二
白衣の下のほうはボタンが留められてなくて、そこから短いスカートが覗き、細く長い足も露わになっていた。
「ま、真中です」
「下は?」
「ゆう、です」
「どう書くの?」
「にんべんに右で……」
「ああ──」
松宮さんは、空で人差し指を動かすしぐさをした。
それにしてもすごくいい匂いがする。さしずめオトナ女子の香りというやつか。
それに癒やされながら俺は、軽くカウンセリングを受けた。
内容はほとんど頭に入ってこなかったけど、かなりハッピーな時間をすごせた。それだけでも、カウンセリングの意味はあった気がする。
「──真中さん? 帰りはどうしますか」
久しぶりなことに、しばらく心ここにあらずだった俺は、そんな晴海さんの声で我に返った。
「あ。……え?」
「よければ、俺がお宅までお送りしますけど」
松宮さんはすでにいなくなっていた。残り香だけが、虚しく漂っている。
「いや。そんなに遠くもないんで」
「もう夜も遅いですし。これからちょっと出るんで、ついでだから送りますよ」
そこまで言われたら、断るのも逆に悪い気がして、お願いしますと頭を下げた。
会議室を出て、階段にさしかかったところで、ふと橘さんのことがよぎった。ぴたっと足を止める。
そういえば、さっき会議室にいたときはパフェグラスしか持っていなかった。ということは、スパゲッティの皿はどこへ置いてきたんだろう。
「つうか、そんなことどうでもいいし!」
「真中さん?」
踊り場から残りの階段へと足を出していた晴海さんが、訝しげに顔を上げた。
俺は、開いていた距離を慌てて縮め、まだまだ人の絶えない警察署のエントランスを出た。
俺の頭は、どうしてそっちばかりへ行くんだろう。
松宮という女医さんのことを最初は考えていた。
それなのに、気がつくと、あの刑事さんの奇行ばかりを思い出している。
ファミレスでは終始、恥ずかしくて仕方がなかった。挙げ句には食器ごと料理を持ち帰った。
俺は思わず、持っていたホウキでコンクリートを叩いた。ことあるごとによぎる顔をそこへ写して、足で踏みつけてやった。
ほんと、なにがケーサツだ。なにがデカだ。
「なにが橘憲吾だ!」
そう叫んだところで、車のクラクションが聞こえた。
コンビニの駐車場に、場違いとも思える真っ赤なポルシェが入ってきた。
「こんにちは」
と、ポルシェの運転席から颯爽と降りてきたのは、ウワサの松宮さんだった。
さすがに白衣は着けていない。
淡いグレーのスーツが医者らしいインテリな雰囲気を出していて、ストイックにキマっていた。
「お仕事中、ごめんなさいね」
「いえいえ」
俺は嬉しさを抑えるのに必死で、顔の前でやたら手を振りながら答えた。
「あれから、どう?」
「どう……って」
「とくに変わりはない?」
個人的に会いに来てくれたのかとちょっぴり期待してみたけど、やっぱり違ったみたいだ。
とはいえ、この人からもらった名刺を家の棚にしまったままで、メルアドのことも俺はすっかり忘れていた。
「ぜんぜん大丈夫なんで、課長さんにもそう伝えといてもらえますか。そんなに気にしないでくださいって」
「わかったわ。……それと」
松宮さんは目を伏せ、上着のポケットに手を入れた。そこから取り出したなにかを俺に見せる。
メモ紙だった。しかし、明らかにノートの切れ端だとわかるいびつな形。
「きょうは検案書のことで呼ばれたんだけど、刑事課にも寄ったら、これをあなたに渡してほしいって頼まれたの。高木課長から、真中くんの様子見を一度はしてほしいとも言われていたし」
「俺に……?」
受け取ったメモ紙には、携帯のものらしい電話番号が書かれてあった。めちゃくちゃ汚い字で。
「だれの番号ですか?」
「もちろん、橘くんの」
「もちろん……って」
「なにかあったらいつでも駆けつけますってことじゃない?」
俺は眉をひそめ、その番号を見つめた。
刑事とは、こんなふうに個人活動もするものなのかと、ちょっと首を傾げた。
でも、松宮さんには突き返せなくて、メモをくしゃくしゃにしてジーンズのポケットに押し込んだ。
「ほら、あなたが警察署に連れてこられたとき、橘くんと定岡さんが高木課長に呼ばれてたでしょ?」
「はあ……」
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