第九話 【一週間】




 訓練場で魔術の適性を調べ、対ラティーフでコテンパンにやられてから、五日が経過した。

 戦う召喚者は、その五日間をそれぞれにあった師団での訓練に励み、戦わない召喚者は、惰眠を貪り、惰性で日々を無為に過ごしていた。


 かく言う俺は、図書館に通い続け、必要そうな本と、シナンから教えてもらった本、その他目についた本を、文字通り寝る間も惜しんで片っ端から読みまくった。

 ラノベなんかの娯楽で読む活字とは違い、教科書を読むのと同じ退屈な活字なのだが、結愛の為に、という気持ちが強いのか、読む速度も早く、肝心の内容も、司書のシナンが驚くレベルではっきりと記憶できていた。

 尤も、シナンの驚きの中には、俺のこの一週間の睡眠時間が零分という頭のおかしい行動が含まれているが。


 いやだって、寝なくても日常に支障なく過ごせるんだからいいじゃないいか。

 今は寿命を縮めてでも結愛捜索に役立つ手札を増やす必要があるのだし、向こうにいた頃からも処^とスリーパーには憧れてたのだからちょうどよい。


 勿論、睡眠を削れたことで増えた時間を本だけを読んで過ごしていたわけではなく、召喚特典で得た力をできる限り使いこなせるように鍛錬も欠かさなかった。

 ラティーフの元に出向き、魔力感知のコツを教えてもらったり、アヌベラに魔術のコツを教えてもらったり、ソフィアにも王族のコネなんかを教えてもらった。

 結果、魔力感知はこの一週間でラティーフを超え、魔術は初歩中の初歩である風を圧縮する技術と、それを打ち出す技術を教えてもらいった。

 魔力感知の方は才能があったためかなり上達したが、魔術の方は残念ながら保有魔力が少なすぎたので、中級以上は物理的に使えないという体たらくだったが、戦闘に関しては近接の補助として使えるので、問題は少なかった。


 ちなみに、初級が属性ごとに必要な技術、風で言うところの圧縮と放出、それに伴う『風刃ふうじん風破ふうは』などの攻撃魔術。

 中級が初級の応用に入った魔術で、単体攻撃だった初級から範囲攻撃――数名から数十名くらいへと効果が上昇する。

 そして上級が、対軍攻撃と呼ばれる超広範囲攻撃魔術。

 数は数百から数千クラスと振れ幅が大きいが、数千レベルの上級魔術が使える魔術師はそういない。

 今の時代だと、アヌベラや神聖国の教皇、あとは公国の族長二名と四名しかいない。

 それくらい、レベルの高い魔術だ。

 一応、その上に対国魔術という国一つを滅ぼすという聞くだけで身震いする階級があるのだが、歴史上このクラスに分類された人間はいないので、考えなくていいだろう。

 そもそも、国が滅ぶような魔術を受けたら、人はだれも生き残れないだろうし。


 ちなみに、転生者のアスカーだが、彼は攻撃魔術に適性がなかった。

 その代わりなのか“その他”の適性持ちで、物質に効果を付与する“付与魔術”という希少な魔術の使い手だった。

 普通の魔術でもバフ効果はあるが、それは掛けたときの魔力が切れれば効果がなくなるのに対し、付与魔術の効果は装備者の魔力がある限り継続する。

 それに、魔力効率が異常なまでに良く、相当魔力の回復速度が遅くない限り、魔力回復速度が上回り続けて、魔力が尽きることはない。

 付与魔術が使える人間は、上級魔術師ほど希少ではないが、それでも世界に十名ほどしかいない。

 この魔術で様々なバフを付与した装備が、召喚者には貸与されるらしい。

 まさに至れり尽くせりだ。


 閑話休題。


 魔術のことだが、階級が初級から中級、そして上級へと上がるにつれて、必要な魔力量と、その魔力を制御する能力と精神力が必要になる。

 葵の場合、後者二つは問題ないどころか、いずれは人間の中では誰も追いつけなくなる、と言われるくらいには才能があるらしいのだが、先にも言ったとおり、魔力量が少なすぎたし、成長の見込みも薄かった。

 第二次性徴期と呼ばれる年齢あたりを過ぎると、魔力量の成長が見込めないとされるのだが、他の召喚者は個人差はあれど増えているらしいので、きっと葵は才能がないのだろう。

 この世界にゲームのようなステータスがあったとしたら、魔力量に振るべき数値を全て魔力操作に注ぎ込んだようなものだ。

 厄介極まりない。

 問題は少ないが、魔力量が多ければできることの幅が広がるのは間違いないので、愚痴くらいはいいだろう。

 だが、むしろ極振りしたお陰で、結愛捜索に役立つ技術を会得できたと思えば、安いものだ。

 そう自分に言い聞かせていれば、何も問題はない。

 自己暗示は得意だ。


 それと、ソフィアおうぞくのコネだが、誰よりも優先される通行証パスポートであったり、世界中を股にかける承認へのパイプだったりと、今後の行動をかなり広い範囲でサポートしてくれるものを、今の二例以外にも沢山くれた。

 結愛の捜索が捗ること間違いなしだ。


 それに、ソフィアが通っているという、魔術学院のことを少し話してくれた。

 主に、“魔法陣”という分野。

 魔術が魔力を用いて自分の想像を魔術陣の発生として現象化するものだとするならば、魔法陣は予め魔術陣を描き、そこに魔力を込めることで発動させるというもの。

 魔術の本にも載っていたが、最近開拓された分野だったため、本にはこれ以上の説明がなかったのだが、それよりも深い部分を惜しげなく教えてくれた。

 実質的に魔術が使えない葵からしたら、かなり有用なその魔法陣は、これから活躍してくれること間違いない。


 とまぁそんなこんなで、この一週間は人生史上最も動いたと言えるくらい精力的に活動した。

 ほとんど動かなず、家で大人気MMORPGしかやっていなかった春休みとのギャップが凄まじいが、そこは気にしない。


 他にこの一週間で得たことと言えば、ラディナとの友好関係――この場合、主従関係になるのかもしれないが、その関係の向上だ。

 呼び方が“綾乃様”から“葵様”へと変わっているのが、最たる例だろう。

 ラディナに教えてもらった奥の手の鍛錬が、関係を好転させたのだと思う。


 それに、この一週間ラディナと一緒にいたことで、少し彼女のこともわかってきた。

 観察眼が鋭く、おれの意図を汲み取る能力に長けていて、でもあまり喋らない。

 孤児で、孤児院に援助してくれているソフィアと仲がよく、血の繋がらない兄弟姉妹が多く、最年長だからか責任感も強い。

 孤児院のママが元冒険者で帝国貴族の護衛をやっていた経歴があり、ママの教えで戦闘技術を少し齧っているため、観察眼と合わせて中々に腕が立つ。

 そんな、クールビューティー――いや、年齢的にビューティーって感じじゃないので、クールキューティーな雰囲気の十二歳。


 いや十二歳って聞いたときは驚いたよ?

 だって見た目はソフィアと同じ十五から十六くらいだと思ってたし。

 まぁその大きく育った双丘と、大人びた雰囲気がかなり高い年齢に見せているのだろう。

 ちなみに、ソフィアは十七歳で、予想より一歳だけ若かった。

 彼女も幼い雰囲気があるので、多分そのせいだと思う。

 まぁ単純に、人を見る目がないのが最大の原因なのだが。




 そんなこんなで、この一週間であった出来事を纏めてみたが、多いような少ないような、なんとも言い難い量になってしまった。

 初めての日記にしては、かなりの量を書いたと言えるし、一週間分の出来事だと言ってみれば、少ない量な気もする。

 アヌベラに言われて、後世に俺という人類史上稀に見る魔力操作練度を持つ人間の人生を伝えたいと言われて書き始めただけの日記なので、内容には期待しないでもらいたい。

 そんなわけで、今日はここまでにしようと思う。

 では、また明日。




「ふぅ。こんなところかな。どう思う?」

「人名の説明がされていないので、見た人は困ると思います」

「厳しいねラディナ。んー、じゃあ次回以降気をつけるとして、今日の分は注釈入れて……っと」


 夜の図書館。

 その読書スペース。


 隣で座るラディナに、今しがた書き終えた日記についての感想を聞くと、即レスが帰ってきた。

 注意された部分を修正し、ラディナみるひとに添削をお願いして、合格をもらったので、向こうちきゅうのものと遜色ない万年筆を挟んで日記を閉じる。


「じゃ、部屋戻ろうか」

「本日は寝てくださいね」

「わかってる。そういう約束で、この一週間は寝ずに過ごしたんだから」


 コンパクトサイズの薄い革表紙の日記を手に持ち、席を立つ。

 シナンから預かっていた鍵で図書館の扉の鍵を締めて、部屋に戻る。

 こうして、図書館の戸締りをできるのは、この図書館の司書であるシナンから信頼を得られたからだ。

 そこには王に次ぐ権威を持っているから、と言う理由もあるだろうが、それでもこの一週間、真摯に本と向き合った結果、司書であるシナンからの信頼は得られたのだ。

 こうして戸締りを任されただけでなく、禁書庫の文書閲覧の許可ももらったので、それは間違いないだろう。


 道中、廊下の窓から覗く欠け始めた月が、明るい光を王都に降り注がせているのが見えた。

 明日はあそこでパレードを行い、その後、試験を経て合格すれば、晴れて結愛の捜索に向かうことができる。


 ようやく。

 ようやくだ。

 ようやく、結愛を探しに行ける。

 この一週間で、可能な限りできることはした。

 異世界の知識を蓄えて、戦闘能力も向上させた。

 あとはそれらを駆使して結愛を見つけ、大戦に勝利し、地球へと戻るだけだ。


「葵様。まだ焦りはありますか?」

「……あるよ。いつもなら結愛に関して、ここまでの焦りも不安も抱かないから、なおさらね」


 昨日、ラディナに同じ質問をされた。

 きっと、自分では気がつかないくらい、焦りや不安といった感情が、表に出ていたのだと思う。

 ラディナの観察力ーー洞察力が優れている、というのもあるだろうが、自分で振り返ってみても、内心、焦りや不安はあった。


 普段なら、結愛に関して心配することはほとんどない。

 生来から真面目で、他人のことを優先して考える結愛は、基本的に家族である綾乃家に迷惑をかけるようなことはしなかった。

 今となっては、頭脳明晰で、武術も習っていたから、危険な状況に陥ったとしても、多分問題は少ない。

 そんな結愛を、幼少期から見ていた葵は、自然と結愛を信頼し、そう言った負の感情を抱くことは少なくなっていた。


 なのに。

 この異世界に召喚されて、結愛が行方不明になってから――いや、召喚される前から、言い難い不安に苛まれていた。

 記憶にある限り、負の出来事と関連して起こる『狐の嫁入りを見たから』と言うのが、心の片隅で不安を発生させていた気もするし、あるいは全く別の理由があるような気もする。

 明確な理由が自分でもわからない焦りと不安は、そう易々とは消えてくれない。


 それに、ここは異世界で結愛の頭脳を持ってしても対処しきれないことが数多存在する。

 生態系も、文化も、何もかもが違っている異世界というのが、それらの感情を加速させているのだとも思う。


「――でも、やるしかない。焦っていても、不安が心の片隅で燻っていても、俺は俺のやるべきことを全うする。そうでなきゃ、結愛は助けられない」


 焦りはある。

 不安もある。


 それでも、自分のために、やるべきことは全うする。

 結愛を助けるという最大にして最難関な問題を、それらの感情と相対しながら、一歩の間違いすらも許されない状態で、こなさなければならないとしても。


 ミスれば死。

 足場は不安定で枝分かれし、一メートル先も見えない。

 風は激しく乱れ狂い、目的地までは距離も手段も不明瞭。

 そんな名人ですら難易度の高い綱渡りのようなものは、流石に一人では厳しい。


「だから、これからも俺を助けてくれな、ラディナ」

「はい。私にできることなら、何でも致します」


 一人で厳しいなら、誰か信頼できる人間に一緒に背負ってもらおう。

 この世界で、信用できる人はそこそこいた。

 ラティーフやアヌベラや王やソフィア、アスカーも結愛を危険に晒した可能性のある元凶として目の敵にしていたが、話してみれば意外と真摯で、悪い人ではなかった。

 でも、信頼に足るかどうかは、別の話。


 まだ彼らとは、信頼関係に足るようなレベルで接してはいない。

 表面上の会話や持ちつ持たれつの関係、というのが妥当なところ。

 それ以上は、暗黙の了解で、互いに踏み込まなかった。


 そんなわけで、いま近くにいる人間の中で唯一信頼を置いているのがラディナだ。

 信用から信頼へと踏み込むことができたのは、きっと結愛と似た雰囲気を、ラディナに感じたからだと思う。

 一緒にいると、安心するのだ。


 だから無意識で、確約なんてしていないのに、このあともラディナはついてきてくれると盲信していた。

 その盲信は、打ち砕かれることなく了承された。

 その当たり前に、不思議と気分が良くなって、何となく気恥ずかしさを覚えた。


 ラディナにそれがバレないように、窓の外に浮かぶ更待月を眺める。

 召喚初日にも、こうして月を眺めたっけか、とふと思い出した。

 そしてそのときも、結愛のことを考えていたっけ。


「結愛、どうしてるかな……」


 この一週間、恵まれた環境で出来得る限り、いつもどおりに過ごせるよう努力してきた。

 それができる環境にいた俺と、それができる環境かどうかもわからない結愛。

 温かいご飯に、温かい風呂に、温かい布団――はこれからだが、結愛がそれを満足にできる環境にいるのかどうかもわからない。

 人里離れた場所に召喚されていた場合、まともに食事を取れているかどうかもわからない。

 それどころか、魔獣に襲われている可能性だってなくはないのだ。


「大丈夫です。少なくとも、葵様は大丈夫だと信じて進む以外、道はないのです」

「……そう、だね。そうだったね。俺が信じなくちゃ、誰が結愛を信じられるんだって話だよね」


 それはわかってる。

 今の発言は、きっと焦りと不安が齎した弱さの部分だ。

 でも、そんなものに負けてなんてやらない。

 結愛を信じて、俺は進む。

 一歩一歩確実に。


 大丈夫。

 道を外れそうになったら、ラディナが引き戻してくれる。

 だから、大丈夫だ。

 結愛は見つけられる。

 助けられる。




 絶対に、あんな結末になんて、してやらない――




「――あんな結末って……なんだ?」

「……葵様?」

「確か……何か、重要なものを忘れてる――?」


 靄がかかったよな、手の届かない記憶の引き出しがほんの僅か空いているような、そんなもどかしい感情が、心の中を駆け巡る。

 思い出せれば、何か有用な情報を引き出せそうなものが、きっと重要な何かが――


「葵様。また入られましたか?」

「……違う、はず……なんだけど」


 俺が入りやすく、一度集中状態に入ると、他の何も見えなくなることはラディナに伝えてる。

 だからこうして何かをしている際に動きが止まったときは、引き戻してくれるように頼んでいた。

 それをしっかりと実行してくれたので、今後は入りすぎる心配はないだろう。


 だがそれよりも、思い出しかけたなにかが、今は重要だ。

 だが、一旦途切れた集中力は簡単には戻らず、靄のかかっていたような記憶は、今は完全に霧の中だ。




 ――というかそもそも、何を思い出そうとしてたんだっけ?




 頭がクラクラし、目眩すら起こり始め、まともに立っていられなくなる。

 ラディナがそれに気がついて、支えてくれなければ、廊下と勢いよくキッスしていたところだ。


「葵様。すぐに部屋に戻って寝ましょう。弊害が出ているのだと思います」

「……ああ、そうだね。流石に一週間まるまる寝なかったのは、良くなかったみたいだ」


 つい数瞬前までしていたことすらはっきり思い出せない現状を鑑みて、いよいよ睡眠せずに行動し続けた末期症状が出始めたのだと感じ、素直にラディナの言葉に従う。

 もしかしたら、一度寝て明日になれば、思い出せるかもしれない。

 何なら、大したことではないことを思い出そうとしていたかもしれない。


 だからまずは寝よう。

 沢山寝て、明日以降の結愛探索に支障が出ないようにしよう。

 それが、今の俺が、すべきことだ。


 そう結論づけ、ラディナに肩を貸してもらいながら部屋に戻った。

 終始ラディナの手を借りて、就寝の準備を終えた俺は、倒れるように――というより、ベッドに倒れ込んだ。

 ふかふかなベッドが優しく俺を受け止めてくれて、その上からラディナが掛け布団を掛けてくれる。

 この世界に来て初めて味わったベッドは、とても温かく、寝不足だったこともあり、あっさりと深い睡眠へと誘ってくれた。



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