第5話 君のためなら死ねるって

 倒れている。涙を流しているアイの手を取ろうとしたその時だった。


 バチィッ!


 伸ばしかけていたアイの手は、弾かれた。


「茶番はそれまでだってーの、ほら吹きが」


 ゲシィッ! バキィッ!


 ヴァーカップルがアイに暴行を加える。微塵も悪い事をしている風には見えない。むしろアイが悪い様な言い掛かりをつけて暴行を加えている。


「お前……っ!?」


 すぐさま殴りかかろうとした徳だったが、体が動かない。操られている感覚はないが、ピクリとも体が反応しないのだ。


「しかし人間よ、只の使途に向かって……ププッ、俺の天使だってよ。笑わせてくれる」


 ドンッ!


 魔力のような力を使い、アイに攻撃を加え始めた。明らかに力の差がある者を一方的にいたぶる行為を、徳はただただ見ているしか無かった。


「やめろ……やめろよぉっ!」


「記憶を消す術も持たない、能無しの使途が勝手に人間に接触。さらには自分の事を天使だと、身分を偽って騙す。これは天界で裁くまでも無く大罪だ」


「そんな、おいハーキョック! どっか居るんだろ! アイを、今すぐアイを助けてやってくれ!」


「っ!?」


 ピタッ。


 徳がその名を出した瞬間だった。アイに攻撃を続けていたヴァーカップルは、その場に固まった。


「ハーキョック……まさかな」


 ヴァーカップルが周囲をキョロキョロと見渡す。


 ビュンッ!


 風。それを感じた時には、すでにヴァーカップルの頬に傷跡が残されていた。


「もうっ、私だってわざわざ戦いたくは無いんですよぅ」


「フリン!?」


 徳は驚き声を上げた。ヴァーカップルがやって来たゴタゴタで、その場から姿を消していたのがハーキョックだけだと思いこんでいたからだ。


「チッ、油断した……ん?」


「ああ、これですか。見ての通り預言書ですよぅ」


 フリンは持っている預言書を見せ付けると、ヴァーカップルはニタリと舌なめずりをして妖しく笑った。


「そうだよなぁ、ハーキョックなんて魔人が人間界に来てるはずがないよなぁ。じゃあ預言書を盗んだ悪魔はお前だよなぁ?」


「いいえ、私は使い魔ですよぅ」


「使い魔? 天界で言ったら使途よりも下の、妖精と同じく最下層のザコかよ」


 キッ。


 ヴァーカップルがフリンに向かって手を伸ばす。


 余裕。


 先ほど徳がハーキョックの名前を出した時とは打って変わって、慢心しきった態度で光を放った。


 ドンッ!


「ラヴリエルを殺した悪魔は別に居るんだろうが、まずは預言書を……って?」


 フリンに向かって飛んで行くはずだった光の塊は、その下の地面に直撃。当の本人は涼しい顔で首を傾げている。


「また、手元が狂ったって言い訳しても良いんですよ?」


「えっ、そっ、あっ」


 思い出した。


 ヴァーカップルが徳の前に姿を現した時に放った一撃。人間と使途が一緒に居るのを見かけたから、ほんの軽い気持ちで外した一撃。せいぜいゴミ箱にティッシュを投げ入れたのが外れたくらいの気持ちでいたが、そうじゃなかった。


 脅威。


 目の前に居る褐色肌の小悪魔が、本当に使い魔だとかそんな事はもうどうでも良い。明らかな力量差だ。頬にかすり傷をつけられた時、それが全神経を集中させてハーキョックを警戒していた時に受けた事も辻褄が合う。


「大人しくしていればわざわざ相手にしなかったんですけど、アイさんが死んでしまうと徳川さんの恋人をまた一から探さなきゃなので正当防衛って事で」


 ビュンッ!


 風を切る音。その音がした瞬間には、フリンの姿は見えなくなっていた。


「ぎやぁあああああ!」


 断末魔の叫びと共に、身体中に痛みが染み渡るような感覚が訪れる。


 殴ったのか、蹴ったのか、斬ったのか魔力を使ったのか。どのようにして倒れたのかも確認する事すら出来ないような状態。ギリギリ生かされている、一瞬にして虫の息だ。


「あっ、あっ、あぁあああああ!」


「どこに行くんですかぁ?」


 ビュンッ!


 体に痛みを感じた時には、すでにヴァーカップルはその場から逃げ出すことしか、それ以外は考える事が出来なかった。


「うわぁあああああ!」


 ズヂュウウウウウウウッ!


 その場から逃げる事は許されなかった。全身に痺れと苦痛。四肢が全く言う事を利かない。一体何をされて、自分の肉体がどのようになっているのか確認する事さえ怖い。完全に身体の自由を奪われた。只々叫び声を上げる他に、何一つ許されないような状況だ。


「さてと、これからどうしましょう?」


「お願いします! 何でもしますから許して下さい!」


 ヴァーカップルはフリンに対して懇願した。恐怖で滲んだ涙を目に浮かばせながら。


 ニコッ。


 フリンは微笑みと共に、倒れているヴァーカップルに手を伸ばした。


「知っていますか? 魔界の女性達は天界の女性に比べて胸が大きい方が多いんですよ」


 ぷるんっ。


 たわわなおっぱいを揺らして、ヴァーカップルに触れるフリン。


「でも、魔界の者が皆さん巨乳好きってワケでも無いみたいで……」


 ぺたっ。


 ヴァーカップルのまな板のような胸に手を当てて、フリンはニヤリと笑みを浮かべる。


「私の知り合いのオークさんやインプさんとか、ちょうど貴女みたいな体系が好きな人多いんですよね」


 ヴォン。


 その場の空気が少しだけ重たくなったように感じた時には、フリンの居た場所に黒く禍々しい円。吸い込まれてしまいそうなブラックホールのような物。


「魔物さん達は天界で言う所の使途と同じ地位ですからね。使途が嫌いな貴女は魔物さん達も、お嫌いですか?」


「あっ、あっ、やめっ」


 プチュン!


 TVの電源を切ったかのような閃光が走った瞬間。ヴァーカップルの姿も、禍々しいブラックホールのような物も消えていった。


「これで邪魔者は消えましたね。それではお二人はキスを……ってあれ?」


 ヴァーカップルの姿が完全に消えて、後は徳とアイが幸せなキスをして、それでハッピーエンドになるはずだった。


「ハーキョック様、ハーキョック様っ!」


 未だに姿を見せないハーキョックをフリンが呼びかけると、どこからともなく姿を現すハーキョック。


「ん、もう終わったか。じゃあさっさとあいつらをキスさせて魔界に帰るぞ」


「それが、アイさんが!」


 ヴァーカップルに痛めつけられて倒れていたアイの体に、光が集まっている。白く輝くその光は、アイの全身を覆い包んでいた。


「な、何だ……アイ、大丈夫か!?」


「チッ、神の仕業か」


 白く輝く光に包まれたアイは、両目を閉ざして天へと昇って行く。フワフワと、天の指す光の方へとゆっくりと。


「クソッ、まだ動けないのか。しっかりしろよ俺!」


 徳の目の前から、段々とアイの姿が遠ざかって行く。何も出来ない、全く動く事の出来ない自分が、不甲斐ない。


 シュンッ!


 やがて、雲の上まで到達したアイを包んだ光は見えなくなった。


「アイは、アイはどこへ行ったんだ!」


「天界だ。さっきの天使が死んだ事に気付いた……いや、殺されるように仕向けた神の仕業だろうな」


 天界。


 ハーキョック達が属する魔界とは相対する存在だが、その力関係は彼ら自身の力関係と比例する。天界と比べて魔界は領土だけでなく悪魔や魔物の数も、個々の戦力も明らかに上回っているが、魔神の方針で天界への過度な干渉は禁じられていた。


「チッ、どこの神も俺様を魔界に戻らせるのが相当イヤみたいだな」


 ダンダンと地団太を踏むハーキョック。その様子にフリンはオドオドと困ったような顔をしているが、徳はアイを包む光の先から視線を逸らせないでいた。


「なぁ、アイは生きてるよな?」


「もう忘れろ、貴様を殺せなかったアイツはどうせ天界で処刑される。二度と貴様の前に姿を見せん」


 アイの使命。それは徳を殺す事。人間に恋人を作るために、恋人の出来ない運命だった徳を探しているハーキョック達を邪魔する為。そしてヴァーカップルとハーキョックを鉢合わせさせ、さらなる罪を重ねさせる為に現れたと見て間違いない。ハーキョックが預言書をラヴリールから奪った時から、それは計画されていたのだろう。


「忘れられるわけ無いだろ、好きな子を! 愛している女性を!」


 ビクンッ!


 徳の体が、ほんの少しだけだが揺れ動く。


 痛い。力が入らない。だけど、行かなきゃ。


「無理に動くな。只の貧弱な人間が魔力を使ったからな、しばらくまともに動けんはずだ」


「へっ、好きな子が連れて行かれたんだ。王子様がお迎えに上がるのが当たり前だろ」


「貴様は貴重なモテない人間なんだぞ。今更別の奴を探すのだって面倒なんだ、アイツに拘らずとも他に別の女だって、この学校だけでもたくさん居るだろう」


「居ないね。俺の彼女はアイだけだ」


 フッ。


 徳は言い切った。清清しいほどに、真っ直ぐに。


「……フリン、魔界に戻って宝物庫からマナソードを取って来い」


「はっ、はい!」


 ビュンッ!


 フリンは消えるように飛び去った。


「俺様は事情があって天界でイザコザを起こせん。フリンの奴も階級が低い使い魔だから天界には入れん。しかし、魔力の塊であるマナソードがあれば、人間である貴様でも天界へ行くことが出来る」


「おう、それで充分だ!」


 バタバタバタバタ!


 黒い羽を必死に羽ばたかせ、大慌てで戻って来たフリンの両手には大きな剣。とても片手では持てないような大剣が握られていた。


「このマナソードがあれば魔力の補給がされるので動けるようにはなりますが、くれぐれも無茶して死んじゃダメですよぅ」


 徳の手にマナソードが渡ると、全身から力がこみ上げてくるような不思議な感覚。ハーキョックから微量の魔力を授かった時とは比べ物にならない、湧き出るような力の増長を肌で感じ取れる。


「ありがとう。でも、二人に会う前に告白したから。君のためなら死ねるって」

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