第七話 【“銀狼”と言う種族】




 “銀狼”


 五千年前、初代勇者の従魔として名を馳せ、初代魔王討伐にも参加したと言われている魔物の種族名だ。

 高い知能と幅広い魔術適性を持ち、人と遜色ないレベルでの魔術行使を可能とする、珍しい魔物だ。

 言葉を覚えさせれば会話もできるし、初代勇者の従魔だった銀狼は、空を翔ることすらできたらしい。


 しかし、それはあくまで人が提唱した説であり、本来の意味である銀狼は違う。

 曰く、銀狼は初代勇者の従魔のことだけを差して呼ぶ名であり、元々はそこらにいるただの魔物だったそうだ。

 それを初代勇者が手懐け、知を与えたことにより成長、進化した。

 その際に、誇り高き様相と、輝かしき銀色の体毛から、銀狼として新たな種族として認可された、というのが正しい。

 本来はたった一匹しか存在しないはずだった銀狼は、子孫を残し、銀狼としての遺伝子が継がれた。

 その遺伝子にはただの狼と交配し産んだ子供でさえも銀狼としてしまうくらいの影響力があり、銀狼が増えた結果、今提唱されている説が主流となったらしい。


 これが梟の話と何の関係があるかと言えば、ソウファと呼ばれた狼が、その銀狼の子孫の末裔であり、そして唯一の生き残りだからだ。

 そして救ってほしいという言葉を説明するには、銀狼が子孫繁栄を行ったのちの話を説明しなければならない。


 前述したとおり、銀狼は初代勇者の従魔で、一緒に魔王を討伐した。

 しかし、初代勇者は魔王という存在を滅しきれなかったことを悟った。

 だが人の寿命は短い。

 初代勇者というこの世界に革命をもたらした人物でさえ、それは例外ではなかった。

 故に、初代勇者の優秀な遺伝子を後世に残し、また初代勇者として培ってきた経験や技術、能力も誰かに継承し、人の世を守ろうとした。

 銀狼もそれに賛同し、種を繁栄させるために様々な種族の狼と交配を行った。

 その際に、銀狼は己が遺伝子に加護をかけた。

 それは自分の遺伝子を継ぐ者の中から、最も適性のある子孫に対し、自身の全てを強制的に継承させるというもの。

 本人の意思など関係なく、適正さえあれば強制的に銀狼の使命や能力を全て継承させる、という加護だ。

 一見、なんのデメリットもないように思えるそれだが、欠点は少なくなかった。


 種族的に強くなった銀狼は、まず想像以上に子孫が繁栄しなかった。

 数匹は生まれるはずの子狼は基本一匹まで減ったのだ。

 それだけでなく、初代勇者から直接手ほどきを受け、成長し自ら進化した銀狼とは違い、子孫は銀狼ほどの強さを持っていなかった。

 種として格段に強くなったとはいえ、そもそも銀狼そのものが圧倒的すぎるがゆえに、銀狼の全てを継いだとしてもそれを全て扱うことが子孫には不可能だった。

 結果、銀狼という種族は普通の魔物よりは強いが、加護を継いだものはその力に全てを飲まれ、まともに生活を送ることができなくなった。

 加護として未来に託したはずの力が、呪いとして受け継がれてしまったのだ。


 そして現在、その加護を受けているのはソウファだ。

 しかしここでも問題があった。

 先ほど戦ったサルの魔物が、北の森にある銀狼の里に何の前触れもなく訪れ、そこに暮らしていた銀狼を一匹残らず殺したのだ。

 ソウファと梟――アフィは、里の外でソウファを含む三匹の銀狼とともに食料調達に出かけており、その襲撃を回避した。

 しかし里に戻ったところでサルと鉢合わせ、銀狼の死体が山積みにされた惨状を目の当たりにして、食料調達にでていた銀狼たちと狼は逃走した。

 逃走の最中に、ソウファ以外の銀狼が死亡し、結果、ソウファに加護が継承された。

 ソウファは銀狼の中で落ちぶれていたとかはないが、加護を受け継げるほど強くはなかった。

 故に、加護を継いだ瞬間、ソウファの動きは精彩を欠き、倒れた。

 その前に人の気配を感じ、人に押し付けることでサルの意識をアフィたち逸らしたところで気絶した。

 あとは、葵たちが知っている通りだ。


「俺はソウファに拾われたよそ者だから、加護のことはわからない。でも俺は、ソウファのことを妹のように思ってる。だから、できるなら助けてやってほしい」

「加護か……」


 加護という言葉は知っていた。

 初代勇者のことを知る上で、加護という言葉はたくさん見かけた。

 しかし、この世界における加護は、勇者の継承したもの、という認識があり、アフィの話を聞くまでは、それが正しいものだと思っていた。

 それくらい、人にとって加護は浸透していない。

 浸透していなければ研究しようなんて人もおらず、研究しようという奇抜な人がいても研究対象が勇者しかいないため、研究などできるはずもなかった。

 葵はこの世界に来てから、一国の図書館にある書物を自由に閲覧し、たくさんの知識を得た。

 しかしそれは、あくまで誰かが得た知識や研究結果にすぎず、誰も知らないことを知っているわけではない。

 つまるところ、アフィの希望には添えない。


「すまん。どうにかしてやりたい気持ちはあるんだが、加護のことは知らないんだ。俺たち人間にとって、加護は勇者が継いできたもので、それに対して研究も何もされてこなかったから」

「……そうか。そうだよな。無理言ってすまなかった」


 アフィは肩を落とし、自身の発言を詫びた。

 アフィが謝ることではないのだが、その謝罪に言葉を返せなかった。

 ソウファの元に寄り、羽で優しく苦しそうに息を吐くソウファの頭をなでる。


「手伝えないって言っておいて申し訳ないんだけど、聞いてもいいかな?」

「構わない」

「加護を受けたものがまともに生活できないって言ってたけど、それって具体的にはどんな風になるの?」

「……個体差はある。だが俺が見てきた限り、どんなに適性の高いやつでもまともに動けず、次第に食事もとれなくなり、苦痛の中で衰弱死していった。ソウファの場合は……そうだな。もってあと数日くらいだろうか」

「……」


 想像以上の最期を迎えることを知り、葵とラディナは声を出せなかった。

 そして、何もできない自分に怒りを覚えた。

 結愛を助けるためにこの一か月、頑張ってきた。

 才能を伸ばし、知らないことを覚え、考えられる限りの手を打ってきた。

 でも、どうにもできないことに直面した。


 もし結愛がその加護を継いでいたら?

 “タラレバ”の話だし、結愛は銀狼ではないのでこの加護を受け継ぐことはないが、もしそうなったら。

 俺はきっと、全力で解決法を探し回るだろう。

 国に問い立て、勇者を探し出し、勇者の加護を研究しまくって。

 しかし、今はそれをしている時間がない。

 持ってあと数日の命を前に、悠長に勇者を探している時間も、加護の研究をしている時間もない。


 でも、結愛なら――


「――期待はしないでほしい」

「え?」

「一応、やれるだけのことはやってみる」

「で、でも加護のことはわからないって……」


 アフィは突然の葵の心変わりに驚いているように見えた。

 確かに、ついさっきは無理だ、と言っていた人間が、いきなりやろう、なんて言い出したら、何言ってんだこいつ、という反応になるのは、至って自然だ。

 だから、アフィの言葉に頷いて、葵は言葉を続ける。


「加護のことは知らないしわからない。でもわからないからって諦めるのは、嫌だ。少なくとも、俺の尊敬する人なら、最後まで、惨めでも足掻き続ける」

「……」


 そう言って、葵は脳内にある膨大な知識を片っ端から引っ張り出す。

 狼の基本的な情報から、加護に代替できそうな魔術的な要素まで、全てを。


 “望む答えを持っていないのなら、持っているものを掛け合わせて答えを導き出せ”


 かつて、師範に言われた言葉だ。


 並行して、ソウファの頭に手を乗せて、大丈夫だよ、と頭を撫でる。

 本来はモフモフしているであろう毛並みも、今は汗でべっとりしていて、触っていて気持ちの良いものではなかった。

 それでも、辛いとき、苦しいときに、人肌の温かさはあって困るものではない。

 それが他の人なら変わってくるだろうし、狼ではまた違う価値観があるかもしれないが、先ほどアフィが撫でていたので無意味というわけではないと信じる。

 撫でている最中も、必死になって頭を巡らせ、足りない答えに至るための道順を探る。

 しかし、そう都合よく葵の知識で状況を打開できる手は浮かばない。

 悔しさにも似た感情が葵の心中を駆け巡り、自然と体が強張って撫でる手に力が入ってしまった。


 そんな時、脳裏に何かがよぎった。

 ほんの一瞬だが、何か映像のようなものが見えたような気がしたのだ。

 あまりに唐突で、一瞬だったために、なにがなんだかわからない。

 それでもそれが何かこの状況を打開するヒントのような気がしたならなかった。


 ラディナが葵の異変にいち早く気が付き、不安そうな表情で質問する。


「葵様。何かありましたか?」

「なんか……なんだろ。この子の記憶か何かがほんの一瞬だけフラッシュバックしたのかな?」

「それはどんな光景だった!?」


 葵の返答を聞いた瞬間、アフィが声を荒げた。

 それに驚きつつ、思い出せる限りでそれを言葉にする。


「えーっと……人がいて、その人が……話しかけてるのかな? 俺の頭に手を置いてた気がする。それが何か関係あるのか?」

「……ある。おそらくお前が見た光景は、銀狼が自身の子孫に加護を継承させるための儀式を行っているときのものだ。前の継承者もその前の継承者も、俺が知らないそれ以前の継承者も全員が見た光景だ」


 アフィの言葉を聞いて、なぜ継承してもいない葵にその光景が見えたのか、という疑問が浮かぶ。

 しかしそれは、この場にいる誰に聞いてもわからないだろう。

 ならば、葵がやるべきことは、よくわからなかった光景をはっきり認識し、理解して加護について暴くことだ。


「その儀式についてもっと深く理解すれば、この子を助けられるかもしれない。そういう認識で間違いないな?」

「可能性はそれしかない。だけど、今までの継承者はそれを見てもなお、加護に殺されてきた。だからきっと、それだけじゃダメなんだと思う」

「だろうな。でもとりあえず、やってみなきゃ何も進まない」

「……頼む」


 アフィの言葉に頷き、その後ろで変わらず心配そうな表情でこちらを見ているラディナに視線を向ける。


「ラディナ。騎士団の人たちに説明を頼んでいいか?」

「……承知しました」


 葵のお願いを聞いて、思考する素振りを見せてから、表情をいつもの冷静なものへと切り替えて、頷いた。

 それに頷き返し、葵は再度、ソウファの頭に手を置く。

 先ほど、あの光景を見た前にやったことはなんだっただろうか、と自分に問いただす。

 あの時は、頭を撫でて、どうすればいいか、自分の手持ちで何ができるかを考えてて――


 ――“魔力操作”をミスった。


 右手の魔紋と全身の“魔力操作”ミスによる魔力路の負荷痛により、いつも通りの完璧な“魔力操作”ができない状態にある。

 体が強張り、全身に力が入った状態だったならば、魔力が漏れていてもおかしくはなかった。

 絶対にそうだ、といえるほどの確証はない。

 ただ今は、思いついたことを片っ端から実践するほかに道はない、と自分に言い聞かせ、ソウファの頭に置いた右手に魔力を流す。






 瞬間、葵の意識が乗っ取られた。






 * * * * * * * * * *






『本当に大丈夫? これは私たちが、私の能力を継承させるために作ったものよ。カイにこれを使えばどうなるか、正直なところ分からない』


 綺麗な、女性の声だった。

 顔は、漆黒のような黒く長い前髪のせいでよくみえない。

 ただ目の前にいる女性は身長が高く、そして下を向いていることがわかった。

 いや、女性の身長が高いのではなく、今の視点が低いのだ。

 同時に、これが儀式の最中――否、儀式が始まる瞬間で、女性を見ているこの視点は、銀狼なのだと理解できた。

 つまり、あの時一瞬だけ見れた光景の中に、入ることができたのだ。


『特にカイの場合、元の種族とはかけ離れた性質を持っているわ。私が名づけを行ったことで、カイ本来の力と、私の力が混ぜ合わさっているもの。だから、カイの子孫が、その能力を継承しても、まともに使えるとは限らないでしょう』


 あの記憶に入れたということはつまり、目の前で言葉を発している女性こそが、初代勇者ということだろう。

 男性でないことに驚き、しばらく呆けていたが、こんなことをしている場合ではない、と会話の内容に耳を傾ける。


『それでも、使うのね?』

『それが私の望みですから』


 カイ、と呼ばれた銀狼は、そう言って頷いた。

 それを見た女性は、そう、と諦めたような、納得したような笑みを見せて、頭に手を置いた。


『今からカイには、魔紋による血への呪いをかけるわ。数日は全身に違和感を覚えるでしょう。でもそれを越えたら、カイの血が絶えない限り、カイの能力は受け継がれるわ』


 魔紋? と疑問が浮かぶ。

 それが、葵たち召喚者の利き手にある魔紋と同じものなのかはわからない。

 だが新たな可能性として、この魔紋を解析すれば、ソウファを助ける手段が増えるかもしれない。


『解除方法は――って、カイは解除する気はないのよね』

『ええ。なので、必要はありません』


 その発言をしたカイに対し、葵は全力で何やってんだ! と叫んだ。

 もちろん、声に出るはずもない。


『じゃあ施すわ。お腹を見せて』


 女性の言葉で、カイは仰向けに寝転がる。

 犬は信頼している相手にしかお腹を見せないというが、イヌ科である狼もそうなのだろうか。

 そんなことよりこいつ馬鹿だろ! と疑問以上に先ほどの解決策を聞く唯一のチャンスを逃したカイに怒りの感情を抑えられなかった。

 そんな葵のことなどお構いなしに、儀式は進んでいく。


 女性がカイのお腹から、首の方にかけて手を添わせていく。

 だが決してむず痒いなんてことはなく、むしろグッと強く押し付けられている感じさえあったので、圧迫感があった。

 今更だが、カイの感覚を理解できるらしい。

 しばらくして、胸のあたりで手を止めて、ここね、と呟いた。


『心臓に直接施すから、違和感がなくなるまでは、絶対に激しい運動はしないでね。そのままぽっくり、なんてこともあるかもしれないから』

『わかりました』


 カイの言葉を聞いて、女性が魔力を流すのが分かった。

 その魔力が魔力路を通じずに一直線で心臓へと到達するのが分かる。

 そのまま一定量を流し込み、流し込まれた魔力が心臓の周りで形を作っていくのが分かる。

 心臓を覆い囲むようにして明確な形を作っていく魔力それは、円球状の魔術陣を形成した。

 正確に言えば、全て平面によって構成されているが、大きさがバラバラであり、且つ上に重ねるようになっているため、円球状の魔術陣として成立しているのだ。


 葵が見たことのある魔術陣は、全てが平面のものであり、どんな大掛かりな魔術陣でも、魔術陣の横面積が増えるだけで、上に増やすなんて考えはなかった。

 故に、この円球状になった立体の魔術陣は、重ねるだけでなく、横にまで初めて見る代物で、少しだけ鳥肌が立ったような気がした。

 それだけではなく、葵は初代勇者の“魔力操作”の技術の高さにも驚愕していた。

 別の生物の体内に自分の魔力を送り、本来起こり得るはずの拒絶反応を起こさせないまま、体内を巡る魔力に感化されることなく、自分の思い通りに魔術陣を構築していた。

 拒絶反応については、魔力を譲渡しているわけではないので別問題かもしれないが、それ以外の部分に限って言えば、葵と比較するのすら烏滸がましいと言えるほどに技術の差があった。

 初代勇者と同じくらいの“魔力操作”の練度、技術を持つなんて言われていたが、まだその一端に手が届いた程度であったことに対し、少しの驚きと、多大な納得と、そして自分がまだ成長できるという希望を抱いた。


 明確な形を作り心臓を囲む魔術陣は、些細な起伏など気にしないように魔術陣の形は変えないまま、そのまま心臓へと張り付いた。

 その違和感は凄いもので、得体の知れないものが心臓を掴んでいるような錯覚さえ覚える。

 事実、魔力で形成された魔術陣が張り付いているので、その感覚は間違ってはいない。


『……んむぅ。違和感がすごいですね。心臓を握られているみたいだ』

『言ったでしょう? 数日したら収まってくるわ』


 カイも葵と同じことを思ったのか、その違和感を口に出す。

 女性は当たり前じゃない、とでも言いたげな様子でその言葉に返事した。


『それが定着したら、あとはカイの血が続く限り永久に継承されていくわ』

『ありがとう主――いや、マキさん』

『……その名前でカイに呼ばれたのは久しぶりね。出会った時以来かしら?』

『主にこの身と人生を捧げると誓った日からなので、助けられた時以来ですかね。でも、私にとってはこの命より大切な主とも、もうそろそろお別れしなければならなくなりそうですから。……行くのでしょう? 魔王の元に』


 カイの発言に、葵は疑問を抱く。

 確か、初代勇者が自身の能力を継承させ、後世に希望を託すのは、魔王と対峙し、その存在を消し去れなかったからだと、アフィから聞いた。

 でも今、初代勇者と思わしき目の前の女性は、魔王の元へ行くといった。

 そしてそれに、銀狼カイはついていかないような口ぶりだった。


『行くわ。私が行かなくちゃ、人の世が滅んでしまうもの。私が言ったところで、時間稼ぎにしかならないでしょうけど、その間に私の継承者が上手く事を運んでくれると信じるわ。人間も魔人も獣人も亜人も、魔王でさえも、全員が等しく同じ命を持っているのだから』


 その物言いは、まるで魔人だけじゃなく、魔王すらをも擁護しているようだった。

 初代勇者は魔王を討伐したんじゃないのか? と葵の知る歴史とは相違のある目の前の光景に、疑問ばかりが浮かんでくる。


『ワタルたちにも伝えてはおいたけど、でもこの世界のみんなは勘違いして、私の想像する未来とは違う方向へ行ってしまうのでしょうね』

『マキさんが悪いわけではありません。ずっと、変わってしまったこの世界を取り戻そうとしていたではありませんか』

『そうね。もちろん、最後まで諦めるつもりはないわ。魔王の元に行った後も、ずっと考え続ける。だからカイ。あなたにも、こちら側はをせます。嫌でしょうけど、ワタルたちと協力して、魔人の侵攻を抑えてね』

『はい。マキさんも、お達者で――』






 * * * * * * * * * *






 気が付けば、涙が頬を伝っていた。

 葵の涙ではなく、記憶の中の銀狼の涙だ。


「――おい大丈夫か?  急に呆けたと思ったら涙流して」

「……ああ、うん。記憶の中の銀狼に感化されちゃったみたいで」

「記憶を見れたんだな!? どうだ!? ソウファは治せそうか!?」


 捲し立てるように聞いてくるアフィに応える前に、葵はソウファの頭から心臓に近い位置まで手を移動させ、内部に意識を向ける。

 体内の魔力によって、体内の様子が見て取れた。

 その心臓部に、銀狼が施されたものと同じ魔術陣があった。

 それを確認し、葵はアフィに頷く。


「たぶんできる。解決法はわからなかったけど、そこに至るための糸口は手に入れた」


 糸口から解決に至るために、まずは目に見える形で展開するのがいいだろう、と記憶の中の魔術陣を再現構築してみることにした。

 まだ全身の痛みは残っているし、右手の魔紋の違和感もあるため、本来ならやめておいた方がいいだろう。

 それでも、なぜかできるという確信が、葵の中にはあった。

 FPSなどで、強い人のプレイを見て、自分が強くなったと錯覚するような感覚でないことを信じ、右掌を上に向け、その上に魔術陣を再現する。

 記憶で見てきた魔術陣を思い出し、一つ一つ、初代勇者の行っていたものと同じ手順で構築していく。


 まず第一に、平面の魔術陣だ。

 この魔術陣は、これから構築する立体魔術陣を繋げ、その効果を安定させ、強固にするためのものだ。

 それを数秒で構築し、次に取り掛かる。

 と言っても、次は本命の立体魔術陣だ。

 初代勇者は上下同時に構築をしていたが、再現の段階で無茶をしてはいけない。

 基盤となる魔術陣の下から、一つずつ段階を踏んで構築していく。


 基盤の魔術陣の下は、これから構築する上の魔術陣の効果を支え、永久的に持続させるためのものだ。

 基盤のための基盤、魔術陣の効果を最大限引き出すための支柱、という表現が相応しいだろうか。

 全十層で構成される魔術陣を一つずつ丁寧に再構築し、一分ほどの時間をかけて完成させる。


 最後に基盤の上、加護として自分の能力を血を継いだものに継承させるための魔術陣だ。

 基盤の下が十層であったのに対し、こちらは七層と目減りしている。

 が、密度で言えばこちらの方が多かった。

 細かい部分が増えたが、それを見逃さないようにより丁寧に再構築していく。

 二分弱ほどで再現に成功し、葵の右掌の上には、記憶でみたまんまの魔術陣が展開されていた。


「これが銀狼にかけられた加護の正体だ」

「これが……」

「……凄い」


 葵がその説明をすると、アフィは何とも言えない表情でそれを見つめ、いつの間にか傍に戻ってきていたラディナが感嘆の声を上げた。

 ラディナの後ろでは、騎士団員が葵の掌の上にある魔術陣を興味津々といった様子で眺めていた。


「このような魔術陣は見たことがありません。……平面を重ねている、のですか?」

「はい。初代勇者が銀狼に施した魔術陣で、どれがどんな効果を持っているのか、はっきりとは理解していません。真ん中の円の直径の部分が基盤となり、下がそれを支え強化し、上が加護本体だと思われますが、上の精密な解析をしてそれに対抗し打ち消せる魔術陣を構築しない限り、この子が加護から解放されません。なので、知恵をお貸しいただきたい」


 その場にいた全員に、助力を乞う。

 葵の言葉に全員が快く頷いてくれた。

 それを確認し、葵は魔術陣を展開したまま、議論を始めた。






 * * * * * * * * * *






 議論の開始から二日が経過した。

 すでに宿に戻り、暖を取りながら不休で議論をしていた葵たちを、朝日が窓枠から明るく照らす。

 しかし、照らされた側の心境は、まるで明るくなかった。


 議論は進んだ。

 専門家がいなくても、葵とラディナは王城図書館にあった書物の知識があるし、騎士団員の中にも魔術陣について詳しい人もいた。

 アフィの知識も中々のもので、魔術陣の細かな解析自体は森での議論で終わったのだ。

 しかし、それ以降の議論が進まなかった。

 ソウファの心臓に刻まれた魔術陣を打ち消せる魔術陣の構築が、全く進まなかったのだ。


 猶予はもうそろそろなくなる。

 今日明日が山場と考えた方がいいだろう。

 となれば、魔術陣を専門としている人や、あるいはそれに触れている魔導学院の先生などの助力があったほうがいい。

 だが葵たちのいるこの場所は、魔導学院のあるアルメディナトに比較的近い町とはいえ、いくら“身体強化”で走ったとしても、行って帰ってくるのに数日はかかる。

 そんなことをしていてはソウファを見捨てるのと同義なので、この案は却下となった。


 しかしここにいる人間だけでは行き詰まった。

 他に魔術陣に詳しい人を入れようにも、近くには首都も魔導学院もあるので、魔術陣に詳しい人がわざわざこの町で研究するはずもない。

 ならばこういうときこそ冒険者を使うべきだ、と考えたのだが、そもそも実践第一でそれを生業としている人間の多い冒険者が魔術陣の研究をするわけがない。

 遠くから人も呼べず、ここで集めることもできず、今いる人だけでは解決できない。


 詰み、という単語が頭をよぎる。

 この二日、ほぼ不眠不休で魔術陣の構築に挑み、葵もラディナもアフィも、騎士団員の面々も疲労困憊だった。

 ソウファの容態も悪化していく一方で、それがよりこちらの焦りを助長する。

 そもそも、魔術陣が構築できたとして、それが本当に銀狼の加護を打ち消せるのかもわからない。

 机上の空論になってしまう可能性だってある。


「――ッ!」


 葵は思考がよくない方に偏り始めているのを自覚し、頭を振る。

 両手で頬をパチンと叩き、気持ちを入れ替える。

 部屋を見回してみれば、騎士団の面々が壁にもたれて少し休憩していた。

 葵はこの世界に来てから数日は寝なくとも活動できるし、ラディナは葵が休まない限りは体がもつまでは休まない。

 アフィは魔物だからか、あるいは妹のような存在の生死が懸かっているからか、意地で耐えているように見える。


「葵様。そろそろ休憩しては如何でしょうか?」

「いや、俺がこの中じゃ無理なく長時間活動できるんだ。ラディナのほうこそ、休んだ方がいいんじゃないか? 寝ずに過ごし続けると、記憶障害とか起こるらしいぞ」

「その言葉、そのままお返しします。葵様が諦めていないのであれば、私が諦める通りはありません」


 疲労していても、いつもと変わらない応答をしてくれるラディナは、葵が思っているよりもずっと心の支えになってくれているだろう。

 変わらない、ということは、何も悪いことだけではない。

 それに少しだけ元気をもらい、葵はソウファの元に歩み寄る。


「少し、もう一回だけ記憶の中に行ってみる」

「行けるのですか?」

「わからない。前と違って今は疲労してるから……。でも考え続けても結論が出ないんじゃ、他のところから探ってくるのが一番だと思うから、とりあえずやれるだけやってみるよ」

「わかりました。私はアフィとともに構築に取り掛かっています」


 ラディナが誰かを呼び捨てにするのはかなり珍しく、そう呼んでくれたら楽なんだけどな、と思いつつ、葵はソウファの頭に手を置いて、頼む、とわずかな希望を託して、右手に魔力を注ぎ込んだ。



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