第十二話 【共和国での一週間】
コージを総理辞任の危機から救ってから、一週間が経過した。
その間に、色々なことをして回った。
まず最初に行ったのは刀の訓練だ。
ナディアとの地道な型の訓練から始まり、隣ではラディナが弓を教わっている。
刀のイロハを知らない葵は文字通りゼロからのスタートだったが、ラディナは弓を扱うだけあって土台は出来ていたようで、葵より先に実践訓練を積んでいて少しだけ羨ましかった。
だが技術を盗む才能はあるので、ものの数日でナディアが提示する前提まで辿り着き、共和国にあるダンジョンでラディナとペアを組み実践訓練に励んだ。
その過程でこの国に来ていた翔や日菜子たち戦う召喚者組とその引率のラティーフを見かけたが、つい先日、コージを助けるためとはいえ国中に放映された映像の渦中に居たわけなので、もしそれを見られていていじられでもしたら面倒だから、と会うことは避けた。
次に、コージとユウコ、そしてコージの妻でユウコの母のスズネから、直々に国会でのことを感謝された。
コージ曰く、葵が色々と大立ち回りする前と後では、議場で働く人たちの雰囲気というか、態度というか、そう言った曖昧なものが改善しているように見えるとのことだった。
それは自分たちが初代勇者を崇拝していたことに由来するのかは定かではないが、とにかく国はどんどんと良くなっていくだろうとのことだった。
葵としては、コージを助け、コージにしてもらった恩を返し、ユウコの願いを叶えたので満足なので、特に不満はなかった。
むしろ、今後持っておくと為になるよ、とコインホルダーなるものを渡されたので、また借りができてしまったくらいだ。
他には、ダンジョン内でばったり出会ったムラトたちと少し会話をした。
結愛の方は他の国も含め進展はないが、ムラトたちの実力的な面ではかなりのレベルアップを果たしているらしい。
葵たちのおかげだ、と背中をバンバンと叩かれてそう言われたが、その域に至るために努力したのはムラトたちで、その補助をしただけにすぎない、と言うと、お前の補助がなけりゃここまで来れなかったんだから、素直に感謝されてればいいんだよ、と諭された。
確かに、葵がムラトたちの立場だったら同じことを言っているので、その通りだと頷いて素直に感謝されておいた。
そして、結愛に関することで忘れてはならないこともある。
記憶に齟齬があったカオルから話を聞くことだ。
尤も、こちらは進展なしだった。
依然として曖昧な記憶はそのままで、やはり一年前の出来事は思い出せないようだった。
だが日常生活に支障がない程度には記憶が戻ってきているらしいので、もう少し時間をかけたら一年前のことも思い出せるかもしれない。
なので、こちらはもう少しだけ気長に待つことにした。
最後、葵の為の刀についてだが、こちらは予定よりも時間がかかるとのことで、一週間だけ待って欲しいと言われた。
こだわりがあるのか、あるいは単純に作業が難航しているのか。
ともあれ、それを言われたために、葵はこの国での滞在時間を伸ばした。
ナディアの“空間転移”を使えば王国まで一瞬で行けるのだが、ナディアにかかる負荷やダンジョンを使った実践などを鑑みて、そんなことはせずに一週間このまま滞在し続ける方がいいだろうとの結論だ。
そして、今日がその日だ。
事前に、お世話になったところへとあいさつ回りを済ませたために、夕方に近い時間になったが、楽しみは取っておくとより楽しさが増すのでいいスパイスになったと思っておく。
今まで訓練用の刀を使っていたが、ようやく自分に合わせてカスタマイズしてくれた刀が手に入るのだと思うと、不思議とワクワクしてくる。
意気揚々と、武防具店の戸を開く。
「あ、葵さん! いらっしゃいませ!」
「どうもです、ユウコさん。ケンジさんは工房ですか?」
「はいっ! 昨日、ナージャさんの刀に負けないくらいの名刀が打てた! と喜んでいたので、相当な逸品ができたと思いますよ!」
「それは楽しみですね」
店番のユウコと別れて、葵は工房へ向かう。
階段を下っている間、家にいてももうマスコミなどに騒がれる心配はないのに、なんでまだユウコがここにいるのか疑問に思ったが、まだバイトとしてここにいるのか、と結論付けて工房への暖簾をくぐる。
暴力的な熱風と圧迫感の暑さを久しぶりに感じる。
と言っても一週間ぶりなのだが。
「お久しぶりです。ケンジさんはどこに?」
葵の挨拶に、ケンジの元で働く鍛冶師の皆さんは浮かない顔で一点を指さした。
そこは、葵が武器を選ぶ際に使った台のある暖簾だった。
そこにいるのはともかく、鍛冶師の全員が浮かない顔をしているのが気になったが、とりあえず、礼を言って暖簾をくぐる。
そこには、腰当たりの高さの机に両手をつき、項垂れているケンジの姿があった。
そのすぐ傍には、布に包まれた細長い何かが置いてある。
「どうも、一週間ぶりです、ケンジさん」
「……ああ、あんちゃんか。すまんな、出迎え出来なくて」
人が近くに来たことにすら気が付かないほど落ち込んでいるのだろうか、と心配になりながら、先ほどの鍛冶師の表情と似たようなものを感じ取ったので、少し不安になりながらも訊ねる。
「……何かあったんですか? 向こうの方たちも少し悲しげな顔してましたけど」
葵の言葉に、ケンジは少し悩む様子を見せたが、すぐに頭を振って葵を体の正面で捉えると、バッと頭を下げた。
その意図がわからず困惑する葵を他所に、ケンジは口早に捲し立てる。
「すまん! あんちゃんの刀、まだ打ててないんだ! 俺の都合で一週間待ってもらったのに、本当にすまない!」
「……ああ、そんなことですか。大丈夫ですよ。時間があるとは言えないですけど、まだ暫くは待てますから、気にしないでください」
「そうじゃない……そうじゃないんだ」
「? というと?」
葵の疑問に、ケンジは机の上に置いてあった布を巻いた何かを持ち上げ、その布を取り払う。
すると、出てきたのはこれといった特徴のない一振りの刀だった。
反りのある鋼色の刀身は、葵の記憶にあるまんまの日本刀を彷彿とさせ、葵がこの一週間と少しでナディアに鍛えてもらった斬ることに重きを置いた戦い方と相性の良さそうな刀だ。
「あれ? でも刀は完成してないって」
「……一から説明する。とりあえず、座ってくれ」
促されるままに葵たちは椅子へ座る。
長時間座っていればお尻を痛めそうな硬い椅子だが、立ちっぱなしよりはマシだろう。
「まず、先週あんちゃんが来た時、その時は順調とはいかなかったけど、上手く作れてたんだ。それこそ、俺史上最高傑作で、イワダテ武防具店の初代鍛冶師であり、俺の先祖に当たるケンヤと遜色ないくらいの逸品が打ててたという自負があった」
「ええ。一週間前も聞きましたし、さっきユウコさんからも「ケンジさんが師匠の刀に負けないくらいの逸品が打てた」と言っていましたし」
「師匠じゃない」
「そう。昨日まではよかったんだ。というか、一度完成し、今日あんちゃんに渡してドヤ顔する予定で居たんだ。どうだ、凄いのが打てただろ、って。でも、予想外があったんだ」
「それが未完成の原因?」
そうだ、とケンジは頷いて、先ほど布を取り払った何の変哲もない日本刀に目を向ける。
それに釣られ、葵たちもその刀に視線を送る。
「この刀は、初代鍛冶師のケンヤさんが打った、最高の硬度を誇る刀で、この刀と己の作った刀を打ち合わせて、その完成度を測るってのが習わしみたいなもんなんだ」
「……もしかして、その刀に打ち付けたせいで打っていた刀が折れた、とか?」
それなら、あの場の鍛冶師全員が浮かない顔をしていたのも納得できる。
何せ、最高傑作を謳う刀を習わしに従って最硬の刀にぶつけたら壊れてしまったのだから、どんな顔をしていいかわからず困惑しているだろうから。
しかし、ケンジは葵の言葉を否定するように首を横に振った。
「俺の打った刀は正真正銘、過去最高の代物だった。俺の打った刀がこいつを一刀両断したんだからな」
少し元気を取り戻したように、ケンジはニカッとした笑いを見せる。
だがそれもすぐに勢いを失い、まだ悲しい顔になる。
「だけどな、予想外が起こったんだ。この刀は、最高の硬度を誇る刀だが、同時にもう一つだけ、能力を持っているんだ」
「魔剣とか、聖剣とかの刀バージョンってことですか?」
「そう考えてくれていい。こいつの能力は、打ち合った武器を吸収するという能力だ」
「……武器を吸収する? それって打ち合いじゃ負けないじゃないですか」
何せ、この刀を刀身をぶつけようもんなら、問答無用でこの刀が吸い取るのだ。
その瞬間、相手は武器を失い、こちらが一瞬でアドバンテージを得るのだから。
「武器を吸収すると言っても、無機物でないと不可能だ。大きすぎても、人や生物が触れている武器に関しても吸収できない。あと無機物なら武器でなくとも吸収は可能だそうだ。周囲の魔素を吸って欠けた刀身でも復元するって機能も付いているが、これはオマケだそうだがな」
「なるほど。だから両断したのに刀身が欠けなくあるんですね。にしても、相当強い能力を持っていることに違いはないですよね。……あっ。もしかしてその刀に吸い込まれちゃったんですか?」
葵の言葉に、ケンジは深い溜息を吐いて項垂れた。
肯定の言葉はなくとも、葵の言葉が当たっているということを体で表現してくれた。
その様子に、いくらケンジの不注意だったとはいえ、可哀想な気持ちを覚える。
「いやな、予想外はそうじゃないんだ。俺が目を離した隙に刀同士がぶつかって吸収されました、なら俺の不注意です、すみませんでしたで済むんだ。でもそうじゃない。……こいつはな、俺が確かに握っていた刀を吸収したんだ」
ケンジの言葉に、葵はポカンとした表情になる。
先ほどのケンジの説明によれば、吸収できるのは無機物のみで、人や動物などの有機物が降れている場合は吸収されないとのことだったはずだ。
それなのに、この刀はケンジが持っていたはずの刀を吸収した。
破綻している。
「そうなるよな。俺も同じように唖然としたよ。聞いていた話を違うって。でも起こってしまったもんは変えたくても変えられない。だから、素直に謝ることにしたんだ。本当にすまない」
そう言って、ケンジはやはり頭を下げる。
自分の最高傑作が、誰にも予想できないような想定外によって消え去ったのに、ケンジは葵に謝った。
ケンジだって被害者なはずなのに、だ。
「大丈夫ですよ。ケンジさんの心が折れない限り、また刀は打てます。俺は待ってますから、今度こそ、そんな想定外に合わないように気を付けていればいいんです」
「あんちゃん……」
トゥンクとでも効果音が付きそうな場が作られた。
すぐにそれを悟り、その雰囲気を壊すためにひとまず話題をその刀に向けた。
「で、気になってたんですが、この刀、持ってみてもいいですか?」
「ああ。ただむやみやたらに見せびらかすなよ? その刀、昔は犯罪級の武器に指定されたんだから」
「なんで……ってそりゃそうか。無機物を吸収する刀なんて、危なっかしくて持ち歩くのは危険か」
「だから、工房の試し打ち用の刀になったんだろうな」
ケンジに許可を取って、その刀を手に取る。
当然ながら、金属でできた刀なのでずっしりと重い。
でも、これなら葵が練習で使ってた刀と大差ない。
不思議と、体に馴染むような感じすらある。
「ちょっと振ってみるから離れてね」
そう忠告して、体を少し斜めにし、片手で刀を上段に構える。
一呼吸おいて、この一週間ずっと続けてきた型を
ヒュッ、と小気味よい風切り音と少しの風圧を纏っていた。
「……凄くいいな、これ」
「うん。葵に合ってるよ、それ」
「あ、師匠もそう思いますか?」
「師匠じゃない。でも、思う」
葵の素振りを見て、ナディアは頷くようにして言った。
それを見て、葵は失礼だとは思いながらも、ケンジに提案する。
「ケンジさん。不躾で申し訳ないんですけど、もしよかったらこの刀を俺にくれませんか? お代はケンジさんが打ってくれた刀の分も払いますので」
「言っただろう? その刀は危険なんだ。俺が想定外に遭ったように、もしかしたら今後も何かあるかもしれん。無機物だけじゃ飽き足らず、有機物まで取り込み始めたりな。そしたら俺は、あんちゃんに対して責任を取れなくなる」
「構いません。この刀は、師匠も言っている通り、俺に合うみたいなんです」
師匠じゃない、と呟くナディアをスルーして、葵はそれに、と言葉を紡ぐ。
「それに、この刀はケンジさんの最高傑作が取り込まれているわけでしょ? だったら、この刀がケンジさんの打った刀と言っても過言じゃないと思いませんか?」
「……ハッ、言葉遊びが上手いな、あんちゃん。俺はあんちゃんの身に何が起ころうと、本当に責任を持てないぞ?」
「はい。百も承知でお願いしているんです」
ケンジは葵の瞳をじっと見つめる。
まるで、葵の真意を問いただすかのような、真剣な目で。
それに応えられるかどうかはわからないは、葵も同じく、真剣な瞳でそれを見つめ返す。
「――わかった。それはあんちゃんにやる。自分の仕事を果たせなかった以上、それでお代を貰うのは気が引けるが、どうせあんちゃんは払おうとするんだろ?」
葵の苦笑いという無言の返事に、ケンジは仕方ないなとでも言いたげな笑みを浮かべて肩を竦める。
「せっかくお代を貰うんだ。それに合わせた鞘とベルトは用立てるから少し待ってな」
「ありがとうございます」
ケンジは工房とは反対後方にある暖簾をくぐっていった。
ケンジが戻ってくるまでの間、葵は貰った刀の切っ先を天に掲げ、何の変哲もないそれをジッと見つめる。
ナディアの刀のような惹きつける雰囲気も、魔剣や妖刀などに通ずる禍々しい気配もない、刀身の色も、刀の形も、誰しもが想像するような刀と大差ない刀だ。
唯一、鍔が普通とは少し違うくらいか。
何かの家紋を鍔に落とし込んだようにも見えなくもない。
どこかで見たような覚えがある家紋だが、何かの本で読んだのだろうか。
「おう、あんちゃん。これどうだ?」
葵が刀を見て色々と思考している間に、ケンジが鞘とベルトを持って戻ってきた。
鞘は黒の単色で、
それを受け取り、まずは刀を鞘に納め、鞘を持って色々な方向へ曲げてみる。
「いいですね。勝手に落ちないし、でもパッと抜刀できる」
「まあ用立てると言っても、そっちはその刀を納めていた鞘だからな」
「なるほど。でも面白いですねこれ。無機物は吸収されるからって中と外で素材が違うんですか?」
「お、よく気が付いたな。中は対刃性能の極めて高い魔物の糸を使ったものらしい。外は軽くて丈夫な金属で包み、そこに漆を塗っているらしい」
「漆……食器でしか見たことないな」
電灯に照らし、その鞘を見つめてみる。
確かに、漆特有の光沢があるような気もする。
「んで、こっちがベルトだ。前回測ったあんちゃんの体に合わせて選んだつもりだが、何かあったら言ってくれ」
ケンジから受け取ったベルトは、鞘と同じく黒一色の革製ハーネスベルトだった。
パッと見でも、手触りでも、相当に丈夫なものだと理解できる、上等な品物だ。
両肩から下ろし、腰の辺りで一周、両足の太もも辺りで一周ずつする形で、羽織っているコートの下に着用し、留め具も付けて装着する。
腰の部分に付いていた紐に鞘を通し、左の腰に刀を吊るす。
刀を差すという一般的な方法ではないが、これは意外と悪くない、と抜刀までしてその感触を確かめた。
「いいですね。サイズも使用感も、問題なしです」
「それは何よりだ」
新しいおもちゃを買い与えられた子供の用に、抜刀したり納刀したり、あるいは構えてみたりと静かに
「そう言えば、この刀に銘ってありますか?」
「ああ、その刀は【無銘】。銘がないんじゃないぞ? 銘が無いってのがその刀の銘なんだ」
「何ですかその“無いが有る”みたいなの」
「俺にもわからん」
考えても答えが出ないタイプの問題なので放置しておく。
ともあれ、色々な問題こそあったが、当初の目的だった刀を受け取れたので、もうこの国にいる必要はない。
「では、色々とお世話になりました。俺は王国に戻ります。あ、一週間前に言った例の武器、出来上がったら取りに来るので、俺の名前のある組合の依頼書にわかるように何か書いといてください」
「おう、わかった。と言っても、あの武器は実物もないし俺も初めて作るからな。そう簡単には出来ないと思っててくれよ?」
「わかってます。いつまでも待ちますので、安全第一でお願いしますね」
言われなくてもわかってる、とケンジは手をひらひらさせる。
かと思えば、少し意地の悪そうな笑みを浮かべて口を開く。
「最後に、ユウコにも挨拶をしてってな。ユウコもあんちゃんに感謝してるみたいだから」
「? わかりました。では」
その表情の意図を少しだけ勘繰りながら、葵は暖簾をくぐり工房に出る。
そこで鍛冶師の皆さんにも挨拶をして、再び暖簾をくぐって階段を上る。
熱気から解放され、涼しくなっていくのを肌で感じる。
「あ、お疲れ様です! 刀はどうでした?」
「お疲れ様です。ちょっと想定外がありましたが、結果ちゃんともらえたので問題なしです」
腰に吊るされた刀の柄に左手を置いて、そのことを証明する。
葵の言葉に少し疑問を抱いたのか、ユウコは一瞬クエスチョンマークを頭上に浮かべたが、思い出したように手を叩き、ポケットを
そして、ポケットから一枚の硬貨を取り出すと、それを葵の方へと差し出した。
「これは?」
「えと、そのっ、この前、私の無茶なお願いを叶えてくれたじゃないですか。父を助けてほしいって」
「ああ、うん。元コージさんにはこの世界に来てからの恩があったし、恩人を見捨てるような教えは受けてないから当然だよ」
「それでもっ、私は感謝してるんです! 葵さんがいてくれなかったら、父は今頃どうなっていたかわかりません。葵さんが居てくれたから、今の父と母と、私がいるんです。この前の、家族での感謝とは違う、これは私の、感謝の気持ちです」
そう言って、両手の上に大事そうに置かれた一枚の硬貨を差し出す。
よくよく見れば、それはお金ではなかった。
サイズも色も、流通している硬貨に似ている。
でも違う。
その硬貨には、硬貨として刻まれた模様がなく、魔術陣の刻まれた硬貨だ。
どこかで見た覚えがある。
「あ、
「はいっ。先代賢者様が編み出したものを真似してみました。ご存じだったんですね」
「本で読んだことがあってね」
魔術陣を使う魔術刻印は、魔力の通りの良い特殊な塗料を使い、塗料の乗る材料の上に所定の効果を持つ人を刻み、そこに魔力を通すことで魔術を起動させるものだ。
葵の風を発生させるブーツや、葵が最初に使っていた短剣などがそれに当たる。
対して
硬化型は確か、硬貨の破壊が前提条件だったはずだ。
「にしてもそれを一週間で? 凄いね、ユウコさん」
「工房の皆さんに色々と知恵を貸していただきました。すみません、私の感謝なのに、私だけで作れなくて」
「ううん、大丈夫。そういうのは気持ちが大事、でしょ?」
葵の言葉に、ユウコはパッと表情が明るくなる。
最近学んだことだ。
感謝は気持ちで示すこともできる。
例えば、葵がさっきケンジに代金を払った時、ケンジはその感謝として鞘とベルトをくれた。
そんな風に、形だけではなく、気持ちでも示せるのだ。
「あ、ケンジさんがニヤニヤしてた理由はこれか……」
「……あの、何か?」
「ん、あいや、何でもない。それよりも、ありがとうね。大事にするよ」
ユウコの手のひらから、硬貨を摘まみ取る。
「あ、はい! あでも、その硬貨には、治癒の魔術を入れてあります。切り傷くらいなら治せると思いますので、何かあったら遠慮なく使ってください!」
「治癒って、初めての作業でこれを作ったの? いや凄いね、ユウコさん」
「そんな……私にはこのくらいしかできないので」
硬貨をマジマジと眺め、その神経を擦り減らすような作業を行ったと理解させられる、五百円玉ほどの大きさの硬貨に精密な魔術陣に感嘆の溜息を漏らす。
初めての作業で、しかも知恵を借りたとは言っていたが作業自体は一人で行ったことを考えれば、相当に凄いことをしている。
「いや、十分凄いよ。そこは誇った方がいい。自己肯定感は高めて損ないから」
「……はい。ありがとうございます!」
ユウコは嬉しそうに微笑んだ。
耐性のない異性ならイチコロにするであろうその笑みに、結愛という美人とラディナという美少女、としてここ最近では美幼女のソウファとナディアという美女でついた耐性を持つ葵にすらダメージを与えた。
それを誤魔化すようにして、葵はそれを胸ぽっけへと入れようとして、硬貨と言えば、とコージからもらったコインホルダーを鞄から取り出す。
「今後役に立つってこういう……」
コインホルダーの枠の一つに、ユウコからもらった硬貨を差し込み、いつでも取り出せるように先ほどケンジからもらったハーネスベルトの太もものベルトにかけた。
動きに支障がないことを確認して、一つ頷く。
「改めて、ありがとうユウコさん」
「こちらこそ、ありがとうございました! 私じゃ心許ないかもしれませんが、何かあったら頼ってください!」
「うん。その時はぜひそうさせてもらいます」
互いに頭を下げて、葵は武具店を後にした。
東側の空を見上げれば、そこには既に夜空があり、もう一時間としないうちに暗くなるだろうことが予想できた。
思いのほか遅くなっちゃったな、とラディナたちに謝って、早めにこの国で行うことをやっておこう、と組合へと急いだ。
そこで以来の進捗を確認し、
手筈通り、そこでナディアに触れる。
「準備は?」
「大丈夫。お願いします、師匠」
「師匠じゃない」
まるで、その言葉が合図だったかのように、ナディアの“空間転移”で王国の首都へと跳んだ。
正確には、王国の首都に程近い人のいない平原へと。
軽度の影響か、王国は既に夜だった。
流石に、人よりも膨大な魔力を持っているエルフでも、国を跨ぐ転移は相当な魔力を消費するらしく、ナディアは魔力切れでヘロヘロになった。
なので、ラディナがナディアを背負い、葵はいつも通りソウファに跨って首都まで走った。
十分とかからず首都に到着し、門で身分確認をして首都へと入る。
久しぶりの首都だと眺める時間も惜しいので、路地裏から屋根上へと上って走った。
共和国の地下鉄って便利だったんだな、と認識しつつ、走ること十数分で、大通りの十字路付近まで来た。
そこで、組合から程近いラムジの奥さんが経営している宿屋へ来た。
「いらっしゃーい……って葵さん! 戻られたんですね!」
「お久しぶりです、レイラさん。部屋ってまだ空いてます?」
「空いてるよ! 四人でいいかい?」
「あ、二部屋でいいです。一つはツインで一つはシングルで」
「それでいいのかい? まぁわかった。103と202でいいかい?」
「はい。師匠、一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫……あと師匠じゃない」
いつものやり取りも億劫そうなくらい、ナディアが疲労している。
今なら一対一でも余裕で勝てるな! なんてゲスな考えを押しとどめつつ、葵は鍵だけ受け取って一度宿を出る。
王城へ向かい、この国に残っているアンドゥに共和国で起こったことを説明するためだ。
「一度外出します。日付が変わる前には戻ってきますので」
「はいよ! 気を付けてね!」
レイラに頭を下げて、葵は宿屋を後にする。
今回は、ラディナもソウファもアフィも、みんなについてきてもらった。
主にソウファが人型になったことを説明するためだが、そうするとソウファの護衛のような役回りのアフィは自然とついてくるし、葵の側付きであるラディナは言わずもがなだ。
屋根上を移動し、軽快に王城へと進み、数分で王城へと着いた。
やはり、ラディナの“身体強化”もそうだが、ソウファの身体能力もどんどんと上がっている。
前はもう少し時間がかかっていたのだが、若い者たちの成長の速さに驚かされる。
何だが、葵だけ取り残されている感じがする。
そんなネガティブな思考を取り払い、今は報告が優先、と城門を通る。
そこで気が付くべきだった。
城門を素通り出来たことに。
王城への入り口である城門を守る騎士団員がいないという違和感に、気が付くべきだった。
「ほぅ……こんなところで
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