し、激しい戦闘の末に敗北した。その際に、側付きのラディナくんと、銀狼の唯一の生き残りであるソウファくん、そして人語を喋る梟の魔獣のアフィくんを連れ去られた、と」


 葵の説明を何も言わずに黙って聞きこんでいた、彼は葵の言葉を咀嚼するようにして纏めた。


「その通りです。マンドゥさん」

「それは承知した。では本題に入ろう。王国の首都で組合長を務める私にお願いしたいこと、というのは何かな?」


 品定めでもするように、マンドゥは葵の瞳をジッと見つめる。

 普段は覇気のないぼんやりとした目をしていて、目の下にはクマを携えているという無気力を体現しているような雰囲気をしているのに、今の葵を見据える瞳は鋭く、別人なのではないかと錯覚させるほどだ。

 しかし、葵は動じない。

 そもそもこれは無からの提案ではなく、マンドゥからの提案を受け入れることなため、動じる必要がない。


「俺がマンドゥさんにお願いしたいことは一つです。前ここにお邪魔したときに言ってくれた、学院への入学を希望します」

「それは歓迎するが……いいのかい? まだ板垣くんは見つかっていないのだろう?」


 嬉しさと不安をありありと表にだして、マンドゥは問いかける。

 葵にとっても、懸念がないわけじゃない。

 でも、やる。

 ラディナやソウファやアフィを失った代わりに結愛を助けたところで、結愛は心から喜べないだろうし、何より葵自身がそれを許容できない。

 葵の身勝手で結愛の代わりを務めさせたラディナという、大切にされている人を。

 葵にとっての心の支柱を奪った魔人やつらを、純粋に許すことができない。


「大丈夫です。今の俺には、殺す為の手段を教えてくれる人がいるんです。だから、大丈夫です」

「……そうか。わかった。私の方で手続きをしておこう。早くとも数日はかかるだろうが、手続きが終わり入学ができるようになり次第、こちらから連絡を取る」

「お願いします」


 その後、魔人との戦いの詳細や特徴、戦い方など、魔人たちへの対策を少しでも取りやすくするために情報を提供した。

 相変わらず賑やかな酒場を通り組合を出て、待機してもらっていたナディアと合流する。


「中で待っててくれてもよかったのに……外、寒くなかったですか?」

「大丈夫」

「そうですか。……改めて聞きますけど、俺はこれから、師匠を扱き使うことになります。今まで以上に、に負担をかけることになります。それでも師匠は、俺の師でいてくれますか?」


 人気のない路地裏に足を運びつつ、葵は問いかける。

 ナディアの金色の瞳を見据え、真剣に。


「私との目的は一致してる。だから葵を手伝うよ」

「わかりました。改めて、これからもよろしくお願いします」


 ナディアに手を差し出し、そう伝える。

 差し出した葵の手を、剣士特有の鍛えられた手で握られ、次の目的の場所へ“転移”した。






 * * * * * * * * * *






 アルペナム王国には王立魔導学院という、武を学ぶ王立騎士学院と双璧を為す、魔術を専門的に学ぶための学校が存在する。

 必要最低限の知識と礼儀を身に着けていれば、幼い子供でも、年老いた老人でも、何なら人間ではなくとも入学が許される、少し変わった教育機関だ。

 規模と設備や教師の豊富さ、卒業後の進路などの観点から、魔術を学ぼうとしている人たちは必ず通ると言っても過言ではない学校だ。

 それは王国内に住む国民だけでなく、各国からも魔導学院へ入学し、その技術を磨こうとする人たちがたくさんいる。

 故にこの学院は、常にたくさんの学生が在籍しており、毎年五百人ほどの卒業生を輩出している。


 そんな学院に在籍するのは、一市民だけではない。

 深海をそのままインクにしたような、暗めの青い短髪を肩ほどまで垂らし、髪と似た色の瞳を持つ、少しおっとりとした表情の少女が三冊の本を手に持ち、王立学院の廊下を歩いていた。

 時期的に暑くなっているため、半袖を推奨している学院に従って、少女の健康さを表すような瑞々しい腕と脚を惜しげもなく晒す、半袖半ズボンの制服を見事に着こなしている。


 そんな少女は一人で少し騒がしい廊下をスタスタと歩き、ある教室に入る。

 そこのクラスで、魔術の素養が高い人たちの集められたクラスだ。

 尤も、少女はそのクラス内においてはあまり高い適性を持っているとは言い難い。

 を知る学長の情けでこのクラスに入れられたため、他の生徒たちからはあまりいい目では見られていない。

 尤も、いい目で見られていない理由は、それだけではない。

 少女の見た目が暗めであることも関係あるだろうが、それは些細なことだと言える。


「あら、さん。今日も重役出勤ね」

「おはようございます、レジーナさん。まだ始業前なので、重役出勤ではないと思いますけど……」


 深海色の髪を揺らし振り向いた先には、強気な目元に火を体現したかのような赤みがかったオレンジ色の髪色を持つ、レジーナと呼ばれた少女が立っていた。

 態度も目元と同じくらいに強気で、高圧的だ。

 背後には、栗色の髪色を持つ細身の少女と、明るいオレンジ色の髪色を持つ同い年の少女を連れている。

 その様子を葵が見れば、自分の気に入らない邪魔者を排除せんとする嫌味な悪女キャラのそれだ、と内心で思うに違いない光景だ。

 悪女キャラ筆頭のレジーナは、ソフィアの返答にフンっと顎を上げ、見下すようにしてキツイ言葉を投げつける。


「このクラスで最底辺の実力しか持っていないのに、毎日毎日始業直前に来るなんて、どうかしている、と心配してあげているのよ」

「そうなんですね。私のことを気遣ってくださり、ありがとうございます。明日から気を付けますね」

「……第二王女様と同じ名前だからって調子に乗らないで」


 最後、小さく放たれた言葉は、しっかりとソフィアの耳に届いていた。

 そんなことも他所に、レジーナたちは去っていき、指定された席へと腰を下ろす。

 このクラスにおけるボス的な立ち位置にいるレジーナたちがソフィアに構わなくなったことで、自然と集まっていた視線やら何やらが消えていくのを肌身で感じる。

 ともあれ、今日はこの先、レジーナたちと授業が被ることがない。

 ソフィアとレジーナの専攻する学科が違う日は、朝のこの時間を耐えるだけで済むが楽な点だ。


 レジーナたちが席に戻り数分後、教室の前の扉がガラッと開き、担任が入ってくる。

 そこで教室内がにわかに騒がしくなった。

 その理由は、担任が制服姿の見慣れない少年を後ろに侍らせているからだ。


「皆、おはよう。俺が見知らぬ人を連れてきた時点でわかっていると思うが、今日はこの時期には珍しい転入生を紹介する。さ、自己紹介を」


 担任の言葉に頷き、黒髪の少年は一歩前に出て、丁寧な所作でお辞儀する。

 そして、しっかりと教室内を見回して、呼吸を挟み、爽やかな笑みを浮かべて口を開いた。


「初めまして。組合長の推薦枠でこの学院へ転入してきました、ブルーと言います。魔術適正は風のみですが、“魔力操作”に関する技術は高いものだと自負しています。この学院へは自身の足りない魔術適正を補う術を学びに来ました。よろしくお願いしたします」


 少年の挨拶に、少しだけ教室が沸く。

 何せ、普段は滅多に起こらないイベントが起こり、しかもそのイベントが転校生イベントで、しかも転入してきたのが爽やかタイプのイケメンだからだ。

 男性はあまりいい顔をしていなかったが、女子たちの盛り上がりに呑まれ、そんなことは気にも留められていない。


「ブルーくんは言った通り、少ない魔術適正を補うための術を探しにこの学院へと来ている。所属はこのクラスだが、特殊生徒として自由行動が認められているため、君たちと同じ学習過程ではないことを認識していてくれ」


 担任の男性の言葉に、一部では残念そうな顔をした女子たちが居たり、反対に男子たちはなぜか見下すような態度を取ったり、あるいは特殊生徒という珍しい言葉に何とも言えない視線を向ける人が居たりと、反応は様々だった。

 しかしどの反応をとっても、拒絶の反応はないように思える。


 その後、担任の今週の大まかな説明を受けてから、各々授業へ向かうようにと指示があり、解散となった。

 解散後、転入生が来たとあれば必ずと言っていいほど起こるであろうイベントの一つ、転入生の周りに人が集まるが発生し、ブルーの周りに主に女子たちの人だかりができた。

 どこの国出身? や趣味はある? などのありきたりな質問から、好きなタイプは? や彼女はいるの? などのちょっと踏み込んだ質問などが四方八方からブルーを襲った。

 それに嫌悪感を感じさせない困ったような笑みを浮かべる。


「俺の詳しいことはまた今度お話ししますので、今は授業に向かった方がいいのではないですか?」


 時間大丈夫です? と時計を見ながらブルーが言った。

 それに対し、周りに集まっていた女子たちは残念そうな顔をしながら、渋々と言った様子で解散していった。


「ブルーさんは今日は授業を受けますか?」


 それぞれの授業場所へと向かう中、短髪の赤い髪をなびかせ、一人の女子が振り向いた。

 快活そうで、強気な目元は、良くも悪くも印象に残る。

 これが味方サイドならとても頼りになるキャラで、敵サイドなら少し面倒そうな印象がある。

 二人の取り巻きっぽい人を侍らせているから、後者のような気がするなぁ、と考えつつ、期待を込めた眼差しでブルーを見る彼女の言葉に、内心を悟らせない爽やかな笑顔で答える。


「ええ。自分は魔術適正が風しかないので、それを補えるかもしれない魔術陣の授業を覗いてみようかと思います」

「魔術陣の授業を受けてる人は――」


 赤い髪の女子はブルーの返事を聞いて考えを巡らし、その授業を受けるクラスメイトを探し出す。

 思い当たる人物がいたのか、赤い髪の女子が振り向く。

 その視線の先には暗い青色の髪を持った女子がおり、赤い髪の女子はなぜか嫌そうな顔をしている。


「……あの、何かありましたか?」

「いいえ、何でもありません。私は残念ながら授業が違いますので、これで失礼しますね。また明日」

「あ、はい。また明日」


 丁寧な所作で挨拶をしてくれた女子に、ブルーも同じく挨拶を返す。

 そして、先ほど振り向いた先にいた暗い青色の髪を持つ女子の方へ睨みつけるような視線を向けた。

 ブルーが得意とする観察眼を以ってしても見逃しかけたほどの小さな睨みだったので、もしかしたら先ほどの考えの後者な可能性が高い。

 そうこうしている間に、クラスメイトが授業へ向かうために教室から人がいなくなる。

 “魔力感知”で近くに人が少ないことを再確認してから、暗い髪の女子の元へと足を運ぶ。


「お待たせしました、ソフィアさん」

「大丈夫ですよ、。それでは、授業に行きましょうか」






 青色の髪を持つ二冊の本を携えた少女と、その髪色を指し示す言葉を偽名に持つ少年が、魔導学院の廊下を歩く。

 この学院は人が多く、少年が今日転校してきたばかりの転入生だとは誰も気が付かないだろう。

 だが二人は、他の学院生の目を引いた。

 理由は青色の髪を持つ少女の名前が、この国の、それも現代において、良くも悪くも目立つからだ。

 よく目立ち、それゆえに普段は一人でいることの多い少女が、珍しく人を、それも異性を連れているとなれば、いつも以上に目立ち、注目を集めるのは仕方がないと言えるだろう。


「魔導学院へと入学すると聞いたときは驚きと同時に納得もしたのですが、まさか私のいるクラスに編入されるとは思ってもみませんでした」

「この町の組合長がラティーフさんと知り合いだったみたいで、そのコネを使って少し優遇してもらいました。もちろん、入学するための試験は実力で突破しましたよ?」

「それは疑っていませんよ。葵様がズルをする人間でないことくらい、私でもわかりますから」


 ソフィアのさも当たり前かのように褒められ、他人が葵のことをそこまで褒めると言う最早いつ以来かわからない貴重な体験をし、少しだけ気恥ずかしさを覚える。

 そんな葵の心情には気づかず、ソフィアは思い立ったようにして疑問の表情を浮かべた。


「そう言えば葵様。一つお聞きしたいのですが」

「どうぞ」

から一週間ほど、王城で姿を見かけませんでしたけど、例の作戦の準備などをしておられたんですか?」

「ああ、そう言えば言ってなかったっけ」


 協力してくれる人に事情を説明しないなんて何やってんだか、と内心で自虐し、何から話そうか、と頭の中で整理する。

 結果、ソフィアに隠すようなことは何一つないと判断し、時系列順に話すことにした。


「ソフィアさんにお願いをしたあとから話すね?」

「はい」

「まず俺は、組合長のアンドゥさんにこの学院へ入学するための手続きをお願いした。次にラディナの義母ははおやのところに言って、何があったのかを説明した」

「カミラさんは何か言っていらっしゃいましたか?」

「……うん。『葵さんは自分を責めないでください。そんなことは、ラディナも望んでいないだろうから』って」

「……それだけ、ですか?」

「それだけだよ」


 拳を握り締め、その時を思い出す。

 ラディナを守ると言う誓いを果たせなかったのに、カミラは葵を責めなかった。

 失態を犯したのは葵で、ラディナは全力を出してくれたのに、だ。


 葵は自分が手を汚すことが怖くて、魔人を殺すことができなかった。

 自分ではない誰かが、自分の体を動かしているのを、葵は知っていた。

 ソイツの力が凄まじく、魔人たちを圧倒していたことも知っていた。

 自分では引き出せない力を引き出して、魔人たちを何度も殺せていたはずなのだ。

 なのに、ソイツに呑まれてはいけないと、意識をギリギリで保っていたせいで、葵という人を殺せない部分が体に作用してしまった。

 結果、魔人たちを取り逃がし、挙句ラディナとソウファとアフィを連れていかれた。


 全責任は葵にあるし、そのことをカミラに説明もした。

 なのにカミラは葵に文句ひとつ言わず、葵を擁護さえしてくれた。


「実力もな覚悟も足りなかったから、ラディナたちを連れていかれた。だから、今の俺にあるものを底上げして、ないものを獲得するためにここに来た。誰の力も借りずに、俺だけで完結できるように」


 ソフィアは葵の瞳をジッと見て、何か言いたげな表情になったが、結局は何も言わなかった。

 そして悩みでも払うように頭を振って、明るさを作って葵の方を向いた。


「すみません。続きをお願いします」

「そうだった。えっと、そのあとは共和国に行って、刀の解析を頼んで、その合間にラティーフさんに事情を説明したって感じかな」

「やはりナディア様は凄い方ですね」


 ソフィアの評価に、葵は本当にね、と頷く。

 ナディアがいてくれるお陰で、本来使わなければいけなかった移動時間を大幅に短縮できている。

 もちろん、魔力量を超える転移は出来ないという制限はあるが、言ってしまえばそれさえ超えなければ実質制限がない。

 そしてエルフであるナディアは魔力保有量も、魔力の回復する速さも、人のそれより遥かに高い。

 距離だけで言えば最南西に位置する神聖国から最北西に位置する共和国まで飛べるそうだが、転移後の安全も考えるとやはり一国間が実質的な最大距離と言える。

 尤も、一国間を転移した魔力は、一晩も休めば全回復するらしい。

 葵が“魔力操作”の鍛錬で副次的に得た魔力回復速度の速さという技能よりも、より高性能だ。

 今の葵がナディアに勝てることと言えば、本で得た人間と人間に関する知識と、初代勇者と同等とまで言われる“魔力操作”、そして小学五年の時からやっている体術くらいだ。

 尤も、体術の方は刀を教えて貰う代わりに教えているので、いつかは追いつかれる可能性もある。


「ラティーフさんへの報告の後は、公国の片隅で暮らす鬼人族のところに行って、秘伝を教えて貰ってる」

「鬼人族……ですか。その秘伝というのは、伝承にもある初代勇者とも対等に渡り合ったとされる、ツノを使ったと呼ばれる技術のことでしょうか?」

「さすがソフィアさん。正解」

「しかし、鬼闘法はツノがなければ成立しない技術だと聞いていますよ?」


 ソフィアの質問は尤もだ。

 事実、葵も少し前まではそうだと思っていた。

 しかしナディアから聞いた話によると、それは間違っていないが、正しくないということを知った。

 鬼人族の持つツノというものは、魔物で言うところの魔石と同じで、大気中の魔素を吸収し、魔力へと変換する機能を持つ器官のことだ。

 人間は食事により魔素を取り込み、そこで魔力へと変換することができるが、あくまでそれは少量ずつの話で、魔物の魔石や鬼闘法のように、一瞬で大量の魔素を取り込めば、四肢爆散して死ぬか、耐えても魔人化する。

 故に、その器官を持ち、且つ知性があって、それを技術として扱えるのが鬼人族だけ、というだけの話だった。


「鬼闘法の原理は理解しました。ですが、やはり葵様でもそれは扱えないのではないでしょうか?」

「それも思った。じゃあやっぱり無理じゃないですか、ってナディアさんに言ったんだけど、ナディアさん曰く、俺はツノと同じ器官を持っているらしいんですよ」

「それって……?」


 ソフィアの疑問に、葵は自らの右手の甲をトントンと叩いて答えを示す。

 それに逡巡し、ソフィアはまさかと驚きの表情を見せた。


「魔紋がそうだと?」

「らしいです。ナディアさん曰く、片鱗は出会った時からあったそうなんですが、確証を得たのは魔人との戦闘後、俺が倒れているときだと言っていました。確かにあの時、俺は自分の魔力量じゃ到底補えないような魔術をめちゃくちゃに展開していましたし、納得できる部分もあるんですよ」

「……言われてみれば、あの時葵様は百近い魔術を一瞬で展開していましたね。体に支障ないのですか?」

「今のところは何も。今後どうなるかはわからないけど、例え人外になっても結愛を助け出してラディナを連れ戻すからそこは大丈夫ですよ」

「……人外にはならないでください。人類の敵になったら、召喚者を守ると言う約定があっても守り切れない可能性がありますから」


 ソフィアが真剣な表情で葵に語り掛ける。

 その言葉に不安が混じっていると、なぜか気が付き、葵は申し訳ない気持ちになる。

 事実をありのまま伝えるのは悪いことではないが、時には良くないこともある。

 それを知りながら未だに直せないのは良くないな、と自分を叱り、なるべく明るく答える。


「……うん。なるべく努力するよ」

「……はい。お願いします」

「んじゃ、話を戻す――って言っても、もう話は終わりなんだよね。鬼人族の長と鬼闘法を教わることを許可してもらって……ああ、刀の解析を待ってる間に、ダンジョンの一層をクリアしたくらいかな」

「ダンジョン……どのようなものでしたか?」

「そうだな……戦いやすかったかな。足場は整備されてるし、出てくる魔物や魔獣のレベルもそこまで高くなかった。それに、“魔力探査”でダンジョン内の構造は把握出来ちゃったから、正直に言うと余裕だった。自然だと魔力が拡散したり、地面やら壁やらに吸収されるからこうはいかないんだけどね」


 平原で“魔力探査”と使ったときは、最大で一キロほどまでしか届かなかったが、ダンジョン内だとその全貌が把握できた。

 壁や天井や地面が魔力を吸収しづらい素材なのか、明らかに一キロ以上ある広大なダンジョン内を丸裸にできてしまった。

 尤も、そんな情報量を一瞬で処理できるほどの処理能力がないので、魔力量を半分にして得られる情報量を抑えてマッピングをしながら、なるべく効率的にダンジョンを進んでいった。


「では、あまりいい経験はできなかったのですか?」

「そんなことはないかな。魔力を拳に纏わせて、打撃と同時に炸裂させることで、体内にダメージを与えるって攻撃方法を会得したし」

「魔力を拳に纏わせる、ですか」


 ソフィアは葵の説明を聞いて、歩きながら早速実践しようとする。

 前にもラディナも似たようなことをしていた覚えがあるので、血なのかな、と少し感慨に耽る。


「あ、こんなところでやるのはいけませんね」

「確かに。王城に戻ったら試してみましょうか」

「そうですね。それにしてもナディア様はやはり凄いお方ですね。鬼人族とも知り合いなんて」

「なんでも、エルフは長命種だからか知識や経験の収集が好きな人や、研究が好きな人が多いらしくて、その影響で良くも悪くもいろんな所に繋がりがあるらしいですよ」

「そうなのですね。自身の無知を恥じるばかりです」

「仕方ないですよ。初代勇者が関係を戻した種族以外、人間は他種族と仲が悪いですから」

「そうですね……。ですが鬼人族は公国の人々との交流があるので、葵様の鍛錬に問題はなさそうですね――あ、ここです」


 ちょっと行き過ぎた葵を止め、ソフィアが目の前にある教室の前で立ち止まる。

 先ほどHRを行った教室よりも、一回りも二回りも小さい教室だ。


「そう言えば、魔術陣の授業を履修している人は少ないんでしたね」

「ええ。授業を履修する人数に応じて教室の大きさは決まりますから仕方のないことです。魔術を使える人は、敢えて手間の掛かる魔術陣を習う必要はないですからね」

「刻印魔術を会得しようとしているのなら話は別でしょうけど、刻印魔術よりも付与の恩寵やパッシブマジックの方が実用的ですからね」

「ええ。その通りです」


 哀愁漂う、というほどではないが、少し悲しそうな顔をしながら、ソフィアは教室のスライド式のドアを開ける。

 構造自体はHRをした教室とさほど変わらない。

 前に黒板があり、段々の長椅子と机がある。

 そしてその長椅子の中央最前列に、教科書やノートと言った授業を受ける装備を完璧に整え、予習か復習をしている一人の少女が座っていた。

 授業五分前に完璧な体制で待っている少女は、見た目はとても大人びているが、少女の年齢は八歳であることを、葵は知っている。


「ライラちゃん。お久しぶり」

「あ! 葵さん! どうしてここに? いつ共和国から?」

「つい最近ね。ちょっと事情があって。ムラトさんたちはまだ共和国にいるから……その、ごめんね」


 少しバツが悪い顔で告げる。


「いえ、大丈夫です。お父さんは今大切なことをしているので、少しくらいなら我慢できます」


 それを受けたライラは少し残念そうな表情にこそなったが、大人な対応をした。

 それを見て、葵の心がさらにキュッとなる。


「葵様。ライラさんとお知り合いなのですか?」

「あ、はい。共和国に行く前に、協力してくれる組合員の方たちが居まして。その内の一人の娘さんです」

「そうなのですね。でもよかったです。授業は私とライラさん、そして講師のカナさんの三人しかいないので――」

「えっ、三人しかいないんですか?」

「言っていませんでしたか? 生徒は私とライラさんの二人だけです」


 驚きの情報を聞かされ、葵は少し固まる。

 確かに魔術陣は人気がなく人が少ないと聞いていたが、片手で足りるなんて思うわけがない。

 ましてや三十人くらいははいるであろう教室に対し、講師含めて三人しかいないと言う事実には、やはり驚きの声しか出ない。


「ですが、悪いことだけではありませんよ。生徒の人数が少ないということは、それだけ身近で教育を受けられるので」

「……なるほど?」


 擁護できているのかいないのか分かり辛いフォローに、首を傾げながらも納得する。

 そうこうしているうちに授業開始の鐘が鳴った。

 教室のすぐ外に人の魔力を感じるから、もうすぐにでも講師の先生が教室に入ってくるだろう。


「あ、ライラちゃん。俺はこの学院ではブルーって偽名を使ってるから、出来れば葵じゃなくてそっちで呼んでくれると嬉しい」

「? うん、わかった」


 なんでそんなことをしているんだろう、と言いたげな疑問の表情を浮かべたが、とりあえず納得はしてくれたようだ。

 それを確認して、葵はライラの隣へ席を取る。

 その隣へソフィアが座ったため、両手に花の状態になってしまった。

 ライラは魔術陣の研究で一目置かれている人物の弟子みたいなことを言っていた覚えがあるので、普通に教えて貰えたらいいなと思っていたのだが、隣にソフィアが来るのは想定外だった。

 今からでも席を変えようか、と悩んでいるうちに、教室の扉がスライドし、女性の講師が入室してきた。

 眼鏡をかけ、ボサボサとした手入れのされていない長い黒髪をそのままにし、白衣に身を包んでいる如何にも研究以外に興味はありません、と体現しているような女性だ。


「あっ……あなたが今日からこの授業を受けるブルーさんですね?」

「はい、そうです、けど……大丈夫ですか?」


 そんな女性は、葵を見るや否や少し怯えるようにして後退る。

 何かあったのか、と心配する葵を他所に、女性はしどろもどろになりながら教卓の前に向かう。


「だ、大丈夫です。ちょ、ちょっと男性にトラウマがあるだけなので……では、授業を始めます」


 本当に大丈夫か、と心配のみが募る葵を他所に、始めての授業が始まった。



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