フリ
一
橘さんの誕生日が一週間後に迫っている。
なのに俺は、いまだにプレゼントを決めあぐねていた。
ここまで来たら、半ば諦めモードで、夕飯を豪華にするか、ケーキを手作りしてみるとかの、お子ちゃま作戦に切り替えようかと思った。
ハローワークからの帰り、いつも利用しているスーパーへ寄る。メニューを考えながら買い物をしているさなか、ふと思い出したことがあった。
それは、本島さんのあの一件の次の次の日くらい、俺は、話があると警察に呼ばれて、蔦屋敷署へ顔を出した。
そこには、警察署のお偉いさんが数人と、橘さん、警視庁を代表する形で山岸さんが同席していた。
要は、本島さんの事件は、警察の監督不行き届きだから、謝罪したいという場だった。
一通りの話が終わり、俺が席を立つと、送ると言って橘さんも席を立った。そこへ山岸さんがやってきて、橘さんにこう言ったんだ。
「あの話、進めておいてもいいわよね?」
橘さんは少し寂しそうな顔をして、それでも力強く頷いていた。
その言葉の意味が、いまになってわかった。
東京の旅行雑誌の中から出てきたあれ。東京のアパートの物件のコピー。
たぶん橘さんは、警視庁へ戻る打診を受けているんだ。
──東京。
この二文字を思い浮かべると、やっぱり俺は動揺してしまう。
買い物も手につかないほどに。
家へ着いて、エコバッグの中を見てびっくりした。ピーマンの袋が五個もあったから。
とりあえず買ってきたものを整理し、ソファーで一息つく。
「進めておいてもいいわよね?」
もう一度、山岸さんの言葉を巡らす。それから、薄暗がりのここで煙草を吸う背中を思い出した。
橘さんがこっちへ来たのは、ヤクザの神崎と仲良くしてて、それを週刊誌の記事にされそうだったから、そのスキャンダルを回避するために仕方なくのことだった。そして、そんな橘さんの精神的ダメージを心配して、定岡さんは希望し、ともに異動してきた。
結果的に、俺を襲ったその神崎を逮捕して、しかも本島さんという新たな犯罪者も捕らえた。それが汚名返上となって、警視庁へ戻ることが許されてもおかしくない。
ここに残るか、東京へ戻るか。
橘さんは、それを悩んでいるのかもしれない。
もし、俺の存在が障害になっているのなら、少しでも悩みの種になっているなら、きちんと話してほしいと思う。
ただ、俺も迷ってしまうのは、一緒に東京で暮らそうと言われたときだ。
たとえ橘さんと一緒でも、俺は東京で暮らせないと思う。暮らしていける自信がない。
というか、そもそも橘さんは、俺をどうするつもりでいるんだろう。
あんなおちゃらけた人でも、仕事は仕事という考えがあるから、最悪、ここでお別れだというのもあり得る。
こんな田舎に飛ばされても刑事という職を誇りにしているんだから、そりゃあ古巣に戻れるってなったら、万歳三唱ものだ。それが警視庁ともなれば、俺のことなんて二の次にしてもいいと思っているのかもしれない。
もちろん、橘さんがそんな人だとは思いたくない。
けれど、向こうにいるときは、恋人を作ることよりも仕事を優先してきた。こっちで刑事やるのとはわけが違って、あっちでは片手間も余裕がなくなるのかもしれない。
だからきっと、俺の先のことまで考えてくれているんだ。
そう思うことにしたい。
「……」
涙が出そうになった。
こっちでずっと一緒にいたいと叫びたいけど、それはしちゃいけない。でも言いたい。
かっこ悪くても追い縋って、行かないでって言いたい。
だけど、そのかっこ悪いことさえも我慢しなければならない。
橘さんの将来を思うならば。ここに来るまでに歩んできた道を知っているならば。
所詮、俺とは違うところにいた人なんだ。
夜、橘さんが帰宅しても、俺はそのことを口にしなかった。
警視庁への話が本当に出ているのかわからないけど、もしそうだとして、まだ気持ちの整理がついてないし、こればっかりは、橘さんから言ってくれるのを待つしかない。
どんなことを話されても「うん」と言える覚悟を決める時間がほしかった。
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