2 与えられた名前②

 目覚めたばかりの名の無い少年。声を出せず、読み書きもできない。けれど話していることを理解することは出来て、知識も全く無いわけではない。

 彼に対して司祭がまず最初に考えたのは「名前」を与えることだった。それが無いことには何も始まらない。名無しのままでは日常生活が色々と不便になる。


 養護院では名の無い子供には修道士の誰かが名前を与えることになっている。もちろんこの名前は真名ではなく「呼び名」だ。真名はこの世に生まれた時から、赤い目を持つ者と青い目を持つ者に与えられている特殊な名前。今必要なのは養護院での呼び名の方。


「カイル」


 司祭の口から一つの単語がこぼれ落ちた。それは「教会の近く」を意味する単語。養護院の近くで拾われたことがその単語を選ばせた。司祭の呟いた単語に少年の身体がピクリと反応する。司祭はさらに言葉を続ける。


「今日からあなたの名前は『カイル』です。『カイル』と呼ばれたら自分の事だと思って下さい」


 少年がコクンと頷く。たった今この瞬間から、少年は「名の無い少年」から「カイル」になった。カイルは名前が新鮮なのか嬉しいのか、傷の痛みを隠して笑っている。


「さて、あなたにはもう一つ、伝えることがあります。あなたの今後の話です。これはカイル、あなたの怪我が良くなったら――」


 カイルは司祭の言葉を遮って何度も首を左右に振る。後ではなく今話して欲しい。そう伝えたいのだろう。しかしこればかりはすぐに認めるわけにはいかない。

 あくまで応急処置をしただけだった。薬草を媒介とした医療魔法を用いて緊急性のある怪我を治しただけ。生きるのに必要な処置を施しただけ。カイルが重傷であることに変わりはない。


 医療魔法は黒い目を持つ者だけが扱える特殊な魔法である。薬草を媒介として傷を癒す。けれど癒しの力は身体の傷にしか作用せず、その能力も万能ではない。故に医療魔法は必要最低限しか使わず、大抵の傷は出来る限り自然治癒や調合薬に頼ることとなる。

 骨折が治るのに三ヶ月。再び動かせるようになり日常生活に影響しなくなるまで、さらに時間がかかる。痣が消えるまでにも、剥げた髪が再び生えるのにも、かなりの時間がかかるはずだ。

 今のカイルは栄養状態も良くないため、まず養生することを求められる。その右目には眼球が無い。左目だけの視野に慣れるのにも時間がかかる。かなりの激痛に襲われているはずなのに、カイルは痛みを感じないかのように笑う。痛みが取れるのもかなり先だ。


「今はまず、体を治しましょう。何が起きたかも、今は聞きません」


 そう告げて立ち去ろうとする司祭。カイルはそんな司祭の腕を折れていない右手でがっしりと掴んだ。話すまでは部屋から出ていかせないつもりだ。それに気付き、司祭は小さくため息を吐く。




 カイルは司祭の腕を右手で掴んで離そうとしない。やせ細った身体のどこにそんな力があるのだろう。全力を尽くしても離すことの出来ないその力に、ついに司祭が折れた。


「昔々、神様は人々を大きく二つに分けました。黒い目、赤い目、青い目。この三種類の目の色で、人々に役割を与えたのです」


 カイルがかすかに首を傾げる。


「青い目には魔法を発動するための陣を描く力を、赤い目にはその陣から魔法を構築する力を、それぞれ授けました。魔法で人々を守り、助ける役割を与えたのです」


 咄嗟に左目に手をやった。赤い瞳はまだ一個、残っている。


「赤い目と青い目が揃わなければ魔法は発動出来ません。神様はそこに更なる条件を加えました。それは、同じ真名を持つ者同士でないと魔法を発動出来ないという制約です」


 カイルは再び首を傾げた。


「そのために、黒い目を持つ者を作りました。黒い目には真名を読み取る力と、魔力の循環に関与する能力を授けました。黒い目には、赤い目と青い目を引き合わす役割を与えたのです」


 カイルの右人差し指が司祭を指で示す。言葉を紡ぐ司祭の瞳は黒色。それは真名を読み取り、人を癒す役割を持つ者の証。


「目の色と役割を決めるのは神様です。神様は役割を分けることで、人々が助け合い、協力し合い、素晴らしい世界を作ることを望まれています」


 司祭の口から紡がれたその話は、カイルが養護院にやってきた日にクラウンに話していたものと同じ。それはあの日と同じように非常に滑らかな言葉で、心地よい音色で、歌うように奏でられた。


「この国のどの修道士も、黒い目を持っています。……カイル。私はあなたの真名を知っています。あなたと同じ真名を持つ青い目も、その者が何処にいるのかも知っています。でも、すぐには会わせられません」


 司祭の言葉にカイルの顔が少しだけ右に傾く。「どうして?」と聞いているつもりなのだろう。司祭はその質問を想定していたのか、寂しそうな顔をした。




 同じ真名を持つ青い目と赤い目。この二人が出会った時初めて魔法が発動出来る。青い目が描いた魔法陣から、赤い目が魔法を構築して発動する。それだけならどこにも悲しむ要素はない。


「魔法使いは、同じ真名を持つ二人組は、修道士が引き合わせて国に報告します。この国では、報告のあった二人組は八歳になった瞬間に教育と戦闘を強制されます」


 拒否権はない。同じ真名を持つ二人が出会ったら、戦いに身を投じなければならない。それがこの国のルール。まだ数年の猶予があるものの、その運命が変わることはない。


「まだ時間はあります。それに、今のままでは会ってもまともに話せないでしょう?」


 司祭の言葉を聞いて、カイルは少し考える素振りを見せた。司祭の言う言葉は正しい。だからこそ、言い返せないしリアクションに困る。


 右目を失明しているため、距離感を覚え直す必要がある。変に曲がっていた左腕は癒しの力で治したとはいえ、動く保証はない。さらに、今のカイルのやせ細った身体ではまともに戦えないであろう。

 どんなに他人の言葉が理解出来ても、声で返せなければ他の意思疎通手段が必要だ。最善なのは文字で会話すること。けれどもカイルは文字を知らず、読み書きは何一つできない。


「安心してください。もう少し体力が回復したら、見舞いに来させます。だからそれまでに文字を覚えましょうか。コミュニケーションが取れなければ話になりませんからね」


 司祭の考えたカイルの最大の欠点。それは、会話は出来るらしいのだが筆談が出来ない、ということ。今の声の出せないカイルでは、筆談を覚えるのが必須だ。そのためにはまず文字を知る必要がある。

 司祭がすぐにカイルとクラウンを会わせない理由。それは、出会った時には二人がまともにコミュニケーションを取れるようにしたいからだ。それにはカイルの努力だけではなくクラウンの努力も必要となる。

 司祭は屋根裏部屋から一階に移動すると、今度は大きくため息を吐いた。片や右目を失った赤い目、片や両足のない青い目。クラウンは現実を受け入れてくれるだろうか。

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