第六話 【たった二つの才能】
部屋の中央で座禅を組み、瞑想していた葵は、右手から感じた仄かな暖かさを受けて、ゆっくりと目を開いた。
その光の先を見て、直視できない明るさのものがあることを確認する。
「もう朝か」
太陽の光が窓から差し込み、その柔らかな暖かさを窓越しに部屋に伝えてくる。
葵が感じた暖かさは、朝日の暖かさだったらしい。
大きく深呼吸をして、座禅をやめる。
立ち上がり、大きく伸びをして訛った体をほぐす。
ちなみに、葵が仏教徒だから座禅をしていたわけではない。
昨夜、借りてきた本をすべて読み終えた葵は、何となく眠りにつくことができないような気がして、ベッドに潜る前に気を落ち着けようと座禅を組み、瞑想していた。
感情を優先し、冷静な判断ができそうになくなったときは、決まって座禅を組んでいたお陰か、すぐに落ち着くことができ、この様子なら眠れそうだと思っていた。
だが、座禅をやめる直前、ふと奇妙な気配を感じた。
座禅を取りやめ、臨戦態勢を取り、奇妙な気配に備える。
しかし、部屋中を見回すも異変などなく、その奇妙な気配が何なのか、わからなかった。
せっかく落ち着けた気はまた昂り、再び座禅を組んで落ち着こうとするが、また落ち着いたところで奇妙な気配が、先程よりも明確に漂ってきた。
まるで葵を取り囲むように、流れるその奇妙な気配に、違和感を覚える。
葵は武術鍛錬の一環として、“気”を体得しようとしたことがある。
結局、葵には才能がなく、“気”を体得することはできなかった。
お陰で、予測と推測による未来予測を体得できるようになるのだが、本題はそこじゃない。
確か、師範は“気”の説明で行っていた。
『“気”とはいわば大気のようなもの。中空を漂い、世界中のどこにいても感じられ、人の傍に常にあり、しかし気が付かれぬもの』
そして、“気”を体得できた中一の頃の結愛曰く――
『んーとね、私もまだ落ち着いてなきゃ感じられないんだけど、体を包み込むような不思議な感覚で、なんかこう……体に纏わりつく嫌じゃない湿気、みたいな』
天才型の結愛の説明は師範の言葉ほど要領を得なかったが、その言葉の状況は、今の状況に当てはまるのではないか?
今はとても落ち着いている。
体を包み込むような感覚もある。
『嫌じゃない湿気』という表現も、何となく理解できる。
「これが“気”……?」
瞑目し、落ち着いた状態で少し、腕を動かしてみる。
するとその奇妙な気配は、腕の動きに合わせて流動する。
まるで、動きのあった場所を補完するように動く、大気のように。
そうやって、ちょっとずつ試行と思考を繰り返し、気がつけば日は完全に登っていた。
一睡もできていないが、不思議と頭は冴えていて、眠気などは全くなかった。
「そういえば、まだ風呂入ってなかったっけ。鐘は……鳴ってないし、今のうちに入っちゃうか」
そう独りごちる。
結局、あの妙な気配を感じることこそできたが、『
結愛でも一朝一夕でできるようなものでもなかったので、葵程度が数時間やってできるような代物でもないのは自明だ。
至極当然だが、やはり結愛捜索にあたって、この力は身につけておいて損はないはずだ。
視界で認識するのと周囲の状況を知るのとでは、大きく捜索能力に違いが出る。
騎士団長あたりに聞いてみるのも悪くないかも知れない。
そう考えながら服を脱ぎ、風呂場に入り、その中の光景に驚愕する。
まず風呂場の材質だが、タイルのような石が全面に使われていて、天井から照らす明かりを反射する白の明るさが眩しかった。
次に驚いたのは、石鹸などのもの。
所謂、シャンプーやリンス、ボディソープなど、日本において風呂に入るものなら誰しもが使うであろうものが、ボトル型で置いてあった。
しっかりとプッシュすれば口から液体が出てくるのだから、形だけのフェイクではない。
しかもふわりと、強すぎず弱すぎないいい香りが漂う。
次に湯船に近づき、張ってあった湯に手を入れる。
ラディナが入ってから六時間ほどが経っているので、浸かるには冷たくなっていた。
張り直すにしても追い焚きをするにしても、そういえば風呂の説明してもらってなかった、と思ったのだが、壁を見てみれば、そこには四つのボタンが嵌め込まれていた。
しかもご丁寧に文字での説明がついている。
右から『呼び出し』『風呂焚き』『追い焚き』『足し湯』と並んでいる。
あまりの驚愕に、声も出せず引きつった笑みを浮かべる。
試しに、追い焚きを押してみた。
ちなみに、追い焚きを押したのは貧乏性が出たからだ。
風呂を一から沸かすよりも低コストで時間短縮を図った。
ラディナの残り湯でなにかしようなんて気はない。
追い焚きのボタンを押してすぐにピッという音がなり、湯船から作動音が聞こえた。
お湯が出るらしき船底にある口からお湯が出ていることを確認できた。
「科学技術無双はできそうにないねこの世界」
頭を洗いつつ、ため息交じりにそう呟いた。
無駄な知識量にだけは長けている自信があったが、この水準の世界ではあまり意味を成さないだろう。
頭、体と洗い、湯船に手先を入れる。
追い焚きの性能が高いのか、体を洗うのが遅かったのかは不明だが、熱すぎず温すない丁度よい水温になっていたので、追い焚きをやめて湯船に浸かる。
「……ふぅ」
まだギリギリオヤジ臭くないため息を付きながら、程よいカーブを描く背もたれにもたれる。
こうして湯船に浸かると、形容し難い既視感とともに、心身の疲労が取れていく感じがして気持ち良い。
今日――正確には昨日だが、現実離れした現象を体験し、そして結愛と離れ離れになった。
肉体的な疲労はあまり感じていないが、精神的な部分での疲労が尋常ではなく、こうしているだけでその疲労が少しは浄化されている気がする。
「……結愛、大丈夫かなぁ」
こうしてのんびり湯船に使っている間も、最愛の人はどこで何をしているのかわからない。
優しい人に拾われて、温かいご飯を食べて、温かい風呂に入り、温かい布団で眠れているだろうか。
あるいは、命の危険があると警告された魔獣とやらに出会っていたりするだろうか。
単体の戦闘力において、結愛は葵よりも強い。
だが精神的な面において、結愛は葵と同じか、あるいはそれ以下だ。
純粋に戦う能力があっても、精神が壊れてしまえば、ただの木偶の坊と化す。
「いや、結愛なら大丈夫。サバイバルの知識もあるし、人と出逢えば持ち前のコミュ力ですぐに状況を理解できるだろうし……だから、大丈夫だ」
自分に言い聞かせるようにそう呟いて、立ち上がる。
ザパァという水音とともに、葵の体に纏わりついていたお湯が湯船に落ちる。
「……ああ、さっきの“気”に似てんのか」
湯船に使ったときの既視感の正体を看破しつつ、軽く水を飛ばしてから脱衣所に出る。
予め用意していたタオルを手に取り、頭、体の順に拭いていく。
全身を拭き終わり、着替えに手を伸ばして、はたと気がつく。
「――あれ? 俺タオルも着替えも用意した覚えない……」
「私がご用意致しました。ご迷惑でしたでしょうか?」
「おぉうラディナ、起きてたんだ。おはよう」
「おはようございます、綾乃様」
扉一枚隔てた先から、独り言に返答が帰ってきた。
声の持ち主に覚えがあったので、急いで仮面を被り、誤魔化しのためにとりあえず挨拶をする。
「――で、ラディナがこれ、用意してくれたんだ?」
「はい」
「ありがとね。これなかったら今頃、慌ててたよ」
「いえ。側付きの務めですので」
なんてことはない、と言わんばかりに、ラディナは平然とした回答を扉の向こうから返してくる。
さっさと着替えを着てしまい、扉を開ける。
「改めまして。綾乃様、おはようございます」
「おはようラディナ。もしかして、俺うるさかった?」
集中状態に入ると五分五分くらいで声が出てしまう癖があるのだが、この世界に来てからはなるべく発揮しないように意識がけてきた。
しかし、先程の風呂場では完全にその意識を放り投げていたし、何ならラディナが寝てからずっとそうだった。
だから、可能性的にはどちらかがうるさくて、ラディナの睡眠を妨げてしまったかもしれない。
「いえ。三の鐘が鳴りましたので、起床致しました。これから朝食の準備が始まりますので、一時間ほど後に朝食となります」
「わかった。図書館は今開いてるかな?」
「司書様が図書館を開けていらっしゃれば、開いているかと」
「んー、じゃあ朝食のあとにこれ返しに行こうか。そのまま昨日と同じ感じで図書室で本読もうか」
机に積まれた本を指差しながら、今日の予定を説明していく。
しかし、葵の言葉を聞いたらディナは、申し訳無さそうな表情をすると、少し頭を下げた。
「そのことなのですが、本日は師団長様方主導で召喚者様方の実力を測るために、朝食後に訓練場へ集合とのことです」
「あ、ほんと? 昨日そんなこと言ってたっけ?」
「いいえ。恐らく伝え忘れかと。ラティーフ騎士団長様は飄々としていらっしゃり、そうは見えないかもしれませんが、とても忙しいお方ですので」
ラディナが申し訳無さそうにしているのは、自分が知っていた情報を伝えなかったことで葵が立てた予定を崩してしまうということだろうか。
そこまで畏まる必要はないと思うのだが、主人と側付きという立場に一線を引くという意味では正しいことなのだろうか。
「そっか。まぁ聞かなかった俺も俺だし、協力はするって言ったからね。気分転換にもなるし、丁度いっか。ラディナはそれには参加するの?」
「いいえ。私たち側付きは、訓練場の端の方で測定の様子を見守ることになると思います。私たちの実力は、側付き選定の試験で既に把握されていると存じますので。参加することがあるとするならば、召喚者様方のお手伝いになるかと思います」
「了解。そんときはよろしくね」
「承知しました」
丁寧に腰を折り、ラディナは葵の言葉に頷く。
しかし、そうなれば朝食までの時間が暇になった。
本は読み終えてしまったので、何もできることがない。
こんなことで時間を浪費するのは避けたいんだけども……。
「あっ、そうだ。ラディナ、一つ聞きたいんだけど」
「何でしょうか?」
昨晩、読書しながら片手間に書いた、わからない言葉を書いた紙に説明を書いてくれているラディナに、思い立った疑問を投げかける。
「昨日――って言っても風呂入る前の今朝なんだけど、眠れなくて瞑想してた時に、体の周りを取り巻くような不思議な感覚があったんだけど、これ何かわかる?」
「体の周りを……今も感じますか?」
「そう……だね。今は集中してないからさっきほどではないけど、ぼやっとした感じならある……かな」
「なるほど。では手を出していただいてもよろしいですか?」
「わかった」
ラディナの言う通り、手を出す。
ラディナは葵に向き直り、差し出した手をキュッと両手で掴む。
女子らしい――というと結愛が怒るが、柔らかで強く握れば手折れてしまいそうな暖かな手だ。
ちなみに、結愛が怒る理由は、その女子らしい手に結愛が入っていないからだ。
いきなり女子に手を握られ、そういった経験が皆無――いや、結愛にいたずらで握られたことなら何度かあるか。
言い方を変えて、家族以外の異性にそれをされたのは初めてなので、若干鼓動が早まる。
しかし目の前のラディナは至って真剣な表情なので、その場違いとも言える感情に、少しだけ申し訳無さを感じる。
すると唐突に、ラディナに掴まれた右手にあのときと同じ感覚を覚える。
あの時と違うのは、右手に淡い蒼い光が灯っているのと、感覚の柔らかさくらいだ。
「ぁ、これって」
「葵様が感じた不思議な感覚というのは、このようなものですか?」
「そうそう、こんな感じの。これって何かわかる?」
「はい。いま葵様が感じているこれは魔力です。正確には、葵様が感じたものは魔素といいますが、本質的には同じものですのであまり気にする必要はないかと存じます」
「なるほど魔力……魔力ってあれだよね。魔術とかを使うにあたって絶対必須なやつ」
「その通りです」
ラディナは手を離し、葵に説明をした。
葵が感じられたのが“気”ではなかったことは残念だったが、予想外の収穫は得られた。
とりあえず、ラディナにわからない単語の解説書きの続きをお願いし、その間、集中して周りを漂う魔力――正確には魔素と言うらしいそれに意識を傾ける。
一度、その存在を認識したからか、最初よりも集中力を要さなくとも魔素を感じられるようになっていた。
当然、集中すればするほど、魔素の流れを細部まで把握できる。
「葵様。一つ伝え忘れていたことがございます」
「なに?」
「魔素、魔力を感じられるとのことですが、それらを認識した場合、大抵の人間がその処理に頭を酷使し、一時的に頭痛が耐えないなどの弊害が出ることがございます」
「あー、知恵熱……は、頭の使いすぎって意味じゃないんだっけか。その症状は早い段階で出るものかな?」
「個人差がある、としか言えません。酷ければ一週間ほど寝込むことになりますし、軽ければそもそも症状が出ないこともございます」
「なるほどね……ありがと。一応気をつけておく」
上手い例えが思いつかなかったので諦めて、素直に感謝する。
こちらに体ごと向けていたラディナは、葵の感謝に頭を下げて再び机に向き直る。
とりあえず、その頭痛とやらに気をつけながら、この魔素・魔力の使いみちについて、時間いっぱいまで試行錯誤していこう。
* * * * * * * * * *
葵が魔素・魔力に意識を集中させ、ラディナは葵のわからない単語の説明を別紙に書き込みながら、朝食までの約一時間を潰していた。
どちらの作業も朝食が配膳されると同時に一時中断し、今は絶賛朝食なうだ。
まず第一に、魔素・魔力を感じることに関しては、集中せずともできるようになった。
微弱ながら、常にそれらを感じていられる。
第二に、最大限まで集中すれば、壁の先にある魔力にまで意識を向けることができた。
ただし、今は完全に静止した状態でなければ無理だった。
手や足を動かすなどに集中力をほんの僅かでも割いた場合、感知することは無理だった。
ただ、この魔素・魔力の感知に関しては、珍しく才能があると思う。
もともと持っていた才能は有用だが、もっと他の、それも結愛みたいに沢山の才能がほしいと思ったことはないことはない。
尤も、それを使いこなせるかと言われたら首をひねらざるを得ないので、今の現状には及第点と言ったところ。
ともあれ、珍しく才能のある分野。
狭く深くな葵の才能なので、鍛錬次第では別の作業をしながらでも壁を隔てた向こう側の感知も可能になるやもしれない。
そして第三。
これが葵にとって最も素晴らしい成果と言える。
ここまでの流れからわかるかもしれないが、それは人の持つ魔力を感じられたということ。
正確には、保有する魔力ではなく、人の周りに纏わりつく魔力を通じて、輪郭をはっきり捉えられた、というのが正しい。
目を瞑っているのに、その感知だけでラディナが何をしているのかが理解できた。
それどころか、本来なら知覚できない死角の部分までも理解することができた。
狭い部屋で、動的なものは人間しか居らず、風の流れもないので魔素は動かない、という情報処理にそこまで意識を割かないでいられる、という条件下においてのみ有効だったものだが、これも鍛錬次第ではもっと有用になるだろう。
多分。
そしてこの第三の成果は、結愛探索に役立てるものになるはずだ。
感知の範囲や精密さなどをもっともっと鍛え、向上させていけば、視界では捉えられない場所まで見つけられるはずだ。
そうすれば、見るよりも確実に、結愛を発見できるだろう。
あまり深い思考に入らず、現状の整理のみで無事に朝食を終えられた。
給仕の女性に朝食の返却をお願いし、元々の目的だった図書館への本の返却に向かう。
「綾乃様。騎士団長ラティーフ様から伝言がございます。『次に鐘がなったら、訓練場に来い』とのことです」
「わかりました。ありがとうございます」
給仕の女性は、葵たちから二人分の盆を両手に持つと、振り返り伝言を伝えた。
ラディナから聞いていたことなので、焦ることなく対応できた。
女性は器用にお盆を保持しながら頭を下げて、足早に去っていった。
それを見送ってから、机の上にある七冊の本を持って、葵たちも部屋を出る。
「じゃ、俺たちも行こうか」
「……メガネはよろしいのですか?」
「ああ、うん。あれは視力が悪いからつけてたやつじゃないから平気だよ。気遣いありがとね」
「いいえ。問題がないなら大丈夫です」
ブルーライトカット用のメガネなので、ここではあまり必要性を感じなかった。
それに、いざ戦うとなればメガネは邪魔なので、予め外しておいて損はない。
説明を忘れ、ラディナを困惑させてしまったことだけ反省し、図書館へ向かう。
ラディナに書いてもらった、かなりわかりやすい解説紙を読みながら歩いていたので、一度だけラディナに注意された。
歩きながらがよくないことはわかっているが、有事だからという最強の免罪符で乗り切る。
それ以外特に何もなく、着いた図書館で本を返却し、シナンから色々とためになる話を聞いた。
せっかくなので、魔素や魔力、それに関する初歩知識を得られる本を貸し出しし、さわりに入る前に鐘がなった。
「もう時間か。よしじゃ、案内頼む」
「はい。畏まりました」
昨日、めちゃくちゃ敵を作るような行動をとってしまい、クラスメイトたちと顔を合わせるのはあまり気乗りはしない。
けれど、協力はすると約束したので仕方がない。
気を取り直し、同時に集中力を高めながら、訓練場へと足を運んだ。
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