第十三話 【出立】
召喚者はこの世界に来たことで、個人差こそあるものの、肉体強度や体力などの身体的な部分が上昇している。
高校生がプロ選手と同等の身体能力を得た、という例えで語弊がないくらいの上昇といえば、わかりやすいだろう。
しかし、いくらプロレベルの肉体を持っているとはいえ、“人”という種族の枠を超えたわけではない。
つまるところ、肉体の強度を超える攻撃を喰らえば、容易く死ぬのだ。
「は、隼人ッ!!」
翔が慌てたように隼人が叩きつけられた場所へと駆け出した。
その行動を受け、日菜子が後を追い、ラティーフが結界の維持を指示し、日菜子のあとを追従する。
先頭を行く翔は、パラパラと舞い散る藺草を掻い潜り、うつ伏せで横たわる隼人を見つけて絶句する。
日菜子もすぐに翔に追いつき、翔の見た光景を目の当たりにすると同じ反応をした。
「そ、んな……」
「嘘……よね?」
二人の視線の先にいたのは、どこから出ているのか見当もつかないほどの多量の血を、畳の剥がれた床にダラダラと垂れ流し、ピクリとも動かない隼人の姿だった。
血を日常的に見ることのない一般人からすれば、精神に異常をきたしてもおかしくないその光景は、翔と日菜子に二つの衝撃を与えた。
一つは、つい先ほどまで曲がりなりにも会話をしていた
そしてもう一つは、
言葉を失い、ただ立ち尽くす二人の傍に、苦虫を噛み潰したような顔をした葵が近づいてきた。
その表情が、誰がどう見ても人を――知り合いを殺したものとは思えず、二宮翔は綾乃葵という人間に恐怖を覚えた。
それは、隣にいる幼馴染の日菜子も同様で、恐怖と理解不能を併せたような、到底、知り合いを見るような目ではない視線を葵に向けていた。
この戦いを見物していたクラスメイトも師団員も、葵に向けて似たような視線を向けているのが、見ていなくともわかる。
そんな視線を受けているはずの葵は、それらには目もくれず、歩みを止めないままラティーフに視線を向けた。
「ラティーフ。早くそいつの治療を。結界があるから大丈夫だと思うが」
「ああ。わかってる」
葵とラティーフの会話についていけず、キョトンとしている翔たちを無視して、ラティーフは隼人の傍に座り込む。
そのまま隼人に手を翳すと、淡い光が発現し隼人を包み込んだ。
何が起こっているのか理解できず、疑問で埋め尽くされている翔と日菜子を他所に、葵とラティーフは会話を続けた。
「もう大丈夫だ。血だけは大量に出ていたが止血はしたから命に別状はない。お前が急所を外したお陰だな」
「ならよかった。それで、試験の結果は?」
「問題ない。今のお前なら外で魔獣と出会っても倒せるだろう。だがその前に二つ聞かせろ」
「どうぞ」
ラティーフは、人を殺しかねない攻撃をした葵を叱らなかった。
それよりも、とでも言いたげに、命令口調で質問を投げた。
「まず一つ。“身体強化”はどこで会得した?」
「ラディナに教えてもらいました」
「側付きのか?」
「はい。彼女の母親が昔、冒険者をやっていたらしく、ラディナが子供のころに教えてもらっていたそうで」
「なるほどな。まさか、あの歳で“身体強化”を使えるとは驚いたが……まぁ、それはいい。お前も、卓越した魔力操作があるから問題はないだろ」
ラティーフはラディナが“身体強化”を使えると知って驚いていた。
“身体強化”は、魔力操作ができれば誰でもできるとはいえ、技術的には難しい部類に入る。
それを、まだ子供といって差し支えない十二歳のラディナが扱えると言われたのだから、その驚きも真っ当なものだ。
「じゃあ二つ目。お前が左手を握った時と、隼人が空中に跳んだ時、隼人の動きが著しく鈍ったが、あれはなんだ?」
「あれは結界内にあった大気中の魔素をあいつの周りに圧縮しただけです」
葵の簡潔な説明に、ラティーフは目を丸くする。
いつの間にか近くにいたアヌベラも、文字通り何を言ってるのかわからない、とでも言いたげな表情になっている。
「魔素を圧縮? 魔力じゃなくてか?」
「知っての通り、俺の魔力量は子供並みに少ないですから、あいつの全身を包み込むほどの魔力を自前で用意するなんて芸当はできません。もし無理にすれば、命を投げ出すことになりかねないですから。だから、多少効率が落ちたとしても魔素を使ったんです」
「それはわかったが……」
「疑問があるならお答えしますが」
ラティーフは葵の説明を受けて、葵のやった技術を理解はしたが納得はできない、とでも言いたげな表情を浮かべた。
「いやな? 魔力を集めて圧縮させるってのも、アヌベラや魔力操作に長けた人間ならできないことはないんだろうけど……」
「じゃあ魔素を圧縮したことがわからないのか」
「ああ、そうだ。魔力操作はあくまで、体内にある魔力の操作する技術だ。まぁ俺たちからしたら、体を動かすのと変わらないが……」
「それと同じ要領で大気中にある魔素を操っただけです。魔素を感じられるなら、操れてもおかしくないでしょう?」
「魔素を感じる?」
何言ってんだ? と疑問の表情でラティーフは言った。
いやそれこっちのセリフだぞ、と思ったのだが、ラティーフの隣にいるアヌベラも、何言ってんだ? と疑問の表情を浮かべている。
これは何かがおかしいぞ? と思いつつ、その疑問を解消すべく口を開く。
「――魔素……感じません?」
「感じないぞ。魔素なんて」
「……じゃあ俺がおかしいのかもしれません」
「葵の側付きのラディナは、このことをどう言ったんだ? まさかラディナも魔素を感じられるのか?」
「ラディナ。魔素って感じる?」
「いいえ。今の説明を聞いて、葵様は常識に囚われにくい常識人という認識を、常識を異常なまでに逸脱する異常者という認識に改めました」
「酷いな。まぁ魔素を感じる俺が異常ってのは認めるけど」
ラディナの毒舌も、この数日でこうしてさらっと流せるくらいには慣れたものだ。
「しかし、その技術は私やラティーフ様などには話しておいてもよかったのでは?」
「でもほら、『敵を騙すならまず味方から』って諺を実践した奥の手の中の奥の手だから……」
「それは理解しました。ですが、葵様のそれは、その諺を実践するべきタイミングではありません」
「はい……」
「確かに、魔素を操るという技術は現状、葵様にしかできないのかもしれませんが、それが他の人にバレたとしても、葵様に何か被害が及ぶわけではありませんよね?」
珍しく――というか、この一週間で初めて聞くラディナの早口に気圧されつつ、懸念していた事象で反論する。
「そうだけど、もし魔人とかに知られたら大変じゃない?」
「そもそも魔力を他人の周囲へ集めるなんて戦闘をするのは葵様だけです、という前提はさておいて、魔人の場合、魔素を扱うよりも自身の魔力を使うでしょう。魔人の魔力保有量は召喚者の方々と比べても遜色ないほどだとされています。そんな魔人が、敢えて効率の悪い方法を使うと思いますか?」
「……いないと思います」
「であれば、相手に知られると破綻してしまう作戦以外、その諺を実践しないようにお願いします」
「はい。わかりました」
思わず敬語になってしまうくらいの気迫に、言っていることの正しさも相まって、頷くことしかできない。
そもそも頷かないという選択肢はないのだから、当然と言えば当然だ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「どうした翔? 今の話がわからなかったか?」
「そんなことを言いたいんじゃないんです! 隼人は!? 隼人は助かったんですか!?」
翔がいきなり大きな声を上げたかと思えば、数分前に終わった話を掘り返してきた。
ラティーフが隼人の傷を直した場面をすぐ傍で見ていたのだから、普通ならわかっていてもおかしくないはずだ。
が、人が血をダラダラ流して倒れているなんて場面、普通なら遭遇するはずもないので、動揺し、隼人が治療されたことを理解できず、その後の会話も全く耳に入っていなかったのかもしれない。
それをラティーフもわかったのか、あるいは単に質問に答えようとしただけかわからないが、ともかく翔の質問に回答した。
「ああ、傷は治した。血は流れているが、死ぬほどじゃない。無事だよ」
「そうなんですね……! よかった……」
ラティーフの言葉を聞いて、翔は心底ホッとしたように肩を撫で下ろした。
隣では、日菜子も同じように安堵の表情を浮かべていた。
翔は隼人の言葉に憤っていたように見えたのだが、今はどうなんだろうか、と少し疑問に思いつつ、隼人の言動にあの場にいた人たちがどう思うのかはあまり関係がないので、まぁいっかと放置する。
「もう質問は大丈夫ですか?」
「ああ。引き留めてすまなかったな。じゃあ最後に、アヌベラから試験終了祝いを受け取ってくれ」
「試験終了祝い?」
「ええ。こちらがその祝いの品です」
そう言って、アヌベラは手のひらに乗るくらいの小さな箱を胸ポケットから取り出した。
その箱を葵の前に差し出して左手でそれを開くと、中からは金色というには少しくすんだ、ヘーゼルナッツ色のリングに、白色の綺麗な宝石が嵌め込まれた指輪が現れた。
「……えっ、告白ですか? いやその、俺はノンケなんで」
「違いますよ。わかりやすいネタに走らないでください。これはミキト氏が主導となり、様々な人が葵様のためにと、寝る間も惜しんで製作した“空間創造”と“空間操作”、そして“空間接続”の三つの効果が付与された、世界に一つだけの指輪です」
「なるほど。魔力を使うことでその効果を自在に使える、というわけですね?」
「その通りです。ミキト氏曰く、試作もなしの一発作成だから、初代勇者様の使っていたとされる“時間停止”の効果はなく、物の出し入れは魔力を通す場所で変えるという、現状、魔力操作に長けた人にしか扱えないなどの欠点がある、とのことです」
「本で読みました。初代勇者が作成したものの中には、再現不可能とまで言われたものがある、と。その内の一つである“限定的ではあるが空間を操る道具”を、ほぼ完ぺきに再現しているのですから、誇るべきですよ」
初代勇者が作成したもののほとんどはその資料が失われており、葵の言葉通り、今では再現が限りなく難しく、中には再現不可能とまで言われるような代物を数多く輩出したらしい。
初代勇者の作成したものと同レベルでの再現が難しいとされているのは、パレードで隼人が使用した“弥刀”や、共和国にのみ存在する魔力列車、あとは共和国を囲む全自動結界などが挙げられる。
そして、再現不可能と言われていたものは、持ち主の適性に応じて成長し続ける“聖剣”や、身近なものでは、国民の情報を収集し管理する国民証、冒険者ギルド――この世界で言うところの、組合の基本システムになっている会員証とそれを発行する機械、そして、アヌベラが言った“空間に干渉する指輪”がそれにあたる。
つまりミキトは、不可能とまで言われていたとんでもない代物の再現を、この一週間でたくさんの人の力を借りて、実用に至るまでに仕上げたのだ。
再現不可能なものを前々から研究していたのかはわからないが、何にせよ歴史に名を残すことのできる偉業だ。
「ええ。私もそう思います。ですが、ミキト氏は自分の能力なら完全再現できる、と思っていたらしく、どうにも納得いっていないようです。ただ唯一、“空間創造”があるので、容量は実質無限であるところだけは誇れる、と」
「再現不可能と呼ばれたものを再現した上に、一部では超えてるんですから、やっぱり唯一なんて謙遜はしないでください、って伝えてください」
ミキトの理想はかなり高いもので、その目標に達していないことに対する悲しみはわからなくもないが、それを差し引いてもミキトの功績は誇るべきだ。
それほどまでに、この指輪の性能は凄まじい。
異世界モノでよくある温かいものは温かいまま保存できる、という機能はないらしいが、それを差し引いても余りある。
ミキト氏に伝えたら喜ぶでしょう、とアヌベラは爽やかな笑みを浮かべる。
眩しくて目が痛くなるくらいの爽やかさだ。
「それでは、使用方法を説明しますね」
「お願いします」
「まず指輪に物を入れるときは、入れたい物の近くに指輪を寄せて、青く縁どられた方へ魔力を通してください。すると、生物以外の物質を取り込みます。物を出したいときは、反対側の赤く縁どられた方に魔力を通すことで、内部空間へアクセスできます。その繊細な違いは葵様でも難しいかと思いましたが、魔素を操るくらいですし、問題なさそうですね」
その説明を受け、よくよく指輪を見てみれば、宝石を挟んで左右のリングの縁が赤と青で分かれていた。
僅か一センチもない二つのポイントに、漏れなく魔力を注ぐことで、指輪の効果を発動できるらしい。
普通ならその操作に意識を集中させる必要があるくらい難しい作業だが、この一週間で狭く深い才能を伸ばし続けたことにより、今の葵だと苦も無くそれを行える。
「そうですね。ちょっとやってみますか」
そう言って、葵はラディナから旅装用のリュックを受け取り、指輪に近づけて青色の方へ器用に魔力を注ぐ。
すると、シュンッと効果音でも付きそうなくらいの速さで、光の粒子となって消えていった。
聞かされていた通りの効果を実際に目にしただけだが、おお、と驚きの声が漏れた。
では、と今度は赤い方へ魔力を注ぐ。
すると、何とも形容しがたい感覚が、葵の脳内に流れ込んできた。
無理に言語化するとすれば、膨大な空間の中に、先ほど収納したリュックがふわりと浮いている、という感覚だろうか。
そのリュックに向けて取り出すようなイメージを抱くと、遅すぎず早すぎない速度で光の粒子が集合し、先ほど収納したリュックを形成する。
「完璧ですね。おそらく、ミキトさんが想定していた通りの性能です。これを色んな人の助けがあったとはいえ一週間で作ったのですから、やはり誇るべきです、と伝えておいて下さい」
「そうですね。実際に目の当たりにしてみると、その感想が正しいものに思えます。その指輪の作成に携わった人たちへ、きちんと伝えておきますね」
「お願いします」
再び、そのリュックを指輪に戻す。
一度、物の出し入れをしてみれば、持ち前の才能が早速慣れたようで、初めての時以上にスムーズにリュックが光の粒子となった。
「ああ、忘れていました。ミキト氏がその指輪に名前を付けてくれて構わない、と」
「名前ですか? 普通に指輪とかではダメなのですか?」
「ダメ、ということはないと思いますが、そういった品には銘をつけるのが定石ですので」
「なるほど」
とは言ったものの、葵はネーミングセンスが皆無だ。
昔、とあるゲームを始める際に、結愛と互いに名前を付け合おう、という趣旨の元、結愛に相応しい名前を付けた。
しかしその葵渾身の名前は、結愛には腹を抱えて笑われ、妹の茜には精一杯気を使ったような表情を向けられ、弟の椋には当時から仲が悪かったにも関わらず、正気かこいつ!? とでも言いたげな表情をされた。
そう言った経歴があった故に、自分で名前は付けたくなかった。
だがここで名前を付けなければ、ミキトの好意を無駄にしてしまうことになる。
どうしたものか、と全力で打開策を考えるが、いい案が一向に浮かばない。
「もし考え付かなければ、とミキト氏から一つだけ、案を伺っておりますが」
「聞きましょう」
アヌベラから出された助け舟に、食い気味で食いつく。
その不自然ともいえる反応には触れずに、アヌベラはミキトから聞いていた名前を口にする。
「『アルトメナ』と」
「アルトメナ……いいですね。それにします。何から何まで、ありがとう、とミキトさんに伝えておいてください」
「はい、必ず。ではこれから旅立たれるとのことで、こちらを」
そう言って、アヌベラは隣にいたメイドからトレーを受け取り、葵に差し出す。
そのトレーの上には、束になって纏められた紙幣と使いやすいように小分けにされた紙幣がたくさん載っていた。
「これは葵様の衣食住を大戦終了まで保証するためのお金――すなわち、葵様が自由に使うことのできるお金です。葵様が外で生活する上で、全く困らないであろう金額――六百万円をご用意いたしました」
「そんなに? よろしいのですか?」
「はい。その中には葵様だけでなく、結愛様への保証金も含まれていますので」
「……なるほど。では、ありがたく受け取っておきます」
ラディナから常識を教えてもらっていたおかげで、この世界のお金の単位が“円”であることを知っていたので驚きはなかった。
そのことを知らなかったのだろう翔や日菜子は、驚きの表情を見せていた。
きっとラディナからその話を聞いたときも、同じような顔をしていたのだろう。
「では、そろそろ行きますね」
「あーおい葵。体に異常はないか? さっき“身体強化”やらなんやらやってたろ」
「大丈夫です。どこも問題ありません」
自分の体に異常がないことを、体や手足を大きく動かすことで証明する。
それを見て、ラティーフは怪訝そうな顔をしたかと思えば大丈夫だな、と頷いた。
「じゃあ行きます。一週間、お世話になりました。王や王女様にも、改めてよろしくお伝えください」
「はい、お気を付けて」
「頼むな。何かあったら、遠慮なく言ってくれ」
「はい。では」
最後に丁寧に頭を下げて、試合を見ていた人達から正負様々な視線を浴びながら、結愛の捜索へと赴くために、一週間お世話になった城に背を向けた。
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