白衣の下のほうはボタンが留められてなくて、そこから短いスカートが覗き、細く長い足も露わになっていた。


「ま、真中です」

「下は?」

「ゆう、です」

「どう書くの?」

「にんべんに右で……」

「ああ──」


 松宮さんは、空で人差し指を動かすしぐさをした。

 それにしてもすごくいい匂いがする。さしずめオトナ女子の香りというやつか。

 それに癒やされながら俺は、軽くカウンセリングを受けた。

 内容はほとんど頭に入ってこなかったけど、かなりハッピーな時間をすごせた。それだけでも、カウンセリングの意味はあった気がする。


「──真中さん? 帰りはどうしますか」


 久しぶりなことに、しばらく心ここにあらずだった俺は、そんな晴海さんの声で我に返った。


「あ。……え?」

「よければ、俺がお宅までお送りしますけど」


 松宮さんはすでにいなくなっていた。残り香だけが、虚しく漂っている。


「いや。そんなに遠くもないんで」

「もう夜も遅いですし。これからちょっと出るんで、ついでだから送りますよ」


 そこまで言われたら、断るのも逆に悪い気がして、お願いしますと頭を下げた。

 会議室を出て、階段にさしかかったところで、ふと橘さんのことがよぎった。ぴたっと足を止める。

 そういえば、さっき会議室にいたときはパフェグラスしか持っていなかった。ということは、スパゲッティの皿はどこへ置いてきたんだろう。


「つうか、そんなことどうでもいいし!」

「真中さん?」


 踊り場から残りの階段へと足を出していた晴海さんが、訝しげに顔を上げた。

 俺は、開いていた距離を慌てて縮め、まだまだ人の絶えない警察署のエントランスを出た。





 俺の頭は、どうしてそっちばかりへ行くんだろう。

 松宮という女医さんのことを最初は考えていた。

 それなのに、気がつくと、あの刑事さんの奇行ばかりを思い出している。

 ファミレスでは終始、恥ずかしくて仕方がなかった。挙げ句には食器ごと料理を持ち帰った。

 俺は思わず、持っていたホウキでコンクリートを叩いた。ことあるごとによぎる顔をそこへ写して、足で踏みつけてやった。

 ほんと、なにがケーサツだ。なにがデカだ。


「なにが橘憲吾だ!」


 そう叫んだところで、車のクラクションが聞こえた。

 コンビニの駐車場に、場違いとも思える真っ赤なポルシェが入ってきた。


「こんにちは」


 と、ポルシェの運転席から颯爽と降りてきたのは、ウワサの松宮さんだった。

 さすがに白衣は着けていない。

 淡いグレーのスーツが医者らしいインテリな雰囲気を出していて、ストイックにキマっていた。


「お仕事中、ごめんなさいね」

「いえいえ」


 俺は嬉しさを抑えるのに必死で、顔の前でやたら手を振りながら答えた。


「あれから、どう?」

「どう……って」

「とくに変わりはない?」


 個人的に会いに来てくれたのかとちょっぴり期待してみたけど、やっぱり違ったみたいだ。

 とはいえ、この人からもらった名刺を家の棚にしまったままで、メルアドのことも俺はすっかり忘れていた。


「ぜんぜん大丈夫なんで、課長さんにもそう伝えといてもらえますか。そんなに気にしないでくださいって」

「わかったわ。……それと」


 松宮さんは目を伏せ、上着のポケットに手を入れた。そこから取り出したなにかを俺に見せる。

 メモ紙だった。しかし、明らかにノートの切れ端だとわかるいびつな形。


「きょうは検案書のことで呼ばれたんだけど、刑事課にも寄ったら、これをあなたに渡してほしいって頼まれたの。高木課長から、真中くんの様子見を一度はしてほしいとも言われていたし」

「俺に……?」


 受け取ったメモ紙には、携帯のものらしい電話番号が書かれてあった。めちゃくちゃ汚い字で。


「だれの番号ですか?」

「もちろん、橘くんの」

「もちろん……って」

「なにかあったらいつでも駆けつけますってことじゃない?」


 俺は眉をひそめ、その番号を見つめた。

 刑事とは、こんなふうに個人活動もするものなのかと、ちょっと首を傾げた。

 でも、松宮さんには突き返せなくて、メモをくしゃくしゃにしてジーンズのポケットに押し込んだ。


「ほら、あなたが警察署に連れてこられたとき、橘くんと定岡さんが高木課長に呼ばれてたでしょ?」

「はあ……」

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