第53話 『おーい、起きてー。』

 〇坂本さかもと森魚もりお


『おーい、起きてー。』


 俺は少し離れたビルの部屋の中で、その声を聞いていた。


 三男坊、総司そうじを一発で仕留めた奴がいる。

 坂本ではまだまだの腕前だとしても、二階堂に総司を一発で仕留められる人物がいるとは驚きだ。



 その場のやり取りで、その人物が『さくら』という女である事が分かった。

 そして、その『さくら』は二階堂を抜けているが…相当な手練だ。



 俺の息子達に、装置が埋め込まれているのを知っている。


 さっき『さくら』は言っていた。

『この情報をくれたのは、万里君』と。


 高津たかつ万里まり

 たまきさんと共に、二階堂で育った男。

 だけど、あの男は…


「……」


 突然感じた気配に、身体を屈める。


 誰か来た。

 …女だ。

 一人。

『さくら』…か?


 コンコンコン


 …ノックするとか。

 誰だ。


 無言のまま息を潜めていると。


『森魚。いるんでしょ』


「……」


 懐かしい声が聞こえて来た。


 そのせいで、少し気が緩んだ。

 消していた気配を察知されたのか…


『入るわよ』


 声の主は、ゆっくりとドアを開けた。

 俺は立ち上がって、その人物を迎え入れる。


「…久しぶりだな。」


「ほんと。まさか、こんな所で再会するなんて思わなかったわ。」


 目の前に現れたのは、まい

 俺と同じ…りくしきを守って来た存在。


 中学生時代は、よく四人で遊んだ。

 ボーリングにゲームセンターに、花火や魚釣り。

 …普通に、どこにでもいる中学生でいられた。



「おまえが、ひがし 沙耶さやと結婚するとは思わなかった。」


「は?何それ。」


「選ぶなら、高津万里の方かと思ってたから。」


「……そうね。彼はとても興味深い人だわ。」


 舞のその言葉で…舞も、。と感じた。



「おまえの息子、出来る男だな。」


 腰高のスツールを舞の前に差し出して、自分もソファーに座る。


「そうね。自慢の息子よ。」


「だろうな。二階堂じゃ物足りなくて、SSに行きたいと思っても仕方ない。」


「……」


 俺の言葉に舞は一瞬息を飲んだ後。


「はああああああああ…」


 誰からも聞いた事のないほど、大きな溜息をついてうなだれた。


「やっぱり…SSに行きたいんだよね…」


「…そりゃそうだろ。俺だとしても行きたい。」


「年齢制限があるでしょ、ジジイ。」


「誰がジジイだ。俺がジジイなら、おまえはババアだ。」


「は?あんた自分の顔見なさいよ。しわしわで…何か悪い薬でも使ったんじゃないの?」


「うっ…」


「ほら。坂本って純粋にすごいと思ってたけど…それって身体に何か埋め込んでるからだなんて…」


 ポンポンと繰り出される言葉に心地良さを感じながらも、どこか知り尽くされているような内容に気持ち悪さも感じる。


「…そう言えばおまえ、『さくら』って女に俺の事を色々喋っただろ。」


 さっき、総司を一発で仕留めた女は。

 俺が織にSSの件を話した事を、舞から聞いたと言った。

 …まやかしの事も。


「そりゃあ喋るわよ。」


 凄んで言った俺を払い除けるかのような、明るい声が返って来て。

 少し眉間にしわが寄る。

 …舞が、こんな嬉しそうな声を出すって…


「あの人、二階堂史上最強の人なのよ?」


「…は?」


「噂しか聞いた事なかったけど、実在してるって知って、会いたくて仕方なかった。そしたらさ…向こうから会いに来てくれて!!そりゃあ知ってる事全部話すわよ!!」


「……」


 このはしゃぎぶりは…あれだ…

 もう、何十年も昔に近くで見てた、あの舞だ。


『織ちゃん!!商店街の雑貨屋に、めちゃくちゃ可愛いキーホルダーがあるんだよ!!帰りに寄ろうよ!!』


『織ちゃんのアイスも美味しそう!!一口分けて~!!』


 …何なんだろうな。

 舞に会っただけで、ここまでノスタルジックな気分になるなんて。

 こっちまで昔に戻った気分だ。


 …可愛かったよな。

 織も舞も。


 いつも舞が織の髪の毛を梳いて。

 織が心地良さそうに目を細める。

 舞は手にしてた巾着袋からあれこれ取り出しては、織に見せて二人で笑ったり…

 あの巾着袋、何が入ってんだろーな。って、陸と話した事があったっけ。



「ちょっと。聞いてんの?」


 突然、軽く足を叩かれた。


「聞いてなかった。」


「ムカつく。」


「おまえがいつも持ってた巾着袋、何が入ってたのかなって、今頃になって気になり始めた。」


「……」


 俺の言葉に、舞は少し目を見開いたが。

 次の瞬間には元通りの顔で。


「櫛にリップに鏡に…女の子の七つ道具よ。」


「女って面倒だな。」


「あたしの事、ちょっといいって思ってたクセに。」


「は?俺は織一筋だったけど?」


「じゃあ、どうして押し倒したのよ。」


「え…っ…」


「まやかしなんて使って…」


「……」



 織と陸がいた頃。

 舞は俺を好きだ。と思ってた。

 陸からそうじゃないかって言われてたのと…

 織が、やたらと舞を俺に推して来てたのと…

 俺と目が会うたびに、舞が顔を赤くしてたからだ。


 だけど。

 二人が町を出て行って。

 俺と舞は抜け殻になった。

 あれだけ俺を好きなんじゃないかと思ってた舞は、俺が近付いても赤くもならない。


 もしかして、陸を好きだったのか?


 陸は人気者だった。

 見た目もサイコーだったし、頭もいい。

 腕っぷしも強かったし…何もかもがスマートだった。


 織と双子だから言い出しにくかっただけで、本当は俺じゃなくて陸の事を好きだったのか…と思うと、少し惨めな気持ちになった。

 ま、俺だって?

 俺だって、みんなが冷やかすから…舞と付き合ってみてもいいかなー…って気がなくもなかったけど…


 どうせ、織とは…

 いくら俺が織を好きでも…

 無理だったし。



 俺に見向きもしなくなった舞とは、別々の高校に行った。

 それでも、小さな町では時々出くわす事もある。

 舞の家は、商店街にある反物屋。

『岡本本店』の近くにあるファストフードに、二時間いた事がある…なんて知ったら。

 こいつ、盛大に『きしょい!!』なんて言うんだろうな。


 …いや、会いたくて張ってたわけじゃなくて。

 ただ…時々寂しくなったりしたら…


 ……やっぱり、会いたかったんだ。




「よ。元気か?」


 そう声を掛けたのは。

 夏休みに入る少し前。


 セーラー服姿の舞が、自転車で帰って来た時だった。


「森魚…久しぶりだね。」


 その時の舞は…すげー笑顔で。

 あれ?舞ってこんなに可愛かったかな?って、俺の胸が疼いた。


 そして。

 ちょっと…違う所も疼いた。


 織とは無理だけど…舞と残子…いや、舞と残子は意味ないから、舞と…普通に…気持ちいい事できねーかな…


 そんな思いが、湧き出たんだ。


 俺達坂本には、16になると『残子』という…子供を作らなきゃいけない掟がある。

 織と、そうしたい。という思いはずっとあるけど…



「…舞。久しぶりに、二人で遊ぼうぜ?」


「え?あ…うん…」


 俺は、舞を誘った。


『まやかし』を使ったのは、あれが初めてだった。

 親父に習った時、半信半疑だったけど…

 舞が…


「森魚…あ…っ…」


 一人で服を脱いで、腰を浮かせたのを見た時は…マジで…


 この術、使える。


 と、生唾飲み込んだ。


 まやかしを使うだけで良かった。

 それで…舞を虜にしてしまうつもりだった。

 いつか、舞から俺の方に来るように。

 それで良かったのに…


 俺は、つい。

 手を出した。

 舞と、身体を重ねて。


「う…っ…舞…っ…!!」


 その、何とも味わった事のないような絶頂の瞬間。


「なっ何やってんのよおおおおー!!」


 舞のまやかしが、解けた。


 あとは…もう…

 修羅場でしかなかった。


 舞が二階堂だと知ったのは、その数日後。


 …なんだ。

 舞との残子。

 マジでキメれば良かった。


 本気でそう思った。


 が。

 舞とはあれから全く会わなくなった。

 ま…俺もFBIの訓練に行ってたしな…


 再会したのは、俺が帰国して…町に戻って出産した織に会いに行った夜。

 …織にボコボコにされた後、舞にも跳び蹴りをくらわされた。




「……」


 ある事に気付いて、顔を上げる。


「舞。」


「何。」


「俺が押し倒した事、覚えてるのか?」


「……」


 まやかしをかけていたら…

 それだけで、もう俺とヤッてる気分になる。


 舞は、腰を浮かせた後。

 一度ベッドから落ちた。

 それを助け起こした俺の手を、振り払った舞。

 その目が、唇が、妙に色っぽくて…


 俺は、舞をベッドに押し倒して…コトが始まったんだ。



「あたしの夫、すごくいい人。」


「…は。別に惚気なんていらねーけど。」


「森魚から見てどう?」


「あ?東 沙耶がどうかって…なんでそんなの聞きたいんだよ。」


「森魚から見た彼がどうか、聞きたいの。」


「……」


 舞は組んだ足に肘をついて、そこに顎を乗せた。

 唇をなぞる小指の爪には、上品な色のマニキュア。

 …何なんだろうな。

 俺、こいつに対して全然警戒心とか持てねーわ。


 俺が質問したのに、それには答えない舞。

 なのに…そんな事もどうでもいい気がした。


 ただ。

 今は…舞と一緒にいたい。


 だから、聞かれた事に答えよう。



「東 沙耶は…惜しい奴って感じかな。」


「ふふ。あたしも思ってた。」


「マジか…自分の選んだ奴を。」


「だって、環さんと万里君と彼。どうしてもねー…一人だけ残念な感じ。」


 そう言いながら、舞は組んでいた足を変えると、両手を上にあげて身体を伸ばした。


「……」


 …51のクセに、まだまだイケてるな。


 形のいい胸を見せ付けられてる気がして、少し鼻の下が伸びた。


「森魚の奥さんは?どんな人?」


「は?」


「優秀な人なんでしょ?」


「あー…もう忘れたな。親父が連れて来た女だったし。」


「えっ、そうなの?」


「ああ。愛だの恋だのいう関係はなかった。」


「そうなんだ…」


 舞は両手を下ろすと、窓際まで歩いて外を見渡すと…


「ねえ、とっておきの秘密、聞きたい?」


 俺を振り返って、ニッと笑った。


「…何に関する話だ?」


「あなたに関する、重大な秘密。」


「俺に関する重大な秘密…?」


 秘密と言われると…気になる。

 こんな所で油を売ってる場合じゃないのに。

 今は、その秘密を聞かないと、一生後悔してしまうような気すらした。


 でも…


 舞に上から目線で話されるのは、正直ムカつく。



「…別に聞きたくない。」


 そう言って立ち上がる。

 急に冷静になった気がする。

 そろそろ歳三と総司を呼び戻さないと。


「えー、聞きたくないんだ。すごくビックリすると思うけど。」


「……」


 二人の居場所を確認しようとして、動きを止める。


 ビックリする話…


「それは…いい方に?」


「いい方じゃないかな。」


「……」


 小さく溜息を吐いて、舞と向かい合う。


 胸が当たりそうな位置まで行くと、舞は小さく『相変わらずね』と首をすくめた。


 それでも…

 ゆっくりと、俺の肩に手を掛けて。

 静かに、耳元に唇を近付けると。


「…あたしの息子、志麻は…あなたの子供よ。」


「……………」


 一瞬、頭の中が真っ白になった。


 今…舞は俺に…なんて言った?


「ま…待て…」


「ふふっ。狼狽えてる。」


「あああ当たり前だ。なっ…え…っ?だいたい、おまえとは、あの時しか…」


 不意に、舞がポケットから取り出した物を目の前に差し出す。


「あたしがいつも、巾着袋に入れてた物。」


「…それは…?」


「精液回収機。」


 舞の手にある小瓶は、確かに巾着袋に七つ道具の一つとして入っていても、違和感はなかっただろう。

 当時流行ってたアトマイザーだと言えば、それにしか見えない。


「あ…あああの時…?」


「あたしだって、優秀な血を残したいから。あの後すぐ冷凍保存させてもらっちゃった♡」


「……」


 開いた口がふさがらない。

 こ…この女…


「よ…よくも…」


「あら、どうして怒るの?出来のいい息子が一人増えたのよ?」


「ひ…東 沙耶はこの事…」


「知らないに決まってるじゃない。」


 頭に血が上った。

 こんな事なら…

 こんな事なら、最初から舞と…


 今更そんな事を思っても、どうにもならないもどかしさと。

 知らない間にそんな事をされた怒りが…


「どうして俺に打ち明けた!!」


「知ってて欲しいからよ!!」


「っ…」


 涙目の舞。

 どうしておまえがそんな顔を…



 自然と距離が縮まった。


「舞…」


「…知らない…森魚なんて…」


「舞…」


 その頬に手を掛けて、舞の目を見つめる。


 今から戦いが始まる。

 こんな事をしてる場合じゃない。

 そう思うのに…



「舞!!」


 突然、ドアが弾けるように開いて。

 そこから…


「沙耶君!!」


 そこに駆け寄る舞。


「え。」


「てめぇ!!俺の妻に何しやがった!!」


「え?」





 なんだ…?



 これ。

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