23 青き軍師の忘れ物①

 ルイに導かれたのは一つの部屋だった。他の部屋と変わらない、ごく普通の扉で仕切られた空間。扉には「ネイサン」と書かれたプレートがぶら下がっている。部屋の主が訪れるのは十三年ぶりだというのに、プレートに埃一つ見当たらない。

 クラウンに代わりルイが扉を開く。扉を開いた先には、十三年前から家具配置が変わっていない子供部屋があった。室内に埃は積もっていない。けれどもその部屋は妙だった。


 二つの壁に沿って並ぶいくつもの本棚。部屋に入ってすぐ横の壁には大きな机がその存在を主張している。部屋の奥にはベッドが一つ。そこだけを見れば何の変哲もない部屋。

 けれどその部屋の床に敷かれた絨毯には刃物で切れ目が入れられていた。本棚にあるべきはずの本は床に散らかり、ベッドは掛け布団やシーツが不自然にめくられている。枕に至っては壁際に落ちていた。


「ここが君の部屋だよ、ネイサン」

「今はクラウンだ」

「そうだったね。悪かった」

「……この部屋に誰か入ったのか?」

「少なくとも僕はわからないや。君がいなくなってから一度も来たことない」

「だとすれば、誰かが荒らしに来た、と考えるのが自然か」

「これだけ散らかっていれば、そうなるよねぇ。荒らすにしても内部犯としか思えないし」


 ルイの手が再び持ち手を離れる。クラウンは自らタイヤを動かし、部屋の中を移動し始めた。最初に近付いたのは絨毯の切れ目。自分でめくろうとするもうまくいかない。

 見かねたルイが切れ目から絨毯をめくるがそこにはチョークで描いた魔法陣があるだけ。布を裂いた際に生じた傷と、絨毯の下を探した際に出来たと思わしき不自然なシワが犯人の行動を物語る。何かを探していたのはほぼ間違いないだろう。

 クラウンの手が床に落ちた枕をタイヤでひっくり返した。すると、枕カバーに入った切れ込みがあらわになる。切れ目からは枕に詰められていた綿が顔を覗かせていた。


「何を探せばいいの? 普通にしまってたとしたら、きっとこの部屋にはもう無いよ」

「散らばっている本を片っ端から僕に手渡してほしい」

「本? こんなに荒らされてるのに――」

「この僕が、狙われてるのを知ってて忘れ物をそのまま残すと思うか?」

「……思わない」

「そういうことだ。本を手渡せ。ついでに元の配置に戻す」


 壁に沿って並ぶからっぽの本棚。マットレスもシーツも掛け布団も枕も、刃物で切れ込みを入れられた寝具達。子供用にしては大きく立派な机。絨毯の下に残された傷跡が刃物にどれほどの力が込められていたのかを物語っている。

 硬い石材に深めの切り傷。枕やマットレスは中身をえぐり取られたまま放置されている。それを見つめるクラウンの瞳はどこか寂しげだ。


「配置、覚えてるの?」

「流石に覚えてはいない」

「だよね」

「だが幸いにも室内をカメラに写していてな。その時の写真なら手元にある。それを記憶した」


 ルイが床に散らばった本を一冊ずつ拾ってはクラウンに渡す。クラウンはそれを確かめて、中身を確認して、本棚に戻していく。機械のように単調な流れ作業がしばらく続いた。

 だがその作業は突如終わりを迎える。ある一冊の本を手にした時、クラウンの動きが止まったのだ。クラウンに続いてルイの動きも止まる。それは背表紙だけなら本のように見えるが、表紙はただのノートだった。クラウンの字で「DIARY」と書かれている。


「それは何語だい?」

「フェルメール語。『日記』という意味だ。あの人と仲良くしていたフェルメールの客人が教えてくれたんだ」


 パラパラとページをめくれば、フェルメール語で書かれた日記が姿を見せる。いや、よく見れば日記に書かれた文字は一つではなかった。ディスガイア語、フェルメール語を含む五種類の言語が使い分けられている。

 お世辞にも綺麗とは言えない文字で綴られているのは日記。日々の出来事やクラウンの気持ちを書いたもの。複数の異なる言語が入り混じったその日記の全てを理解出来るのはクラウンだけ。


「なんだこりゃ」

「ディスガイア語は見られても困らない出来事。フェルメール語は僕の感情。ガイア語は秘密にしたいこと。ゼファー語は戦闘の記録。途中から出てきたアルカナ語は……例の件に関する事」

「あの、さ。これ書いたの、五歳だよね?」

「三歳の時には隣国四国を含む五国語全てを扱えたぞ?」

「西のフェルメール、東のゼファーはまだわかる。ガイア語とアルカナ語なんて――」

「北のガイア、南のアルカナ。どちらも争いを経て友好国となった。書物で学んだが、慣れるまで大変だったな。特にガイア語はこの国の古代文字と同じだから書きにくい」


 フェルメールは砂漠を隔てた西側に位置する隣国。ゼファーは森を隔てた東側に位置する隣国。北の隣国ガイアは平坦な陸路で繋がっており、南の隣国アルカナとは運河として利用している河川を間に挟んでいる。

 異なる五つの言語を習得するのは容易なことではない。当日三歳だった幼子はどのような気持ちでそれらを習得し、自在に操れるまでになったのだろう。幼子の努力が今、成長した幼子を助けようとしている。


「これと一緒に、ディスガイア語の辞書を置いておいたんだ。見つけられるか?」

「これ? 辞書の厚さで僕がタイトルを読めるのはこれだけだ」

「ありがとう」


 ルイの手から一冊の分厚い本が手渡される。クラウンは辞書を受け取るとすぐさま本を開いた。最初のページはただの辞書で、時折印がついているだけ。だが後半のページに差しかかると辞書の中身が大きく変化した。

 その辞書は、後半部分のみページの真ん中がくり抜かれていた。真ん中が空いたページが何枚も重なれば、小さなスペースが出来上がる。辞書の中に作られた小さなスペースには銀色の鍵が入っている。


「そんな仕掛けが……」

「これだけじゃない。この部屋にはいくつか仕掛けがある。こんな見た目だからな。父上が知恵を絞ってくれた、というわけだ」

「見た目は普通の部屋なのにね」

「なんならこの毛足が短い絨毯も、車椅子が走れるようになっている。防音のためでもあるが。本棚もベッドも部屋の配置も、僕が動きやすいように考えてくれた」


 本棚はそこまで高くないが、その分横幅が大きめに作られている。一般的な本棚より奥行きも広めに作られており、本を二段に分けて収納できるよう、全ての棚に段差が設けられている。手の届く範囲に多くの本を置くためだろう。


「ちなみに、絨毯をめくっても僕が落書きした魔法陣しか出てこないぞ。あまりに落書きするものだから、部屋全体に絨毯を敷かれてしまったんだ」

「なんだ。幼い頃にやってることは僕と変わらないじゃないか」

「子供だからな。……あの日、ここを去ることになった僕は例の物を急いでこの部屋に隠した。こうなることを承知でな」

「ということは?」

「これが忘れ物の在り処に繋がる鍵だ」


 銀色の鍵を手にしたクラウンの声は珍しく震えていた。青色の瞳が部屋の入口付近に置かれた机へと向く。そこに何かがあるらしい。

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