第72話 目の前に現れた人物に、紅は戸惑った。

 〇高津万里


 目の前に現れた人物に、こうは戸惑った。

 その様子だけで、もう…記憶が戻っている事が分かる。

 しかし、自分が殺人兵器だった頃の記憶が戻っても…生きていてくれた。

 それだけで十分だ。



「…今、日本にいる偽者の甲斐さんは…」


「……」


 俺を見つめる紅。

 入口に立っている二人も、そうだ。

 俺は三人からの視線を受けながら、そっと目を伏せる。


「…偽者の甲斐さんは…俺の父親だ…」


「え…っ…?」


 紅から小さな驚きの声が漏れた。


 …驚くのも仕方はない。

 俺だって、知った時は驚いたし…信じられなかった。


 

 俺が二階堂に連れて来られたのは…いくつの時だったのだろう。

 ほとんどの者が孤児。

 それは、両親共に二階堂で…まだ当時は殉職が珍しくなかったと聞いた。

 中には、手放す事が尽力に繋がると考える親もいたらしい。


 親の顔も知らず二階堂に入るのが常。だった頃。

 物心ついた時には、たまき沙耶さやと一緒にいた気がする。

 だが、二人が話している思い出が自分の物と一致しないたび、疑念が湧いた。


 自分はー…何者なんだろう?と。


 

 自力で調べるには限界があった。

 本部に忍び込むのは簡単だったと思うが、そうなかったのは…俺は他の人間より、かしらや幹部の人達に目をかけてもらっていると自負していたからだ。


 俺が何か思い悩んでいると察してくれたのは、甲斐さんで。

 自分の生い立ちに釈然としない事を正直に告げると。


万里まり。おまえの両親は、二階堂ではない。」


 甲斐さんは、誰もいない二階堂の道場の真ん中で。

 俺と向かい合って、そう言った。


 18歳の夏だった。



「…二階堂では…ない…?」


 覚悟はしていたものの、ショックを受けた。

 俺は二階堂に尽力したい。

 口に出さなくとも、誰よりもその気持ちは強いはずだった。


 そんな俺に甲斐さんが告げたのは…


 俺の父親がカルロという名前で、イタリアの特別高等警察…つまり二階堂と同じ組織にいた事。

 自分の家族をシチリア島のマフィアグループに惨殺され、復讐のためマフィアグループに潜り込んだ事。

 作戦のため近付いたボスの一人娘、カーラと恋に落ちた事。

 そして、俺が生まれた事。



「……」


 俺は、わけもなく自分の両手を見つめた。


 初めて両親の名前を知り、ほんの少し…胸に火が灯るような思いだった。

 それが何者であっても。


 今まで、知る事はないと思っていた自分のルーツ。

 全てを知りたいと思う俺を前に、甲斐さんはそれからしばらく沈黙した。


 道場の外で、セミが鳴いていた。

 ほんの数分の出来事だったが、俺には二時間ぐらいに思えた。


 やがて、雨の匂いがして。

 道場の外にある木の生い茂った葉が、しとやかな音を鳴らし始めた頃。


「…二階堂では、幼い頃に適性検査をする。」


 甲斐さんが、重たそうに口を開いた。


「…はい。私達も全員受けたと聞きました。」


 それは、この敷地内で生まれ育った者も、俺達のように外から来た者も。

 全員が適性検査を受け、二階堂の訓練や教育に耐えられないと判断された者には、別の道が用意される。


「…世の中には、その検査結果次第で殺されてしまう組織もある。」


「えっ…」


「あるんだ。そういった、極悪非道極まりない組織が。」


 …なぜ今、その話を?

 俺の生い立ちに関係しているのか?


 ゴクン。


 つい、喉を鳴らしてしまうと。

 甲斐さんは小さく笑って…首を横に振った。


「いつか、おまえは…自分の生い立ちを知る事になる。それまでは、自分で調べようとしない事だ。」


「…え…」


「今、私に言えるのはここまでだ。」


「……」


 …元々、俺には何も知らせてはいけない事だったのかもしれない。


 だが、ここまで知ってしまったなら、全部を知りたい。

 そう思いもしたが…

 甲斐さんの様子を見て、それ以上は聞けないと判断した。



 …環と沙耶には、話せなかった。

 自分だけ…何者かを知ってしまった気がして。

 いや、もちろん…まだ何者かなんて分かってはいなかったけれど。

 その後も俺は本部に出向けるようになっても何も調べなかった。

 それはきっと、環と沙耶への罪悪感もあっての事だと思う。


 そして、時が流れて。

 俺は追っていた事件で。若き殺し屋達に出会った。



こうには、ちゃんとへきろくっていう三つ子の兄弟がいた。でも小さな頃殺された。」


「殺された?」


「適性検査で殺し屋としての可能性が認められない奴は、みんな殺された。」


「……」


「俺たちは、その殺されたへきろくの代わりにこうの兄弟になった。」




 甲斐さんの言った、極悪非道極まりない組織は…一条。

 俺は、その一条にどう関係しているんだ?



 埠頭の倉庫の爆破事件後、記憶を失った紅を勝手に引き取った。

 甲斐さんと葛西さんからは、そんな事は許さない。と、強く非難された。

 そうするなら出て行け、とも。

 特に、甲斐さんの執拗さには…葛西さんも口をつぐむほどで。

 俺は…


「甲斐さんがそこまで言われるのは、私の生い立ちが関係しているからですか。」


 今度こそ、全てを知りたい。という意味も込めて。

 紅の事でどんなに非難されようが、引くことなく詰め寄った。


「たとえそれがどうであっても、私は彼女を守ります。」


 ずっと優しく見守ってくれていた甲斐さんが…

 この時ばかりは、声を荒げた。


「おまえは…っ!!自分の親の仇の娘を庇うのか!!」


 自分の親の仇の娘…?


 俺が目を見開くと。

 甲斐さんはハッとした後で憤りを隠す事なく…音を立てて廊下を歩いて行った。


 …つまり、俺の親は…一条に殺された…?



 もしそれが真実だとしても、俺の紅に対する気持ちは変わらなかった。

 甲斐さんは極力俺と会う事を避けたのか、ほぼ会う事はなくなった。


 記憶を失った紅と生活を始めて、一年経った頃。

 イギリスのマフィアグループが壊滅に追いやられたニュースが飛び込んで来た。


 その時、二階堂には応援要請がなく。

 俺も詳細は分からなかったが…

 紅と三つ子として育った、碧と緑。

 二人の仕業ではないだろうか…と気になって、調べ始めた。

 …もちろん、カルロとカーラの事も。


 しかし二階堂にその資料はなく。

 本部で入手したデータを元に、MI6やモサドにも連絡を取ったが…カーラが不審な死を遂げた事しか分からなかった。

 …カーラ、だ。


 その後もカルロについて調べようと、イタリアの高等警察のデータをハッキングしたりもしたが…何一つ分からなかった。


 そんな中…ある現場で負傷した甲斐さんの腕に。

『Carla』というタトゥーを見付けた。


 なぜ…甲斐さんがカーラの名前を?


 そんな疑問は一瞬で。


 ああ…この人は甲斐さんではなく、カルロなんだ。

 そう思った。


 しかし、何の確証もない。

 ましてや、甲斐さんは舞の父親。

 甲斐さんがカルロであるとしても…恐らく、何らかの事情で途中からだ。


 いつから入れ替わってた?

 本物の甲斐さんは?



 俺の中の謎は、そう簡単には解けなかった。

 すでに偽者と気付いていても、その甲斐さんも二階堂に尽力しているように思えたし、一条と繋がっている事実も見つからなかった。


 …いったい、どうなってるんだ。


 何も分からないまま、時だけが流れた。

 このまま、何も起きなければ…

 そんなぬるい気持ちを抱いたまま、ここまで来てしまった。


 だが、ある日突然…薫平が二階堂を抜けた。

 夢を追いたい、と。

 その時、俺の中にも突き動かされるものがあった。

 このままではいけない。

 調べなくては。

 だが、二階堂にいると動けない。


 そう思った俺は、リタイアしたフリをしてクリーンに入所した。


 甲斐さんを知る色んな人に探りを入れた。

 もちろん、先代にも。

 甲斐さんのバディでもあった葛西さんは、すでに亡くなっているが…

 調べられる物は調べ尽くした。


 そして…カトマンズの事件。

 あの時、SAIZOが地底湖に浮かぶ船にみんなを保護した事で、洞窟内を捜査する事になった。


 そこで環が甲斐さんのミイラを発見し…隠した。

 そして、それを舞に告げなかった事を、ずっと不審に思っていたら。


「本物の甲斐正義は、一条と繋がっていました。」


 俺に思わぬ情報をもたらしたのは…



 三枝瞬平、三枝薫平。

 紅の兄弟として育った双子だった。

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