第6話 盛大な死
異世界農夫を目指して俺は、ただ森を突き進む。
森の中は木々のせいで視界が最悪だった。
しかし、数十分歩いたところで、木々のない場所が見えてきた。
もう森を抜けたかと思い、急ぎ駆けだしてみるが違っていた。
森の中にある開けた場所のようだった。
いわゆるギャップというやつだ。
まだ森の中とはいえ、見通しの良い場所に、出てこられたことに俺は安堵する。
視界の悪い森の中では、常にモンスターに襲われる恐怖に付きまとわれる。
見通しの良いここなら、少しは気を緩めることができそうだ。
(よし、少し休憩することにしよう)
ずっと、一人でモンスターを警戒しながら暗い森の中を進んできたので、さすがに気も滅入っていた。
それに、精神的な疲れだけでなく、肉体的にも疲れを感じていた。
町を出てから、1時間も歩いていないので、普通ならまだまだ疲れはしない距離だ。
それなのに、疲労が溜まっていたのには少しわけがある。
まず、靴だ。
文化祭の練習中に突然、異世界にやって着た俺は、今も勇者役の衣装のままだ。
そのため、その衣装であるロングブーツをずっと履いて歩いてきた。
このロングブーツが歩きにくいことこの上ない。
元々、衣装がロングブーツになったのは、脚本担当の強い要望があったからだった。
しかし、俺はロングブーツなど持っていなかったため、父親のものを借りた。
そのためサイズが全く合っていない。
そんな、履き慣れてもおらず、サイズも合わない靴を半日も履いて入れば、疲れが溜まるのも当然だ。
そして、地形の悪さだ。
森の中とはいえ、整備された林道は存在している。
俺は、その林道をずっと通ってきたわけだが、この森の地面は質が悪い。
雨のせいなのか土地がぬかるんでもいても、体力を奪われた。ただ、それは馬車が通り道の意味合いが強く、人が歩くには重たさもあった。
ただでさえ地形が悪いというのに、地面がぬかるんでもいた。
昨夜、この周辺で雨でも降っていたのだろう。
そうした理由で、足に疲れがたまっていた。
辺りを見渡すと、腰を下ろすのにちょうど良さそうな岩があった。
岩に駆け寄っていたとき——。
「助けてください!!!」
森の奥から、少女の声が聞こえてきた。
(なんだ、一体!)
何事かと思い、声が聞こえてきた方を見ると、木々の中を走っている人物がいることに気づいた。
おそらく、走っているのはさきほど助けを求める声をあげた人物だろう。
ものすごい土煙が上がっており、必死の形相で走っていることが遠くからでも伺えた。
モンスターにでも、遭遇した少女が逃げて回っているのか?
俺は運よく、モンスターに遭遇することはなかったが、あの少女は運悪くモンスターに遭遇してしまったのかもしれない。
その少女は、どんどんこちらに向かってきている。
ドタドタと激しい音が間近に迫ってきて、森の間からのフードを被った少女が飛び出してきた。
少女は、ローブを着ていてそれに付いているフードを被っていた。
そのため顔はよく見えなかった。
狭い木々の中を飛び出した少女は、俺を一瞥すると、途端にこちらへ向かってきた。
このまま、猛スピードで俺に突進してくるつもりか?
俺が身構えていると。
少女は、俺から目の前から数メートル離たれたところで転倒した。
泥濘んだ地面で足を滑らせたようだ。
そして、見事に顔面から地面にダイブした。
ものすごく痛そうだった……。
「だ、大丈夫か?……」
俺は、恐る恐るローブ姿の少女に近寄る。
「……」
反応が無かった。
これは重傷なんじゃないかと心配になる。
どうしよかとてんやわんやしていると——
「痛かったのです。それに、こんな大げさに転んでしまうなんて恥ずかしいです……」
ローブ姿の少女は、割とすんなりと起き上がった。
そして、様子を見る限り、特に怪我を負っているようには見えなかった。
(あんだけ勢いよく転んだってのに、大丈夫なのか??)
普通の人間なら、顔の骨が折れたり、歯が欠けたりしそうなものだったが。
この少女は、そういった様子は全く見られない。
それに、血を一滴も垂らしておらず、まるで何事も無かったかのようにすら思える。
一体どうなってるんだ。
俺が困惑したところで、少女を追っていた何かが追い付いていた。
「やっと、追いつきましたよ」
それは、あまりにもおぞましいバケモノだった。
まず、人ではないし亜人種でもない。
異様な存在というに相応しい者だった。
全身が朱色に染めあがっており、まるで殺戮の血しぶきでも浴びたかのように赤かった。
そして、邪悪な顔。
鋭い牙が生え、瞳は黄色。
頭部には幾重にもねじり曲がった角が生えていた。
そして、黒い翼。
バケモノの背中から生えた蝙蝠のような黒の翼が、悠然と羽ばたいていた。
モルドで村長から、森林に出没するモンスターの話はある程度聞いていたが、こんな特徴のモンスターの話は聞いていない。
モンスターであるとも思えなかった。
元いた世界でこいつ呼ぶとしたら——きっと悪魔だ。
ゲームに出てくる人間を誘惑する邪悪な存在。
そんな2次元でしか見たことのなかった存在が今、目の前にいる。
「お、おい、なんなんだよ、こいつは……」
俺は生まれて初めて恐怖というものを体感していた。
脂汗が止まらなかった。
体が緊張で強張っているのか、力も入らない。
声も上手くさせず、ただ思考を巡らせることしかできない。
それでも、俺が考えれることは自分には、死が待っているということだけだ。
この悪魔に殺される。
そのどうやっても逃れられないだろう未来だけが脳裏に想起させられた。
あとは順番だけだ。
俺か少女かどちらが先かの話だ。
きっと、それ以上は何事でもないんだ。
俺は、異世界に来て、いや生まれて初めての絶望を感じていた。
転生した村では、勇者と奉られておきながらも俺は何の力も持っていなかった。
唯一の力であるツッコミ力だって、きっと何の役にも立ちはしない。
この悪魔を倒すことはできやしないんだ。
俺に魔王討伐なんて無理だったんだ。
そんな中、これまで必死に逃げてきたローブ姿の少女が、縋る様に俺の袖を掴んで言った。
「勇者様ぁ!!助けてください!!この悪魔退治してください!」
それは必死の叫びのようにも聞こえた。
一人で、こんなおぞましいバケモノから逃げ回り、偶然にも勇者然とした者に会えたのだ。
俺が、逆の立場だったらきっと同じようにすがりつくだろう。
しかし、俺は大層な勇者ではない。
確かに、恰好だけは勇者に見えるかもしれない。
小道具の連中のこだわりは徹底されたもので、俺の腰には剣まできちんとついている。
ただ、本物の剣ではなく、段ボールで作られたものでハリボテにすぎない。
俺はただのツッコミ勇者だ。
このバケモノを退治だって?
冗談じゃない。
こんなバケモノに勝てるわけないだろ。
バケモノは、素人の俺にも分かるほど邪悪なオーラが放っている。
きっと、人間が勝てる敵ではないんだ。
まして、俺のステータスは普通の人間より低いものなんだぞ。
ここで、ギルドのお姉さんに笑われた苦い思いが蘇る。
(この少女には悪いが、俺は勇者なんかじゃないんだ)
その様子を見ていた悪魔はレイジをあざ笑いながら言った。
「さっきから貴様は何だァ??なぜここにいる?ワレの邪魔をするというなら、一瞬で消し飛してくれるぞ?」
悪魔は荒い息だった。
これから自身が行うとしている残虐な行為を想像して興奮しているのだろうか。
終わった。
短く儚い異世界生活だった。
俺は、最弱で美少女ハーレムにも獣耳少女にも栄光にも、何もありつけずここで死ぬのだ。
頭の中では、元いた世界の家族や友達の顔が浮かんでいた。
母さん、父さん、姉貴、妹のユカ、親友のアツトやレン、ケンタ、ミサキ、前田、沢口、谷口、岡本先生、近所の原さん……。
これが走馬灯というやつなのだろうか。
でも、それでも。
(最期くらいはカッコよく死にたいな……)
自分の後ろには自分より小さな少女がいる。
俺が殺されたら、きっと彼女もすぐに殺されるだろう。
俺のことを勇者だと勘違いして、希望を見つ出そうとしていたところで、そんな絶望を味合わせたくはない。
なんとか彼女だけでも逃がしたい。
そのために、少しでも俺が時間を稼ぐんだ!
「逃げろ!!!」
後ろに控える彼女に俺は叫んで、悪魔めがけて飛び出した。
「クソッタレ!!」
俺は悪魔に向かって、渾身の右ストレートを叩きこもうと右手大きく振りかぶった。
駆け出した勢いを損なうまいと右脚に力を入れて地面を蹴った。
悪魔までの距離を縮めていく。
(これでも喰らえ!!)
悪魔へ一気に迫ろうとしていたところで。
ツルン。
俺は泥濘んだ地面に足を滑らせ、大きく転倒した。
そして、勢いよく左上半身から地面に着地する。
(んんんっ!!)
とっさに左手で受け身を取るが、痛みで声がでない。
力任せに突っ込んだことがあだとなった。
「いってえええ。クソッ、最期までカッコ悪いな、俺は……」
「何がしたかったんだ?キサマ」
悪魔は、あきれたように言った。
最後に一泡吹かせようと思っていただけに非常に悔しい。
「まあいい。ワレの邪魔をしようとするキサマから消し飛ばしてくれるっ!」
悪魔は俺に標的を絞った。
そして、ものすごい勢いでこちらに向かって、飛び掛かってきた。
数秒後には、きっと俺は消し飛んでしまうだろう。
少女はちゃんと逃げてくれただろうか。
それだけを心残りに、俺は覚悟を決めて目をつぶった。
ツルン。ゴツン。
「ぐわぁぁぁぁぁ」
目をつぶった後に、3つの音が聞こえてきた。
まず何かの滑るような音。
次に、何かと何かがぶつかった激突音。
最後は、悪魔の叫び声だった。
「なんだ?」
一体何が起きたのだろう。
目をつぶっているので、状況が何も分からない。
ただ数十秒経っても、俺は無事だった。
さらに時間が経っても、悪魔に襲われることは無かった。
それ以上に、もう悪魔の気配すら感じられなかった。
何が起こっている?
俺は、状況を確かめるために目を開いた。
そこには、さっきまで俺が座っていた岩の下に倒れている悪魔の姿が映った。
そして、その岩には、血がべっとりと付着している。
悪魔は、ピクリとも動かない。
この状況や、先ほど聞こえた音から推測すると、どうやら悪魔は、足を滑らせ、岩に頭をぶつけたようだった。
「お前も転んだんかい!!!」
俺は心の底から突っ込んだ。
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