第42話 「あいつがどうなったか、気になるのか?」

「あいつがどうなったか、気になるのか?」


 ソファーに座った志麻が、斜に構えて言った。


「え…あ、いや…」


 スタンガンによって気絶したトシ。

 そんなトシを放置したまま…志麻はあたしをホテルの自室に連れ帰った。



 気になるか…って聞かれると…

 気になる。

 色んな事が。


 でもそれは、のびたトシを放置して来た事じゃなくて…



「あれだけの奴なら、もう意識も戻って俺如きにやられた事を悔しがってる頃だろ。」


 そう言って、志麻は小さく笑いながらグラスに口を付けた。


「…あのさ…」


「あ?」


 …あ?


 …志麻、まだそんなに飲んでないよね…

 …酔ってるわけじゃないよね…

 なのに…何だろ…

 この、あたしに対して…偉そうって言うか…上からって言うか…


 …とにかく…

 態度がでかい…!!



「…聞いていい?」


 あたしは志麻が富樫の部屋からくすねて来たと言うワインに、まだ一口もつけないまま…グラスを揺らしてる。


「何。」



 さて…何から聞こう。


 富樫のマイクがオンになってた事で、トシの存在を知って調べたという志麻。

 色んな事を調べて、色んな事を知ってる。

 それは…どんな事だろう。


 だって、あたしはトシの事…ほとんど知らない。

 …まあ、父親の出現で、『坂本』って組織で一番優秀だって事は分かったけど…

 でも、それよりも…



「…志麻、この前みんなの前でも、あたしの事…呼び捨てたよね。」


「…ああ…それが?」


 それが?


 つい、眉間にしわが寄る。


「いや…えーと…」


 あたしが口ごもると、志麻はグラスをテーブルに置いて。


「…俺の中にも色々変化があった。」


 指を組んで前のめりになった。


「変化…それはー…何かキッカケが?」


「そうだな…まあ。」


「……」


 何だろう?

 首を傾げてパチパチと瞬きをしながら、志麻とワイングラスを交互に見る。


「…俺達、小さな頃から一緒だった。」


「うん…」


「でも、ある時期が来ると、俺は泉を『お嬢さん』と呼ばないといけなくなる。」


「…うん。」


「あれからずっと、俺達の関係は…上司と部下だ。」


「…そうー…なるね。」


「二階堂に生まれ育った俺にとって、それは当然の事だと思ってたし、何の違和感も文句もなかった。」


「……」


 志麻は…じっ…と、あたしの目を見てる。


 いつから…戻ったのかな。

 咲華さんと別れてからは、目に力がなくなって…全然覇気も感じられない風だったけど。

 …今は、ちゃんと…あたしを見てるのが分かるし、言葉にも思いが乗ってる。



 元々、志麻は出来る奴だから…

 元の志麻に戻ってくれるのは嬉しい。


 …だけど、何だろう…?

 傷の舐め合いしてた頃『泉』って呼ばれてたのとは…何だかちょっと違う感じ…



「…咲華と別れて、自分が壊れたと思った。」


 あれ。

 志麻、今…


 あたしが少し目を丸くすると。


「あ、呼び捨てたの、ボスには内緒な。」


 少しだけ目を細めて、唇の前に指を立てた。


「う…うん。内緒。」


 あたしがコクコク頷くと、志麻は苦笑いしながら視線をワイングラスに落とした。


 …まだ辛いのかな。

 まあ…あたしだって、失恋の事を誰かの目を真っ直ぐに見ながら話せって言われると…無理かもだけど。



「そんな時…好きでもない俺の事、好きだって言ったバカがいたよな。」


「…えっ。」


 ムッとして下唇を突き出した形で志麻を睨むと、志麻はそんなあたしの顔を見て笑った。


「ははっ。全く…すぐ顔に出る。」


「……」


 …志麻、何だか表情が豊かになったな。

 そんな志麻を見て、突き出した下唇が自然と解除された。


「…誰かを守りたいからって、好きでもない男を好きって、さらに自分の身体を差し出すなんて…本当、お人好しもここまで来たら、単なるバカだ。」


「なっ…あたしの事だよね、それ。」


「今気付くとか?」


「違うし。あたしは……」


「うん?」


「あたしは……」


 ここでそれを認めたら、あの時の覚悟が全部嘘だと思われる。

 それはそれで…イヤだ。

 志麻の事は本当に心配だったし、あたしなら。って気持ちは本当にあったんだ。


 あたしがあれこれ考えて、結局また唇が尖り始めると。


「あれから…少しの間、考えるのをやめた。」


「は?」


「考えたって、出て来るのは自分の不甲斐なさばかりだったからな…」


「……」


 志麻はワインを一口飲むと、小さく溜息を吐いてゆっくりと言葉をこぼした。


「…今まで、色んな現場で危ない目に遭った。」


「うん…」


「その中でも、特にカトマンズの現場は…本気で死ぬ事を覚悟した。」


「……」


 あれは…本当に危ない現場だった。

 あたしは薫平の家で瞬平と共にモニターに向かって。

 あの、どうしようもない状態に息を飲む事と…現場にいるみんなを信じるしかなくて。

 無力さに打ちひしがれた。


 それでも自分の出来る事をするだけだ。って…ホテルで保護されてた咲華さんと華月とリズのそばにいたけど…

 その間も流れて来る情報に、やきもきするしかなかった。


 …なのに、それを一人で片付けたトシ…SAIZO…

 尊敬すると同時に、今更悔しくなって来たけど…


 当初へこんでた志麻は…なぜか、穏やかな顔をしてる。



「ボスの救出に向かおうとして、瞬平に『死ぬ気か』って言われた時、本気でそれでもいいと思った。」


「……」


「モニターの電源を落として岩場に立った時、風が吹いて来た。あの時…すごく感じたんだ。」


「何を?」


「生きてる事を。」


「……」


 そう言ってる志麻は…なんて言うか…

 まるで、知ってる志麻とは違う気がした。

 志麻なんだけど…志麻じゃない…みたい。


「でも、結果…俺達は何の役にも立たなかった。」


 その件で、あれだけ落ち込んでた志麻を知ってるだけに…

 今こうして、その事を話しながら薄笑い浮かべてる志麻を、どうも…信じられない思いで眺めてしまう。


 ねえ、あんたすごくへこんでたよね…!?



「俺達が死ぬ気で立ち向かった現場を、たった一人で片付けた奴に興味があった。」


「…そりゃそうだよね。誰だって気になるよ。」


「それで…色々調べてく内に、泉が会ってる男がそうだって…あの時分かった。」


「……」


 あの時…

 もう、それを思い出すだけで頭を抱えたくなる。

 あたし…何喋った?



「…『あたし、今あんたの事をもっと知りたいって思ってる』…」


「!!!!」


 志麻の言葉に目を見開く。


 な…な…


「何それ!!暗記してんの!?」


 わなわなと両手を握りしめて立ち上がる。


「衝撃だったから覚えてる。」


「腹立つ――!!」


 テーブルを飛び越えて志麻に殴りかかろうとすると、志麻はあたしの両腕を簡単に取って…


「…え。」


 ギュッ…と。

 抱きしめられた。



「…泉がそう言ってるの聞いて…妬いた。」


「……は…?」


「あいつに負けたくない…そう思った。」


「……」


 あたしは顔を上げて志麻を見る。

 志麻は…熱っぽい目で…あたしを…


「……志麻、酔ってるね?」


「酔わなきゃ言えないと思ったけど、酔えてない。」


「……」


「泉が、好きだ。」


「……え…っ?」



 …男運のない人生だと思ってた。

 あたしが好きになるのは、出来る男ばかりだけど…ろくでなしも多い。

 志麻だって、十分出来る男なのに…失恋でグダグダになっちゃうダメ男で…

 だけど…


「いつも誰かを守る気でいる、泉を…守りたい。」


 そんなダメ男な志麻に…

 あたしは…



「…どうしちゃったの、志麻。」


「…どうしたんだろうな。」


 後頭部を引き寄せて、そのままあたしを胸の中に抱きすくめる志麻。


 …何だろ。

 この優しさ。


 少しそれに浸っていたいと思ったものの…



「……来たね。」


「そうだな。」


 志麻の腕の中で、あたしは溜息を吐く。


 この気配…トシが来た。



「泉。」


「え?」


 志麻に呼ばれて顔を上げる。

 唇が近付いて、え…こんな状況で?

 まさか、トシを煽るためにあたしを餌にしてる?って思ってると…


「…あいつが他の女とヤッたのは、『残子』っていう坂本の血を残す制度のためだ。」


 その唇は、あたしの耳元でそう言った。


「……」


「俺達には在り得なくても、奴的には仕方のない事だ。それでも泉があいつを必要とするなら…」


 さーっと…血の気が引いた気がした。


 あたしは志麻から離れると、自分の身体を探った。


「…どこに仕掛けたの。」


 志麻は…あたしに発信機かマイクをつけてたの…!?


「そんな事してない。」


「じゃあ、なんで知ってんのよ!!」


 あたしが…震えるほどの感情を抑えたあの事を。

 どうして志麻が…!!



「尾行してたの…?だから全部知ってんの?いくらあいつの能力がすごいからって、その嫉妬おかしくない!?あたしを餌にするとか、あんたって出来る奴だけど信用出来ない!!」


「……」


「何なのよ!!」


 あたしが叫んだ瞬間、気が付いたらあたしは誰かの背中に志麻の姿を遮られた。


「…おまえ、泉を泣かせた。」


 そのトシの声は…今までで最高に、最悪に…冷たかった。


「殺す。」

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