第48話 「あの時はありがとう。」
〇東 志麻
「あの時はありがとう。」
突然至近距離から聞こえて来た言葉に、俺は息を止めて視線だけそちらに向けた。
「あれ…あたしの事、忘れちゃったかな?」
「いえ、忘れるなんて……」
そこにいる人が…今はボスの妻となった、桐生院咲華…俺の愛した人の祖母、さくらさんだと分かり、つい…さりげなく周囲に視線を配った。
…今、気配がしなかったぞ。
いつこんな至近距離に?
「…まるで現役ですね。全く気付きませんでした。」
「あ~、そんなつもりないのに、いつもみんなに驚かれちゃうんだよ~。」
俺が彼女と付き合っている頃、さくらさんは『うちのおばあちゃま、少し変わってるの』と彼女が言うように…少しだけ、風変わりな方だと思う事はあった。
だが、それがだんだんと普通じゃないと思い始めた頃。
浩也さんに言われた。
「さくらは二階堂始まって以来の逸材であり、爆弾だ。」
と。
浩也さんほどの人にそう言わせてしまうさくらさんに、少なからずとも嫉妬心が湧いたが。
俺はその実力を目の当たりにした事はない。
だから…嫉妬心もすぐに消えた。
しかし…
俺は今、自分の予想以上に…さくらさんを警戒している。
「…あの時とは、何の事でしょう?」
さりげなく一歩退きながら、さくらさんに問いかける。
「なっちゃんの病気、教えてくれたでしょう?」
「…ああ…あの事でしたら、私より浩也さんに…」
「うん。ヒロも手術の手配してくれたり…本当嬉しかった。」
「……」
「なのに…咲華がごめんなさい。」
深々と頭を下げるさくらさんに、つい笑ってしまう。
彼女の事は…もうとっくに吹っ切った。
知った時はパニックになったが、今では彼女の相手がボスで良かったと…心から思う。
「ねえ、志麻さん。」
「はい。」
「何かしようとしてる?」
「……」
なぜ。と、それしか浮かばなかった。
なぜ、さくらさんはここに居て。
俺に『何かしようとしてる?』と問いかけたのか。
「何の事でしょう。」
「隠したってダメだよ。志麻さん、一条に何かしてやろうって思ってるよね?」
「……」
今度は驚いて声が出なかった。
一条の事を知っている…?
「…あなたは、何をしようとしているのですか?」
さくらさんに向き直って、少しトーンを低くして言うと。
「二階堂を救おうと思ってる。」
そう、大きな目が、真っ直ぐに俺を見上げて言った。
「聞いてると思うけど、あたしは二階堂に居た。出来損ないで迷惑ばかりかけてたけど、それでも二階堂が大事なの。」
「…出来損ないだなんて…」
確か、浩也さんと同じ歳。
二階堂でも、もう現場は引退している年齢。
そんなさくらさんが…
「…二階堂を救う…?」
つい、小さくつぶやきながら、皮肉そうに笑った。
何も知らないクセに。
何をそんなに簡単そうに。
悪の一条と、得体の知れないSAIZOと。
俺達正義は今、どちらにも負けている。
悔しいけど、二階堂の古い体制が…正義を弱くさせてしまった。
「志麻さん、SSに行く気でしょ。」
その言葉に、笑みが消えた。
「…
「SSの事はね。でも、志麻さんが行こうとしてるのは、見てたら分かっちゃった。」
「……」
「でも、環さんには言ったんだ。良かった。」
…どうも…やりにくい。
それは、俺がこの人に何かを感じているからかもしれない。
「もうすぐ何かが起きる。その騒ぎに便乗して、SSに行こうとしてるんでしょ。」
少しだけ、背筋が冷たくなった。
頭の中が覗かれそうな気がして、俺は必死で無になろうと…
「あたし、応援するよ。」
「…え?」
「だって、志麻さんがそうしたいんでしょ?」
「……」
「志麻さんには、それだけの実力があると思う。SSに行って…世界を守って。」
そう言ったさくらさんの目は真剣そのもので。
それが嘘じゃない事は確かなようだ。
だが…どうして…
今になって二階堂を救うだなんて…
「変わる変わると言い続けて、何も変わらない二階堂には、正直うんざりしています。…だから俺は…」
半分以上本音である事を、悪態と共に口にする。
だが、さくらさんはそれを小さく頷きながら聞いて。
「ほんとだよね…しきたりを重んじてる内に、守りに入っちゃったって言うかさ。でも、そうせざるを得なかった立場の人達の事を思うとさ…」
まるで二階堂の事を知り尽くしているかのように、そう言った。
「その立場の人達を責めるつもりはありませんが、二階堂がこのままでいいとも思っていません。」
「うんうん。分かる。だから、内から変えにくいなら、外から変えちゃえと思って。」
「…はい…?」
さくらさんのいう事が、すぐには分からなかった。
いや、分かりたくなかった。
長い時間、一般人として生きて来たこの人に、変えられるわけがない。
そう思いたかったのかもしれない。
いくら、この人が二階堂史上最強の人だと、周りが認めているとしても。
生まれた時から今まで、二階堂に尽力して来た自分は何だったのか。と、思わせられるような気がして…
「実はさ…あたし、
「こうちゃん…?」
「
「たか…え…ええっ!?」
俺が驚いて声を上げると。
「志麻さんでも、そんなに驚く事があるのね。」
さくらさんは楽しそうに笑った。
いや…
紅さんの居場所は、
「紅さんをどこに?」
「ホテルの最上階。」
「……」
高津 紅。
一条が、手に入れたがっている存在。
「志麻さん。」
「…何でしょう。」
「作戦、教えてくれないかな。」
「……」
「あたしの作戦も教えるから。」
「さくらさんの作戦?」
「うん。」
普通なら拒否してる。
だが、この人には教えたくなった。
それは…
何の意見を言うでもなく、俺のSS行きを応援すると言ってくれたのが…もしかしたら嬉しかったのかもしれない。
二階堂の人間なら。
誰だって、手を挙げたくなる。
…そうしたくても、出来ない人のためにも。
俺は…SSに行って、世界を守りたい。
「…俺と薫平…高津薫平は、カトマンズで洗脳プログラムを入れられました。」
船底から救い出された後、病院で目覚めて…俺は、数日間吐き気が止まらなかった。
恐らく…洗脳プログラムの方が優秀過ぎて、チップが追い付かなかったのだ。
二階堂を辞めた薫平には、チップが埋め込まれていない。
それでも、自分の異変に気付いた薫平から。
「志麻さん、ヤバイよ。俺達、洗脳プログラム入れられちゃってるわ。」
ベッドの上、天井を向いたままの薫平から、そう告げられた。
退院してすぐ、薫平の家で…それを解除するための作戦を立てた。
正直、二階堂を出てからの方が、薫平は知識が豊富だ。
会議室でSSの話を聞いた時、薫平の家での事を思い出して、SS行きへの気持ちが固まったと言ってもいいかもしれない。
俺達二階堂は、井の中の蛙だ、と。
頭の片隅で、そう思ったからだ。
「一条には頭のいい奴がいるみたいだね。だけど、このプログラム…完璧じゃないな。だとしたら…これを作った奴、囚われの身か何かかもね。」
「囚われの身?」
「薫平が、そう言ってました。」
さくらさんは眉間にしわを寄せた後。
「それで?」
続きを聞いた。
「囚われの身か…だとすると、何かのサインかもしれないな。」
「うん。今思えばなんだけど、カトマンズに仕掛けられてた旧式の装置に混じって、いくつか新しそうな物もあったじゃん?」
薫平がキーボードを叩いてはじき出したのは、事件後に二階堂が回収した爆破物の残骸。
「おまえ、もうハッキングしたのか。」
「
「調べろ…って事か。」
「そ。で、ほら、ここ。」
「ん?」
爆破物の残骸の中から、薫平が大きく映し出したのは…基盤の欠片の細部に小さく刻まれた文字。
…CK…47…
「一条が武器にシリアルナンバー入れるとは思えないんだよねー。だとしたら、これって製造者からのメッセージかなと思って。」
「メッセージ…」
「表面に入れてたらバレるからこその、見落としちゃいそうなほどの位置に入れ込んでるんじゃない?」
…確かに。
この文字が入っていたのは、恐らく電子基盤の隙間だ。
「…さくらさん?」
話の途中。
さくらさんが、大きく目と口を開けて固まってる事に気付いて…顔を覗き込む。
「大丈夫ですか…?」
「だ…大丈夫……ちょっと、色々確認しなきゃ…」
「え?」
「CK47って…」
「?」
「千里さんのお兄様じゃないかな。」
「え?」
「神 千秋さん。確か、4月7日生まれだよ。」
「……」
その話を聞いて、すぐに薫平に連絡を取った。
「聞こえるか?」
『うん。バッチリ。どうよ、俺の最新作』
二階堂を抜けてる薫平とは、今までのような通信のやり取りは出来なかったが。
昨日、『連絡にはコレ使って』と渡されたそれは、耳たぶに貼るだけの物。
一度押すと通信が始まり、二度押すとすでに俺の耳たぶに埋め込まれている二階堂のチップに反応して、データのやり取りも出来る。
『で?何かあった?』
「神 千秋について調べてくれ。」
『え、誰それ』
「CK47かもしれない。」
『マジか…』
すぐにキーボードを叩く音が聞こえ始めた。
神 千秋。
そう言えば…研究がてら世界中を回っているからか、連絡が付きにくい。と聞いた事がある。
連絡が取れなくても不思議に思われないなら、拉致するには最適だ。
『あー、ビンゴかも』
「どうして。」
『神 千秋。26年前にインドの研究所に入って、その後イギリスに事務所を設立してるけど、そこを人に任せて再びインドに行って………んー?』
「どうした?」
『イギリスの事務所、これ、たぶん一条に乗っ取られてるね。ふーん…それで一条、イギリスとカトマンズを行ったり来たりしてるんだ』
俺の隣では、さくらさんが唇を尖らせて、恐らく聞こえているであろう薫平の声に耳を傾けている。
…そりゃあ面白くないだろう。
神 千秋は、さくらさんの娘婿である神 千里さんの実兄だ。
「千秋さん、無事なのかな。」
『え、誰』
ふいに、さくらさんが俺の耳たぶを三回押して割り込んで来た。
突然の事に驚く俺に構いもせず、さくらさんは続けて。
「千秋さんの無事が確認出来るなら、研究所は後回しにするとして…今は、こっちに向かってる奴らをどうにかしなきゃだよね。」
思いがけない事を言った。
「こっちに向かってる奴ら?」
『志麻さん、その人何者』
「…桐生院…高原さくらさんだ。」
『は?桐生院?高原?あー…御曹司の母?てか、何で……………あー…そっか…なるほどね…』
瞬時に自分で調べたのか、薫平は。
『こっちに向かってる奴らの事、お・し・え・て・ちょ』
少し試すような口調で、さくらさんに言った。
何なら少し失礼にも思えたそれを、さくらさんは気にした風でもなく。
「UYAB58Lで戦闘機が盗まれたよ。」
さらっと、そんな事を知ってのけた。
『えっ』
「さくらさん、それはどこからの情報ですか?」
「内緒。だけど確かな情報だよ。」
『…ほんとだ。志麻さん、UYAB58Lで戦闘機が盗まれてる』
本部から連絡がないと言う事は、まだ何も掴めていないという事で…
「薫平君、優秀だね。二階堂でもまだ掴んでない情報なのに。」
『…でも、あなたの方が早かった』
「そんな優秀な薫平君にお願いがあるんだけど。」
『え…?』
俺が知ってるのは…
俺の愛した女性の祖母である、桐生院さくらさん。
だが、この人は…
「あなたと瞬平君が作った色んな物、ちょっと拝借したいんだ。」
『…りょーかい』
二階堂の誰よりも。
俺と薫平を、ワクワクさせてくれる人かもしれない。
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