第二話 【コネと伝手】
大半が強化ガラスで作られたの組合への入り口は、在り来りな異世界には似合わず、しかし予想に違わない自動ドアだった。
内装はガラス越しに見えていたものと変わらず酒場のような雰囲気になっていて、昼間だと言うのに席は殆ど埋まっていて、賑わっている様子が見て取れた。
どんちゃん騒ぎしている屈強な男性や、杖を持っているローブ越しでもわかる細身な女性、縦横無尽にフロアを駆け回り、酒やツマミを届ける店員らしき女性。
そのあたりはこのガラス張りの建造物とは違い在り来りな異世界という感じがして、想定外が起こりすぎた異世界生活で始めて想像通りの展開がなされていることに安堵すら覚えた。
「さて、ギルドマスターに合うためには二階に行かなきゃなんだっけ」
「はい。一階が食事や休憩などを取るフロア。二階が組合としての仕事の受注を行うフロアになっていますので」
「じゃあここでの食事はまた今度だね」
ラディナに確認を取り、お祭り騒ぎなそのフロアを一瞥して階段を登る。
二階は一階とは打って変わり、落ち着いた雰囲気だった。
階段を登っただけなので一階の騒ぎ声が完全に遮断されたわけではないが、それでも比較すればかなり静かで落ち着けるフロアだ。
階段を登って真正面にはタブレットの置かれたカウンターが十台並んでいる。
左に視線を動かすと六つに区切られたカウンターがあり、同じ制服を着た受付嬢らしき女性が一カウンターごとに二人ずつ座っていた。
制服や座っている女性の制服姿から察するに、カウンターが四つに区切られている理由はあまりないのかもしれない。
「あの」
「はい。なんでしょうか?」
「この手紙をギルドマスターに渡してほしいのですが……あ、差出人はアルペナム王国騎士団団長のラティーフです」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
「あ、待ち時間に組合員の登録をお願いしたいのですが」
「では私の方で対応させていただきます」
一番近かった右のカウンターの受付嬢に話しかけ、目的の一つだったラティーフからの手紙を無事渡し、次の目的である組合員の登録をお願いする。
特殊依頼を受注するだけなら組合員の登録は必要ないのだが、結愛の方からこちらを見つけてもらえる可能性もあるので、多少は名を広めておきたい。
異世界召喚モノにおいて、冒険者やそういった類の職に就いたときは得てして速い段階で高ランクになり、名前が知られるという展開がよくある。
大きな街を回り、結愛のことを聞いてまわろうと考えているため、その移動手段は探索も可能な基本的に徒歩となり、その道中では魔物に襲われることもある。
依頼を受けていればいずれランクアップはできるが、強大な魔物を討伐した場合や、町や村などを救った場合などは、例外としてランクが上がることがある。
召喚者としての実力を見せつけていけば、これが狙える。
銅以上のランクになれば、
組合の登録員なら誰でも知っていて、しかし誰にでも達成できることではない高速ランクアップを果たせば、知名度が爆上がりすること間違いなしだ。
その際に受けるであろうやっかみやその他ゴタゴタは、王家の権力と召喚者特権をフル活用して避ける予定なのでデメリットになる可能性は低いから気にしない。
「ではまず、戸籍票を。こちらで新たに戸籍表を作成させていただきます」
「俺は持ってないからお願いします。ラディナは――」
「私は持っていますので大丈夫です」
手渡されたタブレットに基本的な情報を入力して、戸籍表を作成した。
王城ではあまり見ることのなかったハイテク技術に時間を取られることなく組合員の登録へと入ることができたのは、王城で馬鹿の一つ覚えのように本を読み漁っていたことが功を奏したといえるだろう。
表示される言語がこの世界のもので、それを一つ一つ理解し翻訳しながら入力していったために少し時間がかかってしまったが、入力自体は滞りなく終わらせられた。
ちなみに、今製作をお願いした戸籍表は簡易的なもので、ちゃんとしたものを作るには、異世界物のテンプレである血の採取を必要とする。
尤も、簡易的かそうでないかの違いは、血液型を調べるか調べないか程度の差しかないので、面倒だったり時短したい人などは簡易的な方を選ぶらしい。
その間に、ラディナは組合員の登録作業に入っている。
戸籍表はどの国のどの組合でも使用できるようにするため、全組合のデータバンクとの共有が必要になる。
その作業に少し時間がかかると言われたが、それを待っている間に、きっと先程渡した手紙のほうでなにか動きがあるので、問題ないとだけ答えておく。
「失礼。アルペナム王国騎士団団長、ラティーフ殿からの手紙を預かったというのは君で間違いないかな?」
「組合長。お疲れさまです」
「うん、お疲れ様。それで、君であっているかな?」
受付嬢とのやり取りが終わり、あとは待つだけとなったタイミングで、背後から声がかけられた。
振り向いた先にいた声の主は身長が高く、しかし大柄でない、いわゆるゴボウやモヤシと例えられるようなひょろ長い男性だった。
骨と皮、それと少しの肉で覆われた細腕とその先にくっつく手、そしてその手に握られた封の切られた手紙をこちらに見せてくる。
本来はキリっとしているであろう鋭い目つきに覇気はなく、目の下のクマも相まって彼の疲労具合が如実に表れていた。
筋骨隆々で縦横ともにいい意味で大柄なラティーフとほぼ正反対の彼が、学生時代、
しかし、声をかけるまで足音はおろか、ローブの衣擦れ音なども何一つなかったことから、組合長と呼ばれた彼が手練であることはすぐ伺えた。
異世界モノで言うところの冒険者とかなり似た意味合い、似た体制を持つ組合の長ともなれば、これくらいの実力が必要なのだろう。
もっとも、常時展開している魔力感知でばっちり捉えていたので驚きはしなかった。
それよりも、暇になったタイミングで現れる都合の良い展開になったことに、現実でもこんなことがあるんだ、と驚いたくらいだ。
「はい。俺で間違いないです」
「よかった。早速だが話がしたい。少しお付き合い願えるかな? もちろん、君の事情も知っているから手短に済ませる」
「わかりました。戸籍表ができるまでの間でならいくらでも」
その言葉に彼は頷き、ついてきてくれ、というとスタスタと階段を登って三階へと足を運んだ。
三階は二階よりも静かな場所で、仕切りもドアもほとんどなかった一、二階と比べると事務所のような風貌を、廊下に足を踏み入れた段階で感じられた。
その考察を肯定するかのように掲げられた室内札には、組合長室と書かれていた。
その他室内札が割り当てられた部屋は、一般的な休憩室や更衣室などの部屋や、解体室や鑑定室など元の世界ではあまりお目にかかれないもあった。
「ここだ。そこのソファに腰かけてくれ」
「失礼します」
組合長に案内されたのは、最初に目に入った組合長室という室内札の掲げられた部屋。
組合長が手ずから木製の扉を開いて部屋へと手引してくれた。
中は執務と接客をできる程度の装飾しかされてなく、質素な部屋だった。
執務を行うであろう仕事机には紙がどっさり積まれていて、彼の多忙さを示しているように思えた。
その仕事を後回しにしてか、あるいは後処理をしていないだけなのかわからないが、よくわからない俺たちを優先してくれているのはありがたい。
単純に、ラティーフとの旧友だからそっちを優先しただけかもしれないが。
言われたとおり、革張りの柔らかいソファに並んで座り、膝くらいまでのローテーブルを挟んで組合長が腰を下ろした。
ラディナはいつも通りというか、葵の斜め後ろに違和感なく立っている。
組合長は一瞬何か言いたそうにしたが、それよりも、と本題に入った。
「さて、時間がないから手短に。私はマンドゥ・トゥン。アルペナム王国首都、アルメディナトの組合長をやっている。君たちのことは手紙で多少は知っているから本題に入ろう」
「頼みます」
「まず手紙の内容だが、君の――“召喚者”綾乃葵を援助をしてくれとのことだった。この世界の未来の一端を担わせるのだ。私の持てる権力とコネを全て使い全うしよう。他にも色々……“召喚者”に関する機密情報も、援助するに当たりある程度は教えてもらっている。何かあれば遠慮なく聞いてくれ。どんな相談にも乗ろう」
「ありがとうございます」
目の下のクマを全く意識させないハキハキとした物言いで、マンドゥは会話を進める。
というか、初めて
「さて援助の話だが、まず手紙の内容を踏まえて、まず私が使える権限の中でできることは何でもしよう。直接的に板垣くんの捜索には関われないが、援護ならできる。必要なら何時でも言ってくれ」
「ありがとうございます」
「他に、組合で得た情報で、綾乃くんに関わることは常に回そう。これは受付嬢から聞いてくれ。緊急を要する場合は私が直接呼びかけたりするので、頭に入れておいてくれ」
「わかりました」
その後も、何が援助できるのか、どのくらいまで援助できるのか、という話を、時折相槌を打ちながら聞いた。
とても簡潔に、そして今後の動きがかなり楽になることを、マンドゥはさも当たり前かのように淡々と連ねた。
賄賂とかは全く無いので法で裁かれることはないが、この話の内容が外部に漏れれば、ひんしゅくを買うこと間違いなしだ。
「――今、考えられることはこのくらいだ。他になにか、してもらいたいことはあるか?」
「……では一つ。違和感がないように、それでいて目立つように、俺たちのランクを上げてもらいたい」
「理由は?」
「俺の名前が広まれば、結愛の方から俺に接触してくれる可能性があるからです」
「承知した。今ならより、効果があるかもしれない」
「なぜか聞いても?」
せっかくなので、目論見の一つでもあった名を広めることの援助をお願いした。
マンドゥは、その言葉を聞いて名案だ、とでも言うように表情を明るくした。
「数年前、似たようなことをした組合員がいるからだ。その組合員は少し特殊というか、特別でな。個人情報なのであまり詳しいことは話せないが、他人から見たら依頼を完了しているようには見えないのにランクだけ上がっていくものだから、賄賂だなんだと騒がれ色々とやっかみを受けていたが、その全てを無関心と無反応で跳ね除けていた。関係の有無にかかわらず、その記憶が想起させられる状況になれば、名声であれ悪名であれ、名前が広まることは間違いない」
「広まるのなら、俺は悪名でも構わないと思っています」
結愛ならわかってくれるからという絶対の信頼が、その言葉を口にさせた。
マンドゥはその反応をわかっていたかのように笑みを浮かべ、頷いた。
「わかった。では、そちらの処理はこちらで行っておく。少し時間がいるだろうから、その間に綾乃くんたちは、適度に依頼をこなしてくれ」
「わかりました」
「……それと、一ついいかな?」
「なんでしょう?」
言って良いのか悪いのか、底を確認するように恐る恐る訪ねるアンドゥに、ここまで自分に尽くしてくれる人に不義理はできない、と先を促す。
「この手紙にも書いてあったことだが、綾乃くんは“初代勇者”と同等以上の“魔力操作”技術を持っているというのは本当かい」
「本当です。手紙にあるかどうかはわかりませんが、大気中の魔素を感じ操れます」
「書いてあった。なるほど、本当のようだな。しかし、魔力の総量が少ないから魔術をあまり使用できない、と」
「そうです。初級魔術を数発撃てば、魔力が枯渇するくらいには少ないですね。それが何か?」
いきなり葵のことについて尋ねてきたので、その心配は少ないとわかっていながら、何か面倒なことを頼まれるのではないか、と少しだけ身構える。
その警戒を見透かしたのか、アンドゥは大した意味はないんだ、と前置きしてその話題を振った意図を話した。
「魔術は毎年研究され、最適化されているんだ。最小の魔力消費で、最大の威力を発揮できるように」
「そうなんですか。いやまぁ、普通に考えたらそうなんでしょうけど」
「うむ。それで少し考えたことがあったんだが、葵くんもその研究に参加してみてはどうかな、と」
「なるほど。面白い提案ですが、俺は結愛の捜索に専念したいので」
「綾乃くんならそういうだろうと思った。……いや、綾乃くんでなくとも、大切な人を助けたい人間ならそうするだろう」
葵の言葉に、アンドゥは頷いた。
「もし結愛くんを助けて、まだ大戦が始まっておらず、綾乃くんにその意思があれば、私に言ってくれ。私なら学園に顔が利く。綾乃くんの異世界の知識とこの世界の魔術の知識を組み合わせたら、何かが起こるかもしれないからね」
「わかりました。その時はお願いします」
「ありがとう。話は以上だ。長い間突き合わせて悪かったな。そろそろ組合員の登録が終わるころだと思うから、下で受け取ってくれ」
「ありがとうございます」
ソファから腰を上げ、破格の待遇を約束してくれたアンドゥへ感謝の意を込め頭を下げ、入ってきた扉へと足を運ぶ。
「そういえば、この後はどうするんだ?」
扉に向かっていると、アンドゥが背後からそう尋ねてきた。
振り返り、その問いに「どういう意味だ?」という疑問を込めた表情を浮かべた。
その顔を見てか、言葉足らずだった、と付け加えて続けた。
「結愛くんの捜索は町や村を回り情報収集を行うのだろう? 今からでは最短の東の町のアクサナに到着するのは早くても朝だ。だとすれば、明日の朝に発つのが最適だと思った故の疑問だ」
「そういうことですか。ですが、俺たちは“身体強化”で馬車よりも早く移動できますので、今から王都を発ち、アクサナで夜を越して情報収集を行ったのち、また移動します」
「“身体強化”、か。さすが召喚者というべきか。……ところで、ラディナくんから物凄い怒気を感じるのだが、大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫ですのでお気になさらず」
「そ、そうか。では気を付けてな。こちらで結愛くんの情報を得たらすぐに伝える」
「よろしくお願いします」
再び頭を下げて、今度こそ部屋を出る。
「葵様――」
「愚痴はあとにしてくれると助かる。これから依頼とかするから」
「……わかりました」
不承不承といった様子で頷いたのを確認し、心の中で謝罪しながら二階へと戻る。
先ほど受付をしてくれたカウンターへ行く。
「お待たせしました」
「お待ちしておりました。こちらが、綾乃葵様の戸籍表となります。そしてこちらが、綾乃葵様とラディナ様の組合員証と、等級証になります。等級証は視認できる位置につけてください」
「わかりました」
戸籍表と組合員証はクレジットカードほどの大きさで、それぞれ名前や性別、年齢や血液型なんかの情報が印刷されている。
二つの違いは色と材質程度で、それ以外は用途以外に差はない。
等級証がなかったころの等級を示すためのものとして組合の創立当初からあったのもを、今ではこなした依頼や魔獣の盗伐数などの細かな情報を一時的に記録し、データバンクに複写したりあるいは引き出したりするための媒体になっている。
等級証はバッジのようなものになっており、それぞれの等級を一目見てわかるような形になっている。
一番下の錫等級はその名前から鈴の形を模している。
「これで、組合への登録は終了です。綾乃葵様、ラディナ様の等級は錫です。銅等級までは依頼をこなしていくことで無条件で上がりますので、死なないように頑張ってください」
「はい」
「それから、簡易的な注意事項を。基本的に組合から何かを強制することはありませんが、組合に相応しくないと判断した場合、組合員の資格を剥奪する場合もございますのでご了承ください。依頼を受ける場合はそちらのタブレットで手続きを行えます。その他、組合の施設の使用は基本的に自由に立ち入ることが可能です。許可が必要な場合は、その施設の責任者か、組合ごとの組合長に許可をもらってください」
「わかりました」
階段を上ってすぐ目に付く十台のカウンターは、依頼を受注するためのものだったらしい。
張り出してある依頼から自分にあった依頼を選び、受付嬢に受注の手続きをしてもらう、というよく見かける形でなかったことに驚くと同時に、読んだ本の知識から、おかしなことではないのかも、と推測する。
王城で調べた限り、初代勇者の時代にはすでに数々の科学技術が取り込まれた文化が形成されていたらしく、むしろ現代においては資源不足により生産が難しくなっているらしく、昔の時代に作られたものが改良などを重ね、現代まで使われている。
しかもそのほとんどが、魔獣の多かった昔の時代に最も重視されていた組合に使われており、王城の図書館が紙だけで、電子書籍の運用がなかったのはそれが理由だ。
「組合からは以上になります。何か質問はございますか?」
「あ、えっと、依頼をお願いしたいんです」
「かしこまりました。ではこちらに、必要事項をご入力ください。依頼内容と褒賞の額が釣り合わない場合、依頼を受注する人がいなくなる場合がありますのでご注意ください。入力を終えたら下部にある確認画面を押下していただき、その状態でこちらに戻してください」
「わかりました」
手渡されたタブレットには、依頼の作成というページが開かれており、そこに書かれている項目に沿って入力を進める。
相変わらず言語面でまだ苦労はするが、本を読み続けたこの一週間が無駄ではないことは、解読速度からも見て取れる。
入力画面から確認画面へと移り、問題ないことを確認してから受付嬢に返却する。
同じ確認画面で、今度は受付嬢がその依頼におかしなところはないかを精査する。
上から下まで目を通し、途中、驚いたような表情を見せたが、最後まで何も言わずに確認を終えた。
「ええっと、勘違いさせてしまったみたいなのですが、先ほどの依頼内容と褒賞の額の釣り合いは、ここまで褒賞額を高くする必要はないんです。言い忘れていましたが、褒賞額はこの場で渡せる額でなきゃいけないんです」
全責任は自分にあると言わんばかりに、すみません、頭を下げて謝罪する受付嬢。
入力した褒賞額は、金貨百枚。
それは、一般人の平均年収が金貨二~三枚だということを考えれば、明らかに異常であることが見て取れる。
「誤解させちゃったみたいで申し訳ないんですが、それで問題ないです。組合長に確認していただければ、おそらく、問題ないはずですので。もしダメだった場合は、組合長の匙加減で違和感をなくしてください、と伝言してください」
もちろん、担当してくれた受付嬢に責任などあるはずがないので、こちらこそごめんなさい、とその誤解について説明した。
それを聞いた受付嬢は、少し怪訝な表情を見せながら、すぐに営業スマイルに持ち直そうとして、若干失敗した微妙な表情になった。
「か、かしこまりました。後で確認しておきます。では、他に何かございますか?」
「俺は大丈夫です。ラディナは?」
「特には」
「じゃあ大丈夫です」
「かしこまりました。これでこちらで行う作業は終了となります。お疲れさまでした」
徹頭徹尾、丁寧な対応をしてくれた受付嬢に感謝の意を込め頭を下げ、依頼受付のカウンターをスルーし階段を下る。
組合への登録と組合長との話を終えてもなお変わらず騒がしい一階の酒場を脇目に、組合を後にする。
中央広場は酒場とは違う賑やかさがあり、人の数は酒場よりも断然多い。
一番豊かな国と称されるこのアルペナム王国の首都だから、当然といえば当然だ。
「葵様。少し静かな場所へ行きませんか?」
「わかった。でも立ち話してる時間はないから……そうだな。首都の細かい図面覚えてないから、当初の予定通り、屋根の上を伝っていくでいいか?」
「わかりました。なら、第二区画の上を伝っていきましょう」
「そうだね。あそこは集合住宅が多いから屋根は基本的に平たいし。じゃあそれでいこう」
人の往来が多いこの場所だと、あまり踏み込んだ話ができないと、ラディナの提案で移動と並行して話をすることになった。
本来この町の外に出るには、中央広場から約十キロメートル離れた東西南にある門へ、大通りを走る定期馬車かあるいは徒歩で移動し、門で身分を確かめる、という工程が必要になる。
他国へ渡るわけではないので、門で時間を食われるわけではないが、なにせ門までの距離が距離だ。
馬車専用の道があるとはいえ、すぐ横を人が歩いている場所では馬車の出せる速度なんてたかが知れているし、ましてや徒歩なんて、可能な限り早く移動したい今は以ての外だ。
この国に電車なんて便利な移動手段はないので、早く、安全に移動するとなれば、屋根の上を“身体強化”を使って走るのが最速になる。
尤も、銅等級の冒険者や元軍人、あるいは弛まぬ努力を積み重ねてきた人など、才能のあるものにしか“身体強化”は使えないので、誰でもできる手段ではない。
中央広場を横断し、ちょうど真反対にある第二区画に入る。
大通りからそれほど離れたわけでもないのに、目につく人の数が明らかに減り、そして耳を傾ければまだ賑やかな音は聞こえるものの、会話をするには問題ないほどの音量になった。
静かな場所、という目的の一つは達成できたので、次は移動のために某大人気ゲームの壁キック要領で屋根へ上がる。
屋根の上からの景色は、王城の部屋の窓から見えていたものとは少しだけ違い、人々の生活から発生する微かな熱が感じられた。
「移動の前にまず、確認しておきたいことがあります」
「わかってる。“身体強化”を使うって言ったことでしょ?」
「その通りです。葵様はつい数時間前に、それを失敗しております。最悪の可能性として死がある以上、いくら時短のためとはいえ、“身体強化”を行使するのを認めるわけにはまいりません」
「わかってる。ラディナの言いたいことも、言ってる意味も、怒っている意味も、それが正しいってことも、全部わかってる」
葵の言葉の通り、全部わかっている。
“身体強化”は体内魔力の循環速度を速め、身体能力を向上させる技術のことだ。
体内の魔力を使う場面といえば、大気中の魔素を介さない魔術を行使する際や、あるいは家具なんかの小物を使用するときくらいで、現代においてはめったに使用しない。
そして使用する場合においても、使う量は極僅かなもので、体内の全魔力を使うなんて場面は早々ない。
そして、少量であればあまり問題がない出力ミスも多量になればなるほど危険になり、たとえ葵の保有魔力が初球魔術四、五発分とかなり少ないと言えど、その被害は少なくない。
現に先ほど、葵は出力をミスったことで腕がしばらく使えなくなった。
魔力の詳しい理論はまだわかっておらず、統計上、葵の保有魔力量では死に至る危険性は少ないとはいえ、可能性の上では容易にあり得るからこそ、ラディナは怒っているのだ。
「もちろん、俺は自ら怪我をするつもりも、死ぬつもりも毛頭ないよ。結愛を助けるために俺が犠牲になってちゃ意味がないし、なにより結愛はそれを望まない」
「存じております」
「うん。でもここで渋ったせいで結愛を助けられませんでした、なんてことになったら、俺は俺が何しでかすかわかったもんじゃない」
「それも存じております。ですが“身体強化”による弊害のせいで、結愛様を救えない可能性もあります」
「そうだね。……結愛を助けられないことを『後悔』って言うのは違うけど、『やらない後悔よりやる後悔』って結愛から教わったんだ。だから、俺は使う」
「――――」
納得させるように、してもらえるように、自分を貫いた言葉を告げる。
結愛を助けるために、最善を尽くす。
この一週間、ラディナに対してずっと示してきた心意気と覚悟。
奇をてらった返事でも、突拍子もない言葉でもない、綾乃葵として必然の回答。
「……葵様は頑固ですので、私の忠告はほとんど意味をなさないでしょう」
「いやそんなことはないよ? ちゃんと正しいと思った忠告は聞くし聞き入れるよ?」
「しかし結愛様が関わった場合は、そうではないでしょう。わかっててからかっていますね?」
「えっと……すみませんでした」
緊迫した雰囲気に耐えられず、無意識的に茶化そうとした発言は、しっかりとラディナに拾われて指摘された。
実際、無意識的な発言だったとしても、その指摘の正しさは理解できたので素直に謝罪する。
「では“身体強化”の使用に際して、一つだけ制限を設けます」
「制限?」
「はい。“身体強化”は最大ではなく常に七割程度で、必要に迫られたときのみ最大にしてください」
「……それ、俺の裁量でいくらでも誤魔化せるんじゃない? それに自慢みたいになるけど、俺の魔力操作の技術なら余計に気づけなくなるんじゃないか?」
「はい。ですので、この制限は葵様の良心に全て委ねられています。葵様が私を欺こうとするなら、それでも構いません。尤も、私が葵様の全力についていけるかは別ですが」
葵とラディナでは、前提としての魔力総量が違う。
葵が初級魔術を二、三発しか打てない魔力量に対して、ラディナは中級魔術を五、六発ほど打てる魔力量がある。
中級魔術が最低でも初級魔術の倍ほどの魔力量を必要とするので、初級魔術換算だと十発以上も打つことができることになる。
いくら葵のほうが“魔力操作”に優れ、体内魔力を余さずに活用できる量が多いとは言え、そもそも“身体強化”は体内の魔力量に比例して効果が上下する技術だ。
効率はとんでもなく高いが、少ない資源でやりくりしなければならない葵と、効率はそこまで高くないが、葵の四、五倍はある資源を使えるラディナだと、ラディナのほうが高みに行けるのは明白だ。
人間の中で一、二位を争える葵の“魔力操作”技術があるから、向こう数か月はまだ高みに居れると思うが、それもラディナの成長次第だ。
「……わかった。俺の七割。基本はそれしか使わない」
「そうしていただけると、私としても心配事が減ります。一々確認をしていては緊急時に困りますからね」
「今考えるとその通りだね」
ほんの数日前に交わした約束が、改めて考えるとあまり最善策ではなかったことに気が付いて、何考えてたんだろね、と苦笑いする。
しかしこれで、ラディナの怒りの原因が解消された。
「じゃ、“身体強化”のルールも定めたことだし、行こうか」
「はい」
葵の号令で、二人は
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