二
いつの間にか、二人の役割はあべこべになっていた。俺がフライパンを持ち、橘さんがご飯とみそ汁を盛っている。
「ん? なに?」
「山岸さんて、だれ?」
きのう、橘さんに電話をしてきた女のヒト。
「すごく気になってたんだけど、勝手に電話に出ちゃった手前、切り出せなかったんだよね」
「……」
「ただの知り合いっていうのは、松宮センセの一件でわかった。でも、やっぱりちょっと気になる」
なにげない感じを出したくて、手は止めずに訊いた。それでも、語気は若干強くなってしまった気がする。
「そのうち、必ず紹介するから」
橘さんはにっこりと笑って言ったけど、その笑顔がいつもより曇って見えて、俺は頷くことしかできなかった。
本日のバイトも終わり、ロッカールームへ戻った俺は、いつも通りゆったりと着替えていた。行きは晴海さんの車だったけど、帰りは橘さんが迎えにくるはずだから、そんなに急ぐこともない。
バイトへ向かう前、晴海さんにうちへと寄ってもらい、自前の服に替えた。さすがに、あのだぼだぼのまんまで行く勇気はない。
なにやら面倒なことになったと、改めて思う。警察の人に送り迎えをしてもらうなんて、どこの要人だってハナシだ。
とはいえ、あいつらが捕まるまでのガマン。きっと、あと二、三日の辛抱だ。
事務所を出ると、辺りにはいつもの闇が広がっていた。
店の裏にもある駐車場に一台の車が止まっている。
こっちに鼻先を向け、煌々と灯りを焚く車内には、昼間にも会った姿が……。
俺に気づくと、パワーウインドウを下げた。
「お疲れさまです。こんばんは」
晴海さんだった。
橘さんと同じ、蔦屋敷署の刑事課強行盗犯係に所属している、晴海喬也(はるみきょうや)刑事。年が近そうだと、俺は勝手に思っていたけど、じつは橘さんのーコ下の二十七才で、意外と年上だった。
俺は、運転席の窓からひょっこり出てきた顔に会釈して、後部座席のドアを開けた。橘さんはどうしたのかと思いながら、シートに収まる。
「あの、だいぶ待ったんじゃないですか?」
「そうでもないですよ」
車内灯を消し、こっちを振り返った晴海さんは、眼鏡の向こうの瞳を細めた。それから、無線機のマイクになにかを告げ、カーナビにも視線をやって、車を出した。
「ところで橘さんは……」
無線機のスピーカーは助手席のほうにあるのか、俺の前で、ときどきノイズ混じりの声がした。
カーナビはオーディオの上にあって、この近辺だろう地図と、その上を行く、いくつかの印が映っていた。
昼間も晴海さんに乗せてもらったけど、そのときは普通の車だった。ということは、さっきのはマイカーで、これは警察の車なのかもしれない。
「いま、橘さんは人と会っていて、まだ手が離せないということなんで、俺が代わりに」
「あー……」
たしか、朝もそんなこと言ってたっけ。
夜になっても終わらないなんて、一体なんなんだろう。俺の事件関係の人だろうか。
「真中さん、すみません」
「え?」
「橘さんじゃなくて」
バックミラーで合った目が、困ったふうな笑みを浮かべている。
俺は前のめりになって、大げさに手を振ってみせた。
「いいえ。ぜんぜんっ」
すぐにシートへ沈んで、顔を両手で覆った。
そんなつもりはなかったんだけど、もしかすると、ものすごくがっかりした顔をしていたのかもしれない。
それから、しばらく気まずい空気が流れた。
そのまま橘さんのマンションまで行くかと思われたが、途中であることに気づいた。
「あ、あの……晴海さん」
「ん?」
「ここまで来ておいて、本当に本当に申しわけないんですが、いまからまたうちに寄ってもらえませんか」
橘さんのところでお世話になるなら、何日かぶんの着替えが必要だった。
本当は昼に寄ったとき、荷物をまとめて、邪魔でも持っていくつもりだった。でも、迎えは橘さんが来ると思っていたから、そのときでいいやと片づけてしまっていた。
手を合わせ、矢継ぎ早にそのことを伝えると、晴海さんはすぐにUターンをしてくれた。イヤな顔ひとつしないで、大丈夫だとも言ってくれる。
その、対向車線へ移るときの見事なハンドルさばきったら。コンビニを出るときや、信号での停発車も、そういえばすごく滑らかだった。
「まるでハイヤーみたい」
俺は感じたままを口にしてみて、警察官に向けていい言葉じゃなかったと、はっとなった。慌てて頭を下げる。
すると、運転席の背中がくすっと笑った。
「もともと俺は、警らが主な仕事のところにいたから」
「……けいら?」
「まあ、見回り担当ってやつですか」
交通課の機動警ら係。所轄管内の道路を回って、不審車両や不審者に職務質問したり、事件の初動捜査にあたったりするんだそう。
「なので、まずは徹底的に運転技術を叩き込まれるんですよ」
「へえー……。それって、やっぱりいまの刑事さんとは違う感じなんですか?」
「まったく違いますよ」
と、また晴海さんは小さく笑った。
警察の詳しいことは、俺はぜんぜんわからないから、警察官イコール、ドラマの刑事みたいに思っていた。でも、中には地味に活躍している人たちもいるんだ。
……ていうか。あの人だけが、いちいち派手すぎるってのもあるかもしれない。
「なんで移っちゃったんですか?」
「単純に、刑事課の人員不足で。刑事課は、外勤に加えて内勤も多いから、結構ハードワークなんですよ。それで配属希望者も少なくて」
「かなりウザい先輩もいちゃったりしますしね」
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