1 与えられた名前①

 街にある児童養護施設。そこはただの児童養護施設ではなく、教会に隣接した建物。児童養護施設と教会を運営するは医療魔法に特化した修道士達。教会は病院の役割を果たし、屋根裏にはベッドをいくつか用意しているのが常だった。

 このような施設は養護院と呼ばれている。養護院は子供を育てるだけでなく、怪我人や病人を癒すといった役割を果たしている。養護院は街に一つは存在する。そして、街の人々は怪我や病気をしたら真っ先に教会にやって来るのである。

 養護院の児童養護施設の方には様々な子供たちが集まる。親に捨てられた者、親に連れられて来た者、街の人に保護されて来た者。五体満足の者もいれば体のどこかに欠損を抱えた者、時には命を落としかねない重症患者までやってくる。



 その養護院には一人の少年がいた。少年は車椅子に乗っていて、両足は膝から下がない。鮮やかな青色の瞳は、この世の全てを憎んでいるかのようにありとあらゆるものを睨みつけている。

 無造作に伸ばされた金髪と宝石のように輝く青い双眸、綺麗な色白の肌。見た目だけなら、その少年は愛らしい美しい外見をしていると言える。しかし少年の目つきが華麗な見た目を台無しにしていた。

 そんな少年が今いるのは児童養護施設に隣接する教会の一階。車椅子に乗っているため、教会の二階部分――屋根裏にある患者が寝るベッドの近くには行けない。それでも彼が教会を訪れたのには理由があった。


「おや、クラウン。また来たのですか?」


 少年の名を呼んだのは、教会の司祭をしている修道士。通称「司祭様」である。司祭の言葉が、クラウンが頻繁にその部屋に通っていることを物語る。実はこのクラウン少年、ある出来事を境に日に三度は教会を訪れている。


「あれからどうだ?」

「一命は取り留めました。まだ目覚めませんが」

「だよな。あれは凄かった。せてるし、腕曲がってたし、右目は血だらけだし」


 クラウンが訪れた教会。その屋根裏にある患者用のベッドにいるのは、先日、花時雨の日に道端で拾われた重傷の少年である。集められるだけの修道士と薬草を使い一命を取り留めたものの、まだ目を開けることは無いらしい。

 クラウンは今でもその光景を覚えている。未だ眠り続ける少年が養護院に運ばれてきた日のことを。その日は雨の降る日で、クラウンはステンドグラスを見るために礼拝堂を訪れていたのだ。


 左腕は本来曲がるはずのない方向を向いていた。右目は閉じられたままで、その上を流血が伝う。薄らと開いた左目が不気味に赤く光っていた。生きているのが不思議なほど細く、歯は欠け、顔中痣だらけ。その酷い外見を見て声にならない悲鳴を上げたのはクラウンだ。

 どうしてか、生きてるかわからないその少年を「助けたい」と願った。だからこそ車椅子の身でありながら養護院中を駆け回り、院長を呼ぶだけではなく養護院にいる修道士全員を集めたのだ。少年の命のともしびを繋ぐのに貢献したと言える。


「あなたが人の心配をするなんて珍しいですね」

「別に。ステンドグラスを見るついでだ。心配してるんじゃないからな。少しでも関わったから、気になるだけ」

「そうですか」

「その子、こっちに来るのか? 施設の方に」

「それは、目覚めてから身元を確認して決めます。こればかりは、すぐに答えられませんねぇ」

「そっか……。と、とりあえずそれだけだ。別に心配してるわけじゃない。じゃあ、また来る」


 クラウンが司祭の言葉にヤケになって反抗する。そのどんぐり眼の青い瞳には、実年齢に不相応な影が見える。彼は少年が目覚めないと知り、ゆっくりと車椅子のタイヤを回してその場を離れていくのだった。




 クラウンが教会から出ていく。それを確認すると、司祭は教会の屋根裏部屋に足を踏み入れた。屋根裏部屋といっても、一階とさほど変わらない広さがある。その部屋にはたくさんのベッドが規則正しく並んでいた。

 二十名は優に治療出来るだけのキャパシティを持つ部屋だ。そんな部屋に今いる患者はただ一人、先日運ばれてきた重傷の少年だけ。少年は、数あるベッドの中でも一番窓に近い風通しの良いベッドに寝かされていた。


「具合はどうですか?」


 さて、問題となる少年はベッドで上半身を起こしていた。司祭は先ほど「まだ目覚めませんが」とクラウンに伝えていたが、実際は違うらしい。現に今ベッドにいる少年は、左目を開けて司祭を見ている。


 ボサボサで所々頭皮が見えている黒髪。顔や腕など服で隠せない所には痣が目立つ。右目は包帯に覆われ、赤い左目だけが司祭の姿を捉えていた。左腕は今は三角巾に吊るされ、自由に動かせない。

 少年が口を動かす。しかしその口から声が出ることは無い。異変に気付いて喉元を右手でさすってみる。だが何度話そうとしても声は出てこない。少年は大きなため息をついた。


「声、やっぱり出ないですか?」


 司祭の声に少年が小さく頷く。その顔からは表情が消えており、赤い瞳には暗い影が映り込む。喜怒哀楽を見せない少年はまるで意思を持たない人形のようだった。

 喉にも声帯にも問題はない。そのため、声が出せないのは精神的な要因によるものだと考えられる。やせ細った痣だらけの身体を見るに、お世辞にも良いとは言えない生活を送っていたようだ。


「文字を書くことは出来ますか?」


 少年は首を左右に振る。


「呼ばれ方、名前、などはありますか?」


 少年は再び首を左右に振る。


「話してる言葉の意味はわかりますか?」


 司祭の言葉に少年は初めて頷いた。質問にジェスチャーで答えていることから会話が成立してる事は想定できた。が、こうして改めて本人からの意思表示を見ると嬉しいものがある。




 名のない少年。道行く人に助けられて近くにあるこの養護院に運ばれなければ、彼の命はとうに尽きていただろう。しかし助かったにしても呼び名がないというのは不便である。

 恐らく育った場所では名で呼ばれなかったのだろう。名前も与えられず、暴力を与えられたのだろう。食事すらまともに貰えなかったのだろう。少年の生い立ちを考えると、司祭は胸が痛くなる。


「まず、状況を説明しましょう。ここは養護院という場所です。怪我や病気の治す所で、様々な理由でやってきた子供達が暮らす所でもあります」


 少年の左目が司祭を真っ直ぐに見つめる。


「あなたは重傷で運ばれました。右目に光が戻ることは無いでしょう。左腕が動くかどうかは神様次第。他の怪我はいずれ治るでしょう。ここまではわかりますか?」


 少年は司祭の説明を淡々と聞いていた。話の内容に合わせて右目を覆う包帯に手を乗せたり、三角巾に吊るされた左腕を見たり。状況を全く理解出来ない訳では無いらしい。最終的には小さく頷いた。


「あなたはどうしたいですか? このままこの養護院で暮らすなら首を縦に、元いた場所に帰りたいなら首を横に振ってください」


 少年は一瞬目を見開く。そしてしばし動きを止めた。顔を歪ませ、何かを考えているように見える。どうしても戻りたいというわけではなさそうだ。

 少年が答えを出さないまま一分が過ぎた。その一分が、司祭には何時間にも感じられた。迷いに迷った末に少年が出した答えは――首を縦に振ることだった。さらに、少年は声の出ない口を何度も何度も動かして何かを伝える。


「あ、う、え、え。…………『た、す、け、て』ですか?」


 口の動きを読み取って、司祭が声に出す。司祭が言いたいことを当てると少年が何度も何度も力強く頷く。


 少年は自分の置かれた状況を理解して選んだ、養護院にいることを。そして目の前にいる司祭に助けを求めた。それが何を意味するのか、養護院に何年も務めている司祭にはよくわかる。

 この少年は大怪我を負いながらも生きるために逃げてきたのだ。偶然にも助けられ、養護院に運ばれ、一命を取り留めた。この偶然が司祭には必然に思えた。

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