第四話 【深まる】
この世界の時間の示し方や先ほど会話に出てきた『四の鐘』という単語の意味など、気になったことをラディナに尋ねつつ数分程度歩いていると、徐々に良い匂いが漂ってきた。
ラディナは今までの二つに比べれば見劣りする扉の前で立ち止まり、手でそれを示すと、恭しく説明を始めた。
「こちらが朝昼夜の三食を提供する、大食堂となっております。先ほど説明した、時間を示す『鐘』で言うところの、三の鐘、五の鐘、七の鐘でそれぞれ配膳されます。時間外に小腹が空いたときなどは、大食堂内にある小食堂に常備されている菓子などを摘むことができます。また要望があれば、お部屋までの配膳も承っています」
「わかった。行儀悪いけど、詳しい話は食べながらにしよう」
「かしこまりました」
この世界の時間は、基本的に三時間ごとに時計塔から鳴る『鐘』を基準にしている。
午前零時を一の鐘とし、午前三時が二の鐘、午前六時が三の鐘、といった具合だ。
なので、配膳の時間は朝食が午前六時、昼食が正午、夕食が午後六時と、かなりバランスが良くなっている。
葵の言葉を受けて、ラディナは扉を開ける。
先程まで香っていた匂いが強くなり、それが鼻腔をくすぐって腹の虫が鳴きそうになる。
が、その前に
食堂の中には、いつもどおりの視線を向けてくるクラスメイトたち――召喚者が勢揃いしていた。
召喚者の後ろには、控えるようにして、ラディナと同じ格好をした女性が立っていた。
ラディナを含め彼女たちは、ラディナの言っていたとおり、召喚者の身の回りの世話をするメイドさんなのだろう。
いつもと変わらない召喚者たちに連携は問題なさそうだ、とボヤき、ラディナの先導に付き従う。
召喚者との仲を悟ってくれたのか、ラディナは離れたところで席に座る。
机に置かれているハンドベルを鳴らして給仕を呼ぶ。
「綾乃様、昼食の量の指定などができますが、いかが致しますか?」
「……じゃあ、普通で頼みます」
基準がわからないので、普通でお願いした。
食事の遅さに定評があるし、今はあまり食欲もないのでちょうどよいといいのだが。
給仕の女性は言葉を受けると恭しくお辞儀して去っていった。
「あれ? ラディナの分は聞かないのか?」
「私たち側付きは基本的に主人とともに食事は取りません」
「んー……いちいち別々に食事してたら時間の無駄だよ。さっさと食べて、早く戻ろう」
「かしこまりました。私が食事を要求すると面倒なことになるので、綾乃様が給仕の方にお伝えしていただくことになりますが、よろしいですか?」
「それくらいなら」
ラディナのやっていたようにハンドベルを鳴らし、給仕にラディナの分の食事もお願いする。
給仕は少し疑問そうな顔をしていたが、食事の時間を一緒にすることで時間を有効活用できる、ということを説明したら納得してくれた。
食事が運ばれてくるまでの数分で、まだ疑問に残っていたことを質問していき、食事が運ばれてきたら無言で食べ進めた。
なんとなく察しはついていたが、まだ葵の皿に三割は残っている状態でラディナは食べ終えてしまった。
異世界に来ても食事ペースは早くなっていないことが証明されたが全くもって嬉しくない。
ちなみに、運ばれてきた食事はあろうことか日本食だった。
白米に味噌汁、漬物に焼き魚。
THE・日本食である。
しかも日本で食べていたレベルの食事と遜色ないくらいに美味しい。
若干、味噌の味が違うとかはあったが、好みなんかでもわかれそうなので問題ではない。
ラディナに食事前に聞いていた質問の回答を聞きながら食べ進め、一緒にごちそうさまをしてから席を立った。
この世界にも「いただきます」や「ごちそうさま」なんかの文化があって驚いたが、まぁ異世界に来て初日に故郷の味を提供されたことに驚いてしまったので、若干インパクトに欠けた。
配膳されたお盆はこのままにしておけば、給仕が下げてくれるらしい。
召喚者三十一名にそれぞれ側付きと部屋を与え、生活の基盤は国が保証してくれるという、まさに至れり尽くせりな状態なのは、召喚者としての期待の現れなのだろう。
それに応えるためにも、まずは結愛を探し出さなければならない。
だから今は知識の収集が最優先だと図書室に戻る。
「綾乃。少し、良いか?」
ラディナを引き連れ、大食堂から退出しようと扉に向かって歩いていると、気合を入れて過ぎて緊張した面持ちの二宮翔が話しかけてきた。
後ろには、生徒会書記の小野さんと――確か、
そういえば、小野さんにまだ朝の会議のこと謝ってなかったな、と目の前の二宮の用事とは違うだろう思考をしつつ、答える。
「どうしたの? 急いでるから手短にしてもらいたいんだけど」
「そっ、そうなのか。すまない、じゃあさっそく本題に入る」
相手を尊重しつつ、自分の状況もわかってもらえるよう配慮した回答だと思ったのだが、何が不満なのか後ろの小野さん以外の女子両名と、未だに席に座っているクラスメイトから批判の視線が殺到する。
それに、二宮の態度もビビり過ぎだと思う。
外見は大して怖くないと思うし、別に何か二宮を恐怖に陥れることした覚えもないけど――って、初っ端にラティーフに突っかかったのが原因だと思いあたる。
あの体格の持ち主に喧嘩打ってる俺を怖がるのはまぁ正常な反応だろう。
結愛のことがなけりゃ絶対に関わろうとしなかっただろうし。
「えっと、いきなりで悪いんだが、綾乃に俺たちの手伝いをしてもらいたいんだ」
「手伝いって言うと具体的に?」
「ラティさんから、綾乃は戦闘経験を積んでるって聞いたんだ。俺たちの中には、部活とかで空手とかやってる人はいるけど、本格的な戦いってものをしたことがない。だから、それを教えてもらいたいんだ」
頼む、と頭を下げる二宮。
追随し、小野さんも頭を下げ、渋々と言った様子で女子両名も同じ体勢になる。
後ろのクラスメイトたちは、相変わらずだ。
「教えるのはあんたたち四人にか?」
「いや、俺たちクラスメイト全員にだ。ラティさんの方でも訓練はしれくれるらしいが、そっちは最初の訓練以外は自主参加になっている。戦争に参加すると表明した十人以外はいかないだろうから、代わりに綾乃にお願いしたい。頼む」
腰を九十度曲げ、頼み込む二宮に小野さん。
二人には悪いが、そんなことよりも戦争に参加する召喚者が十名しかいないという衝撃の新事実が判明し、二宮のお願いを忘れるところだった。
雲行きの怪しさに辟易しつつ、まぁ他人の、それも他所の世界の危機を命張って救ってくれなんて言われても、断るのは当然かも知れない。
そう考えれば、むしろその十人はとんでもないお人好しだ。
そんなお人好しには悪いが、既に決めている回答を口にする。
「すまない。期待には答えられそうにない」
「そこをなんとか頼む! 頼れるのは綾乃しかいないんだ」
「……憶測だけど、その十名に二宮くんは入ってるよね?」
「うん、その通りだ」
「なら、俺にそれを頼むのは二宮くんじゃなくてそっちの座ったまま何もしてない人たちだろ」
「何だと!?」
二宮に言っていた言葉に、後ろの召喚者が反応する。
机に両手を叩きつけ、椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「いや、おかしなこと言ったつもりはないんだけど……何か間違ってたか?」
「っ……てめぇなんかに教わることなんか、何もねぇよ!」
「それはそれで二宮くんに失礼でしょ。人のために頭まで下げてるのに、それを当事者が蹴るなんてアホな話、俺でも常識を疑うぞ」
「てめっ――」
二宮の行動を無下にしようとした男子に対し、当たり前のことを述べたと思うのだが、逆上された。
今までの言動と今の言葉を考えれば、全くもっておかしなことではないのかもしれないが。
自分で言っといて矛盾だらけだなぁ、と思う言葉を聞き、掴みかかろうとしたのかこちらに向かってくる素振りを見せた召喚者の一人は、目の前に出された手に阻まれる。
手を出して、召喚者の行動を抑制したのは、なんとびっくり中村隼人だった。
嫌われていたのだと思ったが、こいつは感情のみで動くアホではないのか、と少し評価保上方修正する。
「ずっと話聞いてた上で、一つ言わせてもらう」
そりゃこの場にいれば否が応でも聞こえてくるはずだわな、と思いつつ、話の続きを頷くことで促す。
「綾乃は確かに、間違ったことは言ってない。言ってないが、少しはこっちの気持ちも汲んでもらいたいな」
「え、やだよ。そっちの気持ち汲み取ってもどうにもならんでしょ。そいつらが結愛を探し出す手助けになるの? 探してくれたとしても、結局足手まといになって効率落とすのが関の山でしょ」
「そういうところを言ってんだ――って言っても、結局通じないだろうから言い方変える。お前が無碍にしたこいつらが、お前の邪魔をするとは思わないのか?」
「そいつらにできる邪魔なんて、大したことないと思ってる」
「……俺たちを馬鹿にしてんのか?」
怒気を孕んだその言葉に、うまく伝わらないもどかしさを覚えつつ、齟齬を解くように話す。
「それは違う。俺より賢いやつだっているわけだし、お前や、そいつらを過小に評価してるわけでもない。ただ、今まで俺が観察してきた限りのあんたたちの評価から何ができるかを考えた結果、どうにもならないって決断に至っただけだ」
「それが馬鹿にしてるってんだよ。お前は俺たちを全員敵に回すつもりか?」
「……そういうことでいいよ」
自分の伝えたいことは全部、一切隠すことなく伝えた。
それで伝わらない以上、本当にどうにもならない。
だから、「もう面倒だし」という本音を隠して、話を終わらせる。
「……いい加減にしろよてめぇ!」
――はずだったのに。
胸ぐらを掴まれた。
先程、上方修正したお陰で完全に予測から除外していた行動を取られ、相手に勝手を許してしまった。
思いの外これ苦しいな、という感想を胸のうちにいだきつつ、強行を止めようとするラディナを手で制して、真っ直ぐ中村を見据える。
「どれだけ俺たちをコケにすれば気が済むんだてめぇは!? この世界に来た時、お前の行動で、どれだけ俺たちを危険に晒したかわかってんのか!? その後も! 謁見の間で王やこの国を運営するお偉方の前であんな啖呵切って! ふざけるのも大概にしろよ!」
肩で息をしながら、唾を飛ばす勢いで声を張り上げた。
それはきっと、他の召喚者も少なからず思っていることなのだろう。
それに、中村の言葉が葵にはどうしても、違う意味に聞こえてならない。
「もうどうにもならないってわかったでしょ。俺と、あんたたちじゃ、考え方の基準が違うんだよ。だから、話が通じないし、食い違う」
初めて胸ぐらを掴まれて、なかなか苦しいという事実を認識しながらも言葉を紡ぐ。
「二宮くん含めあんたたちの基準は、“召喚者”でしょ? でも俺は、そういう基準で物事を話してない。だから、何も分かり合えない」
「……それは、お前がわかろうとしてないだけだろ」
「そうだよ。俺はあんたたちのことをわかろうとしてない。そんなことに割いている時間も、思考力も、少なくとも今はない。俺の基準で考えて、それであんたたちを必要としたときは、少しはわかろうとするかもしれないが、その時が来るまでは一生このままだ」
そもそもの大前提から、理解を示そうとしていないという事を明言し、さっさとこの不必要な時間を終わらせようとする。
正直に言えば、誰とでも関係悪化は抑えたいのだが、如何せん短所なことと、今は結愛のことを最優先に考える必要があり、ここで時間を浪費するのは痛いのだ。
「それにさ。お前、召喚者を代表して言ってるつもりなのかもしれないけど、実際は違うだろ」
「……は? 何いってんだ綾乃」
「一割くらいは召喚者を代表してるって言葉に間違いはないんだろうけど、でもお前の言葉の本質は、俺に対する八つ当たりだろ? 九年前から変わってないんだな」
「てめっ――」
そろそろ短い堪忍袋の緒が切れそうだったので、中村の言葉に感じた違和感の正体を口にする。
それに反応し、胸ぐらを掴む腕に力を入れようとした。
だが、それは先程の失敗から学んで予測済み。
力を入れる前に手首を掴み、素早く足を掛け、なるべく勢いを殺してうつ伏せに張り倒す。
勢いを殺したとはいえ、それなりの威力で地面に叩きつけてしまった。
手加減もできない自分の弱さを恨みつつ、痛みの声を上げる中村に、腕で背中を押さえつけながら忠告する。
「お前が成長してようがしてなかろうが、俺は別に構わないしどうでもいいけど、それで俺の進む道の邪魔になるなら容赦なく排除していく。だからお互い、これ以上嫌な思いをしないように、なるべく不干渉で行こう」
腕を背中でロックしているので、苦しげな声を上げる中村に一方的にそう言って、その拘束を解く。
うつ伏せになったまま、抑えられていた腕を擦る中村を一瞥して、二宮に向き直る。
「そういうわけで、俺は二宮くんたちに協力できない。その代わりと言っちゃ何だけど、アドバイス」
目の前で葵が起こした惨状にまだ眼を丸くしている二宮は、葵の言葉を受けて気を取り直す。
その内容を咀嚼し理解し、一言一句聞き逃すまい、と真っ直ぐと葵の目を見据える。
「全てを得ようとするのは、選ばれた人だけの特権だ。だから、召喚者全体に情けをかけるんじゃなく、まずは自分自身のことを最初に考えるといいよ」
「……そっくりそのまま返すよ、その言葉」
葵の言葉に答えたのは二宮ではなく、ようやく立ち上がった中村だった。
葵に背を向け、傍付きに腕の手当をしてもらいながら、ボソッと呟いた。
その言葉は一応事実ではあるので、反論に困る。
「わかった。よく覚えとく。それと、綾乃。一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「俺の知る限り、生徒会長は文武両道で、人格者で、少なからず綾乃が率先して探さなきゃならないほど弱い人だとは思わないんだ」
「……」
二宮の言葉は、おそらくここにいる召喚者全員が抱いている疑問だろう。
誰とも深く関わらないようにしていたから、俺の能力は目に見える範囲でしか理解し得ない。
例えば、授業で回答の指名されたときや、体育での実技などがそれだ。
どちらも見られる範囲では、平均的で常識的な範疇で応対していたから、余計に結愛との差が浮き彫りになっているのだろう。
目に見えて優等生な結愛と、よくわからず、わかっている範囲ではあまり特徴のない俺。
故に、この疑問を投げたくなるのは、よくわかる。
わかるが、なんとも答えにくい質問だ。
どう答えるのが正解なのかをよく思考して、回答する。
「人は、見えてるだけが全てじゃないよ。俺が二宮くんの心を理解できないように」
「……つまり、俺たちの知ってる生徒会長が全てではないってこと?」
「その認識で間違いないよ」
その回答に、二宮は曖昧な表情になる。
わかったけれど、まだ完全に理解できたわけではないような、そんな微妙な表情だ。
「……なんでてめぇがそんなことわかんだよ。そもそも何で、そこまで生徒会長に固執するんだ」
手当が終わったのか、こちらを睨みつけながら中村は口を開いた。
核心を突くその言葉に、目に見えてその場にいた人間の興味が葵の回答に集中する。
ここまで話を大きく広げてしまった以上、答えないのは更に事態を面倒にする可能性が高い。
だから、諦め混じりのため息を付いて、中村をまっすぐ見据えて答える。
「結愛にとって俺は、家が隣の幼馴染で、数少ない理解者の一人で、もう二度と戻らない家族の代替だ。……そして俺にとって結愛は、人生の目標で、辿るべき道の象徴で、何より――」
拳を握り、歯を食いしばる。
俺がもっとしっかりしてれば、こんなことにはならなかったと後悔しても、もう遅い。
だからこそ、その後悔を未来に活かす。
観察し、考察し、思考し、理解し、実践する。
この世界で、結愛がいないとわかった時点で決めていた。
――いや、六年前には、決めていた。
「――何より結愛は、俺の生きる意味だ。だから俺は、例えどんな困難が目の前に立ち塞がったとしても、結愛を追い続ける」
自分の気持ちを、心を、他人にこうも明かしたのは、人生で何度目だろうか。
少なくとも、結愛を他人として数えないならば、人生で初めてだ。
自分の言葉に矛盾はないかとか、おかしな部分はなかっただろうかとか、そんな不安は全く感じなかった。
そもそも人間なんて、TPOによっては平気で矛盾を起こす生き物だし、どこかの誰かから見れば、どこかおかしいなんてのは当たり前のことだ。
むしろ、自分の気持を明かしたことで、なんだかとってもスッキリした。
自分の言いたいことを伝えられたので、今はもうこの場に用はない。
だからようやく、本来の目的に向かうことができる。
踵を返し、大食堂の扉から図書室へ向かう。
それ以上、誰も声をかけてくることはなかった。
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