第86話 「じーじっ!!」

 〇二階堂 環


「じーじっ!!」


 新しい二階堂本家の庭に、明るい声が響いた。


「リズ、久しぶり。元気だったか?」


 しゃがんで両手を広げると、駆けて来た笑顔は大きく飛び跳ねて。


「元気あったよー!!」


 俺の腕の中に飛び込んだ。


「ばーばの所にも来てくれる?」


 振り返ると、いつの間にか背後にいた織が。

『早く』と言わんばかりに両手を出した。


「今抱っこしたばかりなのに…」


 渋々と織の腕にリズを託す。


「リズちゃん、ちょっと見ない間に大きくなったわね。」


「大きくあったよ~。」


「ふふっ。可愛い。今日は何して遊ぶ?」


「しゅなば~。」


「砂場ね。」


 リズを抱えたまま、庭の隅にある砂場に向かう織。

 その背中を見つめながら、誰にも気付かれないような小さな溜息を飲み込む。



 二階堂は…


 一度は警察庁に吸収される話が上っていたが、一条との一件を国が評価して。

 内務省特別高等警保局という位置に落ち着いた。

 秘密組織ではなくなっても、国家機密を扱う任務もあるがゆえ…影である事を求められる面もある。



「すっかり公園状態…って、昔は我が家にもあったから笑えないけど。」


 そう言って首をすくめたのは…さくらさん。


「…気配を消して来るのはやめて下さい。心臓に悪いです。」


「あれっ。消してなかったと思うけどなあ。」



 この敷地が空っぽになった日。

 俺は、さくらさんの記憶を消した。

 だけどそれは…


 昔の、あの記憶だ。

 さくらさんが、一人でテロストを片付けた…あの、記憶だけ。


 もちろん関係者や身内全員に、緘口令を敷いた。


 先代からは、さくらさんの中から二階堂の全てを消すように指示されたが、さくらさんの孫である咲華さんが海の妻である事。

 さくらさんの娘である麗ちゃんが、織と双子の陸坊ちゃんの妻である事。


 さくらさんと二階堂は、切っても切れない縁がある。

 それにー…



「一昨日くれたデータ。めちゃくちゃ興味深かった。」


「でしょう?さくらさんなら、食いつくと思いました。」


「あれ、誰が作ったの?」


「シチリア島にいる双子です。」


「あ~、だからか~。慈善事業とどっちが本職?ってぐらい、三枝ツインズはキレてるよね。」



 さくらさんは、二階堂にとって…いや、世界を守るために必要な存在だ。


 ビートランドの社長、里中氏と。

 さくらさんの身内にだけは了承してもらい…

 彼女はビートランドの会長の傍ら、警保局の特別顧問として二階堂に籍を置いてもらっている。



「それにしても…」


 縁側に座った途端、さくらさんが唇を尖らせながら溜息を吐いた。


「…その続き、もう何度目でしょうね。」


「だぁって…」


 さくらさんの溜息の理由は…志麻と泉の事だ。



 志麻と泉がSSに行って、半年が過ぎた頃。

 歳三が言いにくそうに打ち明けた。



「…SSに行ったら…記憶を消されるんです。だから…顔を変えた泉とどこかで会ったとしても…お互い気付く事なんてない…」


 その言葉を聞いた時。

『そうか』と平静を保ったフリをしたが…内心、酷く落ち込んだ。


 それは、志麻と泉はどこかで共に戦っていて。

 二階堂の事もどこからか見守ってくれているのではないか。と、淡い期待を持っていたらしい織も同じで。

 俺達は口にはしなくても…自然と泉の名前を出さなくなった。



 …歳三は、他にも打ち明けてくれた。



 ニューヨークで二階堂のホテルが襲撃された時。

 歳三は志麻から指示を受けた、と。



「もうすぐ一条のヘリが来る。ここは攻撃される。泉にまやかしを使って、ケガをしたと思わせろ。」


「…は?」


「その間に…俺は泉の記憶の中から俺を消す。」


「……なんで。」


「泉をSSに行かせたくない。俺が行ったと知ると、泉も責任を感じて来るだろう。だけど、知らない誰かが行ったなら…泉は志願しない。」


「…どうしてそう言い切れる?」


「泉は…」


「……」


「家族が…二階堂が大好きだから。」



 やがて一条のヘリが来て。

 最初の一基には薫平が乗っていなかったため、加減の無い攻撃に志麻と歳三は思いの外大きなケガを負ってしまった。

 だが、それでもその後、歳三が戦えるほどだったのは。

 志麻が…身を挺して、歳三と泉を守ってくれたからだそうだ。



「記憶を消されてても、みんなの事を忘れてても…泉ちゃんと志麻さんが元気で、実はバディとして動いてる…なんて事があれば嬉しいな…」


 空を見上げて、さくらさんがつぶやいた。



 この人もまた…あの事件では裏で色々と動いてくれた。


 志麻に『紅はホテルの最上階にいる』と伝えた事で、一条に二階堂のホテルを襲撃させた。

 他が狙われるより、被害は格段に少ない。

 そして、その情報を漏れやすくした事で…三枝兄弟が二階堂のホテルに現れた。



「三枝兄弟とは、いつから連携を?」


 素朴な疑問として、世間話のような口調で問いかける。


「連携って言うか…あの日ホテルの前でバッタリ出会っちゃったの。」


「え?」


「だから、色々お願いしたんだ。紅ちゃんは絶対無事だから、二階堂のホテルの最上階で待機して欲しいって。」


「…そんなやりとりが…」


「でも、あそこで志麻さんにも何かお願いされたんだと思う。」


「志麻に?」


「だって…あたしが聞いた志麻さんの作戦とは全然違ったから。」


「……」


 それはどんな物だったのか。

 聞きたい気もしたが、やめた。


「…万里達と反省会をしたそうですね。」


 少し笑いながら言うと、さくらさんはバッと身体を俺に向けて。


「そうなの!!あたし達、すっっっっ…かり騙されたから!!」


 眉間に深くしわを刻んだ。


「今回は何とかなったけど、こんな行き当たりばったり…神経がすり減っちゃう。」


 さくらさんと万里は、今回の一条 おさむ…紅の長兄によるテロを。

『屈辱でしかない』と言い続けている。


 二階堂が一つになって臨んだあの事件。

 確かに褒められたものではない事も多かったが…世界は救われた。

 その結果があった事と、使われた武器の精度の高さ。

 あれだけの規模のテロに、命を落としたのが二人だけだったのが評価されての今だ。


 命を落とした二人。

 一人は、一条 統で。

 もう一人は…歳三の言った通り。

 坂本さんだった。

 森魚の父親だ。


 俺と坂本さんを引き合わせたのは甲斐さんだった。

 あの甲斐さんが、カルロだったのか…おさむだったのか。

 それらは統が死んだ事で、分からずじまいだが。

 シチリア島にいる万里達が、一条の生き残りに聞き取りをしているそうで。

 もしかすると、いつか。

 全貌が明らかになる日は来る…のかもしれない。



「あーっ、ほんと…思い出すと悔しいっ。」


 ぷう。と頬を膨らませるさくらさん。

 全く…この人は歳を取らない。


「あなたはいつまでも青春真っ只中みたいな人ですね。」


 言いながら、つい笑ってしまう。


「なっ…何それ。あたし、もう曾孫もいるんだけど…っ。」


「いや、関係ないでしょう。」


「なっな…何の事かなあ?」


 ん?

 今までになく、頬を染めるさくらさん。

 これはー…?


「どうして赤く?」


「えっ…あ…ああ赤くなんて…」


「……」


 両手で頬を押さえるさくらさんを見て。

 俺は…なぜか少しだけ、志麻と泉に対する寂しさが和らぐ気がした。



 生きていると、出会いと別れは常。


 どんな苦境に立たされたとしても…

 誰かを守りたい、大切にしたいと思う気持ちは忘れずにいたい。



「それはそうと…環さん。溜息、飲み込むのは良くないと思う。」


「えっ。」


「吐き出していいんだよ。あたしは環さんが寂しがってる姿、人間らしくてすごく好き。」


「……」


 呆気に取られて、さくらさんを見つめる。


 …どこから見られてたんだ?


「…バレてましたか。」


「だって一日おきに来てるのに、リズちゃんに数ヶ月ぶりに会うみたいな顔するんだもん。」


 そう言われて、先程の自分と織を思い返す。



『久しぶり。元気だったか?』


『ちょっと見ない間に大きくなったわね』



「…あれはー…普通に挨拶を…」


 そうじゃない。と気付いて、赤くなった気がする。

 そして、さーっと青くもなった。

 俺達は二人とも…思ったよりも重症だ。


 さくらさんは、そんな俺の肩をバンバン叩いて。


「いいのいいの。寂しい時は寂しい。悲しい時は悲しい。あたしだって、色んな場面で周りのみんなに助けてもらったもの。」


「……」


「今の環さんと織ちゃんの課題は、人に寄り掛かる事よ。」


「…本当に、そうですね…」


 本音は…織にも漏らしてないが、きっと気付かれてはいる。

 泉がSSに行った事もそうだし、SSで記憶を消されている事。

 万里と紅が二階堂を離れた事も、甲斐さんが偽者だった事も…

 何もかも。


 二階堂 環として受け止めなくてはならない事、以前ならそう出来ていたはずの事が…今は出来ていない。


 先代から、休養をと言われ…このありさま。


 情けない。



「じゃ、ここで…サプライズ。」


 さくらさんはそう言ったかと思うと。

 庭の真ん中に立って。


「今日、十二代目が帰って来まーす!!」


 敷地内に響き渡るほどの声で叫んだ。


「えっ。」


「えーっ!?」


「坊が!?」


 その発表に、道場や離れにいた面々が顔を出し。

 砂場にいた織とリズ、俺も立ち上がった。


かずが帰って来るんですか?」


 織がリズを抱えて走って来た。


「うん。さっき海さんから連絡あった。真っ先にここに帰るからって。」


 秘密組織ではなくなったが、特別な組織であることには変わりない二階堂。

 海の長男、かずは…生後半年で、特別な施設に入れられた。

 桐生院家では反対の声も上がったが、俺達より先に覚悟を決めていたサクちゃんが説得した。



「桐生院にも知らせるね。今夜は宴会かな~。」


 さくらさんの上目遣いに、俺は…


「浩也さん、十二代目が帰って来ます。お披露目の準備を。」


『おおっ、すぐに取り掛かります!!』


界人かいと、十二代目が帰る。誉人よひとと手分けして、宴の準備を。」


『ラジャ!!』


 すぐに指示を出した。

 そして。


「千里君、かずが帰って来る。早く来ないと抱く順が回って来ないぞ。」


 今ではすっかり飲み仲間となった、神 千里。


『何言ってんだ!!すぐ行くから誰にも見せるな!!』


 神君の大声が聞こえたのか。

 リズが俺の足元でジャンプする。


「ふふっ。孫の力って絶大♡」


 織と並んださくらさんが笑う。


「リズ、和が帰って来るぞ。門前で待とうか。」


「じーじとまちゅよ~。」


「あら、ばーばも仲間に入れて?」


「さくらさんも…と言いたい所ですが、ずっと道場から熱い視線が送られて来てるので、少しでも相手をしてやって下さい。」


 リズを抱えて、さくらさんに笑いかける。

 そこには、あの一件以来、さくらさんを師と仰ぐ歳三と総司がいて。

 先程からずっと、チラチラとこちらを伺っている。


「もうっ。もっと若い人に相手してもらえばいいのに…」


 そう言いながらも道場に向かうさくらさん。


「和を抱っこする順番、あたしも入れておいてね~。」


「もちろんです。」


「環!!十二代目が帰ったって!?」


「織ちゃん!!十二代目はどこ!?どこどこ!?」


 沙耶と舞がけたたましく現れて。


「ぴしゅー。」


 リズに指を刺された。


「あたっ!!」


「ううっ!!」


 見えない魔法でやられた二人に、リズは大喜び。


「リズ嬢がいると、ここが満開な気持ちになりますよ。」


 沙耶が胸に手を当てて言いながら、リズの顔をのぞきこんだ。


 …確かにそうだ。

 胸も温かくなるが…この、何もない庭も色づいて見える。


「…リズちゃん、ありがとう。」


 織がリズと額を合わせる。

 その愛しい光景に目を細めていると…車が静かに止まった。


 ガラにもなく、ドキドキした。

 車から降りて来るのは、息子夫婦とその子供。

 そして…


 この家族が。


 今後、二階堂を世界最強の組織に変えていくとは。




 どの世界でも予想されていなかった。

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