終章 王冠

64 花時雨の降る朝に

 その日は雨が降っていた。ぽつりぽつりと優しく降るその雨は大地を潤し桜の花を散らせる。そんな花時雨の降る朝のことだった。


 ユベラ養護院は静寂に包まれていた。いつもであれば、どこからともなく子供達の賑やかな声が聞こえてくる。しかし今朝は子供達の声すらも聞こえない。雨が土を濡らす音がやけにはっきりと聞こえる。

 そんな朝のこと。ユベラ養護院を訪れる者がいた。車椅子に乗った彼が真っ先に向かうは教会でも児童養護施設でもなく、教会近くに設けられた墓石だった。その両足は膝から下がなく、じゃがいものような形をしている。彼の濃い青色の目は、穏やかな眼差しで墓石を見下ろす。

 少し遅れて、花束を抱えた男性が車椅子の後ろに立つ。こちらは右目を黒い眼帯で覆っており、車椅子の持ち手を握る左手は肌色からは程遠い鈍色である。二人とも紺色の軍服を身につけ、立派な肩章が二人の地位を周囲に知らしめる。


「今日は誰よりも先に皆に、挨拶をしたかったんだ」


 クラウンに代わってカイルが花束を十字架の近くに供える。ここは、かつてこのユベラ養護院で起きた事件の被害者達が眠る墓石。そして彼らを殺した犯人は、クラウンの命を狙っていた。クラウンがいなければ、彼らは犠牲にならずとも済んだ。

 仇討ちは何年も前に終えている。それでも心がスッキリと晴れないのは、罪悪感が癒えないから。幼い児童複数名と修道士複数名が犠牲になった。何年経っても、彼らへの罪悪感は消えてくれない。


「許してくれとは言わない。皆が死んだのは、僕のせいだ。それは間違いない。……だからこそ、皆にはこれからの僕を見てほしい。僕がどんな国を作っていくのかを、見守っていてほしい。そう思ってる」

「あの日、俺がもう少し強ければ、皆を守れたかもしれない。すまない。もうあんな思いはしたくない。その一心で強くなることを選んだ。これからは皆を守れなかった分も、クラウンを守っていこうと思う」

「守る? お前は僕の剣なんだろう? で、僕はお前の頭脳。守るも何も無い。僕達は二人で一人前だ。それに、自分の身くらい自分で守れる。それくらいの強さは持ってる」

「ああ、知ってる」


 お互いの顔を見て笑い合う二人。そんな二人が浮べる表情は、かつて城が襲撃された頃に比べると随分穏やかなものに変わっている。常に身構え、敵に備えてピリピリしていた二人。それが今では、警戒こそしているものの、以前ほど緊迫感を覚えない立ち振る舞いになっている。


「クラウン、カイル。二人共随分穏やか顔つきになりましたね」

「……司祭様。いや、今は院長か」

「昔通り『司祭様』で構いませんよ?」


 十字架に語りかけるクラウンとカイル。そんな二人に離れたところから声をかける者がいた。

 彼女はユベラ養護院の現院長であり、二人がユベラ養護院に所属していた頃は司祭であったことから、二人は今でも彼女のことを「司祭様」と呼んでしまいがちだ。彼女もまた、それを嫌がりはしない。


「前例がないなら、あなたがなればいい」

「あっ」

「……ほら、私が言った通りになったでしょう?」

「そうだな」

「私は嘘をつきません。そう、言ったじゃないですか」

「懐かしい。そんなやり取りもあったな」


 かつて、この教会にいたクラウンはすさんでいた。同じ真名を持つ相方に力を求めた。そしてその力にすがろうとしていた。人を信じようとせず、相方さえもクラウンを見捨てると思っていた。

 そんなクラウンを諭したのは司祭様だ。


『いつか現れるあなたのパートナーは離れません』

『片割れだけに頼らず、あなた自身が力をつけなさい。これは神様があなたに与えてくださった試練です』


 クラウンの相方は、右目と左腕を失ったカイルだった。そうと知った時こそ落胆したが、今では無くてはならない存在。もう二人を見た目だけで判断し、弱者と決めつける者はいない。それだけの実力を身につけた。

 クラウンもまた、かつてのような刺々しさはない。その瞳からはげしいは消え失せていた。もう、棄てられたことで人間不信に陥っていた少年の面影は残っていない。


「ディスガイアに伝わる英雄、ソロモンとダビデ。青い目を持つソロモンと赤い目を持つダビデ。ソロモンは魔方陣を描く魔方陣師として、ダビデは魔法を発動する魔法術師として、知られていますね」


 司祭が唐突に語り出すは、教会のステンドグラスにもなっている英雄のこと。二人の英雄は魔法の力で大軍を蹴散らし、ディスガイアに勝利をもたらした。多くの領土を獲得した。二人の英雄無くして、今日に至るまでのディスガイアの発展は無い。

 ユベラ養護院のステンドグラスに描かれているのは、二人の英雄が共に戦う姿だった。赤い瞳のダビデはカイルと同じファルカタを振るい、青い瞳のソロモンは杖を構えた状態でダビデとは違う方向を見つめている。


「知っていますか? ソロモンは、耳が全く聞こえませんでした。ダビデは、声を発することが出来ませんでした。違う方向を見ているのは欠点を補うため。二人の意思疎通は主に手話だったそうです」

「そう、なのか?」

「けれども月日の流れと共に英雄の弱い部分が消え、強い部分だけが伝わるようになりました。それでも名を上げ、今やこの国で彼らの名を知らない者はいません。既に彼らはこの世にいないというのに、伝説は今でも語り継がれています」

「知らなかったな」

「最近明らかになってきたんですよ。この話を聞いたら……クラウンとカイルはまるでソロモンとダビデみたいだな、と思いまして」


 強者を好むこの国では、弱者は虐げられる傾向にある。そんな国で弱者でありながら名を上げた英雄は、弱い部分のみ語り継がれなかった。初めて聞く英雄の弱い一面にクラウンは驚きを隠せない。

 「訳あり」はクラウンだけではなかった。世間的に弱者とされる立場であっても英雄として名を残すことが出来る。それを幼い頃に知れたらどれだけクラウンの心が救われただろう。そういった話が広まらないほどに、ディスガイアの強者優遇は大きなものである。


「……やっぱりここにいたわね。他にも寄る場所あるんだし、そろそろ移動しないと間に合わないわよ」


 突如司祭様の背後から聞こえてきた、聞き覚えのある声。聞き慣れたその声に、自然とクラウンの口元が緩む。が、緩んだのは一瞬で、すぐに口元をキッと結び顔を引き締める。そして顔を声の主へと向けた。

 ウェーブがかった茶色のミディアムボブ。一見すると灰色に見間違えてしまうほど淡い青色の瞳。彼女の名はクラウンと同期であるミントである。しかし、もう彼女はクラウンと同じ紺色の軍服を身にまとってはいない。


「相変わらず仲がいいようで、安心しました」

「たまたまだ」

「クラウン、行きなさい。私達は大丈夫です。貴方は、貴方のいるべき場所へ。行くべき場所へ向かいなさい」

「……また来ます」


 司祭様に諭されてはこれ以上ここにいることは出来ない。時間が無いのもわかっていた。挨拶は済ませた。あとは次の目的地に向かうだけ。それなのに、もう少しここにいたいと思ってしまう自分がいる。


「…………行くか」


 数秒悩んでからようやく、車椅子のタイヤに手を伸ばした。そのまま後ろに下がる形で墓石から離れ、広い道に出てから体の向きを変える。

 道ではミントが待ち構えていた。クラウンに続く形でカイルもやってくる。司祭様が穏やかな笑顔でこちらに手を振っている。それを確認すると、三人はゆっくりとユベラ養護院を後にするのであった。

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