第41話 翌朝、起きるとすでにトシの姿はなかった。

 翌朝、起きるとすでにトシの姿はなかった。

 聞きたい事が山ほどあるから…も、あるけど…

 それよりも…そばにいて欲しいって気持ちが大きかった事に驚いた。


 それに…

 夕べの荒々しいセックス。

 燃えたけど…トシの揺れた瞳の理由も気になった。

 今までみたいに、気持ちのいい事への興味で揺らせたのとは違う。


 …何だったんだろう。




 それから数日。

 SSに向けての実力調査が終わった後も、半日とか数時間はあたしの尾行をしてたトシの気配がなくなった。

 夜も…来なかった。

 気になったけど、あたしはあたしの任務をこなすために…集中した。


 幸いテロを思わせる動きはなく、少しずつ通常業務に戻れるようになって来たある日。

 あたしは…突然トシの不在が不安になってしまった。



 連絡先も知らない。

 今、この瞬間どこにいるのかも。


 トシは常にあたしの前に後ろにと現れてたけど…

 あたしは…待つしかないって事だ。


 そんなの、ぶっちゃけ性に合わない。



 て事で。

 あたしは…トシを見付けて張る事にした。


 自分で言うのも何だけど、あたし…嗅覚と勘はトシに引けを取らないと思う。

 特に、嗅覚に関しては負けない自信もある。

 でも、張る理由が『会いたかったから』ってのは…ストーカーみたいで解せない。


 それでも、自分の中で決めたミッションを遂行するに至ったのは、それほどまでにトシがあたしにとって必要な存在になってたからだと思う。



「…見付けた。」


 それは、仕事帰り。

 勘を頼りに、気配を消して張り込んでたバーの近く。


 トシの服からは、いつも…かすかにだけど、独特な匂いがしてた。

 それが何なのか。

 色んな匂いに集中しながら、街を歩いて見付けたのが…このバーだった。


 主にメキシコ産のお酒を置いてるお店で、トシからは…そのアルコールの匂いと…花の色素で染めた布の匂い。


 その店を見付けた時、あたしはどれだけ集中したんだ。って、苦笑いした。

 これがもっと現場でも発揮できるようにならなきゃね、なんて。



 近くのカフェで、店を眺めた。

 色んな人種が出入りしてる。


 …トシはあたしが尾行したら、きっとすぐに気付く。

 そうすると…あたしはトシの事を何も知れないまま。

 何とかバレずに尾行出来ないかな…


 そんな事を考えてると、トシが店から出て来た。

 まさか店内にいると思ってなかったあたしは、目を丸くしてその光景を見入る。

 店から出て来たのは…トシ一人じゃなかったからだ。


 トシの隣には…綺麗な女がいた。



「……」


 瞬時に嫌な思い出が頭をよぎった。


 家に女を連れ込んでた薫平は、あたしが居なくて寂しい時、スポーツ感覚でセックスをするのは悪い事じゃない。って思ってた。

 もしかして…トシもそんな感覚?


 …ううん…

 あたしが初めての女だから…

 もしかしたら、他の女を試したくなってるのかもしれない。


 そう思い始めると、それが正解としか思えなくて。

 あたしは、まるでそこから音が出てるんじゃないかって思うほどの脈打つこめかみを押さえて…トシと、女の後をつけた。



 暗い路地を進む二人。

 あたしは自分の気配を消していられるか不安になりながら…その後を追った。

 だけど足が止まったのは…


「……」


 二人が、突然ビルの隙間の暗がりで、抱き合ってキスし始めたのを目の当たりにしたからだ。



 やっぱりね。って気持ちが湧いた。

 頭の中で、サーッて…音が聞こえた気がした。

 これって、血の気が引いた音?

 それとも…気持ちが引いた音かな。


 薫平の時もそうだった。

 これ、悪い事じゃないんだよ、きっと…

 トシも、分かってないだけなんだ。


 でも…何だろ…

 すごく…ショック受けてるね…あたし。

 トシ、あたしに…一緒にSS行こうとまで言ったのに…

 何、これ。


 途方に暮れてるあたしをよそに。

 トシと女は激しいキスをしながら、お互いの身体を触り合ってる。


 …この場から離れたいし、見たくもないのに…足が動かない。

 それにさ…トシ、何で気付かないわけ?

 あたし、気配消せてないよね…

 普段のあんたなら、気付いちゃうやつじゃないの?


 …って…


 それだけ目の前の女と、コトを進めるのに夢中ってことか…



 二人は声を荒げる事もなく…服を着たまま、立ったままの状態でヤッてる。

 …男なんて、目の前に足開いてくれる女がいれば、誰でもいいんだな…



 あー…何だろ…

 あたしって…男運ない。

 …て言うか、そういうの期待するバカだったのか…あたし。


 男運なんて…

 あたしは、二階堂に尽力する男と結ばれればいいんだよ。

 愛なんて…



「……」


 やっと足が動いた。

 あたしに纏わりつき始めてた、惨めな気持ちを払い除ける。


 …要らない物は、捨てればいいだけ。


 そう自分に言い聞かせながら、来た道を戻ってると…


「…泉…」


 背後からトシの声がした。


「……」


 ゆっくり振り返ると、そこに女はいなくて。

 トシは…悲しそうな目で、あたしを見つめてた。



 …何、その目。

 あたしがしたかったわよ。


 だけどきっと、あたしの目は…何の感情も表してない。

 悲しみも、怒りも。


 だって…

 あたしには、愛なんて不要。って…

 分かったから。



「泉…」


「……」


「…こんな所で、何してんの。」


 ポケットに手を突っ込んで、飄々としてるトシにムッとした。

 答えないままでいると、トシは溜息を吐きながら足を踏み出そうとする。


「来ないで。」


「は?」


「あたしに近付かないで。」


「……」


「そこから一歩でも動いたら…許さない。」


 あたしの言葉に、トシは眉間にしわを寄せた後…泣きそうな顔になった。


 …泣きそうな顔したって無駄。

 あたし達は…もう、終わり。


「あたしの調査は終わったんだよね。だったらもう…あんたとあたしは関係ない。」


「…は?」


「部屋にも来ないで。」


「なんで。」


「…嫌だからよ。」


「なんで嫌なの。」


「…あんた…バカ?」


「……」


 要らない物は捨てる。

 それで…スッキリさせようとしたのに。

 何だろう…この…胸ともお腹とも言えない場所に空いた…大きな穴。



「俺、泉の特別でしょ。」


 距離を開けたまま、トシが言う。


「特別なんて……バカげてた…」


「何それ。バカげてたって…何それ。」


 トシは視線を彷徨わせながら、拗ねたような顔でそう繰り返す。


「…とにかく、もう来ないで。あたしとあんたは無関係。二度と会わない。」


 強い目をしてそう告げると、トシは今までになく動揺した表情になって…


「…い…やだ…っ!!」


「!!」


 突然叫んだかと思うと、瞬時にあたしの腕を取って胸の中に抱きすくめた。

 途端に、あたしの鼻に入り込む…女の匂い。


「やめ…てよ…っ!!」


 トシの腕を振り払って、脇腹にケリを入れる。


「うっ…」


 簡単にあたしのケリを受け入れたトシがうずくまる。


「他の女とヤッた後で……こんなの…あんた最低!!」


 あたしは吐き捨てるようにそう言うと、その場を走り去った。



 …なんだ…

 あたし、相当悔しいんだなー…

 もう…誰かにバカバカ言われて大笑いされたい気分だよ…



「はあ……バカだ……ほんと…笑える…」


 独り言を繰り返しながら、あたしはホテルに戻ると最小限の荷物をまとめてそこを出る。


 もう…ここに居たくない。

 すぐにでもSSに行きたい。

 二階堂泉は死んだ。

 どこで死のう。

 どこで死ねばいい。


 混乱したまま本部に向かって歩いてると…


「っ…!!」


 不意に腕を取られて振り返らされた。


「…泉…?」


「……」


 あたしを見て驚いた顔をしてるのは…志麻。

 何でそんな顔してんの?って思ったけど…


「何かあったのか?」


 あたしの腕を掴んでない方の手が、頬を撫でて。

 ああ…あたし…泣いてたんだ…?って…気付いた。


「…何でも…ちょっと…疲れ…」


「……」


「あー…ごめん…あたし、バカで……」


「ふっ…」


 ふっ…?


 小さな笑い声が聞こえたと思って、志麻を見上げると。


「無理し過ぎだろ。」


 志麻はあたしの頭をポンポンとして…そのまま、軽く抱き寄せた。


「……」


 志麻の胸に顔を埋めると、そこからは…志麻らしい匂い。

 昔から知ってる匂い…。


「…俺んとこで、酒でも飲むか。」


 降って来る声に安心感を覚えて。

 あたしは小さく頷いた。

 だけど…


「!!」


 志麻があたしの身体を抱えたまま、数歩飛び退いた。

 何かが…足元に飛んで来たからだ。


「ケガは。」


「大丈夫…」


 これ…

 まさか、トシ…?


「志麻、危ない。逃げて。」


 腕を掴んでそう言うと。


「…逃げる?どうして…」


 志麻は腑に落ちない顔であたしを見下ろした。

 だけど…


「泉から離れろ。」


 次の瞬間。

 いつの間にかあたし達の背後にいたトシは、低い声で志麻に言い放った。


「離れなければ、殺す。」


 背後から聞こえたトシの声。

 それは…怒りに満ちた物だった。


 …自分が悪いクセに…!!



「何なのよ…!!」


 あたしが振り向きざまに肘を入れようとすると、トシはそれを簡単に受け止めて。


「泉は関係ない。」


 そう言いながら、あたしの身体を引き剥がすように乱暴に突き飛ばした。


「…惚れてる女相手に、それはないんじゃないか?」


「志麻!!挑発しないで!!」


 立ち上がって二人に駆け寄ろうとすると…


「おまえ…泉に触った…!!死ね!!」


 トシが志麻に…


「ダメ!!やめて!!」


 #############


「い゛い゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」


「えっ…」


 突然、トシが奇声を上げて身体を硬直させた。


「…え…」


 ドサリ。


 志麻の足元に倒れたトシを見下ろして。


「…え?」


 あたしは、何度もそう繰り返して…志麻を見上げた。


「…あの時、富樫さんのマイクがオンになってて。」


「…あの時?」


「泉、ホテルで何者かに襲われただろ?」


「!!」


 そ…それじゃ…

 志麻…

 のびた富樫の前で、あたしとトシがキスしたり喋ったりしてたの…全部…


「…その音声…全員に…?」


 ビクビクしながら問いかけると、志麻は溜息を吐きながら。


「俺だけ。」


 トシの脈を見るためにか…しゃがみ込んだ。


「それで…色々調べた。信じられないほどの能力を持つ男の事。」


「……」


「正直、最初はその能力の高さに嫉妬しかなかったけど、調べてくうちに弱点を見付けて。」


「弱点…?」


 しゃがんだままの志麻は、あたしを見上げて。


「今の所、最大の弱点は…泉。」


「……あたし?」


「分かってるだろ?」


「……」


「泉の事が絡むと、冷静でいられなくなる。そこが狙い目。丸腰どころか、武器を持ってても敵わない相手かもしれないから、こっちはずるくやるしかない。」


 …志麻って…こんな性格だったっけ…

 そう思いながら、志麻の隣にしゃがみ込む。


「…スタンガン?」


「ああ。」


「…どれだけ強くやったの…」


「効かないかと思って。」


「……」


 志麻は両手をパンパンと叩いて立ち上がると、あたしの荷物を持って。


「さ、俺んちで飲もうか。」


 気を失ってるままのトシをほったらかして…歩き始めた。

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