第3話 四方屋凌と、知らぬところで進む恋。



 少年のことを受け付けに話すと、確かにその少年はここに両親と来ていた。


 すでに両親の姿は館内にはないらしい。


 エントランスの長椅子に、三人で座ると、少年は相変わらず鷲崎におびえているようで四方屋のほうにしがみついていた。


「この子のお父さんたち、来るかな……?」


 不安そうな鷲崎に、右腕の袖を少年に強く引っ張られながら四方屋は答える。


「待ってればそのうち来るよ、きっと。こんなところに来るような人たちだし」


「そ、そうだよね」


 表情は変わらないが、その言葉を聞き入れた鷲崎は恐る恐る、少年の頭に手を乗せ、優しく撫で付ける。


 おびえていた少年は、その温かな手のぬくもりに引き結んでいた瞼を緩ませる。


「のーぷろぶれむ、だよ?」


 その言葉に、少年は目を潤ませコクコクとうなづいた。


「アリ…ガドウ」


 少年が鷲崎に向けた初めての言葉は、日本語での感謝だった。






***






 一時間が経過したころ、少年の両親が現れた。泣きながら縋り付く息子に、父親は苦笑いで応じ、母親は少なからぬ焦燥をこぼさないように気を付けた涙とともに拭い去った。


 その光景を少し離れたところから見守っていた四方屋は、隣に立つ鷲崎の横顔があまりにも悲しげなのに気付いた。


 迷子の少年の両親が現れ、三人の再開のシーンを眺めているはずの彼女が、なぜそんな顔をするのかは、どれほど考えたところで四方屋にわかるはずもなかった。


 笑顔のまま、「両親が来てくれてよかったよね」と、話しかけようとしていた勢いは、完全に失し、どうしよもない疑問だけが心に生まれてしまった。


 少年とその両親から感謝の言葉をもらい、別れる。本当はお礼としてお金を差し出されたのだが、ただのボランティアだからと二人して示し合わせることなく断った。


 ようやく解放されたころには外は雨が降り始めていて、おかしなことに学校のバスはなくなっていた。


「どうしよっか……」


 傘がないので外にも出られず、窓の外を眺める二人。鷲崎は途方にくれながら口を開いた。


 ポケットの中に入ったスマートフォンには、すでに百近い連絡が入っており、内容から察するにそろそろ友人たちが教師に噛みついてでも自分を探し始める、というようなものが増えてきていた。


 とりあえず、無事と安全を知らせ、次に向かう場所を教えてもらうと、「絶対に探さなくていい」と、くぎを刺し、スマホをポケットにしまった。


「どうもこうもないような」


「まあ、普通はそうだよねぇ」


 想い人のなんの力にもなれないことを悔やみながら、苦々と口にした言葉は、あっさりといなされた。「太一君なら、こんなとき……」そんな風にぶつぶつと呟く鷲崎に首をかしげるが、そんな四方屋の行為も鷲崎の目にはとまっていない。


「あ、そっか。わかった」


 一人で思案していた鷲崎が、突然そう声を上げた。


「どうしたの。ここから次の目的地まで行く方法思いついたってこと?」


 情けないとは思いながらも、問いかける。


「ああ、うん。まあ簡単な方法なんだけど」


「簡単? それはすごい!」


「う、うん。とりあえずありがとう」


 簡単な方法でみんなに追いつけると聞いて喜ぶ四方屋に、鷲崎は少し頬を引きつらせる。


「その方法って、いったい?」


「た…、タクシー」


「………」


「な、なんとか言ってよ!」


「鷲崎さんて、お金持ちだよね」


「なんで今それを言うの!!? 嫌味!? 嫌味なの!!?」


 目をそらし苦笑いする四方屋に、憤慨する鷲崎。


「そんなに言うなら四方屋くんは他の方法で一人で来ればいいと思う」


「へ?」


 言い残して歩き始めてしまう鷲崎に、変な声で応じた四方屋は、「ちょ、ちょっと待って!! おいていかないで! 俺次の行先知らないし!」と、好きな女に泣きつくほかないのだった。






***




 バスの行先は二条城だった。


 博物館からの移動時間は大体四十五分とされていたが、電車で移動すると一時間弱かかってしまう。そのことをあらかじめスマホで確認した鷲崎は、結局タクシーでの移動を選択し、ロビーを出たところにあるタクシー乗り場で止まっていた車に乗り込んだ。続いて、四方屋も乗り込もうとして、立ち止まる。


「……この状況で大変申し上げにくいんですが、その…」


 スマホを開いた後から若干機嫌が悪い鷲崎は、そんな四方屋の態度に少しばかりのいらだちを見せた。


「なに?」


 小首を傾げるような可愛らしい一言だったが、恐縮しきりな四方屋にはその声音だけでも十分に縮み上がらせるだけの効果があった。


「その……ですね……」


「……?」


「お財布持ってないんです!!!」


「あ、そっか。いいよ。巻き込んじゃったみたいなものだし、お詫びってことで」


 何かに納得したようにいう鷲崎に、下げていた頭を勢いよく上げ言葉を返す。


「そんな! ちゃんと返します!!」


「そ、そう?」


 あまりの勢いに軽く引いている目の前の少女には気づかないほどに、四方屋の中にひたすらに恥ずかしさがこみ上げる。


 今のところ、格好悪い部分しか見られていない。


 これでは告白どころではないぞ……。と。


「とりあえず、乗って」


 鷲崎はそういって奥に詰めると、運転手に目的地を伝えた。


「何かトラブルですか?」


 車が走り出し、社内に少しの沈黙が下りると運転手が聞いた。


「はい。迷子の子供の両親がくるまでで付き添っていたら、学校のバスに置いて行かれてしまって」


「そりゃ、災難でしたねぇ。ご両親は見つかりましたか?」


「はい。無事」


 答えたのは鷲崎だ。


 四方屋はといえば、緊張で口の水分が完全になくなり、とても喋れる状態にない。


 いつもは遠目で眺めているだけの想い人が、手を伸ばせば触れられる数十センチの距離にいる。そう考えただけで腹痛は起こり、背筋に変な汗が浮き、目の前が回り始めていた。


「ん? そっちの男の子は、大丈夫かい? 顔が真っ青だけど」


 問われたのは自分だと気づくまでに少しの間を使い、「あ、はい。大丈夫です」そういうつもりで口を開いた。


「ん……お…、はい丈夫…っす…」


 大丈夫そうじゃなさそうだね。そんな四方屋を見る二人の意見は心の中で一致していた。


「少し、窓開けるかい?」


「ああ…はい……。おねがいひます……」


 緊張してこの状態になっているのに、隣についにその人がいるにもかかわらず、こんなありさまをさらす自分への自己嫌悪も割り増しし、絶望を通り越して次の恋への期待すら浮かびあがってきている四方屋に手を差し伸べたのは当然、鷲崎だ。


「具合悪いって言ってたもんね、ごめんね、私があんなことに巻き込まなければ」


 なぜ自分が具合が悪かったことを知っているのか。最大の疑問はそこだった。


 しかし、正しておかなければいけない勘違いもあった。


「そ、それはちばう」


「ちばう?」


「ち! 違う! 俺は巻き込まれたんじゃない。自分から声をかけたんだ。鷲崎さんが困って見えたから。だから、僕は二人に声をかけた」


「…?」


 よく意味が分からない。


 言葉にはしていないが首をかしげることでその意思を示す鷲崎。


 そんな二人のやり取りを、生暖かい目で眺める運転手は、「いいねぇ…俺も高校生くらいに戻りたいなぁ……」と、そんなことをつぶやいている。


「とにかく。俺は別に、鷲崎さんに謝ってほしいだなんて思ってない。むしろ感謝してるんだ。こんな風に鷲崎さんと二人で話すなんて学校では絶対に無理だもん」


 ここにきて、鷲崎は思い至る。


 自意識過剰などではなく、ただ単純な経験則として。


「(ああ、この人も、私に好意を持ってくれているのか)」と。


 しかし、そんなことはおくびにも出さず、隣に座る同級生の次の言葉を待つ。


「ああっと、こりゃまずいな……」


 と、呟いたのは、鷲崎の待っていた声の主ではなく、運転席で前方を見つめる運転手だった。


「ど…どうかしたんですか?」


「いやぁ、ちょっと……。これ以上は進めそうにないな」


 鷲崎の質問に答える運転手。


「…?」


 意識をフロントガラス越しに見える前方に向けると、車の行列ができていた。話している間に渋滞に巻き込まれてしまっていたようだった。


「これ、抜けられそうですか?」


 さっきまでの会話の名残で、心臓はいまだ強く脈打ったまま、四方屋は運転手にそう問いかけた。


「無理っぽいなあ、どうも」


 渋い顔をしながらそういう運転手。


 京都に来るのが初めてな四方屋にはここがどこかもわからないので、目的地までの距離も判然としない。


「ここから二条城までは、歩いてどのくらいかかりますか?」


「歩きだと、二十分くらいかなぁ……」


 どうしようと問いかけるため鷲崎のほうを見ると、スマホの画面を見つめながら表情を固めていた。


「ど、どうかした?」


 恐る恐る声をかけると。


「なんか、みんながこっちに向かって来てるって」


 固まった表情のまま四方屋のほうを見てそう言う鷲崎。


 言われたほうには意味をとりかねるその言葉。なにも知らないで聞いた運転手には、まるっきり意味不明だった。


 とはいえ、同級生の四方屋には少し考えればその言葉の意味がはっきりと理解できた。それはつまり。


「俺が、死ぬかもしれないってことですか……」


 あまりの状況に敬語になってしまうが、その言葉に鷲崎は「さすがに死にはしないと思うけど……」と、はっきりとは答えない。


「あ、あのさ、その、みんなって言うのはつまり誰がこちらに向かってきてるの?」


「わかんない…「みんなで」書いてあるだけ…」


 まずい……。四方屋はそう思った。


 やばい……。鷲崎はそう思った。


 こんな風に鷲崎さんと二人でいるところを見られたら、どんな目にあうかわかったもんじゃない。最悪殺される。


 せっかく一人になれたのに、また捕まったら今度はいつひとりになれることか。


 完全に食い違う両者の思考は、しかし同じ地点へと着地した。


「(逃げるしかない)」


「(逃げようかな)」


 と。


 二人の逃亡を祝福するかのように、曇天の空からの雫の刑は執行猶予が示された。






***




 鷲崎が料金を払い二人で車から降りると、今日泊まるホテルの位置を確認する。


「今日の予定は二条城で終わりみたい。二条駅近くにあるホテルだって」


「じゃあこの辺からさほど遠くへはいけないってことか」


 画面を見つめる鷲崎に、四方屋が確認する。


「そうだね。でも近場に良すぎると見つかる」


 二人で大通りから小道へ入り、歩く足を止めずに言葉を交わし続ける。


 通りすがる自分たちと同じ観光客と思しき外国人に道を尋ねられるたび、四方屋は笑って「自分も観光客なので道がわからない。そこに観光案内版があるからそれを見てくれ。良い旅を」という胸を告げる。


「ところで、鷲崎さんはなんで逃げてるの?」


「へ? ああ、うん。なんていうか、ちょっと一人になりたくて」


 地図アプリを見つめながら答える鷲崎。


 四方屋は察した。「あ、これ俺邪魔なやつじゃね?」と。


 しかし彼には彼女から離れられない理由があった。一つにはもちろん、好きな女の子と一緒にいたいという下心があったが、それ以上に、彼は現在スマホも財布も持っていない身分なのだ。


「あ、あの…おれ、邪魔だったら消えるからね……」


 しかし、気が利かない男にはなりたくないと、苦し紛れのセリフが口から漏れる。


「へ?」


 驚いて顔を上げる鷲崎は四方屋の顔を見て自分の失言を知った。


「あ、違くて、四方屋君が邪魔とかって言うわけじゃなくて、さすがに大人数に囲まれてるのにも疲れちゃったし、少し少人数で動きたいなって思ってたの。でも一人は寂しいから四方屋君がいてくれてうれしいよ」


 最後に笑顔を見せる鷲崎に、「…っ!!?」と言葉に詰まる。


「そ、そうですか……」


 小道を右に曲がると、道幅がさらに狭くなった。前方から来る人とすれ違うときに互いの手が触れ合う。


「っ!!?」四方屋はとっさに手を引くが、「あ、ごめんね」と鷲崎は苦笑いで謝った。


「いや、違う! むしろごめんはこっちのほうで! 俺的には触れたのはむしろラッキーみたいなもので! だからその、ありがとうございます! ……? ……っっ!!? 何言ってんだ俺っ??!!」


 あせって余計なことを口にする四方屋に、鷲崎は苦笑いを重ねた。


「(…何いってんだおれぇ……完全に気持ちやつじゃんかぁ………)」


 閑静で古風な家々の立ち並ぶ小道は、少し声を出すだけでも大きな雑音に聞こえるほどで、恋する少年の言い訳は道を往く人たち全員の耳に届いていた。


 さらにしばらく歩くと大通りへと出た。さっきまで人しか歩けないような道だったがゆえに、車の音が騒々しい。


「ここにこれがあるから、じゃあこっちに行けばあれがあるのか」


 ぶつぶつ独り言をつぶやきながら立ち止まりスマホを覗く巨乳な同級生に見とれていると、ドンと体に衝撃が走った。


 反射的に飛びのくと、「すいません」とそちらを見る。


 すると、つぶやかれたのは外国語だった。


 はっきりとは聞き取れないが、ネイティブでも聞き取れないような訛りが入っているドイツ語のようだった。


 快活に喋る恰幅のいい男性はだからドイツ人なのだろう。そう判断した四方屋は端的に内容を理解し、謝罪してくれていることと、道を聞かれていることがわかった。


 鷲崎にいたっては目が点である。言語もわからなければ、なぜこんな人に話しかけられているのかもわかっていない。体格の良さに驚きすぎて呆然としていた。


「ココ、go サセテください」


 地図を指し示し日本語を操る男性に、四方屋は流暢なドイツ語で説明をし、「アリガトウ!!」と感謝された。


 一連の流れに驚いたのは鷲崎で、何が起きているのかさっぱりも理解できないでいた。


 男性が「danke!!」と手を振りながら去るのを見送ると、向き直ってきた四方屋に鷲崎が聞く。


「四方屋くんて、何ヶ国語話せるの?」


「今聞くんだったら、あの人なんていってたのとかじゃないかな?」


「それもそうだけど、それはおいといて」


「えー、と、何ヶ国語かな……。あ、行く場所はわかりそう? 歩きながら話そ」


「あ、うん。行こっか」


 とめていた足を動かしながら、四方屋は指を折り始める。


「え、っと、英語、中国語、ロシア語、モンゴル語、スペイン語、フランス語、イタリア語、ギリシャ語、で、さっきの人のドイツ語で、9個かな?」


「9っ! ほえぇすごいなぁ… 私なんて英語だけで手一杯だよ……」


 感心する鷲崎。


「い、いや、喋れるってだけで、筆記とかは全然で、だからテストとかもまったくで… 鷲崎さんのほうがずっとすごいよ」


 鷲崎は定期テストの度に学年順位一ケタ台をキープし続けている秀才だ。だからこそのセリフだったのだが。


「ううん。テストの点数だけがすべてじゃないよ!」


 テストの点、という言葉が鷲崎のなにかに触れたのだろう。そう思えるほどに露骨にその単語で不機嫌をあらわにすると、


「テストの点数だけ良くても意味ないの。だって人がいなくなっても電話一つくれないんだもん。せっかく教えたのに、一回も電話かけてこないし。昨日だって、留守電入れたのに何にも反応なくて、今頃ほかの女のことでなんかいろいろやってるんだよ。どうせ。『俺じゃなくてもできますよ。俺にできるんですから、誰にだってできます』とか何とか言いながら、誰にもできないようなことをあっさりやって、そういうとこも好きだけど、でもそれ以上に直してもらいたいところがいっぱいあるから、テストの点が高いからすごい人ってわけではないの」


「え……っと………」


 怒涛の口撃に何を言えば良いのかわからない四方屋は、そうだ、と思い立つ。


 今一番聞いてはいけないことを、聞こうと思い立つ。


「それって、鷲崎さんが一緒に暮らしてるって言う、男のこと?」


 イエスでも、ノーでもない質問の仕方。間違っていれば噂を聞いたといえばよく、あたっていれば絶望必死のこの質問。果たして回答は。


「違う、そんな人いない」


 あんな薄情者、もう知らん。


 そんな気持ちから出た言葉。実際には山野太一という一年生の一人暮らしの家に居候しており、何ならもう一人の女子生徒を加えての三人暮らしをしているのだが、そんなことを事細かに説明してくれる人物はこの場にはいない。


 この場この時点で、四方屋の中には春が来た。


 なんとなく察しはしているものの自分に都合のいい解釈が混じるのは人間の思考の常である。どんよりとしていた心模様はだんだんと雲が晴れていく。


 これならいけるんじゃね? そして馬鹿は一人暴走し、


「あ、あのさ、鷲崎さん。今付き合ってる人とかいる?」


「いない!!」


 怒気をはらんだ返答。しかしそんな機微に思考をめぐらす余裕は四方屋にはない。


 動悸の激しさが増すたびに、言葉は途切れ、息は苦しくなる。


「す、好きな人、とかは?」


「すっ、好きな人、なんて…いない……」


 今度は泣きそうになりながら、鷲崎は答えた。


 マジか!!!! と。噂はやっぱり噂だな!!! と。四方屋は心で叫んでいる。叫びまくっていた。心の隅で、落ち着けとささやくもう一人の自分の言葉など、頭では理解できないほどに。


 大通りを北上し、見えてきた橋には多くの観光客の姿があった。


 しばしの沈黙が二人に流れる中、周囲の喧騒はいっそう増していく。


 四方屋が額に浮かぶ汗を拭い、乱れた呼気を整えると橋に差し掛かった。


 眼下には普段は水深の浅い川が流れているのだが、今日はさっきまでの雨の影響で少し水位が高い。


 意を決し、橋の中腹で四方屋が足を止める。


 心臓の鼓動がドンッ!! ドンッ!! と、ゆっくりと、それでいて今までにないほどに大きな音で耳に聞こえてくる。


「あ…っ…」


 口を開こうとして言葉に詰まる。


 ゴクリと生唾を飲み込み音が鳴る。


 振り返った鷲崎が四方屋の顔を見て小首をかしげた。


「どうしたの?」


 その問いに、四方屋は答えられない。そんな余裕が今の彼にはなかった。


「あ、あの……」


「?」


 呼びかけは成功したが、次ぐ言葉が出てこない。


 今度こそ。と、勢い込んで声を発すると、






「俺と、お付き合いして頂けないでしょうか!!!!!!」






 誰も予想していなかったほどの大音量で、告白の言葉が響き渡った。


 放った本人も、放たれた当人も、立ち尽くす。


 かたや初めての告白。


 かたやされなれた告白。


 しかし状況は一転する。


「由利亜!!!」


 その声が聞こえてきたのは二人が硬直したわずか後だった。「へっ?」呼ばれて振り向くと、向かっていた方向から見知った顔が走ってきていた。


 背の高い女の子。キリッとした目の、さっきまで一緒にいた彼女が、後ろに見える数十人を押さえて単独で全力疾走で、鷲崎の下に駆けてきていた。


「へ?」


 もう一度声が漏れると、ほぼ同時。


 鷲崎の大きな胸が、衝撃に呼応してふにゃんと歪み、グンっ! と勢い良く持ち上がったかと思うと、「ゆりあああああ!!!!! 心配したんだぞ!!!」グルグルと鷲崎を持ち上げたまま少女は回り続ける。


「や…やめ……目が…」


 鷲崎が抗議の言葉をようやく口にすると、


「おっと、ごめんごめん」とその小さな体を地面に戻す。


 ここでやっと後ろから追いかけてきていた数十人が到着し、鷲崎に各々心配したという旨の言葉を告げていく。自分の扱いがあまりにもあんまりではないかと考えている鷲崎は、終始苦笑い。正直な話をすれば、鷲崎はみんなの自分に対する接し方に少々以上に疑問を感じているので、そんな表情しかできないのだ。


 そして、その光景をただひたすらに見ていることしかできない四方屋は、この状況が自分がもっとも恐れていたものだということを悟る。


 まずい、逃げねば。と。


 だが、さっきまでの告白の名残で、ひざが笑い足がすくんで動けない。


 頭に上っていた血が段々と下がり、後ろに足を一歩引くと。


「あ……れ…………?」


 暗転していく視界を見つめ、自分が少しずつ後ろ向きに倒れていることに気づいていた。


 ドサっという人の倒れる音。


 鷲崎は何事かと周りを見る。


 するとすぐそこでさっき自分に告白してきた男の子が倒れていた。驚いて人を掻き分け近寄ると、しゃがみこんで体をゆする。


「四方屋くん!! 四方屋くん!!」


 呼びかけには応じない。意識はなく、顔色は悪い。唇も青みがかっており、手は冷え切っていた。


 スマホを取り出し「緊急連絡」用のボタンを押す。


 冷静な対応だった。周りの人間がざわつく事しかできない中、ただ一人、教わったことを実践し、処置を行う。


「先生に連絡して。救急車が到着し次第私が同乗する。病院の場所は後で私が先生に連絡するから。とにかくみんなは戻って、私のことは心配要らないから」


 有無を言わせぬ口調。


 天才の誉れをほしいままにする男が、真の天才と称する少年とともにいるからこその態度。誰も必要とせず、誰の助けも無用という決然としたその立ち姿は、一年生のころの鷲崎には決してないものだった。


「わかった。でも、救急車が来るまでは私も一緒にここにいるね」


 そういったのは背の高い彼女。


 大人数で橋の上にいるのも迷惑だと、残れたのはその子と、じゃんけんで勝ち残った二人だけ。


 頭を打っているから、あまり動かせない四方屋を囲うように立って救急車を待った。


「それにしても、こんなところであんな大声で由利亜に告白するとはどうなってんの?」


 雑談の体を装い、背の高い少女は由利亜に問いかけた。


「ああ、うん、何だろうね?」


 言われたほうが言ったほうの気持ちなどわかろうはずもない。


 戸惑いを演出しつつ鷲崎はそういう。


 四方屋本人さえ、目を覚ましたときには自分のしたことを呪うかもしれないあの状況は、鷲崎にはなんとなく予想できていたものだった。それは彼女の経験則。幾度となく告白を受けたからこその人間の行動の機微を読み取った、違和感程度の感覚だった。


「突然だったよね。由利亜ちゃん、この人と前から知り合いだったの?」


 もう一人の女の子がさらに問いかけた。


「一回だけ、学校で掃除で一緒になったかな。四方屋くん一人で掃除してたのを手伝った」


「へえ、そんなことが」


「うん。部活に行く前のタイミングだったかな」


 しゃがみ込んで四方屋の頬を摘む少女は蓼科たてしな真由伊まゆい。教室では四方屋の隣の席に座り、授業を受け、言語以外からっきしな四方屋の勉強のおせっかいを甲斐甲斐しく焼く女の子。


「それで、ゆりあちゃんは四方屋くんになんて返事するの?」


 蓼科は聞く。自分にとっての最重要事項を。


 頬を包むように手を当て、本当に参っているかのように。


「うれしいけど、私には好きな人いるもん、断るよ…」


 初心な乙女。初恋少女。傍から見ればそんな感じ。


 しかし、鷲崎の内心は違う。


 どうしても好きで、でも現状怒りの対象でしかない自分の想い人へ、うらみつらみが爆発しようとしていた。それを押さえる為の両手。


「そ、そう、なんだ……」


 ほっと息を吐く蓼科に、周りの女子陣はニタリと笑う。


 噂と恋バナに飢える女子高生の、今日の餌食になったのは、そんなか弱い女の子だった。




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