第十二話 【たった一つの沸点】




 終始、収まるところを知らなかった歓声は、王城に着いた後でもその余韻が耳に届いてきた。

 階段付近にいた、エキシビションマッチを観れなかった人たちの声とは別に、遠いところから聞こえる熱量を孕んだ歓声だ。

 エキシビションマッチから一時間ほどが経ってなお、絶えず聞こえる歓声は、それほどまでに召喚者三人vs師団長ペアの戦いを楽しんでくれた証明だろう。


 その歓声を聞いて、実際に戦った三名は、戦うことを選んだ七名は、戦わないことを選んだ残りの二十名は、どう思うのか。

 そして、今後にどう影響していくのか。

 未来視ができるわけではないので、はっきりとどうなるかなんて言えない。

 ただ願わくば、それがあらゆる意味でいい方向に向かっていけばいいな、と人並みに思う。


 そんなことを考えている間に、馬車は階段下で停車し、乗っていた人たちは下車していく。

 馬はそれぞれ馬小屋へ、師団員たちは自分の持ち場へ移動し、王と王女は階段を上っていく。

 馬車から降りた召喚者はラティーフに呼び止められ、全員が彼に視線を集めていた。


「俺たちの我が儘に付き合ってくれたこと感謝する。これで、俺たちから何かを要求することは、もうほとんどないだろう。大戦が終わるまで、王城で自由に過ごしてくれ。戦うことを選んでくれた十名は、これからもよろしく頼む。では、解散だ」


 葵の知っているラティーフとは違う真面目な一面を垣間見つつ、その言葉をかけられたクラスメイトに視線を向ける。

 人の心を読むことはできないが、表情や態度からどう思っているかなどの推測は、師範の教えである程度できる。

 先ほど願った、いい方向に向かうかどうかを、確認するために。


(……変わらない、か)


 あれほどの観客から、あれほどの歓声を受けてなお、二十名のクラスメイトの気持ちは変わらなかったらしい。

 少なくとも、まだまだ未熟で発展途上な表情読みからはそう感じ取れた。


 ぞろぞろと、駄弁りながら王城の与えられた自室へと戻っていくクラスメイトを眺め、落胆の溜息をつく。

 他人のために、自分の命を懸けるのが正しいか否かという議論はさておいて、初めから諦めた彼らに何かを期待するのは間違っているのだと、少しでもクラスメイトに期待していた自分に驚き、そしてその考えを正す。


「葵。このあと、お前が外に出ても安全に旅をできる技量を持っているかどうかの試験を行う。こちらの準備はできているが、お前はどうだ?」

「大丈夫だ。すぐやろう」

「じゃあ訓練場に来てくれ」

「わかった。先行っててくれ」

「そうか? じゃあ先に行っておく。お前たちはどうする? 見ていくか?」

「いいんですか?」

「ああ。葵も見られて実力が出せなくなる質じゃないだろ」


 部屋に戻ろうとしている矢先、後ろからそんな話が聞こえてきた。

 ラティーフの言っていることは事実なので、否定するつもりもないが、せめてこちらに一言欲しかった。


「……じゃあ、見学させてもらいます」


 見学することが確定したので、視線があるなかでの試験になると、部屋へ向かう途中で気持ちの切り替えを済ませておく。

 先に部屋に来たのは、試験を突破できると皮算用し、昨日のうちに纏めておいた荷物を取りに来たためだ。

 流石に、どこで何があるかわからないパレードに持っていくことはしなかった。


 部屋に戻り、纏めておいた荷物といっても、次の町までの長持ちする食料と水、外で寝るための寝具とタオル数枚など、最小限に留めておいたため、そんなに大きな荷物ではない。

 二人で合わせて、リュック一つに収まった。

 リュック程度なら移動に支障はない。

最後までリュックはどちらが持つか論争を行っていたが、前衛しかできない葵と、後衛もできるラディナでは、どちらが荷物を持っているべきかなんてわかりきっていたので、止む無くラディナに持ってもらうことにした。

 忘れ物がないことだけ確認し部屋を出る


 二日目以降、通ることのなかった道を辿り訓練場まで行く。

 訓練場に近づくにつれ、王城では滅多に聞こえない私語による騒がしさが聞こえてきた。

 その原因は、訓練場に入る前にわかった。


「見学って、二宮くんたちだけじゃないのか」

「そのようですね」


 なぜなら、訓練場の入り口から溢れるほど、師団員が駄弁っていたからだ。

 興味本位か本気で学びに来てるのか定かではないが、少なくとも後者の目的でこの場にいる人間は、少数派に思える。

 見学される前提の心構えをしておいてよかった、と念には念を入れる自分の性格に感謝する。


 葵が入り口に近づくと、入り口付近にいた師団員はサッと避けて道を作る。

 その行動すら纏まりがあったのを見て、まだ数回しか見ていないが、師団員の練度にはとても感心させてもらっている。


「お、来たな」

「はい。お待たせしました」

「じゃあ始めるぞ。そこに立ってくれ」

「わかりました」


 指示された訓練場の中央へと歩いていき、ラティーフを待つ。

 が、葵と対峙するように向かいに来たのは、つい先ほど王都民を湧かせた五人のうちの三人。

 つまり、二宮翔、小野日菜子、中村隼人の、召喚者三強だ。

 ちなみに、素の身体能力では担任の加藤龍之介がずば抜けているが、この世界に来て得た能力も加味すると、この三人が強いらしい。

 しかし、いくらエキシビションで全力を出していないとはいえ、師団長ペアに勝利した三人だ。

 勝ち目がないと言っても過言ではない。


「ラティーフと戦うんじゃないのか? 戦力差がおかしい。これじゃあ勝てないぞ」

「いや、そんなことはない。三人はさっき戦ったばっかりで多少疲労はあるし、そもそも勝つ必要はない。葵の実力を測る試験だからな。葵が外で戦えると証明してくれればそれでいい」

「……なるほど。でもそれって、ラティーフの裁量次第ではどんなに実力あっても合格にしないこともできるんじゃないか?」

「そうだな。でも、葵には俺たちの不手際の始末を手伝ってもらうんだ。それが葵のやりたいこと――やるべきことにしろな。だから、俺は正しい審判をする。信じてくれ」


 クラスメイトに対しての感謝を述べた時と同じか、それ以上に真剣な眼差しで、信じろと言った。

 アニメや漫画などで、普段ヘラヘラしていたりチャラチャラしている人間が真剣になると、カッコよさや説得力が増す、という描写があるが、今のラティーフが正にそれだった。

 ついさっき、似たような真剣さを見たので、その振れ幅自体は大きなものではないが、それでもやはり、その言葉を信じてしまいそうになる。

 そもそも、この一週間で知り得た情報からして、ラティーフはこんなところで嘘をつく人間ではないから、今の言葉は信じるの値するだろう。

 もし理不尽な審判を下されたら、ここから全力で脱走してやる、と微妙に信じ切れていないことを考えつつ、わかった、と頷いておく。


 というか今気が付いたのだが、訓練場の端の方に戦わない召喚者が固まっていた。

 部屋に戻ったんじゃなかったのか? とか、なんでわざわざ見に来たんだ? と疑問を浮かべつつ、やはり見られて困ることなどないので、まぁいっかの一言で済ませる。

 ラティーフから模擬戦でも使った練習用の短剣を受け取り、目を瞑ってその場で小さくジャンプする。

 その状態で体に入っていた余分な力を抜き、リラックスした状態になる。

 最後に深呼吸を一つして、目を開く。


 視線の先で、翔は真剣な表情で、日菜子は緊張の面持ちで、隼人は無表情で、それぞれこちらを見据えていた。

 気が付けば、四名を囲む四角形の結界が張られていた。

 きっと、外に被害を出さないためと、この戦いで致命傷にならないように細工された、初代勇者時代の結界術。

 訓練場にそういった類の結界があるのは初めて知ったので、すべて推測だが、お互い装備を着たままでの戦闘なので、より実践的な戦いになることが予想される。

 そのための結界だろう。

 その推測がどうであれ、結局やるべきことは変わらない。


(俺が戦えることを証明して、結愛を探しに行くだけだ)


 リラックスした状態から、視線はそのままに、左足を前にして腰を落とし、両腕をだらんと下げる。

 後の先を意識した体勢だ。

 葵の構えを見て、三人の表情が引き締まる。


 四名の意識が高まり、構えたのを確認すると、ラティーフが右腕を上げた。


「この結界は即死でない限りあらゆる外傷を癒す結界だ。故に、ルールは単純明快。全力で戦うこと。どちらかが戦闘不能になるか、結界の外に出たら、その時点で終了とする」


 この結界の正体を知らない葵に簡潔に伝えるラティーフ。

 問題ないか? と双方に問い、返事がないことで肯定として、ラティーフは振り上げた手に力を籠める。


「始めッ!」


 ラティーフの声で真っ先に動いたのは翔だ。

 真正面からの突進と、その速度を込めた直剣の唐竹割りを繰り出す。

 それを短剣の腹で受け流し、すれ違いざまに左拳で殴打を繰り出す。

 脇腹に命中した殴打で、翔は苦悶の表情を浮かべ、少し距離が開く。


 その空いた距離を詰めてきたのは、翔の背後をぴったりと追従していた隼人だ。

 隼人の得物は刀。

 葵の短剣とはリーチの差が圧倒的だ。

 なのでまずは、間合いを詰める。


 手に持つ刀を器用に使い、左からの水平斬りを繰り出す。

 ダッシュの勢いを乗せた高威力の水平斬りは、葵の視線の通りづらい位置からの攻撃だった。

 もし狙っていたのであれば、隼人の戦闘センスは目を見張るべきものがある。

 尤も、体の輪郭を正確に捉えられる魔力感知があるので、手の向きから刀のある位置を推測し、背中から回した短剣で真下からの斬り上げることで弾く。

 対処方法に驚いたのか、対処されたことに驚いたのかわからないが、驚愕の表情を見せる隼人から大きく跳んで距離をとる。


 そこへ、日菜子の岩弾が飛来する。

 それを冷静に捌きつつ、翔と隼人の様子を窺う。

 隼人は驚きから立ち直り、既に翔のもとへ護衛する形で寄っており、翔は殴られた脇腹を擦りつつ、しかし油断なく葵に視線を向けていた。

 傷を負った仲間の元へ寄り、傷が癒えるまで守る。

 そこへ、追手が来ないよに日菜子が魔術で牽制、必要ならば日菜子が傷を癒す。

 とてもよい布陣であり、素晴らしい練度の連携だ。

 とても一週間で身に着けたものとは思えない。


 だがこの世に壊しにくい布陣はあっても、完璧な布陣はない。

 まずは定石通り、後衛から崩す、と決めて、葵はグッと足に力を入れる。

 翔と隼人に向けて少し右側を意識して駆け寄り、短剣を構える。

 正面突破しようとしているのを察し、再び翔が前、隼人が後ろの布陣をとる。

 そのまま突っ込み、翔の直剣の間合いに入った瞬間、右からの袈裟斬りを無視して、靴に描かれた風を起こす魔術も起動して、全力で左――次の魔術を組んでいる最中の日菜子の元へ跳ぶ。


 翔からすれば、目の前にいた葵が瞬間移動したように見えるほどの速度で移動したので、後ろではきっと驚いた表情をしている翔が見れるのだろう。

 だがそれを確認する前に、まずは小野さんを戦闘不能にするのが優先だ、とさらになけなしの魔力を使ってもう一度、靴の魔術を起動する。

 瞬く間に距離を詰め、拳の間合いに入った葵は、速度を乗せた左拳を構える。

 日菜子はいきなり距離を詰めてきた葵の対処が間に合わず慌てていたので、女の子だからお腹は殴っちゃ不味いよな、と冷静な判断を下し、まだ衝撃が抑えられるだろう胸に左拳をお見舞いする。


「忘れて――たッ!」

「へぇ、まともなダメージは与えられなかったか」


 必殺の一撃と思われた殴打は、危険を察知して目を瞑った日菜子には当たらず、代わりに隼人の掌に受け止められていた。

 エキシビションマッチで見たはずの隼人の能力おんちょうを忘れていた自分の迂闊さに思わず声を出してしまったが、それどころではない。

 拳を受け止めた隼人は、右手に握る刀で突きを繰り出すが、それを紙一重のところで躱そうとして失敗し、肩に重い一撃を貰った。

 不意を突いたはずの攻撃で仕留められなかった隼人は、悪態をつき、しかし日菜子への安否確認も欠かさない。

 二人が何やら話しているのを眺めつつ、立ち直りの早い翔の注意も怠らない。


 今が戦闘中でなければあほか俺は! と悪態でもついていたが、今はそれよりも隼人の能力も含めて作戦を練る必要がある。

 頭を回せ、手足も回せ。

 足りないものを、足りてるもので補い続けろ。

 師範の教えを頭の中で反芻しつつ、次の打開策を練る。


「今の避けるなんて、結構やるじゃん、綾乃」

「……」


 次はどうするか、それを失敗したらどうするか。

 一対三の作戦を考え、三人の警戒もして、いざ斬り合いになれば相手の数手先を予測しなければならない現状で、キャパシティがオーバーしかけ、オーバーヒート必至の葵に、余裕の表情を浮かべた隼人が話しかけてくる。

 嫌い合っているはずの隼人が、葵のことを素直に褒めるので、不審に思いより警戒を高める。

 そんな葵の心情を察したのか、隼人は肩を竦めながら、その飄々とした雰囲気は崩さずに話を続けた。


「おいおいそんな顔すんなって。別にお前を取って食おうってわけじゃねえんだから」

「もしそう思ってたなら困るよ。俺はノンケだ」

「……ぷっははは。お前、そんなこと言うんだな」

「……で、何がしたいんだ。今は試験中だ」


 一向に話の意図が読めず、今の状況も相まって少し苛立ちが表に出てしまう。

 その苛立ちを感じたのか、隼人は笑いを堪え、真面目な表情を作る。

 学校では見たことのないその表情に、警戒をより一層高める。


「いやな? お前が望むんなら、俺も生徒会長の捜索を手伝おうと思ってな? 人を探すなら、人手は多い方がいいだろ?」

「……その通りだな」

「だろ? なら――」

「――何が目的だ?」


 苛立ちではなく明確な怒りを全身から迸らせ、葵は隼人を睨みつけながら問いを投げかけた。

 かなり珍しい葵の怒りを見て、翔と日菜子は戦いの最中だということも忘れ、呆気にとられている。

 四人の戦いを観戦しているクラスメイトや師団員も、なにかよくないことが起こっていることは理解していた。

 その渦中にいて、葵から怒りを向けられている隼人は、よくわからないと言わんばかりに眉を顰めた。


「目的なんてものはないよ。俺は、会長を助けたいって純粋な気持ちでこの提案をしたんだぜ?」

「……」


 隼人の言葉が嘘だと確信していた。

 だがその言葉が嘘だと証明することはできない。

 だから無言になってしまったのだが、隼人はその無言を受けて、目的がなきゃいけないってんなら、と口を開いた。


「そうだな……じゃあ、代わりに何か一つ、お願いを聞いてもらおうかな」

「お願い? …………俺にできることで、かつ俺の常識の許す範囲でなら――」

「――ああ、いや、綾乃にじゃない」

「……は?」


 不承不承といった様子で隼人の提案を受けようとした葵に、隼人は軽い感じで葵の返事を否定した。

 あまりに自然な断り方だったために、一瞬何を言っているのか理解するのに時間を要し、理解した上で葵の口から出た言葉は、疑問の一文字だった。


「いやだから、お願いを聞いてもらうのは綾乃じゃなくて、会長にだよ」

「……何言ってんだお前」


 先ほどから隼人の言っている言葉が、葵には理解できなかった。

 誰かを助け、その例を受け取るならば、助けた当人から受け取るのは何もおかしくない。

 その例に則るなら、今回助けられるのは結愛であり、その例を結愛に期待するのは間違いではない。

 ただし今回の場合においては、隼人が助けるのは葵であり、葵を助けた先で結愛が助かる、という結果が伴うだけだ。

 つまるところ、隼人が結愛に対して礼を求めるのは、今回に限って言えば間違っている。


「そうだなぁ、なんでも一つなんだし……あっそうだ! 一日だけ俺にくれっていうのはどうかな? それくらいなら、別に綾乃もいいでしょ?」

「なんでそこで俺の許可がいるのかわからない。そもそも俺にはお前が何を言ってるのかが理解できない」

「許可を取るのなんて、そんなの綾乃が会長の身内だからに決まってるじゃん。……ん? あーでもそっか。別に結婚するわけじゃないんだし、身内とか親に認められる必要はないのか」

「は、隼人? どうしたんだ? 急に」


 勘違いしてたわ~、と笑う隼人は、自分がどう見られているのかということに、全くと言って良いほど気が付いていない。

 翔が隼人の急変ぶりに思わず口を出したことにさえ、反応しないくらいだ。

 葵は言わずもがな、一緒に戦っている日菜子も、審判をしているラティーフやこの戦いを観戦しているクラスメイトや師団員たちでさえも、戦いの最中に急に結愛の話題を出し、挙句様子がおかしくなり始めている隼人に、困惑している。

 そんな様子を気にも留めず、隼人は我が道を行く。


「んー、でもあの堅物な会長を落とすのに一日は短すぎるかなぁ? 二日……いや三日くらい――」

「――おい中村隼人」


 これ以上、隼人に何か喋らせると冷静でいられないと判断した葵は、そのよく回る口を強引にシャットアウトすることで遮り、同時にこちらへ意識を向かせる。

 調子よく喋っていた隼人は、遮られたことへ少しだけ憤りの表情を見せながら、少しだけ雰囲気の変わった葵の言葉に耳を傾ける。


「今は戦いの最中だ。その不毛な話題は、戦いが終わってからでもできるだろ」

「でもお前は会長の捜索に行くために急ぐんだろ? だったら今話した方がいいだろ?」

「戦いを中断して話してたんじゃ意味ないだろ」

「……そうだな。じゃあ話は終わらすから、せめてお前の回答が聞きたい」

「回答?」

「そうだ。会長を探しに行ってもいいかどうかって質問への回答だ」


 話題を強制的に終わらせられ、最低限これは答えてくれ、と隼人は最初の質問を最後に口にした。

 それを聞かれ、そんなもの決まっている、と葵は吐き捨てるように答える。


「お前は要らない。金輪際、結愛に関わるな」

「はっ! そんなに会長が大事かよ――」


 葵の明確な拒絶に、隼人は一気に機嫌を悪くし、それをあからさまに表情と言葉に出した。


「――どうせ生きていたとしても、今頃は男に体でも売って惨めに生きてるような女が、そこまで大事か?」

「おい隼人! 何を言ってるんだお前――」


 ――カラン、と木剣が床に落ちた。

 音の方を見れば、瞳孔が開いた葵が無表情で隼人を見据えていた。


「――なんて言ったお前?」

「聞こえなかったか? 身を売った阿婆擦れがそこまで大事かって言ったんだよ」

「おい隼人! 何言ってるんだ!」


 まるで自分が優位に立ったかのように嘲り、笑みを浮かべて、誰が聞いても不快なその言葉を復唱する。

 隣で必死になって止める翔の言葉などまるで聞こえてないかのように、隼人はその不快な言葉を、不快な笑みとともに漏らし続ける。


「お前も残念だったよなぁ? この世界になんて来なければ昔のように会長とずっと一緒でいられたのに、今では大事な大事な会長と離れ離れになった挙句、右も左もわからない異世界に飛ばされて、命の危険が身近にあると来た! 魔獣のいる町の外に飛ばされてりゃ命なんてないも同然だし、もし町の近くに飛ばされたとしても金もなけりゃ知識もない。生きていくのすら難しいこの世界で女が一人で生きていくとなりゃ、体を売って欲しいものを手に入れる、なんてありきたりな話だろ? だってのに、綾乃は会長が生きてると夢見るだけじゃ飽き足らず、まだ純潔だと信じてるんだろ? ほんっと、お笑いだよなぁ?」

「中村隼人! それ以上何かを言うのなら、この戦闘から除外することになる!」

「はぁ? 会長を行方不明にした張本人のラティーフが言うのか? それはおかしいんじゃないの?」


 隼人の言葉が止まらないのを確信したラティーフは、主題から逸れているし、何より隼人の発言をこれ以上悪化させてはいけない、と間に割って入るが、隼人はそれを意に介さず、逆にラティーフへと召喚した側の不手際の責任を追及し始めた。


「そもそも召喚するときにもっと注意してりゃ、こんなことは起こらなかった。それをあたかもこっちが悪いかのように言うなんて、ちょっとどうか――」

「――もういい黙れ」


 隼人が見当はずれなことを口にし始めたタイミングで、葵が口を開いた。

 ラティーフの方を向いていた隼人は葵の方へ顔を向け、その場にいた他の人たちも、葵へと視線を移す。


「結愛を侮辱したお前は、許さない」

「怒ったってことは図星だったか?」

「……ごめんラディナ。約束守れない」

「……ご武運を」


 俯いたまま、葵はラディナにそう告げた。

 それを受けたラディナは、ほんの少しの沈黙の後、悲しさと諦めの混ざった表情でそう頷いた。

 自身の言葉を無視された隼人は、先ほどまで顔に張り付けていた優越感が消えて、不快感を表に出した。


「俺の質問は無視か?」

「ごめん。二宮くんと小野さんは少し邪魔だから、退かすね」

「え――」


 翔が葵の言葉に返答する前に、葵の姿がブレた。

 かと思えば、気が付けば目の前には結界があり、その向こうに葵の姿が見えた。

 隣では日菜子が同じように、キョトンとした表情で座っている。

 何が起こったのか、理解が及ばずに言葉とも言えない言葉を羅列する翔に目もくれず、葵はラティーフへと視線を送る。

 それを受けたラティーフは葵の意図を察し、慌てて口を開いた。


「翔、日菜子、場外!」


 その宣言を聞いた観客は、盛り上がるわけでも、驚きに目を丸くするでもなく、ただ呆然と、それを為した葵へ視線を向けていた。

 横にいた翔を気が付けば連れ去られていた隼人も当然、葵へと視線を向けていた。

 ただしその視線は呆然としているわけではなく、驚きが溢れていた。


「へぇ……“身体強化”使えるんだな。吃驚したよ」


 ニヤッといやらしい笑みを浮かべ、背を向けている葵に真っ直ぐ自分の思ったままを伝える。

 その言葉を投げられた葵は振り返り、隼人へ視線を向けるが、それ以外何の反応もしなかった。

 自分の言葉に反応しない葵に、隼人は苛立ちの表情を露にするが、すぐにそれを抑え、やはり笑みを浮かべる。


「でもさ綾乃。それが奥の手だっていうなら、ちょっと甘いんじゃないか? だって――」


 言葉を切り、足に力を入れたかと思えば、次の瞬間には体がブレ、葵の右隣にいた。

 そう、それは――


「――俺も“身体強化”、使えるんだぜ?」


 その言葉を聞いた瞬間、葵は反射的に左へ跳んだ。

 “身体強化”を以って行われたその跳躍は、しかし隼人からすれば何の弊害にもならない。

 同じ力を用いて、葵の跳躍に軽々と追いつき、意地悪な笑みを浮かべる。


「ほらほらどうした!? そんなものかよ綾乃!?」


 余裕ぶった態度で、隼人は連続で葵に攻撃を仕掛ける。

 “身体強化”のおかげで、元々は常人以下だった動体視力が上がっているが、隼人の攻撃は葵のそれを軽く凌駕する速度だった。

 それでも、まともな一撃をもらわずにいられたのは、長年の戦闘経験と師範に鍛えられた予測、そしてこの一週間で鍛えた魔力操作と魔力感知の賜物だ。

 この一週間、自分にできる才能を伸ばした結果は、しっかりとでているのを確信するとともに、才能を伸ばしてなお追い縋るのに必死にならなければならない上がいることに嫉妬する。

 そして、まともな一撃をもらわずとも、弱い攻撃を受け続ければダメージは蓄積し、敗北は免れない。

 葵の内心を知ってか知らずか、隼人は何の前触れもなく攻撃をやめた。


「必至だな? 綾乃、今までかなり鍛えてきたんだろうし、その修練に比例して実力も伸びていったんだろうけど、やっぱり根本的なところで弱いな?」

「……根本的?」


 嫉妬と焦りで少しだけ怒りが収まった葵は、隼人の言葉に返事するだけの冷静さは取り戻せた。

 隼人はその返事に気を良くし、まるで自分が上の立場にいるかのように話し始めた。


「そう。戦闘の才能がないっていう根本的な部分が弱い」

「……」

「お? 何も言わないってことは図星だな?」


 隼人の言葉に間違いはなかった。

 葵の戦闘技術は、才能による先天的なものではなく、努力と時間による後天的なものだ。

 魔術を使えない葵が戦うための手段は、弓などの遠距離攻撃を除けばほぼ近接攻撃に限られる。

 そしてその近接攻撃において、動体視力や反射神経などはかなり大事になってくる。

 その大事なものを、結愛とは違って葵は持って生まれなかった。

 だからこそ、時間をかけてたくさんの努力をし、予測という自分にないものを持っている人と渡り合うための力を得たのだ。

 だがその努力も、もっと上の才能からすれば取るに足りないものだった。

 それを、この戦いで見せつけられた。


「……その才能がないから、何なんだ?」

「わからないか? じゃあはっきり言うけど、弱い綾乃ごときで、本当に会長を助けられるのか?」


 言いたいことは、なんとなくわかっていた。

 隼人のしたいことは、結愛を助け、その結愛に見返りを求めること。

 その前提にあるのは結愛を助けることで、それを反対されているということは、そもそも見返りが求められないということだ。

 隼人が見返りを得るためには、隼人の助けを不要とした葵を否定する必要がある。

 だから、言いたいことは、なんとなくわかっていた。

 それでも――


「ああ。お前の助けはなくても、結愛は助けられる。だから、お前は要らない」

「……あーあ、残念だよ。せっかく俺が会長を助けて、あの貧しいけど綺麗な体を自由にできると思ったのに」


 もういいや、と隼人は、その場にいた全ての人間の反感を買うような発言を、ただ残念といった感慨だけを乗せて放った。

 周りの視線も、葵の心情も、その他の何もかもを投げ捨てるような発言だ。

 その言葉は、油となり冷静になりかけていた葵の怒りの炎に注がれた。



「お前、今ここにいる人の中で、俺の次に結愛ことを知ってるだろ」

「……そうだな。四年の時に転校したとはいえ、それまでは同じ学校にいたわけだしな」

「結愛の人となりを知った上で、その発言をしたと捉えていいんだよな?」

「ああ」


 何下らねぇこと聞いてんだ? とでも言いたげな表情になりながらも、律義に質問に答えてくれる隼人に、葵はそうか、と頷き、そのまま俯いた。


「感謝するよ。お前の本心が知れて、本当に良かった」

「いきなりなんだよ気持ち悪いな」

「そうだな。でもいいんだよ。これで最後にするから」

「これ以降、綾乃に感謝されるのはごめんだよ。気持ち悪いったらない」

「ああ違う違う。そうじゃない――」


 隼人の発言を、まるで見当違いなことだと笑いながら、隼人に言った。

 その言葉を投げかけられた隼人は勿論、その場にいた全員が葵の言葉を理解できていなかった。

 視線が集まる中、葵は些末なことだ気にも留めず、大きく息を吐いて顔を上げ、左手を開いたまま突き出して隼人を見据えた。

 その視線に、隼人は背筋が凍るという感覚を、人生で初めて実感した。


「――結愛を害するものは、例え神でも抹殺する」


 葵が開いていた左手を閉じた。

 その瞬間、その場にいた全員は、見えない何かに圧殺されるかの如きプレッシャーを感じた。

 そこに在る存在の全てを否定するかのような圧。

 耐性のない召喚者は気を失う人も現れ、師団員やラティーフやアヌベラたちでさえも、その圧に動くことすらままならなかった。

 そんな圧を最も近い位置で受けた隼人は、全身を象にでも押しつぶされたかのような感覚に囚われた。


「なッ! このッ……!!」


 全力の“身体強化”で押しつぶされることだけは免れたが、耐えることに精いっぱいで身動きが取れない隼人に、葵は真正面から突貫する。

 その動きを隼人は鮮明に捉えるが、見えない圧力に押しつぶされている隼人は、“身体強化”によるブーストがあっても動くことがままならない。

 当然、動くことができなければ躱すことはできないが、慌てることはない、と隼人は自分に言い聞かせる。

 隼人には自身の魔力が届く範囲内で、自由に空間を移動できる恩寵を発現させている。

 つまり、体が重かろうが重力が何倍にもなろうが、空間を飛んでしまえばその力場から逃れられる。

 ニヤリ、と葵を嘲笑うかのような笑みを浮かべ、迫りくる葵に重い口を開いて煽り文句口にした。


「詰めが甘いなァ! 綾乃ォッ!!」


 笑いながらそう言い放ち、恩寵を使おうと魔力を広げる。

 が、魔力が微塵も広がらず、そもそも体の外に放出することすらできなかった。


「おいなんで――ガッ!」


 自身の恩寵が使えないことに焦り、目の前に迫る葵のことを忘れていた隼人は、葵のアッパー気味な拳を顔面で受けた。

 その瞬間、隼人の体を押さえつけていた圧力は解けたが、顔面を殴られたことで体が宙に浮いた。

 一方葵は、避けることの難しい空中にいる隼人に続く攻撃を叩き込もうと、左拳を引いていた。

 それを視界に捉えながら、隼人は一か八かの賭けに出た。

 自由落下に任せ、落ちようとする体を無視し、隼人は残った全てを使い切る勢いで魔力を広げた。

 想像通り広がった魔力は結界内の端から端まで届き、勝利を確信した笑みを浮かべる。

 “転換”と名付けた恩寵を心の中で叫び、広げた魔力の中――葵の背後を取る形で空中に瞬間移動する。

 そして、その瞬間移動に対応できず、目を丸くしている葵へと視線を向けた。




 瞬間、その葵と視線が交錯した。




 かと思えば、瞬く間に先ほどと同じような圧力が圧し掛かった。


「なァ、にッ!?」


 先ほど、葵は隼人の瞬間移動についていくことができなかった。

 にも拘らず葵は、隼人の瞬間移動先をピンポイントで予測し、その上でまた圧力を掛けた。

 疑問を抱くことしか許されなくなった隼人に、葵は“身体強化”で跳ね上げた脚力でに隼人の背後を通過する軌道で瞬く間に迫る。

 靴に組み込まれた風の魔術をタイミングよく起動させて慣性を殺し、隼人の背後で一瞬の停滞を生み出す。

 その一瞬で、宣言通りするための脚撃を叩き込む。

 鍛えた身体と体幹を以って繰り出されたその脚撃は、寸分違わず隼人へと吸い込まれ、ドォンッ!!!!!! と鈍く重い音を訓練場に轟かせながら、畳とその素材である藺草を撒き散らしつつ、床へと叩きつけられた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る