第52話 「危ないっ!!」
〇二階堂 環
「危ないっ!!」
その声が聞こえた時、俺はすでに防御態勢に入っていて。
そばにあった傘を手に取って、斜め上から放たれたボーガンの矢を振り払った。
「はあ…さすが…」
直後、駆け寄って来たのは、さくらさん。
俺の無事を確かめると、キッと近くのアパートを見上げた。
「なぜここに?」
落ちた矢を拾いながら問いかけると、さくらさんは辺りを見渡して。
「環さんを探してたの。」
上を見たまま、そう言った。
「…近々戦いが始まります。危険だから、あなたは関わらない方がいい。」
傘を元の位置に戻しながら言うと。
「えぇ…もう、どっぷり関わってるから…」
さくらさんは、ニッコリと笑いながら…
「無理だねっ。」
言葉尻と共に、何かを上に投げつけた。
「ぐはっ!!」
聞いた事のない声が耳に飛び込んで。
細身の若者が降って来た。
「君ね~、危ないでしょっ。」
さくらさんが若者の前にしゃがみ込んで、顔を覗き込む。
そして…
「…ねえ、お父さんの所に連れてってくれない?」
聞き捨てならない事を言った。
「は…あ?何の事。」
「君のお父さん、坂本森魚君だよね。」
「誰だよそ…い――――――!!」
若者が奇声を発した。
さくらさんが、耳の後ろを押さえただけで。
そこに何があるんだ?
興味深く見ていると。
「環さん、森魚君の子供達には、身体のどこかに装置が埋め込んであるの。」
なぜそんな事を知ってるんだ?と思うような事を言われた。
「装置?」
「身体能力を上げる装置。正直、人体に良くないから取り出してあげたい。」
見ると、若者はすでに失神しているようで…ピクリともしない。
「この子は森魚君の三男坊。坂本総司君。」
「…その情報はどこから?」
俺でも知り得ない事。
だからつい…入手先を知りたくなった。
まさか浩也さんが?
それとも…先代?
いや、先代はもう何もされるはずがない。
だとしたら…
「この情報をくれたのは、万里君。」
「…え…」
数ヶ月前、突然いなくなった万里。
俺と上層部の間に挟まれて、常に胸を傷めていたと思う。
二階堂を変えたい。
誰もが思っていたはずなのに、それは希望とは違う方向に進み始めた。
…俺の甘さが招いた事だ。
「環さん。」
バン、と。
強く腕を叩かれて、身体が強張った。
「万里君は、ずっと環さんの味方。環さん、あなたは一人じゃないから。」
「……」
「もっとみんなを信じて。そして、それ以上に…」
さくらさんは両手で俺の両腕を掴むと。
「自分を信じて。」
力強い声で、そう言った。
…自分を…信じる…
そうだ。
いつからか…俺は自分に迷いがあった。
これでいいのか。
これでいい。
…そうじゃないだろ…
「環さん、知ってる?」
「…何をですか?」
「どうして、森魚君が織ちゃんにSSの話をしたか。」
それは…俺も気になっていた。
俺から話すべきだったSSの話を、織は森魚から聞いて知ってしまった。
大切な話をなかなか打ち明けなかった。
何もかも俺が悪いのは分かる。
だが…
森魚。
なぜおまえが織に話す…!!
「…どうしてと言われると、彼から見て、自分が話すべきという判断だったのでしょう。」
怒りを抑えて込んでそう答えると。
「じゃあ、どこで織ちゃんに話したか、知ってる?」
さくらさんは、ずいっと距離を詰めて…俺を見上げて言った。
…どこで。
なぜ今強調した?
「…さあ…」
「森魚君って、織ちゃんの事ずっと好きだったみたいだね。」
「あなたはそれを誰から?」
さくらさんと森魚。
二人に接点があるとは思えない。
だが、この人は俺が…いや、俺達が思うよりも多方向から何かを繰り出して来る。
「実は、沙耶君の奥さんから聞いたの。」
「舞から?」
「うん。他にも興味深い事を聞いた。彼は『まやかし』の使い手で…」
はっ…
あいつ、まだそんな事を…!!
「さ…さくらさん、俺…いえ、私はちょっと…」
少し動揺して口ごもってしまったが、さくらさんは気にする風でもなく。
「織ちゃん、沙耶君と一緒にクリーンに来てるよ。」
森魚の三男坊を見下ろして言った。
つられて見下ろした足元の彼は、森魚の若い頃に少し似ていて。
早乙女邸に忍び込んだ森魚を、激情に任せて叩きのめした夜の事を思い出させた。
「なぜ織と沙耶がクリーンに…?」
SSの件で険悪になって、織は一人…日本に帰ったはず。
その後、追う事も連絡をする事もなく…
情けない事に、俺達はどうなってしまうのだろう。と、思い悩んだ。
…だが。
織だって、そうだったはずだ。
不安で思い悩んだはずだ。
なのに俺は…何の言葉もかけずにいた。
夫として最低だ。
「クリーンに万里君がいるんだよ。」
「えっ?」
驚きに目を見開く。
この人は…いったい…
…でも今は、さくらさんが何者で、何をしようとしているかなんて…関係ないと思った。
ただ、この二階堂を抜けたにも関わらず、今も二階堂を大切に想ってくれている女性に。
感謝しかない。
坂本総司をさくらさんに任せて、俺はクリーンに向かう。
織に会ったら…万里に会ったら…
そんな事ばかりを考えたが、顔を見たらどうなるかは分からないとも思った。
『私は…いや、俺は、世界より二階堂の平和を守ろうとしていたのかもしれません』
クリーンに辿り着いて、チップのGPSを辿る。
万里と織は故意にかGPSを切っていたが、沙耶が入れたままにしていてくれた。
部屋の外に立って聞こえて来た声は…万里。
『環の事も守りたかった。だから、古参の言い分を通す事もしたし…何事も穏便に済ます術を覚えてしまった』
…万里…
『結果、俺が二階堂を弱くした。だから俺がどうにかしなきゃと思っ』
『何言ってんだよ!!何いいカッコしてんだ!!おまえ一人のせいなわけねーだろ!!俺だって…俺だって!!このままでいいなんて、ずっと思ってなかったのに!!何もできねー自分が…っ…』
万里と沙耶のやり取りを聞いて、心の底から後悔した。
物心がついた頃からずっと一緒。
兄弟のように育って来た、万里と沙耶。
三人で二階堂のために、頭と姐さんのために、と…色々な事を考え現場に出向く楽しかったあの頃。
…何で…俺は、こんなに変わってしまったんだ。
いつからか、二人にも心の内を話せなくなって…それが、今回の事態を招いた。
『…お嬢さん』
『……』
『今、自分のせいかもって思ったでしょ』
『…え?』
『さくらちゃんに言われました。きっとお嬢さんが色んな責任を感じるって』
『…さくらさんが…?』
『今は、誰が自分がって言ってる場合じゃないみたいです。俺達二階堂、全員が力を合わせて立ち向かわなきゃ…一条は倒せません』
…確かにそうだ。
俺達二階堂、全員が力を合わせなくては…一条は倒せない。
「……」
目を閉じて、深呼吸をする。
森魚がどこで織にSSの話をしたか。
それは、二階堂でだったかもしれないし、電話でだったかもしれない。
ただ一つ言えるのは。
俺の妻は、いくら幼馴染でも…俺に隠れて二人きりでは会わないという事。
さくらさんは、意外と嫉妬深い俺の性格を見抜いていたのか。
まやかしの事まで持ち出されて、瞬時に森魚と織を疑ってしまった。
…どこまでもバカで、情けない男。
こんな男が
二階堂は…もっとバカであってもいい。
『こうあるべき』と固められた古い体制は、もういい。
部屋の中では、万里が作った秘密兵器の説明が始まっていて。
それには、沙耶だけでなく…織までもが興奮した様子で質問を繰り返し。
その様子には…自然と口元が緩んでしまった。
『もっとみんなを信じて。そして、それ以上に自分を信じて』
さくらさんの言葉を思い返す。
そうだ。
俺には、信頼出来る仲間や家族がいるじゃないか。
それに…俺自身が。
周りの誰が、じゃない。
俺自身だ。
『…環に会って来る』
織のその言葉が聞こえた時。
俺はすでに部屋の中にいた。
織の背後にいる俺に気付いた、久しぶりに会う万里が。
懐かしさを覚える笑顔を見せてくれた。
「もう、来てますよ。」
「え?」
織が振り返ろうとした瞬間。
俺は、その愛しい人を抱きすくめる。
「織…」
「環…?」
「ごめん。」
「……」
「ごめん…」
俺は、弱い。
弱いから迷う。
でも、弱くたっていいんだ。
俺が弱くて迷っても、誰かが道標になってくれる。
それは、必ずしも俺がならなくてはいけない物ではない。
二階堂を一人で背負うなんて、俺の器では無理だった。
だけど、先代だって…一人じゃなかった。
二階堂は、全員で二階堂なんだ。
「織が必要だ。」
まずは、俺が俺でいるために。
誰よりもそばにいて欲しい女性。
織。
俺は今も、織が俺に愛想をつかしてしまわないか、心配なんだぞ?
…なんて言ったら。
織は笑うかな。
でも、笑われてもいいから。
いつか告白したいと思った。
俺のカッコ悪くて弱い部分を。
「いい所悪いけど、あと30秒でよろしく。」
万里がそう言って、沙耶と並んでニヤニヤする。
俺は二人を見て不敵に笑うと。
「充分。」
そう言って、織を向き直らせて抱きしめた。
「たっ…環…っ…」
「森魚に何もされなかったか?」
「え…ええ…っ!?」
「触られてないか?」
「さっ触られてなんかっ!!」
「一応消毒。それから俺の充電。」
「っ…」
万里と沙耶の前でこんなこと。と、きっと織は不貞腐れる。
でも今は。
弱い俺の力になって欲しい。
俺の腕の中で。
俺だけのために…
「…あたしの事、チョロいって思ってる?」
ふいに、俺を上目遣いに見上げる織。
ほら…
そんな顔、森魚にも見せたんじゃないだろうな?
「その顔は反則。」
そう言って、両手で頬を挟むと。
素早く唇を奪った。
「!!!!」
驚いたのは織だけじゃない。
今までは、俺の方が照れて…万里と沙耶には『青春か』なんて言われてたのに。
「充電完了。」
最後にもう一度ギュッとすると。
「…もうっ…」
背中に、織の腕が回って来た。
「…あたしも…充電。万里君、ごめん。あと30秒…」
その言葉に小さく笑うと。
「じゃ、俺らは先に行くとするかな。」
「そうしよそうしよ。環、急いで来いよ。あと、秘密兵器の説明はお嬢さんから。」
万里と沙耶は、そう言いながら部屋を出て行った。
「…環、あたしもごめん。色々疑った…」
「いや、俺が悪かった。」
「ううん。あたしが…」
「……」
額をぶつけて、目を閉じる。
「…今、あの時を思い出した。」
「何?」
「ハンバーガーショップから見た、花火。」
「ああ…」
「…お嬢さん。」
「もうっ、何その呼び方…」
「俺の妻になってくれて、ありがとう。」
「…環こそ…あたしを諦めないでくれて、ありがとう…」
抱きしめる手に気持ちを込めて。
もう一度唇を重ねた。
始まる戦いは…決して軽い物じゃない。
もしかしたら、命を落とす可能性だってある。
それでも。
二階堂が在り続ける意味を。
俺は…全員に、知らしめないといけないんだ。
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