29 赤き瞳に映した過去③
カイルがフェルメールの研究施設に連れてこられてからどれほどの時間が経っただろう。同じ時期に連れてこられた子供はもう皆いなくなり、カイルは研究施設の中でも最年長となっていた。
その日、研究施設は騒がしかった。なんでも研究施設が何者かに襲撃されているらしい。機密を守るためにと職員の半数は資料を持ち去り、もう半数は被験体達を殺そうとする。カイルは他の被験体を置き去りにし、混乱に乗じて研究施設を飛び出した。
けれども研究施設の外に待ち受けていたのは自由ではなかった。一つしかない出入口。そこから飛び出てきたカイルを捕らえたのは、見たこともないディスガイア人。赤い瞳と黒い瞳が睨み合う。
「子供? ディスガイア人の、子供?」
「離せ!」
「話してるのは、フェルメール語。でもディスガイア人。……ちょっと来て!」
この時カイルを捕らえたのはディスガイア人の二人組。王直属の少数精鋭部隊「鴉」に所属する一組の夫婦。そしてこの出会いがカイルを変えることになる。
あの研究施設は表向きには教会として扱われていた。カイル達がいたのは教会の地下に作られた空間。教会としての機能は地上階だけで、地下部分は全て研究施設として利用されていたらしい。保護された子供はカイルだけで、他の被験体は皆遺体となって出てきた。
捕らえられたカイルはそのままディスガイアへと連れてこられた。研究施設で起きたことを全て報告した結果敵意無しとみなされた。しかしディスガイアに戻ってきたところでカイルに居場所はない。両親が誰かもどこで暮らしていたのかも知らない。名前すら知らない。それを知ると、カイルを捕らえたディスガイア人の夫婦が声をかけてきた。
「よかったら、家族、なる?」
たどたどしいフェルメール語はカイルのために頑張って覚えたもの。ジェスチャーも使って、必死に意図を伝えてくれる姿に驚いた。どうせ行き場もない。
「私達、『鴉』。暗殺、捜索、諜報、色々やる。王に、仕える」
「鴉?」
「家族、なる、する。君、鴉、なる。大丈夫?」
鴉が特殊部隊ということは知らず、王に仕えて様々なことをするとしか理解できなかった。元々研究施設で呪詛を貰い、戦うことに特化している。そんなカイルにとって、戦うことは当たり前。それを断る権利があるということに驚く。
戦う以外の術を知らない。ディスガイア語の読み書きはもちろん話す事もできない。だから、鴉に所属する夫婦の養子となることを受け入れた。他にどうしていいのかわからなかった。
「カイル! 名前、カイル、どう?」
「カイル……」
「『教会の近く』って意味。ほら、あそこ、一応、教会、だから」
「カイル」という名前を付けてくれたのは新しい両親だった。フェルメールの研究施設兼教会だった施設で捕らえられたカイル。だから、「教会の近く」を意味するカイルという名前。どんな由来であれ、名前があることが嬉しかった。
幼くも「鴉」として活動を始めたのは養子になってすぐのことだった。少しずつ仕事を覚え、言葉を覚え、一人前として認められるようになるのに一年かかった。それでもディスガイア語は話せるだけで読み書きは完全ではない。王に呼ばれたのはそんな時だった。
「鴉」として一人前であることが認められると王と謁見する。そこで「鴉」の証である懐中時計を授けられる。懐中時計を授けられて初めて一人前となり、単独で任務を受ける事ができるようになる。事件は謁見の場で起きた。
謁見の場には王だけでなく黒い瞳の補佐官もいた。王に懐中時計を授けられると補佐官がカイルの額に触れ、真名を確認する。それで終わるはずだったのに、補佐官は真名を確認すると固まってしまったのだ。
「どうしたの?」
「陛下。この者……」
「どうかした?」
「ネ、ネイサン様と同じ真名を持っております」
カイルにはネイサンが誰かわからない。けれどもカイルの真名を見て補佐官が動揺し、補佐官の話を聞いて王が動揺する。ネイサンという人物は国王にとって大切な人物であるというのは伝わってきた。
真名の意味など知らず、赤い瞳と青い瞳の運命すら知らないカイル。彼には事の重大さが全くと言っていいほど理解出来ていない。
「今日、一人前の証として依頼する単独任務も、彼絡みのものなんだ」
「なんと……」
「カイル。君が鴉となったことも、一人前の証としてこの任務を受ける事も、運命なんだと思う。心して聞いてくれるかい?」
国王は青い瞳で真っ直ぐに問うた。カイルは無言のまま小さく頷く。
「……養護院にクラウンという子がいる。本名はネイサン、両足のない子だ。どうか傍で彼を守ってほしい。彼は第一王子なんだ。そして願わくば、この手紙を届けてほしい。きっとあの子のことだ。これを読めば何をすべきかわかるだろう」
「護衛、ですね」
「念の為、手紙は隠してほしい。尾行されないように気をつけてほしい。いいかい?」
国王は手紙を小さな銀色の筒に入れた。筒に蓋を付けるとカイルに手渡す。カイルは右目を覆う眼帯を外し、義眼を外す。そうして現れた義眼台を模した器に筒をしまい、義眼で蓋をした。さらにその上から眼帯をつければ、もう眼帯の下に何か隠してあることはわからない。
「こうして、クラウンのところに来た」
「ちょっと待て。お前、養護院に来た時、右目が血だらけだったじゃないか」
「あれは目のすぐ上を切ったんだ。流血のおかげで刻印を隠せたのはありがたかったがな。義眼が壊されて、目を閉じることで手紙を守ったんだ」
眼帯に覆われた右目。その下には義眼と器を模した義眼台が入っている。カイルの手がそっと眼帯に触れた。
「で、クラウンに怒られた」
「そんなこともあったな」
「今は俺の意志だ。何かあれば守るけど、基本的には背中を預けてる。
「お前のため?」
「クラウンに会うまで空っぽだった。戦うことしか知らなかった。誰かのために戦うのは、初めてだ」
あくまで「クラウンの剣」を主張するカイル。けれどもその顔は見ていて気持ちいいほど晴れやかだった。
「鴉は王直属の部隊。政治関係には一切口出ししない。が、王との謁見を優遇、任務に関することであれば使用人はもちろん王子や妃にも命令する事ができる。任務に関すること、がポイントだ」
「なら――」
「フェルメールに割ける人員はあまりいない。クラウンが絡む以上通常より少ない上に、皆他の仕事で出払っている」
ここまで言うとカイルは大きくため息をついた。
「というわけでだ。例の刻印持ち、覚えているか? レルベアで捕らえた、フェルメールから逃げてきた刻印持ちだ」
「確か身柄はまだ北軍にあるはずよ」
「ミントの言うとおり。ミント。ここから先はお前が選べ」
「なんで私が――」
「お前が最善だ。刻印持ちに話を聞きに行ってから先を選んでほしい。フェルメールに行くか、フェルメールと交戦中の戦地へ赴き新たな捕虜を得るか」
赤い瞳に睨まれ、ミントは重い口を開いた。
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