喪失のデュオ

暁烏雫月

序章 運命

0 花時雨の降る日に

 その日は雨が降っていた。ぽつりぽつりと優しく降るその雨は大地を潤し桜の花を散らせる。そんな花時雨の降る日のことだった。


 街中にある教会は静かだった。正確には教会であって教会ではない。児童養護施設と教会が一緒になった養護院の呼ばれる施設。教会の一階に相当する礼拝堂には様々な人が出入りするが、児童養護施設の方は基本的に関係者しか出入りしない。

 そんな礼拝堂の中に、設置されている長椅子には座らずに祈る一人の少年がいる。少年は車椅子に乗っていた。両足は膝から下がなく、じゃがいものような形をしている。少年の濃い青色の目は、この世の全てを憎んでいるかのように、視界に映るありとあらゆるものを睨みつけている。

 礼拝堂にはその車椅子の持ち手を掴む者がいた。この礼拝堂の司祭である。今、この場には司祭と少年の二人しかいない。少年の短く丸い足がじたばたと上下に動く。


「クラウン、そんな顔していては幸せが逃げますよ?」

「司祭様には僕の気持ちなんてわからないだろ」

「悲観してはいけません」

「みーんな、この足のせいで僕を遠ざけるんだ」

「いつか現れるあなたのパートナーは離れません」

「いつかは離れるに決まってる。いつもいつもそう。人なんて信じるだけ無駄なんだって!」


 司祭が優しく語りかけるもクラウンと呼ばれた少年は不服そうに頬を膨らませる。クラウンのその言動から、まだ幼いというのにすでに多くの人に嫌われてきたことがわかる。

 しかし司祭はそんなクラウンを見捨てない。ただクラウンに寄り添い、その口から吐き出される刺々しい響きを持つ言葉達を受け止める。それだけでもクラウンの心は少しだけ軽くなった。


「司祭様。いつものお話、して」

「いいですよ」


 クラウンもまたそんな司祭にだけは心を許しているのだろう。弱い所を見せたり、頼みごとをしたりしている。もっとも、当の本人は司祭に心を許しているだなんて夢にも思っていないようだが。


「昔々、神様は人々を大きく三つに分けました。黒い目、赤い目、青い目。この三種類の目の色で、人々に役割を与えたのです」


 クラウンの両手がそっと自らのまぶたを撫でる。


「青い目には魔法を発動するための陣を描く力を、赤い目にはその陣から魔法を構築する力を、それぞれ授けました。魔法で人々を守り、助ける役割を与えたのです」


 クラウンの視線が礼拝堂のステンドグラスへと向けられる。


「赤い目と青い目が揃わなければ魔法は発動出来ません。神様はそこに更なる条件を加えました。それは、同じ真名を持つ者同士でないと魔法を発動出来ないという制約です」


 ステンドグラスに向けられた視線は膝のない足へと向けられた。


「そのために、黒い目を持つ者を作りました。黒い目には真名を読み取る力と、魔力の循環に関与する能力を授けました。黒い目には、赤い目と青い目を引き合わす役割を与えたのです」


 青い瞳が漆黒の瞳をジッと見上げる。


「目の色と役割を決めるのは神様です。神様は役割を分けることで、人々が助け合い、協力し合い、素晴らしい世界を作ることを望まれています」


 何度も同じ話をしているのだろう。司祭の口から紡がれたその話は非常に滑らかな言葉で、心地よい音色で、歌うように奏でられる。

 司祭がクラウンの前に移動し、床にしゃがみこむ。そしてその黒い目でクラウンの顔を見る。しゃがんだのは車椅子に座るクラウンに目線の高さを合わせるため。


「神様はクラウンに青い目を授けました。あなたと同じ真名を持つ赤い目は必ずいます。だからそんなに悲観しないでください。魔法は同じ真名でなければ発動出来ません。だからデュオを組むのです。パートナーを見捨てるはずがありません」


 両足がないクラウンの目は。それは魔法を発動するための陣――魔法陣を描く力を持つ証である。となればその魔法陣から魔法を構築するのは、クラウンと同じ真名を持つ赤い目の者。

 司祭の言葉にクラウンは泣きそうな顔を見せる。だが決して泣きはしない。泣いたら負けだと無意識に感じていた。


「会えるかな? 僕のパートナーに」

「神様は同じ真名を持つ者を巡り合わせます。ですから……必ず、会えます。私が会わせます。だから大丈夫ですよ」

「本当に?」

「私が嘘をついたことがありますか?」

「……ない。でも、今回は嘘かもしれないだろ?」


 クラウンは無意識に心を許している司祭すらも疑う。否、疑わずにはいられないのだ。疑ってさえいれば何があっても傷つかないから。

 そんなクラウンの心中を知っているからだろう。司祭は温かい微笑みを浮べながらクラウンの金髪を優しく撫でてやる。それ以外にクラウンの心の傷を癒す術は知らなかった。


 その時だ。礼拝堂の扉が勢いよく開く。それと同時に慌ただしく走って近付いてくる足音が一つ。司祭はすぐさま立ち上がってその音のする方を見た。


「司祭様、大変だ! と、とにかく大変なんだ! 急がないと、急がないと……」

「落ち着きなさい。神様はあなたを見捨てません。さて、何があったのですか?」


 音の主は礼拝堂のある街に住む男性。よほど慌てているのかしきりに「大変だ」と「急がないと」を繰り返している。何が原因かはわからないが、その顔は酷く青ざめていた。

 いや、よくよく見てみればそこまで顔を青ざめさせた原因は男性のすぐ近くにある。教会に駆け込んできたその男性は、原因となる少年を背負っていたのだ。




 クラウンが真っ先にに気付いて、思わず声にならない悲鳴を上げる。司祭はその正体に気付くと笑顔を消した。というのも、男性に背負われたその少年は酷い外見をしていたからだ。


 顔は痣だらけ。右目は閉じたまま血を流している。薄らと開いた左目は鮮やかな赤色。口からも出血しており、だらりと空いた口からは歯が欠けているのが見えた。左腕は有り得ない方向に曲がっている。

 身体に力が入らないようでぐったりとしていた。男性が支えなければすぐにでも床に落ちてしまうだろう。何よりその少年は細かった。骨がはっきりとわかるほどに痩せていて「骨と皮しかない」という表現がしっくりくるほど。

 黒髪は誰かにむしられたのか所々不自然にハゲている。普通に生きているだけではまずこうはならない。司祭様はゴクリと唾を飲み込むとクラウンの方を見た。


「クラウン、急いで。急いで院長を呼んできてください! 早く!」

「わかった」


 司祭の言葉に返事をするもクラウンはすぐには動けない。車椅子に乗っているため、方向転換に時間がかかるのだ。何度もタイヤを前後に動かして少しずつ体の方向を変える。出来る限り急いで方向転換をすると、児童養護施設の方へと向かっていく。

 一方少年を背負っていた男性は未だに混乱しているようだ。司祭に促されて長椅子の上に少年を優しく横たわせるとようやくため息をつく。だがまだ恐怖が抜けきれないのか、身体を微かに震わせている。


「彼は、どこにいたのです?」

「み、みみ、道に、道に倒れてたんだ」

「ありがとうございます。お疲れでしょう? もしよろしければそこに横になっていてください」


 今の段階では何も出来ない。それを知っているから、司祭は自身の役割に従事することにした。黒い目を持つ司祭の役割。それはこの少年の真名を知り、導くこと。

 少年の真名を知ろうとその額に手をかざした司祭。次の瞬間にはハッと口を手で覆った。それは信じがたい、出来るなら信じたくない現実を知ってしまったから。


「すみません、お疲れのところ申し訳ないですが頼みがあります」

「なんだ?」

「薬草をできるだけたくさん集めてください。修道士を出来るだけ呼んで下さい。薬草一枚、修道士一人が彼の運命を左右します」

「わ、わかった」


 司祭が少年から目を離さないまま静かに告げる。冷静に告げてはいるがその内容は少年の生死に関わるかもしれないもの。司祭に頼まれた男性は冷たい雨の中、傘も持たずに外へと飛び出していった。


「なんという……。これもまた運命。神よ、あなたはこの真名にどれほどの苦難を与えるのですか?」


 司祭の呟きが静かな礼拝堂の中で凛と響いた。




 花時雨の降る日に、大怪我をした一人の少年が教会に運ばれた。その少年とクラウンの出会いがこの国に新たな歴史を刻むことになる。そのための歯車が今、人知れず回り出す――。

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