四度目は来なかった

史朗十肋 平八

四度目は来なかった



 朱の盃に満たされたのは、盃が如何に美しいか伝わる程に澄んだ色なきそれであり

 余りにも魅力的な香りをしていた。


――甘く等はない、されども嗚呼、これを口にすれば、

――まこと、幸福に浸れるほどに美味たるとわかる。


「サァゝ、グイとゆくが良いぞ」


 ぐるりと円を描き、酒宴を行うそこに私もまた座り盃を手にしている。

 さて、この盃は誰に注がれたものだったか?


 首を傾げる私に"それは美味いぞ”と勧める声がする。


「そんなに良いのなら、兄弟に飲ませたいなぁ」

 そう口にすると黙り込み。


 暫しの沈黙の後、酒宴は消え去った。

 自身が座っていた青草の生えた地面も、わずかな行燈の灯りに照らされ賑やかだった光景もすぅ、となくなり。


 目の前にはよく知る天井。

 ―――嗚呼、夢か


  ―― 二度目である。

 

 何かもしれぬ酒宴に参加し、盃を勧められるだけの夢。

 ただ、勧められる盃はあまりにも美しい朱の盃で、口を付けずに近づけたその中身が、何とも甘美に己を誘うのだ。


 宴の理由は知れぬとも、周囲に在る方々が鬼であるとは知れている。

 姿がぼんやりと、照らされているのだ。

 逞しい体に、その角。


――嗚呼、恐ろしい、嗚呼、美しい

 毎度そう思いながらも、快く誘われては酒宴の一角に座り盃を勧められる。


 【飲んではならぬ】


 分かるのはそれだけ。

 飲めば戻れない、だからそれを飲んではいけないのだ。


 それでも、何とも甘美な香りのするそれを舐めるだけでもと、良く思った。



 砂利に座布団のように簡素な茣蓙を敷き、今宵もまた私の分も用意してくれている。

 ありがとう、そういうと。

「なぁに、客人畏きは良き事、来いゝ楽しいぞ」

 座した私の手には盃、嗚呼この中身はなんだろう。

「上手いぞぉ、良い酒だ。まっこと良いものだ」


「そんなに良いのなら、兄弟に飲ませたいなぁ」



 どんっ、と一人が酒瓶を地面に置いた。

 それを私の傍に回す方もいる。

 これを土産にというのだ。


 ―――嗚呼、成程、今宵こそはというわけか。

「嗚呼、良き香…、これは何で出来ているのか?」

 問えども酒瓶を置いたものは不機嫌そうなまま、皆様子を伺っている。


 飲みたい、口にしたい、嗚呼この緊張から解放されたい?


 否、否、そんなことよりもこの盃もその中身も欲しいのだ。

 私は、これを勧められるがままに飲みたいのだ。

 これで三度目だ。


 何故、人の現に帰る為に堪えねばならぬのだ!!


 口につけた盃を一気に傾けた。








 一切の口を開かずに傾けた盃は、私の胸を濡らすだけで何一つ口にはできなかった。








 これは守らねばならない、境界を超える覚悟を未だ私はないのだ。


「嗚呼、すまない…緊張のあまり零してしまった...杯は、初めてでな」


 そう言うと酒宴の鬼らは大層笑いながら、良いぞゝと繰り返し。

 すぅと消えてしまった。



 目にしたのはいつも通りの己の寝床。

 夢から覚めた私の部屋。


「…唇についた酒もまた美味だった。」

 ―――嗚呼、せめて舐めておけば…


 そう思って、乾ききった唇を舐めて盃を持っていた手を見る。






 次に、夢見たならば、あの酒を飲んでしまおう。







 史朗十陸 平八

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四度目は来なかった 史朗十肋 平八 @heihati46106

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