5 歯車が回る時②

 最初に動き出したのはカイルだった。教会の入口を指で示して首を傾げる。さらに「お手上げだ」と言わんばかりに右手を軽く上げ、首を何度も左右に振る。

 クラウンが逃げたことと自分が拒絶されていることは感じ取ったが、原因がわからないのだ。クラウンに何かした覚えがないからこそ余計に。


「デュオの意味はわかりますか?」


 カイルは首を静かに横に振る。


「同じ真名を持つ青い目と赤い目が集まって初めて魔法が使える、と言ったのは憶えてますか?」


 カイルは首を縦に振る。その話は目覚めたその日に聞いた内容の一つだ。


「魔法を使える、同じ真名を持つ二人組を『デュオ』と言います。デュオには三つの義務が定められています。この義務は強制で、デュオが成立したら本人が拒否しても実行されます」


 カイルの右手が三本指を作り、その首が再び傾げられる。「三つの義務」がわからないようだ。


「一つ目は八歳から十四歳までの間、魔法学校と呼ばれる教育機関に通うこと。二つ目は魔法学校卒業後に英雄専門学校と呼ばれる特殊な教育機関に二年間通うこと。三つ目は、英雄専門学校を卒業後に国の軍に配属されること。この三つの義務が生じます」


 魔法学校で六年、英雄専門学校で二年、教育を受ける。義務などと言われているが強制されるも同然。強制されずに済むのは、デュオとなる片割れが見つからなかった英雄候補だけである。

 八歳までに片割れが見つからなかった英雄候補は、国中の教会に協力してもらい同じ真名の持ち主を探す。それでも見つからなければ、国の死亡記録と死亡者の真名を調べることとなる。


「デュオが成立すると、その先の未来まで決まってしまうんです。また、学校の名前から分かるように、デュオは『英雄』または『英雄候補』として親しまれています」


 司祭の説明に少し考え込むカイルだったが、二分ほど経ってから納得したように何度も頷く。声の出せないカイルは動作や表情で気持ちを示す必要があるからだ。さて、問題はデュオではなくクラウンが飛び出した理由、である。


「クラウン……先程逃げた子ですが、あの子は誰よりも英雄に憧れていました。英雄として名を上げて夢を叶えようと、同じ真名を持つ赤い目の英雄候補を待ちわびていました。貴方を見ておそらく、『名を上げるのは難しい』と感じたのだと思います」


 司祭はカイルに説明をしようとして言葉を濁す。カイルが右目を失ったのは後天的な理由。右足はあと少しで動くだろう。今は声を出せないが、耳はきちんと聞こえているようだし話も理解できる。

 カイルは司祭が濁したことについて続きを無理に聞こうとしない。代わりに教会の入口を指で示して首を傾げる。クラウンはどこにいるのか、知りたいようだ。


「悪い子ではないんです。ただ、生い立ちがちょっと変わっているというだけで」


 司祭の見当違いな答えにカイルが首を左右に振る。反論しようと口を動かしても声は出ず、息を吸って吐く音が虚しく響くばかり。それが何とももどかしい。

 声で意志を伝えられない。動こうにも左腕はだらりとしていて上手く力が入らない。右足はなんとか動かせるが、左足ほどスムーズには動かない。司祭の支えなくしてまともに歩けないほどに、体も衰弱していた。

 ずさりと右足が床を這う。左足が少しだけ動く。ぐらつく体は礼拝堂の長椅子を使って右手で支えた。椅子が軋んで音を立てる。


(誤解させた。あのクラウンとかいう子供にもう一度会う。会って、話す。全部それからだ)


 カイルの右手に力がこもった。黒髪が汗で濡れていく。赤い瞳は司祭ではなく教会の入口を睨みつけている。床を擦る右足は不気味な音を立てている。


「カイル? カイル、やめなさ――」


 司祭が異変に気付いて声をかけるもカイルは歩みを止めなかった。礼拝堂から出ようと左足が動く。支えとなる長椅子が無くなると、酷く弱ったその体は呆気なく床に崩れ落ちた。

 やせ細った体はまだ歩けるほどに回復していない。そうと気づくや否や、カイルは床を這って移動していく。赤い目は外の世界しか見ていない。否、その目が探しているのは外の世界ではなくクラウンだ。


「カイ――痛っ!」


 カイルを止めようと手を伸ばす司祭。だがカイルがその手を掴むことはなかった。左腕を掴もうとした司祭の手を思い切りかじる。そうして司祭が怯んだ隙に、カイルは這って教会の外へと出てしまう。

 痩せ細って弱っているとは思えない力。左腕こそ動かないが、健常児と変わらないかそれ以上の動き。右目を失い視野が狭くなっているはずなのに、何事もないかのように動いてみせる。

 カイルの行動に怯えはない。司祭を攻撃する時も躊躇ためらわなかった。攻撃を避けようともしない。急な攻撃をかわさずに受け止めて攻撃の起点にする。そんな芸当、戦い慣れていなければ不可能だ。


(彼は親元から逃げ出したのだとばかり思っていましたが……違うのでしょうか?)


 出会った日、その傷跡と衰弱した様子から生い立ちを推測した。暴行に耐えかねて親元から逃げ出したのだろうと思い込んでいた。だが司祭の推測は間違っていたらしい。

 クラウンに引き続きカイルまでいなくなる。二人は同じ真名を持つだけでなく、特殊な事情があるらしい。これほどまでに厄介な子供が養護院にやってきた試しがない。


「まずは院長に相談ですね」


 司祭はあくまで司祭。養護院を構成する教会のトップでしかない。クラウンとカイルが所属するのは児童保護施設の方。彼らの問題は養護院のトップである院長に相談するに限る。そうと決まると、司祭は駆け足で教会から出ていった。



 クラウンは養護院の敷地内にいた。車椅子で移動できる場所は限られている。クラウンが移動したのは児童養護施設の建物裏にある小さなスペースであった。

 カイルとデュオなのも、カイルが生まれつき何か欠けていたわけではないことも理解した。けれど今のカイルとデュオである事実をそう簡単には受け入れられない。


「ふざっけんな! なんで僕ばっかり。何かしたか? 僕はただ、生まれただけだ。生まれた場所が、体が、少し変わっていただけだ。なのにどうして――」


 さすがにカイルを前にして悪口を言うことは出来なかったらしい。人目が無くなるや否や、溜め込んでいた思いを言葉にして外に吐き出す。けれどその行為も思うようにいかない。

 言葉を遮るように、クラウンの額目掛けて紙飛行機が飛んできたのだ。コツンと音を立ててぶつかったそれはクラウンの膝に落ちて動きを止める。不思議に思って紙飛行機を広げてみれば、そこには見慣れない文字が書かれていた。


『驚かせてすまない。話だけでも聞いてほしい。見せたいものがある』


 右上がりの癖のある文字。文字の並びも真っ直ぐではない。これは紙を上手く抑えられなかったからだろうか。紙飛行機が飛んできた方向に目をやれば、地面を這って近付いてくる黒髪の少年がいた。

 眼帯で隠された右目。赤い左目は鋭い光でクラウンを射抜く。先程教会で会ったクラウンのデュオ、カイルである。紙飛行機を飛ばしたのは間違いなく彼だろう。紙飛行機がクラウンの手を離れ地面に落ちる。


「へぇ。お前、フェルメール語の読み書きは出来たんだ。司祭様から出来ないって聞いてたんだがな」

『読み書き出来ないのはディスガイア語だ。それに、名前もない、身寄りもない。この方が養護院ここでは馴染みやすいだろ?』

「……お前、何者だ? 訳ありにしては物知りだな?」


 カイルはいつの間に用意したのか、紙に文字を書いてクラウンに見せることで意思疎通を図った。この国、ディスガイアでは珍しい他国の文字とカイルの言葉遣い、そして話す内容から只者ではないことが窺える。

 クラウンの問いに答えるべく、カイルの中指と人差し指が眼帯の下に伸びた。眼帯の下から指が出てきた時、中指と人差し指の間には小さな筒のようなものが挟まれている。それをクラウンに差し出してくるのだ。

 青い目が左右に揺れ動く。筒開けると中にはクシャクシャの紙が一枚入っていた。紙切れには濃い赤色の文字が並んでいる。錆びた鉄のような臭いが微かにするその文面を読み切ると、クラウンは口を開いた。


「お前――」

『今日から俺は、あんたの人形マリオネットだ。あんたのためにここに来た。デュオにするも殺すも好きにしろ。あんたに尽くすのが俺の使命だ』


 地面にうつ伏せになったまま、顔を見上げる。赤い瞳と青い瞳が交わった。


「僕とデュオ、なんだよな」

『そうらしい。ここに来る直前に知ったから、デュオだの魔法だのよくわからない』

「お前、本気で言ってる? 赤い目と青い目が魔法を使えるのはこの国の常識だろ?」

『本気だ。赤い目をしていることも最近知った。痩せているのは魔力を酷使したからだ。食べれば治るし、片腕でも隻眼でも戦える。安心しろ』


 筆談の内容は六歳児に不相応なものばかり。けれど二人の間では確かに会話が成立している。右目の眼窩に隠されていたクシャクシャの紙切れが二人を繋いだ。今、運命の歯車が回り出す――。

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