金波銀波(きんぱぎんぱ)⑨‐ⅱ
苫の隙間から射し込む陽光がジリジリと首筋を焼いた。秀真は秀造の形見の十徳ナイフを広げ、小さな鋏で遺髪を切り取った。年月を経て黄ばんだ懐紙に包んで畳み、ポケットに捻じ込むと、気力を振り絞って仕上げにかかった。
刀自らに教わったとおり、
名残惜しかったが、風のざわめきに混じって車の音が聞こえたので、急いで立ち上がった。白い正方形の薄絹を死に顔に広げてやり、再び
「……どうしたの?」
「いいから、乗って」
美波は秀真を後部座席に押し込んで、隣に座った。表情が暗い。勇吉さんが車をターンさせると、グッと手を突き出した。秀真が初日の晩からベッドの引出しに入れておいた財布とキーホルダーだった。
「悪いけど、鍵も掛けずに出払ってるドサクサに、コッソリ上がらせてもらったの」
「何で……」
「あなたが辛そうなの、これ以上見てられないから」
彼女は俯いて、衣装と
「お逃げなさい。今でなきゃ、チャンスはないわ」
秀真はルームミラーを通して勇吉さんを凝視した。野球帽を後ろ向きに被った彼は、
「美波ちゃんの頼みとあっちゃ、断りきれんからね」
「俺、まだ放免されたわけじゃないですよ。気持ちは嬉しいですけど……迷惑かけやしませんか?」
「うーん、難しいとこだけど、頼りになる共犯者がいるから、いざとなったら鶴の一声で、みんな黙らしちゃえばいいんじゃないの」
美波はまだ下を向いている。
「あんたはここまでしっかりやってくれたんだから、文句言うヤツはいないと思うけどね。洗骨の係は、籤引きでもして決めればいいさ。なぁ、美波ちゃん」
「……そうね」
声が沈んでいた。彼女は自分を帰らせたくない、けれども、自分のために帰らせなければいけないと思っているのだ。秀真は黙って彼女の手を握った。
祭りの後始末――人魚の洗骨と改葬、すなわち甕に収めて鱗塚に納骨することも、心を込めて真摯に務めるつもりでいた秀真だったが、同時に、張り詰めた神経が限界を迎えそうな恐怖感に苛まれてもいた。美波はそれを察して、勇吉さんに助けを求めてくれたのだろう。
ステーションワゴンは龍の尾から背へ、緩やかに蛇行しながらスピードを落とさず疾走した。目的地は例の漁港のようだったが、車は予想を裏切って北上を続けた。ヨットハーバーが見えてきた。
「あい、ご苦労さん」
待ち構えていたのは有力な幇助犯、慶舟じいさんだった。美波が駆け寄って、
「頼むわね」
「おう。空港のある島まで行けばいいんじゃろ。任しちょけ」
「すいません、お世話になります」
秀真は前に進み出て頭を下げた。
「ホイ、慶舟自慢のボートで
「はぁ」
「気をつけてな」
勇吉さんが武骨な手を差し出した。握手に応じると、彼は腕を十字に交差させて反対の掌を突き出した。秀真は用件を思い出し、笑いながらポケットをまさぐって、木柵の鍵と人魚の遺髪の包みを渡した。彼は慶舟じいさんと二言三言交わして愛車に乗り込み、来た道を引き返していった。
秀真が救命ジャケットを羽織る間、美波は下を向いてモジモジしていたが、慶舟じいさんが出航前の再点検にかかった隙にキスを求めてきた。水の
慶舟じいさんは見て見ぬフリをしてくれていた。
「そうだ。これ……」
秀真はポケットから十徳ナイフを出して、美波に渡した。
「持ってて。飛行機、手ぶらなのに、これだけ預かり品にするのも時間の無駄だし」
美波は小さく頷いて掌に握り締めた。
「ボチボチ行こうかね」
「はい。お願いします」
秀真は慶舟じいさん自慢の白いクルージングボート〈ザンノイオ号〉に着席した。座ったまま身体を捩ると、手を振る美波が大きな目に涙をいっぱい溜めているように見えた。
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