第八話 【代償】




 議論の開始から二日が経過した。

 すでに宿に戻り、暖を取りながら不休で議論をしていた葵たちを、朝日が窓枠から明るく照らす。

 しかし、照らされた側の心境は、まるで明るくなかった。


 議論は進んだ。

 専門家がいなくても、葵とラディナは王城図書館にあった書物の知識があるし、騎士団員の中にも魔術陣について詳しい人もいた。

 アフィの知識も中々のもので、魔術陣の細かな解析自体は森での議論で終わったのだ。

 しかし、それ以降の議論が進まなかった。

 ソウファの心臓に刻まれた魔術陣を打ち消せる魔術陣の構築が、全く進まなかったのだ。

 二日前から今日に至るまで、計三回ソウファの中にある記憶の中へと赴いたが、あれ以上の収穫は何もなかったのも、一つの要因だろう。


 猶予はもうそろそろなくなる。

 今日明日が山場と考えた方がいいだろう。

 となれば、魔術陣を専門としている人や、あるいはそれに触れている魔導学院の先生などの助力があったほうがいい。

 だが葵たちのいるこの場所は、魔導学院のあるアルメディナトに比較的近い町とはいえ、いくら“身体強化”で走ったとしても、行って帰ってくるのに数日はかかる。

 そんなことをしていてはソウファを見捨てるのと同義なので、この案は却下となった。


 しかしここにいる人間だけでは行き詰まった。

 他に魔術陣に詳しい人を入れようにも、近くには首都も魔導学院もあるので、魔術陣に詳しい人がわざわざこの町で研究するはずもない。

 ならばこういうときこそ冒険者を使うべきだ、と考えたのだが、そもそも実践第一でそれを生業としている人間の多い冒険者が魔術陣の研究をするわけがない。

 遠くから人も呼べず、ここで集めることもできず、今いる人だけでは解決できない。


 詰み、という単語が頭をよぎる。

 この二日、ほぼ不眠不休で魔術陣の構築に挑み、葵もラディナもアフィも、騎士団員の面々も疲労困憊だった。

 ソウファの容態も悪化していく一方で、それがよりこちらの焦りを助長する。

 そもそも、魔術陣が構築できたとして、それが本当に銀狼の加護を打ち消せるのかもわからない。

 机上の空論になってしまう可能性だってある。


「――ッ!」


 葵は思考がよくない方に偏り始めているのを自覚し、頭を振る。

 両手で頬を二度パチンと叩き、気持ちを入れ替える。

 部屋を見回してみれば、騎士団の面々が壁にもたれて少し休憩していた。

 葵はこの世界に来てから数日は寝なくとも活動できるし、ラディナは葵が休まない限りは体がもつまでは休まない。

 アフィは魔物だからか、あるいは妹のような存在の生死が懸かっているからか、意地で耐えているように見える。


「葵様。そろそろ休憩しては如何でしょうか?」

「いや、俺がこの中じゃ無理なく長時間活動できるんだ。ラディナのほうこそ、休んだ方がいいんじゃないか? 寝ずに過ごし続けると、記憶障害とか起こるらしいぞ」

「その言葉、そのままお返しします。葵様が諦めていないのであれば、私が諦める通りはありません」


 疲労していても、いつもと変わらない応答をしてくれるラディナは、葵が思っているよりもずっと心の支えになってくれているだろう。

 変わらない、ということは、何も悪いことだけではない。

 それに少しだけ元気をもらい、葵はソウファの元に歩み寄る。


「もう一回だけ記憶の中に行ってみる」

「まだ何かあるのですか?」

「わからない。でもここで手をこまねいているよりも、微々たる可能性のある記憶の中の方がいいんじゃないかって」

「わかりました。私はアフィとともに構築に取り掛かっています」


 ラディナが誰かを呼び捨てにするのはかなり珍しく、俺に対してもそう呼んでくれたら楽なんだけどな、と思いつつ、葵はソウファの頭に手を置いて、頼む、とわずかな希望を託して、右手に魔力を注ぎ込んだ。





 * * * * * * * * * *






 これは、“能力の継承”を謳った“永久に続く呪い”である。


 つい数日前、解析を終えた魔術陣の平面図が描かれた紙の目立つところに、大きな文字でそう書かれていた。

 まるで、戒めるかのように。

 この魔術陣の内容を理解せずに使う誰かが現れないように。

 ――いや、葵の知る魔術陣とは少し違う。

 描かれている内容と、魔術陣の個数がわずかに違う。

 内容はどのくらい違うのかまだわからないが、個数はこちらのほうが少ない。


 魔術陣の内容もそうだが、ここはどこだろう、と葵は自問する。

 葵はもう一度加護を施される現場を見て、何かを掴めないかと思い、記憶の中に入った。

 しかしここは、二日前に見た記憶とは全く違う場所だった。

 どこかの部屋の中。

 たくさんの紙に埋もれ、足の踏み場もないくらいに散らかった部屋。

 その中にポツンと置かれている机の上に、その魔術陣の書かれた紙があった。

 それを、俺は椅子に座って眺めている。


 つまりこれは、誰かの視点で、この紙を見ていることになるのだろう。

 一人称視点であることに変わりはない。

 しかし謎だった。

 葵の見れた記憶はこれまでの三度の間、初代勇者が銀狼に対し加護を施している場面だけで変わることはなかった。

 なのに、今は全く違う場所にいる。

 運要素の関わる記憶のある場所へランダムで行けるものだったのか、あるいはほかに何か条件があるのか。

 それは定かではないが、今は変わった場所で新たに得られる情報に意識を向けるべきだ、と視点の持ち主の一挙手一投足を見逃さないように注視する。


 視点の持ち主は、先ほどの忠告のようなものが書いてある魔術陣の描かれた紙を手に取り眺める。

 そして、溜息をついた。


『大きい溜息だな。ドアの向こうまで聞こえたぞ。加護のことか?』

『ワタル……うん。この加護をカイも自分に施してほしいって言ってるのよ』


 ドアを開け、男の人が入ってきた。

 眼鏡をかけ、白衣に身を包み、研究員のような見た目をした、ワタルと呼ばれた長身の男性だ。

 年齢は三十手前、といったところだろうか。

 彼は手に持っていた二つのカップのうち一つを視点の持ち主に渡す。


『カイがそう言ってるのか? それはマキ用に最適化してるんだろ? それにそれはお前の力ありきの加護じゃないか』

『そうなのよ。今からカイ用に組み替えるにしても時間がないし、かといってこのままカイに施せばきっと加護よりも呪縛に近いものになるだろうし……』

『でもカイは、マキの為になるって知ってたら止まらんよな』


 マキ、ということはつまり、視点の持ち主は初代勇者なのだろう。

 では今目の前にいる“ワタル”という男性は、初代勇者の仲間の一人なのだろうか。


『そうなのよね。だから余計に難しいのよ。約束まであと一週間もないし……』

『ふむ……じゃあせめて、カイに施しても問題ないくらいまでの改編でいいんじゃないか? カイ用に組み替える時間はなくとも、マキの能力に頼らずに成立するようにさ』

『……でも、それでカイの子孫にまで影響が出たら、私は嫌だわ』

『自分より他人を優先できるのはマキのいいところだと思うけど、今回ばかりは仕方ないだろう?』


 ワタルの言葉に、マキは答えない。

 その様子をみて、ワタルは苦笑した。


『そんな難しい顔すんなって。マキはもう俺たちのために人柱になることでその生き様を全うしてるだろ? 最後くらい、自分らしくないことをしてもいいんじゃないか?』

『でも……』

『――ほんとは言いたくなかったんだけどさ』


 ワタルはカップを机において、机を迂回しマキの隣へ来た。

 それを椅子に座ったまま見上げる。


『俺は、まだマキを許してないよ。さっきも言ったように、他人を優先して物事を考えられるマキは、素晴らしいと思う。少なくとも、俺にはできないことだから。俺たちの人生のために、マキがその身を捧げるってのも、納得できないけど理解はできる。ただ、それを相談なしに自分で決めたことを、俺はまだ許せない』

『……うん』

『だからさ。せめて最期くらい、相談に乗らせてよ』


 ワタルの言葉に、頬を涙が伝うのを感じた。

 そんなマキを、ワタルは胸に抱きよせる。


『俺たちに人柱になることを言った時、マキ言ったよね? “今は従うだけ。世界を元に戻して、みんなが幸せに暮らせる世界を作るときのために”って』


 ワタルの胸の中で、マキはえずきながら頷く。


『それが俺たちを納得させるための嘘だったとしても、俺はその言葉を信じるよ。何年、何十年ってかかっても、必ずマキを人柱から引きずりおろして、取り戻すから』


 告白のように聞こえるワタルの言葉に、マキはうん、うん、と頷いている。

 しばらくして、マキが泣き止んだのを確認し、ワタルはマキから離れる。


『それじゃ、マキはどうしたい?』

『……私は、このままカイに、加護を施したくない。でもカイの願いも聞き届けたい』

『じゃあ改編しよう。まずは、マキの能力に頼らずに、加護を成立させられるように』


 そこから、二人は議論を積み重ねていった。

 ベースは変わっていないのに、どんどんと内容が葵の知るものへと変更されているのが分かる。

 どのくらいの時間が経ったのか、時間を示すものがないのでわからないが、それでも体感で二日三日で葵の知る魔術陣それは完成した。

 それを眺めながら、ワタルは口を開いた。


『未完成だな。カイに施せるようにはなったが、それだけだ』

『ええ。これじゃ、加護じゃなくて呪縛だわ』

『でもこれが最大限だ。これ以上時間をかけると、今度はマキが間に合わなくなる』

『……そうね。結局、補助として私の能力を少しだけ残さざるを得なかったわけだし、解除するにしても誰かを犠牲にしなきゃ成り立たないのだから、私の生き様が聞いて呆れるわ』

『そうしたのは俺だから、マキが気にすることじゃないさ。それに、誰かに押し付けるんじゃなくて共有することが出来たら、扱えるようになるかもだよ?』

『そんなの私じゃなきゃ無理だってわかってるでしょ?』


 二人の言葉で、葵は絶望する。

 この魔術陣は、初代勇者でなければ解除できない。

 正確には、誰かを犠牲にすることで解除はできるが、誰も犠牲にしない場合は、初代勇者にしかできないのだ。


『まぁね。もしマキを取り戻した時にカイの子孫が生きて能力を受け継げていたら、その時はマキが俺にでもそれを共有すればいいさ』

『そうね。本当に申し訳ないけど、カイの子供たちに期待するしかないわね』


 そう言ってマキは立ち上がり、ドアの方へと歩き出す。

 気が付けば、マキ視点ではなくなり、幽体離脱でもしたかのように、葵は第三者視点でこの場を俯瞰できていた。

 今まではこんなことはなかったが、推察するに、もう現実に戻る時間なのだろう。


『もう時間もないだろうから、カイにこれを施したらすぐ行くわ』

『…………そっか。じゃあもうお別れだね』

『……そうね。ワタル――』


 ドアの前で立ち止まり、マキは振り返ってワタルの方を向いた。

 それを受けて、ワタルはマキの方を向く。


『今まで、本当にありがとう。あなたのおかげで、私はこんな世界でも楽しく、幸せに過ごせたわ』

『……俺も、君がいたから、とても楽しかったよ』


 明るく、ハキハキと喋るマキとは対照的に、ワタルの声は沈み、別れだというのに俯いている。

 引き留めたい。

 でもそれをすれば、マキを悲しませる。

 どうしようもなく、どうにもできず、ただひたすらの無念と無力が己の心を支配する。

 そんな葛藤を感じる。

 それをわかっているのか、マキは悲しそうともとれる笑みを浮かべる。


『じゃあ、行くわ。みんなのこと、よろしくね』

『…………ああ』


 マキの言葉に、ワタルは絞り出すようにして答えた。

 マキは、こちらを見てくれないワタルに、少しだけ残念な表情をして、ドアの向こうへと姿を消した。

 ワタルは地面を見つめ、悔しそうに下唇を噛み締め、拳を強く握り締めている。

 噛み締める下唇と、握りしめる拳からは、血が滴り乱雑に置かれた紙に赤い染みを作っている。


『――ワタル!』


 マキは部屋に戻ってきて、ワタルに走り寄った。

 ワタルが驚き顔を上げたところで、その頬に、優しく口づけした。


『――え?』


 ほんの一瞬。

 触れるようなキスに、ワタルは驚き、呆けた声を出す。

 そんなワタルに構わず、マキはドアの方へと戻っていった。


『もし私が戻ってきて、また一緒に暮らせることになったら……その時は、この続きをしましょう』

『……あぁ』


 悪戯な笑みを浮かべて、マキはそう言った。

 この戦いが終わったら結婚するんだ、並みのフラグだ。

 その言葉を聞いたワタルは、悲しそうな笑みを浮かべた。

 まるで、これが最後の別れだとわかっているかのように。


 ワタルの返事を聞いたマキは、今度こそ部屋を去っていった。






 * * * * * * * * * *






 自分の意識が覚醒していく感覚を、葵は覚えた。

 夢の中からスーッと意識が浮上して、現実へと引き戻される感覚だ。

 その中で、先ほど見た記憶の中の光景のことを考える。


 初代勇者と、おそらく彼氏彼女の関係にあったであろう二人の、最期の会話。

 伝承によれば、初代勇者は人々へ繁栄をもたらし、第一次人魔大戦において魔王を討伐したのち、後継の人らに全てを任せ隠居したとされていた。

 しかし、今の記憶から推察できる範囲でさえ、その伝承の正しさは疑われた。

 そもそも、あの記憶が初代勇者のものだと確定したわけではないが、十中八九、その通りだろう。

 だが正直、伝承の正誤なんて葵にしてみればどうでもよかった。

 五千年も前の出来事が、まんまその通りに伝わり残っているなんてことはほとんどないのだから。


 それよりも、初代勇者マキとワタルの最期の約束が果たされることがなかった、ということの方が、葵にとっては重要だった。

 約束を守れず、果たせず、無念の中でこの世を去ったであろう二人の関係が、他人事とは思えなかった。

 きっと、あの二人を自分と結愛に置き換えて考えているのだろう。

 もしワタルが自分で、マキが結愛だったら。

 そう考えるだけで、どうしようもない不安に駆られる。

 そうならないために、努力をしてきたつもりだった。

 だがサルの魔物との戦闘では意識の中では完全に敗北し、訳の分からぬ間に戦闘が終わっていた。

 この世界に召喚され、一週間の努力ののちに、召喚者の中でもトップクラスと言われていた三人を下して、それでも慢心せずに努力を重ねてきたつもりだった。

 でも、足りなかった。


 今まで、努力が足りず、結果が思うようにならないなんてことはたくさんあった。

 きっとこの先、何度もそれを体験することになるだろう。

 それでいいのか? と葵は自問する。

 頑張りました、でも足りませんでした、で済まされないことはある。

 結愛を助けられないことがそれだ。

 そしてワタルにとっては、初代勇者マキを助けられなかったことがそれにあたるだろう。


 なら、俺は――






 * * * * * * * * * *






 手には、銀狼の柔らかい体毛の感触があった。

 しかし、その毛はしっとりと濡れていて、どこかべたついているように感じる。

 記憶の中から帰ってきた葵にラディナが気付き、安堵とそして真剣な表情をこちらに向けた。


「葵様! お目覚めになられましたか! 緊急事態です。ソウファの容態が悪化しました。おそらく今日中が限界かと」


 膝をつき、ソウファの容態を確認しているラディナは、葵にそう告げた。

 その表情は珍しく焦っており、その事実が葵を駆り立てた。

 ラディナの言葉に反応せず、黙りこくった葵に、ラディナはより不安そうな表情をした。


「……葵様?」

「…………一つ、提案がある」

「何かわかったのか! 教えろ葵!」


 葵の言葉を聞いて、不安そうな表情をしていたアフィが、ガッと詰め寄る。

 それに落ち着いて聞いてくれ、と手で制して、策を口にする。


「銀狼の加護をノーリスクで解除する方法はない。ただ、解除法は存在した」

「それはどうするんだ! 時間がない! 早く教えてくれ!」

「……誰か他の銀狼に、加護を譲渡する」

「…………え?」


 葵の言葉に、アフィは信じられないことを聞いた、という表情になる。

 しばらくそうしていたが、ふはっ、と変な笑いをした。


「何、言ってんだよ……そんなわけ、ないだろ?」

「いいや。それが最後の解決法だ」

「ソウファの仲間は! 銀狼は! もうソウファしかいないんだよ!」


 そんなことは、葵も知っている。

 アフィが自分で説明してくれたのだから、知らないわけがない。


「じゃあ、何だよ……! ソウファには、このまま死ねってか? この辛く苦しい状況を耐えて耐えて耐え抜いた先で、足掻きもがいた先で死ねってか? ――ふざけんなよ!」


 アフィは、この二日間でも見せなかったくらい、狼狽し、声を荒げている。


「ソウファが何か悪いことでもしたか? 親の言いつけを破ったことなんてなくて! 見ず知らずで他種族の俺を助けて! 同年代の子とも仲良く遊んでたソウファが! どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだよなぁ!」


 しかしその気持ちは、察するにはあまりあるものだ。

 もし結愛がソウファと同じ状況になっていたら、葵もアフィのようになっているだろうから。

 きっと、記憶の中のワタルもそうだったのだろう。

 初代勇者を助けるために試行錯誤して、自分の寿命が許す限りの策を練って。

 その果てに、結局助けられなかった。

 それが――その気持ちが、葵には痛いほどわかった。

 だからこそ――


「ラディナ、アフィ、聞いてくれ。今から話すことは、根拠もくそもない憶測に基づいた策だ。ソウファを助けられないという前提の上で、聞いてくれ」


 ラディナが、アフィが、静かで確固たる意思を以って言った言葉に反応して、こちらを向く。


「俺は、記憶の中に入れた。この二日、俺以外の誰にも入ることのできなかった場所へ、何度も。その記憶が、銀狼の加護に関する記憶なのか、それ以外の何かの記憶なのかは俺にはわからない。ただ、俺の見た光景は、少なからずこの子の記憶じゃないってのはわかる。つまり、俺が記憶に入れるということは、俺には銀狼の加護を受け継ぐ素質があるって考えることはできないか?」


 その言葉に、ラディナとアフィは目を見開く。

 銀狼の加護とは、銀狼の血族にのみ継承されるものだ。

 葵は銀狼の血族ではないし、そもそも種族が違うのだから、譲渡なんてできるはずがない。

 それに、記憶の中に入れるからと言って、加護を譲渡できる素質があるとは限らない。

 記憶の中に入る素質と、加護を受け継ぐ素質が同じものとは限らないのだ。


 自分が突拍子もないことを言っていることは理解しているつもりだ。

 根拠なんてない、憶測だけの物言い。

 本来なら、信じるに値しない、唾棄すべき言葉。

 でも――


「でも俺は、できるならソウファを救いたい。そして、記憶の中で見た彼らの遺志を、少しでも継いでやりたい。この世界の人のために尽力して、それなのに最後の最後で何も成功できなかったという結末を変えられるなら、変えてやりたい。俺が初代勇者のためになんて考えるのも、故人の遺志を継ぎたいと思うのも、傲慢かもしれない。それでも俺は、できることはすべてやりたい。結愛なら、絶対にそうするから」


 真っ直ぐ、ラディナの目を見る。

 綺麗な青色の瞳に、葵が映っているいるのが見える。

 この策を実行に移すにあたって、ラディナの賛同が得られなければダメだ。

 死ぬつもりは毛頭ないが、この一か月ほどを献身的に支えてくれたラディナに反対されたまま、お別れなんてことにはなりたくない。


「いや、でも……それをしたら葵が犠牲になるんじゃ……?」

「その可能性もある。でももし俺に加護を譲渡できるなら、種族が違うから犠牲にならない可能性もある。これに限って言えば、やってみなきゃわからない」


 アフィは意外にも、葵のことを考えてくれた。

 ソウファの為なら何も言わずに乗ってくると思っていたが、アフィの根底は優しいのかもしれない。

 アフィの言葉に答えて、再度ラディナに視線を向ける。

 正直、ラディナには酷な選択を強いていると思う。


「私は……」


 ラディナは初めて見せる険しい顔で、両手を組み、胸の前で強く握りしめ、考え込むように黙ってしまった。

 ラディナの言いたいことはわかる。

 ラディナの役目は俺の身の周りの世話と、俺が地球に帰還するときまでの身の安全の保障だ。

 後者のことを考えた場合、成功すれば俺が死ぬ確率がある加護の譲渡を止めるのは当たり前だ。

 それに、この一か月、一緒に生活をしてきた葵を見殺しにするようなことを許可するのは、心象的にもあまりよくないし、相手のことを恨んでもいない限りその選択を進んでは選べないだろう。


 だが、ソウファのことを見殺しにもできない。

 この二日間、常にソウファのことを考え、どうすれば加護を打ち消せるのかを考えてきたのも事実だ。

 そして何より、葵が結愛を引き合いに出して物事に当たる時、その物事に対してのみ、誰の意見も聞き入れず、妄信的に、愚直に進み続ける。

 それをラディナはわかっている。

 でも――


「私は、葵様を、優先したい……」


 悩みに悩んだ末に、俯いたまま、絞り出すようにして、ラディナは答えた。

 その表情は見えない。

 でも、その声は辛そうで、肩も震えていた。


 アフィは、その声を聞いて、責めるでもなく、絶望するでもなく、悔しそうな表情をしていた。

 ラディナの選択が正しい正しくないを論じるつもりはないが、アフィはここでラディナを責めるのがお門違いだというのを理解しているのだろう。


「だけど――」


 ラディナは顔を上げた。

 そのラディナの表情を見て、葵は総毛立った。

 恐怖や寒気を感じたのではない。

 ラディナの、覚悟を決めた瞳と表情に、強い意志を感じたからだ。


「私はこの子も助けたい。葵様を蔑ろにするつもりも、葵様に死んでほしいわけでもない。私も、可能性があるなら、全部、諦めたくない」

「……手の届く範囲の全てを拾おうとしたら、元々持っていたものを落としちゃうかもしれないよ?」

「それは、葵様にも言えることです」


 アニメや漫画などで、よく聞く言葉をまんまラディナに言ってみた。

 ブーメランだという自覚はあったが、笑みを浮かべながら、呆れたように指摘された。


「それに、葵様ならこの子を助け、自身も守れると信じていますので」

「そりゃ、ずいぶんと高い評価を貰ってるみたいで」


 期待の重さに少しビビりつつ、葵も笑って答えた。

 そのやり取りを見ていたアフィは、恐る恐ると言った様子で口を開く。


「……じゃあ、ソウファを助けてくれるのか?」

「ああ。この子を助けて、俺も死なない。そうなるようにする。力を貸してくれ」

「わかった! 何をすればいい?」

「あの魔術陣に手を加える。加護の対象を銀狼の血族から銀狼の記憶にアクセスできる生物へと変える。そこは俺がやるから、ラディナは魔力を集める魔術陣の構築を。アフィはラディナが構築した魔術陣に魔力を死ぬ手前まで注いでくれ」

「わかりました」

「わかった!」


 まずは紙面に描かれた魔術陣に手を加える。

 最終的には魔力で魔術陣を構築し、ソウファと葵に直接繋がりを設ける予定だが、準備なしにそれをやると失敗する可能性がある。

 頭の中にある魔術陣を構築するより、実際に目にした魔術陣を構築する方がいいだろう。

 ましてや、記憶の中で覗いた技術を実践するのはこれが初めてで、一度でも失敗すればソウファの命が危ない。

 だから、少しでも成功の可能性を上げておきたい。


 葵は筆を手に取り、紙面の魔術陣へと書き込みを加えていく。

 魔術陣の知識がなければ、どう書き換えるのが正しいのかわからなかったが、葵は王城でたくさんの書物を読んだ知識がある。

 対象部分を書き換え、それを変更したことで影響のある部分も一緒に書き換える。

 と言っても、基盤とその下に展開される魔術陣に手は加えなくて済むので、大した変更にはならない。

 それに、初代勇者の構築した魔術陣はベースとなるものがあるのか、一部を変えたことで大きな変更はしなくて済んだのも大きい。

 このことを想定していたわけではないだろうが、それでも感謝したくなる。






 一時間後。






 葵が魔術陣の改編を終え、ラディナも魔力を集める魔術陣の構築を終えた。

 性質の違う魔力を集め、異常反応を起こさないようにする魔術陣自体は初代勇者が編み出しているが、五千年の間研究されていても省略化がまるで進んでいない。

 そのため、ラディナの書いた魔術陣は二メートル四方の大きさになった。

 ただ、この場にいる全員に魔力を注いでもらう予定なので、大きいに越したことはない。

 騎士団員も休憩を終え、葵の策を聞いて葵の身を案じて少し渋ったが、最終的には無理を言って同意をしてもらった。

 自分の身柄を人質にとった、半ば脅しのようなことをしてしまったので、本当に申し訳ないと思っている。


「皆さんは、最初から倒れる限界まで魔力を注いでください」


 初代勇者の魔術陣を展開する上で一つ想定外だったのは、あの魔術陣の展開方法はそれなりに魔力を食うのだ。

 考えてみれば当然で、心臓ほどの大きさとはいえ可視化できるほどの魔力で魔術陣を構築し、体内を流れる魔力と混ざらないように調整する、なんて芸当、技術的な面だけでなく魔力的な面でも相当の負担を強いる。

 技術的な面だけで言えば葵にとってはそこまで難しくはないが、魔力の量は確実に足りない。

 そのためのラディナ以下、三名と一匹の魔力を補充してくれる存在だ。


 ラディナが描いた魔術陣の上に、苦しそうに荒い呼吸をしているソウファを横たえて、その傍に片膝をついて葵も座る。

 目を閉じ、深呼吸を一つ。

 その脳裏には、先ほどまで描いていたソウファから葵に加護を譲渡するための魔術陣が浮かんでいる。

 描いたのち、何度も何度も読み直し、間違いがないかを確認して記憶した魔術陣だ。


 結愛ならこうする、という他人から見れば馬鹿馬鹿しいともいえる理由で、葵は自分の身を捧げて命を救う。

 目の前の、何の関わりもなかったたった一つの命の為に。

 本当に、我ながら馬鹿だよな、と嘲る。

 しかしそこに、後悔はない。


「始めます」


 瞬間、葵の体に異変が起こった。



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