編集済
読ませていただきました。
たしかにあのとき、駅に「たかとり」ってあるから「あぁ、鷹取なんやな」ってぐらいしか思えないぐらい、街は焼けたり崩れたりでしたからね…。
実際自分はあのとき上ヶ原にいて被害は少なかったのですが、それでも「生き残った自分」とはなんであるか、生と死は隣合わせで一体何であるか…といったようなものが去来して、でもその時この作品のお父さんのように現場で動いてくれた人があるから、今があるのだなと思いました。
ありがとうございます。
作者からの返信
何だか徐々に記憶が薄くなっていくような気がして、この話を書いたんですが、コメントを拝読していると未だ、あの光景が浮かぶようです。
今はいろいろと考えられますが、地震後、暫くは考えることを避けて、兎に角、生活だけを続けようとしていたように思います。
放心状態だったのかも知れません。
英 蝶眠さんのように取り上げる方がいると、何かは残せます。
父がこのコメントを読むことが出来れば喜んだでしょう。
ありがとうございます。
コメント失礼します。なんだか話には良く聞きますが、実感が無かったのでここでまた読めて良かったです。やっぱり、風化は怖いですねぇ。「しあわせ運べるように」は今でも歌えますが、当時の記憶は殆どありません。僕もいわば後の世代なのでしょうね。お父様の活躍も含め、何かで残していくべきなんだと思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
風化というのは社会の中だけでなく、個人の中にも起こります。
私の記憶も風化していくのを実感していたので、ここに綴りました。
何かを伝えられたなら、そして残せたなら嬉しいです。
生々しい記述でした。
時間を経過した記憶だからこそなのかもしれませんね。
あの震災から少し経って津波と放射能を伴うものが到来し、雨風の被害も幾度もあり、わたしたちの国土はやはり厳しい環境にあるようです。
今後もさらに大きな何かが襲うかと思うと、根拠のない蛮勇が、なぜか湧きます。
そういうのではなく、ちゃんと備えていなければいけませんね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
記憶を少し、伝えられたようで嬉しいです。
ただ、風化というのは恐ろしいもので、もう当地でも地震後に生まれた世代が活躍していますし、私自身の記憶も徐々に薄れていくのを感じます。
環境はそうですね、近年、怪しい方向に向かっているように思います。
備えは行っておきましょう ;)
読ませて頂きありがとうございます。
当時、テレビから流れる映像があまりに衝撃的過ぎて、言葉もなくただ見ているだけでした。記憶の改竄は生存本能のようです。無理して掘り起こすことはありません。必要となった時には浮かぶこともあるかと。
お父上のような方たちがいらっしゃったからこそ、今があるのだと思います。本当に遠くになってしまいましたが、風化させてはいけないことだと肝に銘じなくては。
作者からの返信
優しいお言葉、コメントをありがとうございます。
記憶は改変され、やがて消えていきます。
覚えている限りをこうして残せたことには意義があったかも知れません。
たまに読み返したいと思います。