二
無理やり乗せられたジェットコースターみたいに、わけのわからない興奮のまましごいて、あっという間に達してしまった。
俺は、橘さんのシャツとジーンズに顔を埋め、荒い息を吐き出した。
熱が冷めると、いつになく落差の激しい自己嫌悪が襲ってきた。
快感なんて、頂点を極めそうなときがピークで、余韻もへったくれもない。
橘さんのことを考えてマスかいたわけじゃない。あくまで、あのAVを思い出しただけだ。
ましてや女のほうに……だなんて、どうかしてるとしか思えない。
しばらくその場に沈んでいたけど、気だるい下半身を引きずるようにして、俺は風呂場へと向かった。
「真中さん、おはようございます」
次の日、朝ご飯を食べたあとに歯を磨いていたら、部屋の呼び鈴が鳴った。
橘さんかと思い、慌てて口をゆすいで髪を直し、ドアを開けたけど、そこに立っていたのは、艶やかな黒髪の美形だった。
眼鏡をかけていて、爽やかな笑顔全開だ。
「は?」
橘さんじゃなかったことと、見知らぬ訪問者を不審に思う目つきとで、俺の顔はかなりなものになっていたと思う。
それに気づいたらしい向こうが、申し訳なさそうに頭を下げた。
「朝早くからすみません。蔦屋敷署の晴海です」
「……ハルミ?」
ありとあらゆる引き出しを開けまくり、俺は、橘さんがいる警察署の若い刑事を思い出した。ついで、家まで送ってもらったことも思い出した。
「お、おはようございます……」
「もしかして、まだお休みでしたか?」
晴海さんは、腕時計へ視線を落とした。その手には、紙袋と傘。
それに目がいった俺は小首を傾げた。
「いえ、起きてたんですけど……」
「ですよね。もう十時近いですし」
「まあ……。ていうか、きょうは一体?」
「ああ──」
晴海さんは俺の目線に気づき、紙袋から黒いかたまりを出した。
よく見れば、きれいにたたまれた俺の服で、ご丁寧にアイロンまでしてあった。
タンスの肥やしになっていたものだから、そんなに立派にしてもらって、逆に恥ずかしい気もした。
「真中さんへ返してほしいと橘さんから預かってきたものです。ついでに自分の服も、と」
「なんで──」
自分で来ないんだよ。
口には出さなかったけど、まなざしには込めていたみたいで、晴海さんが慌ててフォローする。
「橘さん、じつは三日前から定岡さんと東京へ出張に行ってまして……」
「東京?」
「本当はすぐお届けに上がるつもりだったんですが、俺もいろいろと忙しかったもので」
俺は、「わざわざすみません」と頭を下げ、自分の服を受け取った。リビングへ行って、座卓の上に置いといた服と交換した。
「これが橘さんのです」
「ありがとうございます」
あのシャツとジーンズが紙袋へしまわれるのを目にしながら、俺はぼんやりと橘さんのことを考えていた。
「……その出張って、いつぐらいまでなんですか?」
「あしたには帰ってくると思いますが」
「あした……。もしかしてあれですか? あの事件関係」
「あの事件?」
「ほら、なんていう人でしたっけ。逃走した放火犯。東京で」
終始にこやかだった晴海さんが、わずかに表情を強ばらせた。
でも、そうなるのも当たり前かもしれない。店長じゃないけど、あの放火犯がなかなか捕まらないのは、やっぱり警察の責任なんだ。
年が近そうな晴海さんだから、俺のまなざしにも同情の熱がこもる。
晴海さんの手にある傘と、晴れやかな空を見やり、俺は言葉をつなげた。
「そのニュースを見て、橘さんは慌てて帰ったから、すごく大変なことが起こったのかなって。みなさん、ほんと大変ですよね」
「……まあ」
晴海さんは曖昧な感じで答えると、俺に頭を下げ、背を向けた。
「じゃあ、俺はこれで」
「あの」
とっさにその腕を掴んだ。
「はい?」
「いや、大したことじゃないんですけど、きょうは晴れてるのに、なんで傘を持ってんのかなと」
ああと、体を返した晴海さんは、この傘は署のものだと言った。
よく見ると、警察署の名前と電話番号が柄につけられてあった。
「店の軒先で雨宿りをしていたお婆さんに橘さんが貸したらしく、その方から連絡をいただいていたんで、ついでに取りに伺ったんですよ」
そのとき、髪をびしょびしょにして駆けてくる橘さんの姿が、俺の頭に浮かんだ。
咎めたら、他人事みたいにはにかんで、しかし寒そうに震えていた。
「真中さんのところへ行く途中のことだったらしいですよ。橘さん、そんな話してなかったですか」
俺は首を横に振った。
晴海さんが帰ったあとも、玄関からしばらく動けなかった。
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