第3話 魔力で告白

 フリンに確信を突かれた徳は目を逸らして廊下を再び突き進む。いくつもの教室を通り過ぎ、階段を駆け下りてようやく図書室へとやってきたのだ。


 ガララッ。


「あっ!」


 図書室に入ってすぐ、思わず声を出してしまった。図書室ではお静かにと書かれた注意書きに喧嘩を売るように声を上げてしまった。


 居た。


 メガネに包まれた優しい瞳。机についてしまう程の長い髪をした文学少女。北条真希子がそこには居た。しかも徳が入ってきた瞬間に目が合った。


「えっ、誰あの人達?」


「先生じゃないし、誰だろうね?」


 ざわざわ。


 徳が図書室に入った途端。静寂だった図書室にざわめきが訪れた。正確には、徳の後ろに居る者達の姿を見てざわめいていた。


「って、お前ら他の人にも姿が見えてるのか。普通こういうのって俺にしか見えないとかそんな力は無いのかよ!」


「魔人である俺様が人間如きに姿を隠してコソコソする必要など無い。ほれほれ、さっさと恋人を作ってしまえ」


「だぁあああ! せめて北条さんと二人きりにさせてくれ!」


「フン、注文の多い奴だ」





 ドンッ!


 ハーッキョックに突き飛ばされて、勢いのままに北条にぶつかってしまう。


「あいてて、北条さん大丈夫……って!?」


 もにゅん。


 手のひらに、今まで人生の中で体験した事の無い柔らかな感触。幸せの温もりと言わんばかりのとろけるような心地良さ。


「イタタ……あれ、徳君?」


「うわっ、ごめん!」


 徳は反射的に北条から離れた。掴んでいた物は胸。つまり倒れた拍子におっぱいを触ってしまうというラッキースケベ。


 しまった!


 思わず反射的に離してしまった両手。ほんの一瞬前までは幸せの温もりの中に居た両手を即座に離してしまった事に激しく後悔。一度離してしまったこの手を再びおっぱいに向けるのはあまりに不自然。自分の紳士っぷりがこの時ばかりは裏目に出た。


「あれ、ここって中庭……どうして?」


「ほ、北条さんっ!」


 突如として中庭に来ている事に驚きを隠せない北条だったが、そんな事などお構い無しに徳は告白の返事をしようと口を開いた。


「あのっ、今朝の返事だけどサ……」


「えっ、今朝のって?」


「あ、だからその……俺も好きだよ!」


「?」


 北条は首を傾げている。どうやら徳の言わんとしている事が理解出来ていない様子。傍から見れば当然だが、徳自身はそれが不思議でならなかった。


「えっとさ、今朝の告白の事なんだけどナ」


「告白って、誰が?」


「えええっ!?」


 徳は驚いた。まさかハーキョック達が言っているように告白自体が勘違いだったのか、それともぶつかってしまったショックで記憶の一部を失ってしまったのか。徳はすぐさま後者だと判断した。


「そうか記憶が……でも大丈夫。もう一度ここで聞いてあげるよ」


 カッ!


 目を見開いてメガネ越しの北条の瞳を覗き込む。今から熱く激しく告白する事を望んだ徳に対し、北条は虚ろな瞳で頷いた。


「徳クン……好キデス」


「俺も、俺も君が好きだよ!」


 ぶるるっ。


 ようやく、ようやくだ。お互いの気持ちが通じ合った事を嬉しく思い、歓喜のあまり身震いした。


「徳クンノ好キナ……パンツデス」


「ええっ、いやいやスカート上げなくていいから……ってか見たいけど、物凄くパンツ見たいし出来ればもう一度おっぱいだって触りたいって思ったりしてるけれども!」


 操られるがままにスカートをたくし上げた北条は、トロンとした瞳で徳の顔を見つめている。


 可愛い。


 グッ。と拳を握り締めてガッツポーズ。こんな可愛い女の子が今日から彼女になるなんて、今日は人生最高の日だ。


「ハーッハッハッハ、どうやらうまくいったようだな!」


「流石ですハーキョック様。これでカップル成立ですね……しかし徳川さん、また女の子のパンツ見てますね」


 徳が後ろを振り向くと、ハーキョックとフリンの姿。きっと告白された瞬間。いや、始めから居たのだろうが全く気配を感じなかった。いつまでもたくし上げたスカートの中を覗いていたい衝動はあったが、しぶしぶ北条にスカートから手を離すよう伝えた。


「ありがとう二人とも。いやー、北条さんが告白した記憶を無くした時はどうしようかと思ったけど思い出せたみたいで良かったよ!」


「記憶も何も元々告白されてないですし……まぁいいですか」


「ムフフ、これで今日から俺もリア充だナ」


 ニヤニヤとだらしない顔をして、舐め回すように北条の顔を、身体を、全身を眺める徳。その姿はさながら痴漢が視姦するような光景にも見える。


「おい貴様、最後の仕上げがまだだぞ」


「そうですよぅ。最後は恋人同士が幸せなキスをしてハッピーエンドって相場が決まってますから、早いトコ済ませちゃって下さいよぅ」


 キス。口付け。接吻。当然の事ながら徳は経験した事の無い未知の体験。ほんの一瞬とは言え触ったおっぱいの感触。もしかしたら、キスはそれを超える極上の快楽となるのでは。そんな考えを頭に巡らせながら、徳は北条と向き合った。


「はい、キースキース!」


 パチパチとフリンが手拍子をしてはやし立てる。周りの温度も、告白を終えた二人の気持ちも、全てがキスの態勢へと整っていた。


「北条さん……好きだよ」


「徳クン……徳クン」


「じゃあキス、するよ」


「徳クン……イ……イヤ」


「えっ?」


 ザザッ!


 思わず後ずさる徳。今、確かに嫌と聞こえた気がした。おそらく空耳か、そうでなければハーキョック達が居て恥ずかしがってそう言っただけなのか、どちらにしろちょっとだけビックリして思わずキスのタイミングを逃してしまった。


「ききききき、聞き間違いかナ?」


「…………」


 北条は答えなかった。つまりさっきはいきなりで心の準備がまだだった。今はもうキスしてもOKだと都合の良い解釈をした徳は、北条の肩を掴んで顔を近づけた。


「ヤ……ヤメ……テ」


 落ち着け。聞き間違いだ。だって告白して、愛を確かめ合って、二人は両想い。後は幸せなキスをして恋人になるだけだった。


「――待ってください!」


 声。徳も聞いた事のある女の子の声。北条の姿しか目に映っていなかった徳は声が聞こえてからようやく、中庭で出会った白い少女の姿に気が付いた。


「どうして……こんな無理矢理に、彼女を傷付けてまで愛が欲しいのですか!」


「何を言ってるんだい、俺と彼女は両想いなんだ。だから無理矢理だとか傷付けるとか、そんな事は全く無いよ」


 先ほど中庭で出会った少女が来た。が、徳にとってそれは大した問題ではなかった。目の前に永遠の愛を誓い合った彼女が居る。そしてこれから幸せなキスをする事だけしか、今は考える事が出来なかったからだ。


「北条さん……ぐへへへへ、チュウしようチュウだよ」


「イヤ……キモチワル……イ」


「北条さん、北条さんっ!」


 ウェエエエエッ!


 嘔吐。ビチャビチャと消化し切れなかった食べ物達が地面に流れ落ちた。


「な……なんてこった」


 苦しそうにしている北条の姿を見て、徳はクッと唇を噛み締めた。


「ようやく分かりましたか、彼女が貴方を拒絶した事を。貴方はこれっぽっちも愛されてなど居なかった事を。そして彼女の悲しそうな――」


「これが想像妊娠ってやつか!」


 妊娠していないにも関わらず妊娠における様々な兆候が見られる心身症状の一種。今の北条はまさにそれだと、間違いなくそうだと徳は確信した。


「――バカァッ!」


 パチーン!


 少女は徳の頬を思い切り叩いた。痛い。だが、悪くない。


「よく見てください、貴方の好きな人を。貴方が愛した、その女性の顔を」


「え、どうして……どうして泣いてるんだ?」


 北条は息をするのも苦しそうに膝を付いている。


 一体いつからだろうか、何故今まで気が付かなかったのだろうか。その顔はとても辛そうに、涙していた。


「イヤ……徳クン……イヤ」


「そんなっ、そんな事って……」


 ガクッ。


 手に入りかけていた愛が、恋人が。一瞬にして遥か彼方へと離れて行くのがわかった。


 拒絶。


 北条の表情から読み取れる感情。それに気付いた徳は膝から崩れ落ちた。


「アレレーオカシイナー、ナンデダー。北条さんは、俺を好きじゃないノカー。好きじゃないはキライ。キライは泣いちゃうヨ。えっ、あれっ、俺はフラれた。ナイナイ。チガウヨ徳クンダイスキって言ってたもんネ」


「あのっ」


「オカシイナ、オカシイナ、前ガ見えないシ、ナニも聞こえないヨ」


「――あのっ!」


 ぎゅっ!


 壊れかけの徳の頭に、ふわりと優しい感触が訪れる。髪を優しく撫ぜてくれている小さな手。顔を覆うように密着する少女の慎ましい胸。


「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!」


 徳を抱きしめたまま、少女は謝った。


「貴方を魔人に引き合わせない為に、私は貴方を殺そうとしていました。だけど、出来なかった。それどころか、魔人が来た時に私は逃げ出しました」


 ぎゅう。


 少女の手に、微かに力が入る。


「怖かった。目の前に居たらラヴリエル様のように、気まぐれに殺されると思ったから」


「ラヴリ、ラヴ……ああ、困っていた俺様に救いの手を差し出すどころか、刃を向けてきた慈悲の心を持たない実に意地悪な神の名前だったな」


 ザッザッザッ。


 ハーキョックが徳の前に。いや、正確には徳を抱きしめている少女の目の前に歩み寄る。


「あー、邪魔された。せっかくこの一生恋人の出来ない運命の、実に可愛そうな男に彼女を作ってやろうとしていた俺様邪魔されちゃったなー」


 ――ビュウウウウッ!


 ハーキョックの周囲から、突如として強い風が吹いてきた。目を開けることすら辛くなるような、冷たく突き刺さる強風だ。


「スゴイですハーキョック様ぁ。ホントはお父様……魔神様に人間同士殺し合いをさせ過ぎた罰で、その分つがいを作って来ないと魔界に返してもらえないのにまるで良い事をしているかのように言い換えちゃうなんて天才的ですぅ」


「ええい黙っておれオロカモノ!」


 ポカッ!


 ハーキョックの周りをチョロチョロと飛び回っていたフリンが叩かれる。


 ドクン、ドクン。


 近付いただけで命を奪われてしまいそうな迫力の魔人。その存在感というプレッシャーだけではない。周囲に飛び交う強い風は、禍々しい瘴気。それを浴びているだけで、少女は命を削り取られるような感覚に陥ってしまう。


「ハァ、ハァ」


「ん? 辛いか? 苦しいか? ならば今すぐに楽にしてやろう。そしてその男に恋人を作ってやろう。あーなんて優しいんだ俺様は。おい、フリン」


 ハーキョックの呼びかけで、フリンが少女と距離を詰め寄ったその時。


「――待てっ!」


 ギュッ。


 少女の細く小さな身体。それに密着して感じる温もり。さらには柔らかな香りを思う存分に堪能していた男。徳が少女を抱き返しながら口を開いた。


「この子に……彼女に手を出すなっ!」


 徳は言った。その台詞だけなら勇敢な男。それ即ち勇者のような台詞にも思えるが、言葉を発した口は彼女の胸の中に包まれたままである。


「あっ、あの気が付かれたなら離れ――」


「俺は間違っていた! 北条さんが俺の事を好きだって思って、舞い上がっていた。だけど違った、それは俺自身が北条さんを好きだって錯覚させていただけだったから!」


 徳は叫んだ。少女の胸に顔を埋めながら。


「だから俺は、俺自身が好きな人を愛するって決めたから!」


 ギュウッ!


 徳は少女を抱きしめ、その顔を覗きこむ。


「好きです! 付き合って下さい!」


「まず離れて下さい」

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