第一章 異変

7 砂埃舞う町で

 瓦礫の化した町を砂埃が駆け抜ける。形を保っている家は数える程しかない。多くの家は壁が崩れ、天井は無くなり、その断片は地面に散っている。家具の類はほぼ全て瓦礫の下敷きとなっていた。

 風に舞い上がる砂埃。それらが視界を灰色に染める。煙に紛れて聞こえるは敵味方の区別すらつかぬ銃声と呻き声。お世辞にも綺麗とは言えない空気をマスク無しで吸い込めば激しくむせてしまうだろう。


 人のいる気配すら感じない町レルベア。ここの住民達は皆他の町へと逃げてしまった。住む者がいないはずの町で、カタカタと金属タイヤの回る音がする。

 その音は砂煙の中を進む車椅子から奏でられていた。最も目立つ一番大きな金属製タイヤが一対、その前後に小さな金属製タイヤが二対。足載せ台は無く、代わりに肘掛けのところに回転式拳銃リボルバーが用意されている。

 車椅子の上に乗るは小さな軍人である。紺色の軍服に身を包み、左胸ポケットの上にはいくつかの勲章が太陽光に煌めく。


「ここも、この有様か」


 風になびく髪は黄金色。その輝きが少しくすんで見えるのはここが瓦礫の町だからだろうか。大きな青い瞳が町の惨状をしかとその目に焼き付けている。だがその両足は膝から下がなく、まるで細長いジャガイモのようだ。

 彼の乗る六輪車椅子を後ろから押す者がいた。伸びきった前髪が右目を隠す。だが車椅子を押すのは右腕だけで左腕は全く動かない。だるような暑さの中、両手には白い手袋がはめられている。彼の軍服にも勲章がいくつか付いている。


「なあ、カイル。近頃敵襲が増えすぎていると思わないか?」


 カイルと呼ばれたのは車椅子を押す黒髪の青年。肩ほどまで伸びた髪はボサボサで、前髪が右目を隠しているせいかミステリアスな印象を受ける。カイルは赤い左目で金髪の青年を見た。


「少なくとも、僕達が出会った頃に比べたら間違いなく増えてる」

「俺にはわからん。よく覚えてるな」

「国に関わることは全て覚えている」

「へぇ。クラウンらしいな」


 クラウンと呼ばれた金髪の青年はカイルの反応にわざとらしいため息をつく。だが元々答えに期待はしていなかったらしい。何事も無かったかのように前を向き、車椅子を前進させる。カイルがそれに続く形で車椅子と共に前へ動く。

 赤い瞳と青い瞳は砂埃の舞う町を淡々と見つめていた。彼らはこの国、ディスガイアの軍人。勲章は軍人として彼らが名を上げてきた証。二人は町を見回り、逃げ遅れた者がいないか確認している最中だ。


「さすがにもう逃げ遅れた人も――」

「あそこ」


 クラウンの言葉を遮り、カイルの右手がある方向を示す。示した先にあるのは町にありふれた瓦礫の山の一つ。なんの変哲もないその瓦礫の山に逃げ遅れた人がいるのだという。

 クラウンは静かに目を凝らした。微かに瓦礫の山が動いている気がしなくもない。だが人がいるかとなると別だ。風に吹かれて小さな瓦礫片が動くのはさほど珍しいことでもない。とても瓦礫の下に人がいるようには思えなかった。


「根拠は?」

「瓦礫の隙間、黒い目が覗いてる。光ってるのは刃」

「よく見えるな、お前。というか、逃げ遅れた住民が刃なんて――」

「住民じゃねぇな。ありゃ、逃げ遅れた敵兵だ」


 カイルが言い終えるのと瓦礫の山が崩れるのはほぼ同時だった。クラウンの車椅子目掛けて突進してくる一つの影。その手には小型のナイフが握られていた。クラウンが声を出すより早く、カイルが動く。


 眉一つ動かさずに二人の間に入り、動かない左腕で刃を受け止める。軍服の生地を貫通して左腕に刺さったナイフはそう簡単には抜けない。ナイフを抜こうとするヤケになる敵兵。その胸元にはいつの間にか、クラウンの拳銃が突きつけられていた。

 敵兵が逃げようとするももう遅い。逃げ場を塞ぐように、敵兵のうなじには刃が突きつけられている。その刃は軽く湾曲した刀、ファルカタの物。木製のグリップを握る手は拳銃とは別人だ。


「殺すか? 捕えるか?」

「どっちも書類は一つだけだな」

「じゃ、得な方で」


 ファルカタの刃が皮膚に少し食い込み血が滲む。敵兵が痛みに呻いて目を閉じる。その一瞬の隙に敵兵の胸元から拳銃が離れた。代わりに、僅か数秒で敵兵の手に手錠がかけられる。カイルが軍服の右袖を脱ぎ、敵兵に噛ませた。


「こちら、クラウン。巡回中に敵兵と接触、捕えることに成功した。これより拠点に向かうので準備を求む。返事は不要だ」


 ベルトにくくりつけてあった無線機を使い、拠点に連絡をするとクラウンが先に瓦礫の中を進み始める。カイルは右手で手錠を引っ掴むと、そのまま敵兵を引きずりながらクラウンの後を追う。

 敵兵の襲撃から捕獲までに要した時間、約二分。「訳あり」と称されるデュオにしてはなかなかの速さと言えるだろう。他の軍人にも引けを取らない。しかも魔法を使わずに、である。


「それにしても、よく気付いたな、お前」

「まあな」

「魔法を使うまでもないってのもなんだか悲しいが」

「使わずに済むならそれに越したことはない」

「そのとおり。魔力は有事に備えて温存しとくに限る。雑兵ごときにいちいち魔法を使うのは一流とは言わないからな」

「……雑兵かっていうと微妙なとこだぞ、こいつ」


 魔法は無限ではない。青い目が魔力を使って魔法陣を描く。赤い目が魔力を使って魔法陣から魔法を構築する。魔法を発動するのに欠かせない魔力というのは限りがあるのだ。

 だがクラウンが引っかかったのはそこではなかった。カイルが見つけた敵兵。戦地に残っていたことから逃げ遅れたものとみなしていたが、カイルはこの敵兵を雑兵ではないと言い出す。まるでこの敵兵を知っているかのようだ。


「カイル、正直に答えろ。こいつはお前の知り合いか?」

「知り合いじゃない」

「雑兵じゃないなら、こいつは何者だ? 一見、ただのガキのようだが。それも、フェルメール人ではなくディスガイア人の、な」


 クラウンの言葉にカイルの足が止まった。右手に持っていた敵兵の顔を見て、少し考えるような仕草をする。何回か深呼吸を繰り返し、ようやく口を開く。


「ドッグタグ」

「は?」

「フェルメール軍だと入れ墨がドッグタグの代わりだ」

「ああ、そういえばそうだな」

「けど、こいつの手首には軍人を示す入れ墨がねえんだよ。雑兵でも軍人だ。入れ墨がねえのはおかしい。ドッグタグもねえし、俺達に敵意がある。ただのディスガイア人とも思えねえ」


 フェルメールは隣国の一つで、近頃頻繁にディスガイアに襲撃を仕掛けている国である。当然、戦場に向かえばフェルメールの軍人を嫌というほど目にするのだ。何度も目にすれば自然と敵兵の特徴を把握するようになる。


 ディスガイアでは軍人は皆ドッグタグと呼ばれるものを身につける。兵士の情報を小型の金属板に打刻し、首から下げるのだ。この金属板――ドッグタグは戦士時に個人の識別に利用される。

 フェルメールの軍人はドッグタグを下げておらず、代わりに右手首に多種多様な布を巻きつけていた。布の下には決まって似たような柄の入れ墨が彫ってある。故に、軍部ではこの入れ墨がドッグタグの代わりだと考えられていた。


 しかし今回捕らえた敵兵の手首には、入れ墨どころか傷一つない。襲いかかってきたところを見るとディスガイアの国民とも思えない。軍人ではないのならば、なぜこの敵兵は戦の終わったこの町にいたのだろう。


「フェルメール軍とは限らないだろ。子供のディスガイア人という可能性もある」

「……勘だ。大丈夫。尋問すればすぐに吐くはず」

「そういうことにしといてやろう。わからないなら情報を吐かせるまでだ」


 カイルにそう言い聞かせると、クラウンは拠点へと先に進んでいく。カイルがどこか腑に落ちないような顔でその後に続いた。


 瓦礫と化した町にカタカタと金属タイヤの回る音が響く。砂埃の中、紺色の軍服だけが妙に浮いている。クラウンとカイル、二人が養護院で出会ってから十二年目の出来事であった。

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