19 動き出す者達③

 味気ないねずみ色の石で造られたアムロの建物達。その中の一つに、営舎のすぐ隣に建てられた資料館がある。地下から地上四階まで全ての階に軍に関連した資料が並んでいる建物だ。通常の図書館では閲覧出来ない事件に関する記録もある。


 資料館の地下で一人、書物を読み漁る軍人がいた。肩ほどまである若葉色の髪に褐色の肌、少し尖った細長い耳。頭に巻きつけた白いバンダナは相方と区別するためのもの。赤い瞳が文字の羅列を追いかけている。

 調べ物に夢中になり過ぎて周りの物音が耳に入ってこない。紙をめくる音と紙の上を走るペンの音が資料館内に響く。途中からその物音に金属タイヤの回る音が混じり始める。


「え、これって――」

「やけに熱心に調べてるじゃないか、アンヤ・グラス」


 何かに気付いて瞳を大きく見開いたアンヤ。けれどもその気付きが口から出るより早く、別の声が邪魔をする。赤い瞳がゆっくりと声のした方へ動くいていく。その先には、見慣れたシルエットがあった。


「お前の調べ物。例の捕虜についてではなさそうだな」

「クラウン……」


 声をかけたのは六輪車椅子に乗ったクラウン。青いどんぐり眼が机の上に広げられた調べ物を眺めてため息をついた。赤い瞳が無意識のうちにクラウンから逃げようとする。

 アンヤの目の前、机一杯に広げられた調べ物。けれどもそのどれにも敵国フェルメールの文字はない。代わりにディスガイア国の歴史に関する文字が並んでいた。アンヤが辿り着いた答えを目にすると、クラウンの口元が緩やかなカーブを描く。


「いつから調べていた?」

「二年前、英雄専門学校を卒業してからすぐに」

「どうして調べようと思った?」

「初めて同室になった時から疑問だったよ。養護院で育った奴が王冠クラウンという名を持つ。絶対何かあるって思ってた」


 養護院に来た者の多くはその複雑な生い立ちが故に名を持たない。だから、養護院がその者に見合った名前を授ける。ほとんどの場合、名前はその者を示す古語から付ける。

 カイルがいい例だ。彼は養護院に拾われた際、「教会の近く」を意味する単語からカイルと名付けられた。教会の近くで倒れていたところを町民に助けられ、養護院にたどり着いたからだ。本来は別の意味として使われる単語だが、由来を知ればその名を持つことに不自然さはない。

 けれどもクラウンは違う。クラウンという古語には「冠」「王冠」という意味しかない。養護院で育ったはずの者が「王冠」を意味する名を授かるというのは不自然極まりない。冠に関する名を授かっていいのは王族だけ。


「名前だけが理由か?」

「いや……」

「言え、アンヤ」

「……一度だけ、一緒にシャワーを浴びた時。クラウンの胸に、王家の紋章の形をした痣があったのを見つけたんだ。それから、本格的に調べるようになった」


 アンヤの言葉に大きくため息をついたのはクラウンの方だった。その右手が胸の真ん中よりほんの少し左寄り、心臓のあたりにあてがわれる。どんぐり眼がゆっくりと瞬きをした。


「今恩を売っておけば、というのはそういう意味か」

「あれ、聞こえてたの?」

「かろうじて、な。あの時は意味がわからなかったから流したが、今ならよくわかる。あの時には確信していたわけだ」

「まあ、ね。僕とツキヤ君はゼファー人とディスガイア人の混血児ハーフだから。アノーロには僕達の他にも混血児がたくさんいる。だからこそ、ゼファーとの友好関係が心配なんだ」


 もし運良くクラウンが国王となれば、国政を担うことになる。他国との関係はクラウンの一存で決まると言っても過言ではない。

 先の戦地アノーロがその影響を受けるいい例である。アノーロはゼファーとの国境に位置し、良好な関係を築いている。町民の行き交いも多く混血児も多い。だからこそゼファーとの関係の悪化を恐れている。


 クラウンは左胸にあてがった手で拳を握った。その拳で左胸を数回軽く叩く。少し細くなったどんぐり眼は目の前にいるアンヤではなく将来を映しているようだ。


「もう隠しておく必要はない、か。自分の身は守れる。王冠を貰う権利はもうないかもしれないが、どういう形であれ城に戻りたいと思ってる」

「ということは、やっぱり君は王族なんだね」

「そういうことになる。こう見えて、幼い頃は足がないことを隠してお披露目もしたんだ。諸事情により長年城を離れている」

「本当のクラウンは……」

「第一王子ネイサン。大病のため長期療養中とされているが、その実情は――養護院に預けられ、クラウンとして生きてきた。ネイサンの名は、城を出た日に捨てた」


 迷った末に打ち明けるはその生い立ち。王族であること、留学中とされる第一王子がクラウンであること、過去に捨てた本当の名前。その全てを聞いたとき、アンヤの口から出たのはたった一言だけだった。


「カイルは知ってるの?」


 生い立ちに口を出すのではなく、クラウンのデュオであるカイルがそれを知っているかを問う。クラウンの正体が王族であれば、デュオであるカイルは必然的にその運命に巻き込まれることとなる。

 真実を知るべきはカイルなのだ。だがその至極当然とされる問いかけにクラウンはただ笑うだけ。お腹を抱えて笑うクラウンに、アンヤは怪訝な目を向けている。


「知っているかだって? あいつは最初から、それこそ僕に出会う前から、全てを知っているさ。だってあいつは……」


 クラウンはアンヤの耳元に口を寄せ、言葉を続ける。赤い瞳が大きく見開かれた。あんぐりと開いた口が衝撃を物語っている。その赤い瞳はクラウンではなく、一階へと繋がる階段へと向けられていた。

 アンヤにつられ、青い瞳も階段の方へとその視線を動かす。視線の先に現れたのは、予期せぬ来客の姿。クラウンの顔があからさまに曇る。


「クラウン中尉にアンヤ中尉。何やら興味深い話をしているじゃないか。だが、もう少し警戒をすべきだったな」


 二人の元へと近付くにしたがって大きくなる足音。資料館の照明がつるりと禿げた頭を輝かせている。赤い三白眼が二人の姿を捉えた。


「私が敵だったら殺されていただろう。いくら人が少ないとはいえ、これからは秘密話をするには公共施設を避けるべきだな」

「ジン少佐……」


 資料館の地下を訪れたのはクラウンとアンヤの上官であるジン少佐。彼が敵である可能性を考慮したのだろう。クラウンはすぐさまジン少佐と距離を取り、車椅子の肘掛けから拳銃を取り出す。


「そこまで警戒しなくていい。殺すつもりはない。私は君に用があるのだよ、クラウン中尉」

「私に、ですか?」

「君とカイル中尉に、今度の定期報告についてきてもらいたくてな。ついでに、君達の生い立ちについても聞かせてもらおうか」


 資料館の時計が鐘の音で午後七時の訪れを告げる。ピリピリとした雰囲気が場を包み込んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る