15 交錯する思惑②
アノーロは国境付近にある町だ。先の戦地レルベアより北東に位置し、東の隣国ゼファーとは良好な関係を築いている。ゼファーとアノーロの境界線上には緑豊かな森が広がっていた。
「……各自、速やかに避難してください。繰り返します。所持品は最小限にし、速やかに避難してください」
町中では兵士達が住民に向かって同じ呼びかけを繰り返している。すでに殆どの住民が避難したのか、街中にいる一般人は数えるほどしかいない。町に派遣された軍人達は有事に対応すべく、班ごとに散らばっている。
アノーロでは異変が起きていた。レルベアとは違い、建物はまだ原型を留めたままで、瓦礫や砂埃もない。だが異変の正体は、住民がいなくなり静まり返った町に確かに存在している。
「やっと、前線に立てるのね」
淡い青色の瞳を持つ女性が他の軍人に聞かれないよう小さくした声で告げた。その手には背丈の半分程の長さを誇るメイスが握られていた。先端は六枚の金属板が放射状に組み合わさり、遠目から見ると棘のついた灰色の洋梨のように見える。
その青い視線の先にはアノーロで起きた異変の正体が映っていた。
見た目は同じディスガイア人。けれどもその瞳は妙で、片方は赤い瞳、もう片方は青い瞳のオッドアイ。着ているものも軍服ではなく、青い縁取りの入った白いローブ。額には入れ墨が刻まれている。
「ミント!」
誰かが彼女の名を呼んだ。ミントは小さくため息を吐くと右側後方に体を向け、メイスを力一杯振り上げる。メイスを振り上げた先には、ローブを揺らしながら紙一重で攻撃をかわす敵の姿があった。
隙が出来たミントに向かって刃が振り下ろされる。ミントは最初、それを真正面から食らおうとした。だが数瞬考え、メイスを使って受け止めることを選ぶ。思いのほか攻撃が重く、受け止めただけでメイスを握る手が少し痺れてしまう。この力量差はすぐには埋められない。
力なくメイスを振るうも先端を素手で掴まれた。とっさにメイスを手放して敵から距離を取る。赤い目と青い目の両方を持つ敵。その動向が読めず、何をするにも考えてからになってしまう。仕方なしに魔法の発動を試みるも、相方の足元に現れた魔法陣は小さく、さほど威力も期待出来ない。
「見つけたぞ」
ミントが困惑していた時だ。その背後から聞き覚えのある声がした。声に反応するより早く乾いた銃声が三回。三発の弾丸が敵の額を的確に射抜く。
振り向けばそこには、六輪車椅子の上でリボルバーを構える軍人クラウンの姿があった。本来ならそこにいるはずのない姿に思わず口が開いてしまう。
「ミント、交代だ。ジン少佐が呼んでいる。拠点に戻れ。ここは僕達が引き受けた」
「ど、どうしてあなた達がここにいるの?」
「修理が終われば戻るのは当然だ」
「けど、修理にはまだ時間がかかるはずじゃ……」
「セージの腕を甘く見るな。まあ、カイルの方は万全とは言い難いが、戦うには十分だ。お前達は早くジン少佐のところへ迎え」
引き受けたというわりにはカイルの姿が見えない。所在を問おうにも、上官を待たせているためこれ以上無駄な会話は出来ない。ミントにはミントの、クラウンにはクラウンのやるべきことがある。
息絶えた敵の手からメイスを奪い返すと、ミントはぐるりと周囲を見渡した。すると視界に飛び込む見慣れたシルエット。
右手はファルカタを振り回し、左腕は肘部分から飛び出した刃物を器用に操る。戦いやすさのためか軍服の左袖は千切られ、鈍色の義手が遠目からもはっきりとわかる。
「普通に戦えるじゃない」
「とにかく! お前は足手まといだ。早く戻れ。戻って、お前にしかできないことをやれ。早く!」
すぐに動かないミントを責めるクラウンの声。それと同時に銃声が二つ聞こえた。続けてクラウンの舌打ちと敵のうめき声。ミントが動けない間に新たな敵が来てしまったらしい。
クラウンの言うとおり、ミントは足手まといだ。敵とまともに戦ったところで死ぬだけ。無駄に死体を増やすくらいなら、それぞれが適所に配属され同じ目的のために動くべきだ。そんなこと、学生でもわかる。ミントは相方に目配せすると戦場を後にするのだった。
アノーロはレルベアと違い、まだ町として形を保っている。歩道も車道も整っているため、車椅子のクラウンでも町中を移動しやすい。それが功を奏した。
クラウンがミントを逃がすために放った二発の弾丸は敵二名の額を掠めただけ。それに気付いたクラウンはすぐさま車椅子で後退し、リボルバーからアサルトライフルに持ち替えた。
『普通に戦えるじゃない』
場を去る直前にミントの放った言葉が頭に過ぎる。チラリと横目でカイルを見れば、その左前腕はほとんど動いておらず、上腕だけで戦っている。肘に剣を仕込んでいなければ武器としての役割すら果たせなかっただろう。
(リハビリはこれからだ。上腕しかまともに動かせないのに、それでも戦えるのは……カイルが特殊な存在だからだ)
銃を構え、狙いを定める。迷うことなく引き金に指をかけた。一人目を狙撃するとすぐさま二人目にも銃弾を放つ。銃声と指に伝わる振動が戦場にいることを実感させてくれた。
敵の総数は目視では把握しきれない。どこからアノーロに侵入したのかも、何が狙いかもわからないまま。クラウンだけに狙いを絞らないところから、十年前にカイルが戦った被験体とは別のタイプだと考えられる。
敵と味方が入り乱れる戦場では広範囲向けの魔法を放つことができない。敵全員が持つ赤と青のオッドアイを無視することもできない。もし敵が一人で魔法を発動する稀有な存在であれば、いつ何が起こるかもわからない。
「安心しろ、失敗作だ」
「失敗作?」
少し離れたところで戦っていたカイルが帰ってきた。肘から飛び出た刃にはすでに血が付着している。義手接合面からは敵のものではない血が滲み、皮膚や義手を濡らす。そんな状態だというのに右手は小さなピースサインを描いていた。
「額の入れ墨。フェルメール語の文字列の上に横線が入ってる。横線は、被験体の中でも上手くいかなかった奴につけられる」
「あのオッドアイは?」
「おそらく一人でも魔法が発動できないか実験したんだろう。魔法なんて発動出来ねえよ、こいつらは」
「そうと分かれば安心して魔法が使えるな。カイル、準備は?」
「出来てる。魔法陣を頼む」
カイルはただ単独で戦っていたわけではない。一人で戦う中で敵の特徴や入れ墨の意味を探っていた。答えが出たからクラウンの元に戻ってきたのだ。
金色の魔法陣が五つ、歩道や車道に描かれた。人の肩幅程度のそれを、カイルが一つずつ右手で触れていく。その刹那、魔法陣から人と変わらぬ大きさの岩塊が現れ、敵に向かって飛んでいった。
岩塊に押し潰された者。かわそうとするもかわしきれず体の一部を潰された者。岩塊を見事に避けてカイルに狙いを定めた者。音に驚いて視線をこちらに向ける者。敵の中にも様々な者がいる。
彼らに魔法が使えたのなら魔法で岩塊をどうにか処理しただろう。かわすか潰されるかの二択になった事実が、彼らは赤と青のオッドアイを持つけれども魔法を扱えない証明となる。
「恐れるな! 敵に魔法は使えない! 警戒せず戦え!」
物音を聞きつけた他の軍人達は困惑していた。そこにクラウンが声を荒らげ、その不安を払拭する。魔法を使えないとわかればもう必要以上に警戒する必要はない。アノーロの町のあちこちで多種多様な魔法陣が浮かび上がった。
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